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  • 私たちはどのように聖書を得ましたか
    ものみの塔 1957 | 5月1日
    • た。このため,学者たちは西欧に分散して行きました。これらの学者たちは,西欧諸国の人々がほとんど忘れていたギリシャ語の知識を持つていたのです。又,それと同じ頃に,ヨハネス・グーテンベルグは活版印刷術を発明しました。この二つの出来事が偶然にかち合つて,神の御考えを人々の日常の言葉で表わす活動が活潑に始まつてきました。

      一般の人々に神の御考えを得させる仕事で指導的な役を果した人は,ウィリアム・チンディルでした。チンディルは,オクスフォードとケンブリッジの立派な学者でした。彼はギリシャ語を知つていました。そして,ウィクリフの英語訳の聖書は,聖書の原語から訳されたのでなく,ラテン語聖書から訳されたため,翻訳の翻訳である,ということに気づきました。チンディルは,原語から直接に聖書を翻訳しようと欲しました。その目標は,正確であることと,原語に全く忠実である,ということでした。

      教会の指導者たちは,チンディルに疑惑の目を向け,チンディルは,しばしば,議論の的になりました。敵対者の一人は,『法王の律法があるなら,神の律法がなくても良い』と言いました。烈火のごとく怒つたチンディルは,こう叫びました,『神が私の生命を救い給うなら,私は何時の日か英国で鋤を使う少年の方が,法王よりもずつと良く聖書を知るように,させる。』チンディルは,確かにその言葉を実行しました。

      『英国侵入』

      チンディルは,しばしば逮捕される危険に会いましたが,欧州大陸に逃げて地下に潜りました。地下に潜つても,その生命は絶えず脅かされていたのです。しかし,1525年までには,チンディルの英語訳クリスチャン・ギリシャ語聖書は,印刷を俟つばかりになりました。教会の一役員は,チンディルの仕事のことを知り,ヘンリー8世に手紙を書き送つて聖書の『英国侵入』を警告しました。その手紙は,港湾を厳重に見張つて,『有害な商品』の入ることを阻止しなさい,と王に警告していました。聖書は,綿の樽や,粉の袋の中に入れられて,英国に密輸入されました。英国に入つてからは,聖書は飛ぶように売れたのです。牧師は,びつくり仰天しました。そして,探し出した聖書をみな買い上げて,燃しました。ロンドンの司祭は,アントワーブに交易しているパキングトンという商人を呼び,欧州大陸で売られている聖書全部を買つてきてもらいたい,と願いました。

      内々ではチンディルの友であつたパキングトンは,次のように答えました,『猊下,このことにつきましては,私は英国内のどの商人よりも上々の仕事をすることができる,と思います。まだ,売れていない聖書を必らずみな手に求めてごらんに入れます。』

      『みな求めてきてもらいたい。その値段がどんなに高かろうとも構わない。余はよろこんで支払う。パウロの十字架のところで,それらの聖書を1冊残らず燃してしまう』と司祭は言いました。

      4週間たつて後に,この商人は,財政に苦しんでいたチンディルに会い,こう言いました,『チンディル先生,先生の著作を買う良いお客さんを見つけてきました。』『それは誰かね?』とチンディルは尋ねました。『ロンドンの司祭です!』『司祭が聖書を欲するのは,ただ焼くためだけなのだ。』とチンディルは言いました。すると,商人はこう答えたのです,『それが,どういうことになりましよう。どつちみち,司祭は本を焼いてしまうでしよう。それですから,一番良いことは先生がお金を得られて,燃された本の跡埋めする聖書を印刷されることです。』

      それから取引が始まりました。司祭は聖書を得て,チンディルは金を得ました。チンディルは,こう語つています,『このことから二つの益が得られるので,私はずつとうれしく思う。私は負債を返すことができ,また全世界は神の言葉を焼くことに対して猛烈な反対をするようになるだろう。それに,あまつたお金で,私はもつと研究をすることができ,いわゆる新約聖書の誤りを訂正することができる。それから,同じものを再版するが,再版のものは初版のものよりもずつと良いもの,と信ずる。』このようなわけで,聖書の最悪の敵であるロンドンの司祭は,知らずしてチンディルに経済援助を行い,聖書の翻訳をさせたのです。その後,聖書はどんどん英国に来ました。前よりも3倍も多い数になつて来たのです。程無くして,教会の権威者は,印刷された聖書を燃しつくすことは,とうてい不可能である,と知りました。牧師は,説教壇から英語の聖書を攻撃しました。この間,チンディルはヘブル語を研究して,原語から直接にヘブル語聖書を翻訳して,その幾らかを翻訳しましたが,1535年,彼は教会の権威者に捕えられました。その翌年,彼は邪教徒と処罰せられ,絞首刑を受けて,杙の上で焼かれました。チンディルの体は死んでも,彼の仕事は抹殺されなかつたのです。

      チンディルが死んでから75年間に,6つの重要な英語の聖書が出ました。それは,コバデイル聖書,マスュウ聖書,大聖書,ジェネバ聖書,ビショップ聖書,そしてレイムスードーエイ聖書です。ドーエイ聖書は,ラテン語聖書から翻訳されたものです。しかし,他の聖書は,本質的に見て,チンディルの聖書の改訳でした。

      16世紀から17世紀にかけてなされた翻訳の中でも一番大きな影響を及ぼした翻訳が,英国に現われました。これは,欽定訳聖書で,その90パーセントはチンディルの翻訳から取られたものと推定されています。

      チンディルは,立派な仕事をしました。彼は神の御考えを一般の人々に知らせました。

  • 彼らは妥協を拒絶した
    ものみの塔 1957 | 5月1日
    • 彼らは妥協を拒絶した

      真のキリスト教が,大多数の人々の間で人気を呼んだことは,一度もありません。第1世紀の宗教指導者にとつては,イエスは宗教界の好ましからぬ侵入者でした。イエスは,妥協せずに真理を宣明したため,宗教指導者の自己偽善や人間の言い伝えは神より否認されたもの,と曝露されました。(マタイ 15:1-9; 23:1-39)イエスは,唯一の真の神の崇拝を教え,そして神の言葉は真理である,と躊躇せずに語りました。(ヨハネ 17:3,17)すると,この国々の神々や,また宗教家たちが神の名の下に伝道していた矛盾し合う悪い教えは,偽りであり,人を惑すもの,ということになります。イエスは正しかつたのですから,彼らは間ちがつていました。その峻厳な真理は,彼らの心を傷つけました。

      政治界も,『ユダヤ人の王』になる者が現われた,ということによろこびを感ぜず,ヘロデは『賢人』からその者の誕生を知つたとき,悪鬼のそそのかしに従つてその者を殺してしまおう,という運動を始めました。その企みは失敗しました。しかし,それから後の年になると,総督ピラトは宗教的なパリサイ人の要求に屈し,キリストを恰も暴動をそそのかす法律違反者のごとくに見なして,死刑に処したのです。―ヨハネ 19:12-16。

      真実のクリスチャンたちは,神の子の模範の道に従いました。そして,イエスがヱホバに専心の献身を捧げ,またそのような崇拝こそ唯一の正しい宗教であると躊躇せずに宣べ伝えたごとく,イエスの弟子たちは彼の足跡にしつかりと従つてきました。使徒ヨハネは,次の言葉を述べましたが,それは全く正しいものです,『私たちは神から出た者であり,全世界は悪しき者の配下にあることを,知つている。』(ヨハネ第一書 5:19,新口)しかし,この世は,キリストの態度を好まなかつたと同じように,ヨハネのなした行にも是認を与えませんでした。ドミチアン皇帝は,ヨハネをパトモス島に追放しました。

      ユダヤ教の宗教教職制度や,その帰依者たちは,特にクリスチャンたちに対して激しい怒りを持ちました。彼らは,キリストを殺すために,すでに異教ローマと憎むべき同盟を結んでいたのです。しかし,五旬節以来,キリストの弟子の数がぐつと増加し,又多数の人々がユダヤ教を棄ててキリストの教えに従うようになるにつれて,彼らの憎しみは一向に減らなかつたのです。

      ステパノは殺されました。『さてサウロはなおも主の弟子たちに対する脅迫,殺害の息をはずませながら,大祭司のところに行つて,ダマスコの諸会堂あての添書を求めた。それは,この道の者を見つけ次第,男女の別なく縛り上げて,エルサレムにひつぱつてくるためであつた。』(使行 9:1,2,新口)サウロはクリスチャンたちを迫害した理由について,こう述べています,『私は激しく神の会衆を迫害し,また荒しまわつていた。そして,同国人の中で私と同年輩の多くの者にまさつてユダヤ教に精進し,先祖たちの言伝えに対して,だれよりもはるかに熱心であつた。』(ガラテヤ 1:13,14,新口)しかし,このサウロがクリスチャンになると,今まで迫害を加えていた彼が,こんどは迫害を受ける者になりました。

      それで,ローマの異邦人だけでなく,宗教心の強いユダヤ人も共々に,クリスチャンたちを憎んだのです。或る歴史家たちの考えによると,悪名高いネロの妻,ポッパイアは,すくなくともユダヤ教への改宗者であつたとのことです。それですから,夫をけしかけて鬼畜行為のようなクリスチャン迫害をさせた,ということについて幾らかの責任を負う者です。

      ローマ人から迫害さる

      それでは,クリスチャン時代の初期の世紀では,クリスチャンの迫害はユダヤ人からの反対だけだつたのでしようか。もし,そのように結論するなら,全貌の一部を考えることになります。『ローマ人がキリスト教に敵意を抱いた主要な理由は,クリスチャンの崇拝が他の宗教に共通なものをひとつも持つていなかつた

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