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  • 朽ちることのない「天の王国」の下にあるわたしたちの避難所
    ものみの塔 1976 | 2月15日
    • きわめて壮大な約束を惜しみなくわたしたちに与えてくださり,それによってあなたがたが,欲情のゆえに世にある腐敗から逃れて,神の性質にあずかる者となるようにされました」。この点は,彼らの特質と体に関するパウロの次の言葉によっても確証されています。「朽ちるものは不朽を着け,死すべきものは不滅性を着けねばならない」。―ペテロ第二 1:4。コリント第一 15:53。

      16 「天の王国」級ではなく,その王国の下に避難所を求めて見いだす人々,その人々もまた,道徳的に腐れのない者であることを実証しなければなりませんが,その問題については後に取り上げましょう。

      政治上の偽りの避難所

      17 第一次世界大戦以来,人々は何の伝道にもかかわらず,どのように,そしてなぜ,人間の政府にますます傾倒しましたか。

      17 ここでは,明確な対照によってわたしたちの認識を深めるため,人類に押し付けられ,この時代にその頂点を迎えた,政治上の偽りの避難所についてしばらく調べましょう。1914年の第一次世界大戦ぼっ発以来,人間の諸政府が人類を首尾よく治め得ないことはいよいよ明らかになってきました。それでも,人々は人間の政府に頼る度合を強くし,1919年以来,それ以前のどの時代よりも多くの国家政府が設立されています。先にあった国際連盟は,第二次世界大戦の苦もんのうちに死に絶えましたが,当時その加盟国は六十か国に満ちませんでした。今日の国際連合は138の加盟国を有しています。帝国による植民地統治ではなく,土地ごとの民による土地ごとの統治,これが指導原則となってきました。メシアによる神の王国こそ人類の唯一の,間近な希望であり,エホバの証人が終始より大きな規模でそれを宣べ伝えてきたにもかかわらず,こうして人間の政府の増加が続いてきたのです。過去61年の間,幾十幾百万の人々がこの王国の音信に答え応じてはきましたが,今日神の王国を唱道する200万の人々は,40億を数える地上人口の圧倒的大多数と比べると,数の上でははるかに下回っています。人類の大多数が,神の王国を唯一の希望としておらず,そこに避難所を求めていないことは明らかです。

      18 (イ)イエスのどの例えは,二つの対照的な級を予告しましたか。それらはどのように対照的ですか。(ロ)イエスはさらに,ご自分の多くのたとえ話の真の目的を示すどんなことを話されましたか。

      18 人類の大部分が王国の福音に対してその心と思いを閉じ,人間の政府を好んで,それをこの苦難の時代における自分たちの避難所としている事態に,わたしたちは驚きを感ずるべきでしょうか。いいえ,神の聖書に含まれる預言的な言葉に通じているなら,そのようなことはありません。神の子,子羊イエス・キリストは,事態がそのようになることを予告しました。ある例えの中でこう言われました。「天の王国は,自分の畑にりっぱな種をまいた人のようになっています。人びとが眠っている間にその人の敵がやって来て,小麦の間に雑草をまき足して去りました」。イエスがさらに語られたところによると,小麦の中から雑草を取り分けることは,収穫の時まで待ってなされます。後に,このたとえ話の意味を説明したイエスは,「りっぱな種とは王国の子たちで(す)。しかし雑草は邪悪な者の子たちです」と言われ,さらに,「収護は事物の体制の終結で(す)」と言われました。(マタイ 13:24-30,36-43)弟子たちが,「例えを使って彼らにお話しになるのはどうしてですか」と尋ねた時のイエスの答えにも注意してください。こう答えられました。「あなたがた[弟子たち]は,天の王国についての神聖な奥義を理解することを聞き入れられていますが,あの人びとは聞き入れられていません。……彼らは見ていてもむだに見,聞いていてもむだに聞き,その意味を悟ることもないからです。イザヤの預言[その6章9,10節]は彼らに成就しています。それはこう述べています。『あなたがたは聞くには聞くが,決してその意味を悟らず,見るには見るが,決して見えないであろう。この民の心は受け入れる力がなくなり,彼らは耳で聞いたが反応がなく,その目を閉じてしまったからである。これは,彼らが自分の目で見,自分の耳で聞き,自分の心でその意味を悟って立ち返り,わたしが彼らをいやす,ということが決してないためである』」。(マタイ 13:10-15)多くの場合,イエスのたとえ話にはこうした背景があります。この「収穫」の時,この「事物の体制の終結」の時においても,「雑草」について全く同じことが見られませんか。その心と思いは閉じられています。

      19 (イ)パウロは,使徒 20章27節から30節で,同様のどんな警告を与えていますか。(ロ)「不法の人」はどのように発達し,最後にどんな偽りの政治上の避難所を形成しましたか。

      19 この同じ点に関して,わたしたちは,使徒パウロがエフェソス会衆の長老たちに与えた次の警告を思い出します。「わたしが去ったのちに,圧制的なおおかみがあなたがたの中に入って群れを優しく扱わないことを,わたしは知っています。そして,あなたがた自身の中からも,弟子たちを引き離して自分につかせようとして曲がった事がらを言う者たちが起こるでしょう」。(使徒 20:27-30)これら偽教師たちは非常に腐敗した者となり,パウロがさらに予告したとおり,やがて,複合的な「不法の人」となりました。(テサロニケ第二 2:3-12)それはすでに使徒たちの時代に働いていましたが,それが明確な形を取ったのは,4世紀,コンスタンチヌス大帝が,いわゆる「司教たち」,当時の偽教師たちとの妥協を強いた時からでした。こうして,不純にされたキリスト教は,これら「司教たち」の監督の下に異教ローマの宗教と融合されました。この融合宗教が国家宗教とされ,こうしてキリスト教国が形成されました。それは今日,宗教上の大集団となっていますが,異教的傾向,この世的傾向,悪,人間の伝承,偽善,悪霊の教理などのパン種を充満させています。キリスト教世界は自ら大いなるバビロン,偽りの宗教の世界帝国の一部となり,その宗教帝国の主要な部分となっています。―啓示 17:3-6。ガラテア 5:9,19-21。

  • 逃れる人には熱心な態度が求められる
    ものみの塔 1976 | 2月15日
    • 逃れる人には熱心な態度が求められる

      1 啓示の書の中で,どんな二人の象徴的な女のことが述べられていますか。二人がだれであるかはどのように明らかにされていますか。

      聖書の巻末の本をよく調べると,鋭い対照をなすものと理解される二人の象徴的な女が出てきます。一方は,「大いなるバビロン」であり,他方は,神の子羊の「妻」です。第一の者は「娼婦」としての焼き印を押されています。第二の者,すなわち「子羊の妻である花嫁」は処女です。(啓示 17:3-6,15; 21:9)それらは共に宗教上の組織ですが,一方は汚れたもの,他方は清いものです。「子羊の妻である花嫁」は,子羊イエス・キリストに対して処女のごとく忠実に従う14万4,000人の会衆であり,そのすべては霊的イスラエル人です。大いなるバビロンは,古代バビロンに由来する偽りの宗教の世界帝国です。したがって,それは,真のキリスト教に反する宗教に従うすべての人々から成っています。使徒ヨハネが,「その女が聖なる者たちの血とイエスの証人たちの血に酔っているのを見た」のはそのためです。(啓示 17:6)したがって,大いなるバビロンに属する人々の奉ずる宗教はクリスチャン的なものではなく,バビロン的なものであり,そのゆえに偽りのものです。

      2 キリスト教世界と大いなるバビロンとはどんな関係にありますか。それはどのように明らかにされていますか。

      2 世界強国ローマにおける主要な宗教組織となったいわゆるキリスト教は,それによって,事実上,大いなるバビロンの娘となりました。大いなるバビロンについてはこう記されています。「額には一つの名が書いてあった。それは秘義であって,『大いなるバビロン,娼婦たちと地の嫌悪すべきものとの母』というものであった」。(啓示 17:5)したがって,キリスト教世界がその宗教上の母に見倣っているのも不思議はありません。さらにこう書いてあります。「地の王たちは彼女と淫行を犯し,地に住む者たちは彼女の淫行のぶどう酒に酔わされた」。(啓示 17:1,2)キリスト教世界はこの世との親密な交友を保っています。そのことは,ヤコブ 4章4節の言葉を思い出させます。「姦婦たちよ,あなたがたは世との交友が神との敵対であることを知らないのですか。したがって,だれでも世の友になろうとする者は,自分を神の敵としているのです」。キリスト教世界に見られる,教会と国家との多くの結合は,キリスト教世界の誉れとはなりません。それは彼女が霊的な淫行者,世の政治に手出しする者であることを示しています。キリスト教世界は,人類にとって,汚れた偽りの避難所として罪に定められています。

      3 キリスト教世界を含む大いなるバビロンの運命はどのように明確に描写されていますか。

      3 大いなるバビロンに臨む事柄はキリスト教世界にも臨みます。この点に疑いはありません。啓示 17章は,象徴的な表現ながら,この点を明瞭にしています。その章に描かれるドラマの頂点としてこう記されています。「あなたの見た十本の角,また野獣[大いなるバビロンは女主人としてその上に乗ってきた],これらは娼婦を憎み,荒れ廃れさせて裸にし,その肉を食いつくし,彼女を火で焼きつくすであろう」。美しい光景とはとても言えません!―啓示 17:16。

      大いなるバビロンから,神の真の女に逃れる

      4 (イ)啓示 18章4節から8節で,ヨハネはどんな強い勧めのことばを聞きましたか。それはなぜ急を要するものでしたか。(ロ)ある人々はこの勧めに対してどのように反応することが考えられますか。しかしわたしたちはみな今日どんな質問に直面しなければなりませんか。

      4 したがって,啓示 18章の初めに次の強い勧めの言葉が見いだされるのも不思議はありません。「わたしの民よ,彼女の罪にあずかることを望まず,彼女の災厄をともに受けることを望まないなら,彼女から出なさい。……彼女の災厄は一日のうちに来る。それは死と嘆きと飢きんであって,彼女は火で焼きつくされるであろう。エホバ神,彼女を裁いたかたは強いからである」。(啓示 18:4-8)あなたはこの叫びを聞き,またそれに注意を払いましたか。キリスト教世界諸教会のいずれかに加入してきたとみなす方の中には,その宗教的偽善を見てすでにそれから離れた,と言われる方もいるでしょう。また,今の世代の人々の中には,なんら宗教的背景を持たないながら,多少あやふやな態度で,神がいると思う,と唱える人々もいます。あなたは,ただ無宗教でいることに満足していられますか。そのように消極的,またどっちつかずの態度を取っているなら,安全な避難所にいる,あるいはそれを求めている,とはとうてい言えません。キリスト教世界を含め現存する事物の体制の終わりが近づいていることを示すすべての証拠を前にして,わたしたちは次の問いに答えねばなりません。すなわち,最高潮の近づいたこの時代に,わたしたちはだれの側にいるでしょうか。

      5 14万4,000人の幻のあと,ヨハネはどんな人々の群衆を見ましたか。そしてどのように詳しく説明していますか。

      5 天への希望を抱く,「天の王国」級の人々について先に取り上げましたが,自分はその中には入っていない,と言われる方がおられるでしょう。しかし,それによって神の恵みから外れ,また,神の翼の下に避難所を見いだし得ないわけではありません。(詩 91:4)啓示 7章4-8節の,14万4,000人の霊的イスラエルに関する描写の後に,こう記されています。「これらのことののち,わたしが見ると,見よ,すべての国民と部族と民と国語の中から来た,だれも数えつくすことのできない大群衆が,白くて長い衣を着て,み座の前と子羊の前に立っていた。彼らの手には,やしの枝があった。そして大声でこう叫びつづける。『救いは,み座にすわっておられるわたしたちの神と,子羊とによります』」。次いで,これがどのような人々であるかについて,さらにこう記されています。「これは大患難から出て来る者たちで,彼らは自分の長い衣を子羊の血で洗って白くした。それゆえに神のみ座の前にいるのである。そして,その神殿で昼も夜も神に神聖な奉仕をささげている……み座の中央におられる子羊(は),彼らを牧し,命の水の泉に彼らを導かれる……そして神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去られるであろう」。これは,本当にわたしたちの心を誘う光景ではありませんか。―啓示 7:9-17。

      6 (イ)イエスはこの人々についてどのように語られましたか。(ロ)イエスはこれをどのように極めて個人的な親しい関係にされましたか。それはどんなすばらしい保証につながりますか。

      6 この「大群衆」を構成するのがどんな人々かをさらに示し,あなたもその一人となるようお招きするために,イエスがご自分の追随者たちを羊に例えつつどのように話されたかを思い起していただきましょう。イエスの王座に共にあずかる人々に関しては,こう語られました。「恐れてはなりません,小さな群れよ。あなたがたの父は,あなたがたに王国を与えることをよしとされたからです」。(ルカ 12:32)そうです,「小さな群れ」です。しかし,別の時,ご自分の「羊」についてより広範囲に語り,ご自身を,『羊のために自分の魂をなげうつりっぱな羊飼い』として述べた時,こう話されました。「わたしにはほかの羊がいますが,それらはこの囲いのものではありません。それらもわたしは連れてこなければならず,彼らはわたしの声を聴き,一つの群れ,ひとりの羊飼いとなるのです」。イエスはまた,これを,極めて個人的な親しい関係ともされました。その少し前にこう語られたからです。「彼[羊飼い]は自分の羊の名を呼んで導き出します」。つまり,あなたが自分を捨てて絶えずイエスに従い,こうしてイエスの真の羊の一人となるなら,イエスはそのあなたを個人的に知ってくださるのです。そして,イエスの別の言葉にある極めて親密な響きにも注目してください。こう言われました。「わたしの羊はわたしの声を聴き[他のだれの声にも従わず],わたしは彼ら[一人一人]を知り,彼らはわたしに従います。そしてわたしは彼らに永遠の命を与え,彼らはいつまでも決して滅ぼされることがなく,だれも彼らをわたしの手から奪い取る者はありません。父がわたしに与えてくださったのは,ほかのすべてのものより偉大なものなのであり,だれもそれを父の手から奪い取ることはできません」。それが安全な避難所であることを示す壮大な保証ではありませんか。―ヨハネ 10:3,16,27-29。マタイ 16:24も参照。

      7 ペテロは「偽教師」に関し,どんな警告を与えましたか。

      7 わたしたちがだれの側にいるかの問いに戻り,使徒ペテロが霊感の下にこの点についてどのように述べているかを考えるのがよいでしょう。その第二の手紙の結び近くで,ペテロはまず,「偽教師」の現われについて警告しました。「これらの者は,破壊的な分派をひそかに持ち込み,自分たちを買い取ってくださった主人のことをさえ否認し,自らに速やかな滅びをもたらす」のです。これらまがいのクリスチャンのことを念頭に置いて,ペテロは後にこう書きました。「終わりの日にはあざける者たちがあざけりをいだいてやって来る……その者たちは自分の欲望のままに進み,『この約束された彼の臨在はどうなっているのか。わたしたちの父祖が死の眠りについた日からも,すべてのものは創造の初め以来と全く同じ状態を保っているではないか』と言う」。これこそ,キリスト教世界の牧師一般とそれに従う人々が取っている態度ではありませんか。わたしたちは,それがあなたの態度ではないと信じています。―ペテロ第二 2:1,2; 3:3,4。

      8 ペテロはさらに,特に今日のわたしたちのために,どんな警告を与えましたか。

      8 むしろわたしたちは,わたしたちすべての抱く誠実な態度が使徒ペテロの次の訓戒と一致するものであることを信じています。「神のことばにより」以前の事物の体制,つまり以前の天と地が「大洪水に覆われた時に滅びをこうむった」ことを述べた後,彼はこう言葉を続けています。「その同じみことばによって,今ある天と地は火のために蓄え置かれており,不敬虔な人びとの裁きと滅びとの日まで留め置かれている」。今日,神の見かけ上の遅さに辛抱しきれないという態度を取る人が多くいますが,そうした点をも戒めて,ペテロはさらにこう述べます。「エホバはご自分の約束に関し,ある人びとが遅さについて考えるような意味で遅いのではありません。[その理由に注意すべきです]……ひとりも滅ぼされることなく,

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