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スポーツと娯楽あなたの若い時代,それから最善のものを得る
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16章
スポーツと娯楽
1,2 (イ)あなたは特にどんなスポーツあるいは娯楽を楽しみますか。(ロ)わたしたちが生活を楽しむことをエホバが望んでおられることを示すそのみ手の業についてどんなことが言えますか。(詩 104:14-24)
さまざまなスポーツと娯楽に対する関心は世界中で広く見られます。それらを楽しむために毎年多額のお金が使われています。あなたもスポーツや娯楽,そうした事柄に対する関心を持っていますか。たとえば,あなたはスキーに行ったり,ボートに乗ったりするのが好きですか。水泳やテニスをしたり,他のスポーツを楽しみますか。それとも,映画に行ったり,テレビを見たりすることに楽しみを感じますか。
2 中には,そうした楽しみは良くないと言う人もあるでしょう。あなたはどう思いますか。聖書はそうした事柄を非としているとさえ主張する人々がいます。しかし,率直に言って,そのような人々は聖書および聖書の著者であるエホバ神を誤り伝えています。神のみ言葉は,若い人々がレクリエーションから楽しみを得ることについて好意的に述べています。一例として,神の祝福を受けた民を描写するに際して,聖書はこう述べています。「町の広場が遊ぶ少年と少女で満ちる」。また,「踊る時」があるとも述べています。(ゼカリヤ 8:5。伝道 3:4,新英語聖書)明らかに,神はわたしたちが健全なレクリエーションから楽しみを得ることを意図されました。神の霊の実の一つは「喜び」です。(ガラテア 5:22)そして健全なレクリエーションを楽しむのは正常で自然なことです。
楽しみを増すための導き
3-8 (イ)テモテ第一 4章7,8節にはレクリエーションに関してどんな平衡のとれた助言が記されていますか。(ロ)「身体の訓練」はどのように益がありますか。しかし,スポーツに真剣になりすぎるとどんなことになりかねませんか。(ハ)学校のチームに入って試合をするなら,どんな問題に直面しかねませんか。それをすべきかどうかについて賢明な判断を下すうえで何が助けとなりますか。
3 わたしたちがそうした活動から楽しみを得るのを助けるために,神は愛情深くもわたしたちに導きを備えてくださっています。例えば,食べ過ぎて体をこわさないようにと,神のみ言葉はこう助言しています。「肉をむさぼり食う者の間に入ってはならない」。(箴 23:20)同様に,神はレクリエーションに関連して次のような賢明な助言を与えてくださっています。「敬神の専念を目ざして自分を訓練してゆきなさい。身体の訓練は少しの事には益がありますが,敬神の専念はすべての事に益があるからです。それは,今の命ときたるべき命との約束を保つのです」― テモテ第一 4:7,8。
4 したがって,聖書は,スポーツなどによる「身体の訓練」にはそれなりの役目があることを示しています。スポーツはわたしたちの益になります。身体の均整や柔軟さ,筋肉の健康や力を増すのに役立ちます。また,長い時間勉強した後などは特に,スポーツをすると気分がさわやかになります。とはいえ,聖書が「身体の訓練は少しの事には益があります」と警告していることに注目してください。そうした聖書の助言を無視してスポーツにすっかり夢中になるなら,どんな事が起きますか。
5 一つとして,そのためにスポーツは楽しいレクリエーションというより「真剣な事」になり,楽しさがなくなります。勝負のあるゲームを過度に強調することの影響を指摘して,スポーツ心理学者のブルース・オジルビーは次のように述べました。「わたしはかつて10大リーグの野球チームの入団したばかりの選手をインタビューしたが,その87%は,小リーグの野球は楽しいゲームであったものから喜びを奪うので小リーグの野球をやりたくないと言った」。
6 また,フットボールのようなスポーツは,身体が発育段階にある時特に危険になります。サイエンス・ダイジェスト誌の報告によれば,アメリカでは約1,200万人の子供がスポーツのために18歳未満でなんらかの一生なおらない身体障害にかかります。非常に有名なプロ・フットボール選手のひとりは,自分の二人の息子を子供のフットボール・リーグに出そうとはしません。「親は考えられる限りの悪い事態が子供に生じ得ることを予想していなければならない。例えば,歯をすっかり折って家に帰って来ることもある」とその人は語っています。スポーツを非常に危険なものにしているのは,しばしばかり立てられる極端な競争,なにがなんでも勝とうとする態度です。
7 考慮すべきもう一つの事柄は,チームで行なうスポーツで避けられない交わりです。更衣室で話される内容は性の不道徳に関するものの多いことが一般に知られています。さらに,チームが試合のため他校へ行く場合,神への忠実さにはほとんど無関心な人々と長い時間一緒にいることでしょう。神のみ言葉が,『敬神の専念を目ざして自分を訓練してゆく』ことを強調している以上,このことは考慮すべき事柄です。自分の道徳的信条および自分と創造者との関係を損なう事柄に携わるのはどれほど実際的なことでしょうか。
8 ですから,スポーツも他の事柄と同じように,平衡を保つなら,すなわち,それが生活の中で大きな位置を占めてより重要な事柄の影を薄くしたり,人をあぶない状況にさらさない限り,良いものです。速い動きのスポーツで,体が素早く動きみごとな技をした時の感激を経験するのは,確かに人をたいへん活気づけ,いつまでも忘れない喜びと満足を与えます。また,そこから,そうした事柄を行なう能力を有する者としてわたしたちを造ってくださった偉大な創造者に感謝するよう助けられます。
映画とテレビ
9-14 (イ)映画やテレビ番組を選択する際,どんな事柄に警戒する必要がありますか。(ロ)道徳的に腐敗した事柄はそれを見る人にどんな影響を与えますか。なぜですか。たとえそうした行為が間違っていることを知っていても,それを見ることから自分が受ける影響を過小に評価すべきでないのはなぜですか。
9 どんな映画やテレビ番組を選ぶかということも神との関係に影響します。中にはとても喜ばしい映画やテレビ番組があり,創造者の驚嘆すべきみ手の業に対する認識を高めてさえくれるものもあります。しかし,きっと姦淫,不品行,男女の同性愛行為,暴力および大量殺りくを呼び物とした内容であふれたものが多いことに気付いておられるに違いありません。それらは娯楽とみなされるかもしれませんが,人にどんな影響を与えるでしょうか。
10 ではこう自問してください。自分はどのようにして今のひととなりとなったのだろう,と。環境と教育,特に目と耳を通して思いに取り入れた事柄によってではありませんか。そうです,多くの場合,思いを養うものがその人のひととなりとなるのです。ある事柄にさらされればさらされるほど,それがあなたの一部になる可能性が強くなります。
11 汚い食物のごみを食事にしたいという人がいるでしょうか。では,精神的なごみに絶えずさらされているとしたらどうですか。それは必ず人の思考の一部になります。映画を見ている時には,事実上画面に描き出されている人々と交わっているわけです。また,映画は,しばしば,悪行者,すなわち,不品行な者や同性愛者,あるいは殺人者に対してさえ同情をさそって,登場人物の感情に人を引き込むよう意図的に筋立てされています。男女の同性愛者,不品行なもの,姦淫を犯す者および犯罪者とそのようにして深く関係したいと思いますか。
12 それでも,画面に映る性の不道徳や暴力を見て,「自分はああいうことは絶対しない」と考えるかもしれません。なるほど,だれかから物を盗んだり,友人にうそをついたり,不品行を犯したりするように勧められたなら,あなたは今はそれを受けつけないかもしれません。しかし,彼らのゆがんだ考えを聞きながら,盗人や不品行な者,また同性愛者と長時間付き合うとしたらどうでしょうか。やがて,そうした者たちに同情的になるのも無理はないでしょう。最初はいやに思えたものがやがてそうは思えなくなるかもしれません。次の点を考えてください。同性愛者の大多数はどうしてそうなったのでしょうか。それを思いめぐらすことに時間を費やしたり,そのような人々と交わったりすることによってです。
13 自分は不道徳なことはしないと感じるかもしれませんが,異性と映画に行って,ネッキング,ペッティング,また不道徳な行為を繰り返し見るならどうでしょうか。そうした映画を見た後,特に抑制力を弱めさせるアルコール飲料を飲んだりしたなら,どんなことになりやすいでしょうか。その答えは明らかなはずです。事実,今日の映画の多くは,「悪をするのだ。法律という法律,神の律法であれ破るのだ」と大声で叫んでいるのです。あなたはそうした影響を受けたいと思いますか。
14 正直なところ,自分は絶対に悪い影響に冒されないと思いますか。かつては礼儀正しく勤勉だった幾百万人ものヨーロッパ人が,ナチスの宣伝に“洗脳され”て非人道的な恐ろしい犯罪を行なったり支持したりしたことを思い出してください。ですから,性と暴力を扱った映画を通して広められる堕落した宣伝が自分に与える影響を過小に評価してはなりません。
レクリエーションの必要を満たす
15-19 レクリエーションの必要を満たしてくれる健全な活動を挙げなさい。
15 創造者はわたしたちをレクリエーションを必要とする者として造りました。しかし,そのレクリエーションが道徳的な汚れや暴力を中心とするもの,ご自分が設けた律法の違犯を中心とするものとなることは決して意図されませんでした。確かに,そうしたものを呼び物とする映画やテレビ番組を除外するとすれば,非常に多くの映画やテレビ番組を除外することになるでしょう。しかし,楽しむことのできる健全なレクリエーションはまだたくさんあるのです。
16 結局のところ,終わったあとで,当惑や混乱を感じさせ,“後味の悪い思いをさせる”なら,そのレクリエーションや娯楽に何の利点があるでしょうか。だれかから食物を勧められたとしましょう。見た目に良く,おいしそうなので食べたところ吐き気を催したなら,“おかわり”をするでしょうか。では,自分の自由時間をレクリエーションや娯楽に費やす方法については選択的であってください。どれこれかまわず,たまたま手近にある娯楽で満足してただ“時間”をつぶすようなことをせず,真の喜びとさわやかさをもたらす事柄,振り返って良い思い出となる事柄を行なって暇な時間を活気のあるものにしてください。
17 屋外でできるスポーツは種々様々です。森をハイキングしたり,ハンドボールやバドミントンをしたり,蹄鉄投げ遊びをしたりして楽しい時間を過ごす人は少なくありません。中には,家にピンポン台とか玉突き台を置き,友人を招いてゲームをしたことのある人もいます。親に尋ねてみれば,それを喜んでくれるかもしれません。
18 楽しめて,しかも知識が得られる博物館とか他の興味深い場所に行くこともできます。養鶏場,酪農場,せり市,印刷工場を見学したことがありますか。都市に住んでいる人なら,そこの名所を教えてくれる部門が市役所にあるかもしれません。見学者を歓迎する近隣の工場を教えてくれることでしょう。さらに,湖,山,海岸のような景勝地へ旅行することは,特に家族ぐるみで楽しめるなら,喜ばしいレクリエーションになります。
19 むろん,楽しみを追い求めることが人生の主な目的となってしまい,そのために人生が提供する益を得損なわないように注意することが必要です。それにしても,創造者が,非常に変化に富むレクリエーションをして楽しむ能力をわたしたちに授けてくださったことに深く感謝できるではありませんか。レクリエーションがあれば確かに生活はより有意義なものになります。
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あなたが選ぶ音楽とダンスあなたの若い時代,それから最善のものを得る
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17章
あなたが選ぶ音楽とダンス
1-3 (イ)創造者がわたしたちの環境に音楽を織り込まれたことはどのように真実ですか。(ロ)聖書がダンスを是認していることを示す例を挙げなさい。
人間の創造者は,人間を取り囲む環境の中に音楽を織り込まれました。小鳥たちののどから湧き出る,澄んだ,流れるような調べ,また小川のせせらぎ,こずえを吹く風の音,コオロギのすだく音,カエルの鳴く声,そして地上の他の多くの生物の鳴き声 ― これらはみなわたしたちの周囲に音楽を添えています。ですから,人間の歴史の初めから楽器が発達したのも不思議ではありません。
2 ダンスも古い歴史を持っています。イスラエルにおいて,モーセの姉のミリアムは,『タンバリンを携えて踊る』女たちを指導しました。また,ダビデ王が堕落した敵を打ち破るのを神が助けた後,『女たちは歌い,踊りつつ,イスラエルのすべての都市から出て来』ました。イエス・キリストは放とう息子のたとえ話の中でふさわしい祝いの一部として踊りのことを述べていますから,イエスがダンスを是認しておられたことも明らかです。イエスは放とう息子が帰った時,「音楽の合奏と踊り」が設けられたことを述べました。聖書は,ダンスがひとりひとりによって行なわれたり,男性の一団あるいは女性の一団によって行なわれたりしたことを示しています。―出エジプト 15:20。サムエル前 18:6。ルカ 15:25。
3 ということは,音楽と踊りは例外なく良いものということでしょうか。それとも,聴く音楽や行なう踊りはよく選ぶべきでしょうか。この問題を決定するのに何が役立つでしょうか。これは実際にどれほど大切な問題ですか。
ダンスを選ぶ
4-6 (イ)ダンスがクリスチャンに良くないものとなるのはどんなばあいですか。(コロサイ 3:5,6)(ロ)現代のあるダンスが古代の多産の踊りと比較されるのはなぜですか。
4 ダンスの種類は優雅なワルツからきびきびしたポルカまで多種多様です。ラテン・アメリカのコンガ,ルンバ,サンバまたメレンゲ,ビギン,ボサノバといったものもあり,これらの多くはアフリカに起源を有しています。ロックンロールなどごく最近のダンスもあります。これらのうちのあるものは避けたほうがよい理由がありますか。
5 そのダンスが人を性的に興奮させ,性の不道徳への誘惑となるなら避けるべきです。そのようなダンスは数々の問題を引き起こします。
6 例えば,古代行なわれた多産の踊りは情欲をかきたてるよう工夫されていました。現在のダンスのあるものはその名残をとどめています。数年前,タイム誌はこう述べました。
「ツイストは最初無邪気そのもののダンスだった。……ところが[ニューヨークのあるナイトクラブ]の若者たちはツイストを復活させ,それをもじって古代のある部族の成年式のまねごとにした」。
7-10 (イ)そうしたダンスをするなら,他の人々は何ゆえにその人に引き付けられるかもしれませんか。あなたは異性をそのような理由で引き付けたいと思いますか。(ロ)舞踊会用のダンスの場合でさえ,なぜ注意が必要ですか。
7 近年見られる多くのダンスはツイストの変形です。踊り手は互いの体に触れませんが,腰と肩を性的に暗示する仕方でくねらせるのです。そのように体をくねらせるのを見ると,若い男性の情欲は容易にかき立てられます。例えば,若い女性はただダンスの所作にそって体を動かしているだけにすぎず,そのようなことは考えないかもしれませんが,見ている人々に対する影響や自分がその人々に与え得る印象を無視すべきではありません。ニューヨーク・タイムズ・マガジンの編集者にあてられた手紙がこう述べているとおりです。「ツイストの踊り手の若い(またそんなに若くない)体が偽りを語っていることを,すなわち,内面の思いが外面の骨盤や胸部の動きのようには動いていないことを希望する」。
8 たとえ悪い動機を持っていなくても,そうしたダンスをするなら,他の若い人々が自分に対してどんな種類の魅力を感じるかを考えるのは賢明です。自分から得られる性的興奮,つまり,タイトな服を身に付けて,腰をくねらせたり,さまざまな性愛的動作をする人たちから得られるような興奮のゆえに自分に引き付けられているだろうか。自分は,それだけのためにだれかを引き付けたいと思っているだろうか。それとも,ありのままの自分ゆえに,わたしの会話,わたしが人生で重要だと思っている事柄ゆえに好意を感じてくれる人を求めているだろうか。自分が関心を持っている人は,喜んでわたしのために尽くしてくれる人,それとも,ただわたしから得られることのためにわたしを好きになる人だろうか。
9 二人が抱き合って踊る,ステップに重きが置かれた優雅な動きの舞踊会用のダンスでさえ,密接な身体的接触のため時に性的に刺激するかもしれません。ですから,舞踊会のダンスに参加するなら,自分はそのダンスから官能的な快感を得るほど相手に接近していないと思っても,相手が間違った刺激を受ける可能性のあることを認めて思いやりを示してください。
10 ほとんどのダンスは,ふさわしいものとかふさわしくないものとかに分類できないのが事実です。ダンスの多くは,上品なふさわしい仕方ででも,あるいは,清らかで健全な振る舞いをするための神のみ言葉の助言に反する仕方ででもできます。
音楽の選択
11,12 音楽はどのように力を及ぼしますか。例を挙げなさい。
11 ダンスの場合と同様,音楽を聴く場合にもよく考えて注意深く選ぶことが必要です。なぜかというと,音楽には力があるからです。そしてその力は他のすべての力と同じく,役にも立てば害にもなるからです。
12 音楽の力はどこにありますか。それは人々にある種の感情やムードあるいは精神を抱かせるところにあります。音楽は緊張を和らげ気分を静めることもできれば,気分をそう快に陽気にすることもできます。強力な行進曲と静かな小夜曲との間の違いはほぼ「感じ」で分かります。音楽は,愛,優しさ,敬意,悲しみ,怒り,憎しみ,熱情など,人間のすべての感情を鼓舞することができます。人間は歴史始まって以来どの時代でも音楽の持つ力を認め,人々を特定の方向に動かすためにそれを用いてきました。一例として,フランス革命の勝利は,ある作家がラ・マルセイエーズという歌の「軍隊への血も凍る召集」と呼んだものに一部帰せられているとされています。また,学校ではよく運動競技会の前に「応援歌」をうたわせます。
13-16 (イ)箴言 4章23節は音楽の選択とどのような関係がありますか。(ロ)音楽はどのように「触媒」となって,時にいつまでも残る悪い結果を招きますか。
13 聖書の中で心は感情および動機と密接に関連づけられています。ですから神のみ言葉は「守られるべき他のすべてのものに勝って,あなたの心を守りなさい。そこから命の源は発するからである」と助言しています。(箴 4:23)人の感情を動かす力が音楽に現にある以上,わたしたちが自分の心を守るには,聴く音楽をよく選ぶことが必要です。
14 音楽の感動的影響が一時的なものにすぎないことは事実です。しかしそれは多くの場合,ある特定の方向に人を強く押しやる,あるいは特定の魅力もしくは誘惑に対する抵抗力を弱めるに十分なのです。学校で科学を勉強したなら,「触媒」のことはご存じでしょう。二つ以上の化学物質の化合は,それらの物質を実際に結合させる他のある成分を使うことによって成立する場合が少なくない,と学ばれたでしょう。その成分が「触媒」です。ところで,人間はみなある弱さ,悪い性向をもっています。ですから時々正しくない事をする誘惑を感じます。仮に人を悪い行ないに誘う状況が生じたとしましょう。音楽は,欲望と状況とを結合させる「触媒」となり得るのです。そうなると後でひどく後悔するような結果になります。ある政府のポルノ調査委員会に属する一研究者は,自分の調査に基づいて次のように述べました。
15 「音楽は,少女の感情に働きかけて恋心と愛情をかき立て,しばしば恋の触媒作用を行なう。だから音楽は思春期の女子の性へのめざめを刺激するものである。……音楽はこの感情を浮かび上がらせる」。
16 確かに音楽が与える衝動は,一時的とはいえ,将来変わらない針路もしくは生き方を決めるきっかけとなる場合があります。あるいは,それは,永続的な結果を生む生き方をするきっかけを作るかもしれません。ですから,音楽が関係している場合に洞察力を働かせることはむだではありません。
決定の問題
17,18 音楽を聴いて,それが自分に良いか悪いかはどのようにして決められますか。
17 良い音楽と悪い音楽をすぐに見分けられるようなリストを作ることは,だれにもできません。というのは,さきに挙げたあらゆる種類の音楽の中で,「完全に良い」とか「完全に悪い」という印を押せるものは一つもないからです。頭と心を使い,すでに検討したような原則を導きとして,それぞれの音楽の価値を判別しなければなりません。あなたが選ぶ音楽によって他の人たちは,あなたがだいたいどういう人であるかを知ります。
18 ずっと昔ヨブは,「口が食物を試みるごとく耳が言葉を試みるのではないか」と言いました。(ヨブ 12:11)ですから耳も音楽を聴きわけることができます。歌詞がなくても,どんなムードまたは精神をかき立てるように作られているか,どんな行動を促すかは大抵分かります。シナイ山から降りてイスラエルの宿営に近づいた時にモーセが聞いた音楽の場合もそうでした。彼はヨシュアに言いました。「偉業について歌う声[勝利の歌]ではない。敗北について歌う声[悲しみに満ちた歌]でもない。ほかの歌声をわたしは聞いている」。その歌は熱狂的で,偶像崇拝的で不道徳な活動を反映していました。―出エジプト 32:15-19,25。
19-22 (イ)古典音楽の好きな人は,どんなことに警戒すべきですか。(ロ)ジャズとロック音楽の影響について,どんな事実は深い考慮に価しますか。
19 もっと最近の音楽のことを考えてみましょう。例えば古典音楽には一般に品位があり,荘重な調べをもつものがあります。その多くはどちらかといえば人の思いに高尚な影響を与えるかもしれません。一方,人間生活の不純なまたは利己的な面を取り上げたものや,それを賛美するものもあります。有名な古典音楽の作曲家の中には不道徳な,放縦でさえある生活を送った人も少なくないことを覚えておくのはむだではありません。彼らはだいたい『人間生活のより高尚な事がら』を理解するとされた聴衆のために作曲しましたが,歌詞のあるものにせよないものにせよ,彼らのゆがんだ見方や感情がその音楽に入り込むことはまず避けられなかったでしょう。ですから,もし自分の思いと心を健全に保ちたいなら,いわゆる「純」音楽でさえ,全く無考えに受け入れることはできません。
20 音楽スペクトルの,古典音楽とは反対の端にあるのはシンコペーションを用いたジャズとロック音楽です。この分野にでも旋律的で穏やかな曲があります。しかし騒々しくて耳ざわりなものもあります。音楽家自身が,ジャズとロックを,「ソフト」なものと,「ホット」で「ハード」な,または「激しい」ものとに区別しているのはそのためです。この音楽がどんな行動を促すかは分かるはずです。あなたの耳,思い,そして心はそれをあなたに告げるはずです。ある音楽の歌詞または調子は非常にはっきりしていて,人々はその音楽を聞くとある種の行動,あるいはある種の人々をすぐに連想します。例えば,聖書は「飲む人たちの歌」や「売春婦の歌」のことを述べています。(詩 69:12。イザヤ 23:15,16)今日はどうでしょうか。
21 例えば,ある種の音楽会または音楽祭で人々が大騒ぎをし,気絶する少女や麻薬を使う者まで出,劇場が破壊されないよう警官隊が出動した,という記事を新聞で読んだなら,そこでどんな種類の音楽が演奏されたと思いますか。若い人気歌手や音楽家が麻薬の量をすごして死んだという話を聞いたなら,彼らはどんな音楽を専門にしていたと思いますか。
22 あなたは,若い人たちの多くが,ロックの歌詞は周囲の世界の現実や問題を描写していると信じてロック音楽に引かれている,ということもご存じでしょう。ロック音楽はおそらく他のどんな形式のポピュラー音楽よりも,大人になること,世代の断絶,麻薬,性,公民権,反対,貧困,戦争その他これに類する問題について何かの意味を伝えようとしています。ロックはよりよい世界についての若い人々のいろいろな考えや,社会の不公正に対する不満を表現しようとします。しかし一般にどんな影響がありましたか。若い人々の多くに何をなしたでしょうか。ロックの哲学は彼らに真の解決をもたらしましたか。そのような音楽が現実に焦点を当てたものであるというのであれば,なぜその多くが麻薬と関係があるのでしょうか。ある歌詞は麻薬常用者にしか分かりません。こうしたことは考慮すべき問題です。
23-25 (イ)音楽と関連して,伝道之書 7章5節の助言の要点は何ですか。(ロ)音楽やダンスを選ぶ際だれのことを考慮すべきですか。なぜですか。(コリント第一 10:31-33。フィリピ 1:9,10)(ハ)したがって,音楽とダンスを選択することはなぜ小さな問題ではありませんか。
23 ですから,音楽を選ぶことは決して小さな問題ではありません。群衆に従うことによって他の人に決定させ,人気のあるもの,大衆にアピールするものを選ぶこともできれば,自分自身でよく考え,神の言葉,聖書に見られる不朽の,そして卓越した知恵を導きとして注意深く選ぶこともできます。伝道之書 7章5節には,「賢い者の叱責を聞くことの方が,愚鈍な者たちの歌を聞く者となるより良い」とあります。聖書の言う「愚鈍」とは,知能的なおくれだけでなく,将来必ず問題を招く道を歩む道徳上の愚かさをも意味しています。
24 歌詞の中に真実なことや正しいことと相いれない言葉が含まれている音楽や,官能を刺激する騒々しい音楽を聞いても自分は影響を受けないと思うかもしれません。ダンスについても同様に感じるかもしれません。しかしあなたは他の人にどんな影響を与えますか。使徒パウロと同じように感じますか。彼は,肉を食べるといった正当な事柄でも,もしそれを食べないことによって人のつまずきとなることが避けられるなら,肉を食べるのをやめる,と言いました。あなたが選ぶ音楽は,あなたがどんな人であることを示しますか。
25 ですから,あなたがどんな音楽やダンスを選ぶかは,あなたが「おもしろく時を過ごす」ことだけに関心があるか,あるいは神の恵みによって永続する幸福な生活に関心があるかの問題です。
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