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  • 神の怒の酒槽を避ける
    ものみの塔 1956 | 4月15日
    • はなく,この世の宗教にも言えるのです。この世の宗教は,みな国際的な連盟である国際連合と交つており,国際連合を支持しています。この世の宗教は,大いなるバビロンである大淫婦と象徴されています。その淫婦は,七つの頭を持つ獣の背に乗り,ヱホバの『主の主,王の王』に手向つて戦をしかけます。地上になされた不正な流血のことごとくは,偽の宗教のためです。それで,この神秘な大いなるバビロンは罰せられるべきです。黙示録の幻を見たヨハネは,大淫婦に刑が執行される直前,その流血の有罪さを指摘して,こう述べています。『私はこの女が聖徒の血とイエスの証者の血に酔いしれているのを見た。……また,予言者や聖徒の血,さらに,地上で殺されたすべての者の血が,彼女の中で見出された。』(黙示 17:6; 18:24,新世)正義の神は,ハルマゲドンの裁きを為し,その時この世のすべての宗教のなした胸のむかつくような残忍な流血の罪を罰します。

      13 この裁きの御業について,天の大軍は何と言いますか? 有罪者は,どのように自分自身の血を飲みますか?

      13 この裁きの御業の故に,天の大軍はヱホバを讃美しつつこう言います『ハレルヤ,敵と栄光と力とは,われらの神のものであり,そのさばきは,真実で正しい。神は霊的な姦淫で地を汚した大淫婦をさばき,神の僕たちの血の報復を彼女になさつたからである。』血に充ちるこの世の宗教の長い記録は,今や明るみに出されねばならず,またバビロン的な宗教の煽動をうけて,無実な者たちの血を流した者共への将来の裁きは,神が正義な方であることを示さねばなりません。『あなたは正義な方であられる……なぜなら,聖徒と予言者たちの血を流した者たちに血を飲ませられたが,それは当然なことである。……たしかに,全能のヱホバ神よ,あなたの裁きは真実にして義しい。』(黙示 19:1,2; 16:5-7,新世)有罪者たちは,ハルマゲドンの時に当然殺されてしまい,自分自身の血を飲まされるでしよう。―イザヤ 49:26。

  • 逃れの町の中に避難
    ものみの塔 1956 | 4月15日
    • 逃れの町の中に避難

      1 ハルマゲドンの時,私たちはなぜ逃れの場所が必要ですか? 神は,それを予言的にどう示されましたか?

      流血の罪は全世界をおおつています。独善的なキリスト教国は,表向きには国際的な平和を得ようと努めているように見せかけているものの,それと同じ時に,歴史上曾てない程の流血の戦争を準備しています。この世の流血の罪に与ることなく,ハルマゲドンの亡びを避け得る避難の場所は何処にあるのでしようか? その場所に行くとき,血の神聖さに関するヱホバの契約に従うことになり,私たちの生命は失われません。ヱホバは避難と逃れの場所を準備されています。むかし,ヱホバは予言的にその場所を予表されました。すなわち,それはイスラエルの地に設けられた逃れの町でした。

      2 異教の諸国民の中にあつた避難所は,何でしたか? その数は,終になぜ減少しましたか?

      2 その逃れの町は,古代の異教国民の中によくあつた逃れの場所とはちがうものです。異教国民の逃れの場所は,森とか宮とか,祭壇のように,宗教的に神聖な場所であつて,避難所の権利が与えられていました。つまり,あやまつて為した悪行に対する刑罰から保護される権利が与えられていました。この場所に与えられている保護の力は,聖なる地帯附近に,ひろくひろがつていました。そして,厳重な警戒がなされていると共に,この場所の保護の制度を破る者には,ひどい罰が加えられ,その保護力は保たれていました。しかし,この逃れの場所である避難所には,宗教の名に隠れて,不幸な者だけではなく有罪者も避難してしまい,法律執行者とか,法律を自分の分の良いように用いて罰を加える者たちから,身を守つていました。エペソにあつたアルテミス(又はダイアナ)の有名な神殿は,異教の保護所である避難所であつて,時の経つにつれてその特典は拡大して行きました。ギリシャ人とローマ人のあいだに,これらの避難所の数は漸次増大しましたが,しかし,避難所の特典は濫用されてしまい,犯罪者の数は増しました。それで,イエスが地上にいた当時のローマ皇帝ティベリアスは,これらの避難所を厳重に取り調べて,その数を減小させ,かつその特典を限定しました。

      3 イスラエルの中で,逃れの町の増加は,許されていましたか? ヱホバは,将来設けられるイスラルの避難所のことを,はじめて何時述べられましたか?

      3 イスラエルの地にあつた逃れの町の数は少く,それに生命を故意に奪つた有罪者の避難所にはならず,ただあやまつて人を殺した者たちだけの避難所になりました。次のように考える人もいます。すなわち,イスラエル人が,パレスチナの約束の地に入る以前,40年間荒野にさまよつているとき,大祭司と従属の祭司級の者で成り立つレビ族の宮の僕級の天幕の中に,保護所が準備されていた,というのです。ヱホバ神は,シナイ山で予言者モーセに初めて律法を与えましたが,その時将来の避難所のことを述べられました。『人を撃つて死なせた者は,必ず殺されなければならない。しかし,人がたくむことをしないのに,神が彼の手に,人をわたされることのある時は,私はあなたのために一つの所を定めよう。彼はその所へのがれることができる。しかし,人がもし,ことさらにその隣人を欺いて殺す時は,その者を私の祭壇からでも,捕えて行つて殺さなければならない』。―出エジプト 21:12-14,新口。

      4 ヱホバの祭壇から,殺人の罪を持つ人を捕えて行く,ということから,何が分りますか?

      4 この最後の言葉から,たとえ神の祭壇で神に仕える祭司であろうとも,もし有罪者であるなら,有罪者の仕置きから免かれることはできず,欺きを行つた計画的な殺人者としての刑が執行されねばならない,ということが分ります。もし意識的な殺人者が祭壇のところに逃げて,祭壇を保護所と見なし,そして祭壇の神聖さのお陰で助かるのではないかと希望して,祭壇の角に手をかけている時でも,その者を連れ出して,当然の死刑を執行すべきです。神はその律法によつても,又は御自分の制度にある聖なる事物によつても,意識的な犯罪者を守りません。ヨアブ将軍は,その良い例です。ダビデ王の統治中,彼は復讐としつとの気持に駆られて,無実な人々の血を流しました。それに加えて,ヨアブ将軍は,神の選んだ王位継承者であるダビデの子,ソロモンを排してダビデの王位横領者を支持するという犯罪を犯しました。王位横領者が,虎視眈々と機を窺い,その野心を示したため,ソロモン王により殺されたとき,ヨアブ将軍は逃げて祭壇の角に手をかけ,出ようとはしなかつたのです。彼は『我はここに死なん』と言いました。そのため,ソロモン王はその場でヨアブ将軍を殺しましたが,そのときこう言いました『ヱホバはヨアブの血をその身の首に帰し給うべし,そは彼は己よりも義く,かつ善かりし二人の人を撃ち劔をもてこれを殺したればなり。然るにわが父ダビデは与り知ざりき。』(列王紀略上 2:28-34)意識的な流血の殺人者は,自分の犯罪を贖つてくれるヱホバの大いなる祭壇の犠牲,すなわちイエス,キリストの恩恵が頂けるなどと期待することはできません。

      5 いくつの逃れの町がつくられましたか? それらの町は,なぜ普通の町ではなかつたのですか?

      5 イスラエル人が荒野にさまよつていた40年目の年に,彼らはモアブの砂漠に達しました。それはエリコの都の手前にあるヨルダン河の東にあります。その時,ヱホバ神は,6つの逃れの町の設立を,彼らに命ずるのは良いと考えられました。その中の3つの町は,河の東側に設け,他の3つは河の西側に設けさせました。その6つの町は,普通の町ではなく,ヱホバの宮に仕えるヱホバの特別な僕たちに属する町でした。ヘブロンの町は,祭司たちの町であり,他の5つの町はレビ人たちのものでした。その6つの町は逃れの場所であつて,刑執行者たちの手は届きません。そして,聖なる地位が与えられました。それらの町の割つけについて,聖書にはこう書かれています。『彼らは,ケデシ……シゲム……キリアテアルバ(すなわちヘブロン)……ベゼル……ギレアデのラモテ……ゴランに聖なる地位を与えた。』(ヨシュア 20:7,8,新世)それで,神は逃れの町を特別に認め,そして,人々は,避難者に与えられるその保護の力を尊重すべきでありました。

      6 逃れの町をつくつた目的は,何を防ぐためでしたか? もし,イスラエル人が,この律法を無視しようと努めるなら,どんな結果が生じますか?

      6 逃れの町が設けられたのは,地が無実な者の血で汚されないようにするためでした。その血とは,あやまつて殺された人の血ではなく,悪だくみをひとつもいだかずに,あやまつて人を殺した者の血のことです。『是なんぢの神ヱホバの汝に与えて産業とならしめたもう地に罪なき者の血を流すこと無からんためなり。かくせずば,その血汝に帰せん。』(申命 19:10)それだけに止まらず,もしイスラエル人が逃れの町の律法を守り行わず,その律法を無視するならば,故意に殺人をした者にせよ,又はあやまつて殺人をした者にせよ,無実な人の流す血で,地は汚されてしまうでしよう。『なんぢらその居るところの地を汚すべからず。血は地を汚すなり。地の上に流せる血は,之を流せる者の血をもてするに非ざれば,贖うことを得ざるなり。汝らその住むところの地すなわち我が居るところの地を汚すなかれ。そは我ヱホバ,イスラエルの子孫の中に居ればなり。』― 民数紀略 35:33,34。

      7 流された血に復讐するため,誰が神の像につくられましたか? 殺人者が,血の復讐者から避けるために,何処に逃げることができましか?

      7 殺害された無実の人にいちばん近い親族が,その殺害者に会つて,殺害者を殺すという権利は,ヱホバにより認められていました。ヱホバはその一番近い親族を血の報復者と認め,刑を執行する権利と力を与えました。神は,血の報復者を『神のかたち』につくられました。神御自身にも殺人者を亡す権利と力を持つておられるからです。(創世 9:6)神の律法は,こう述べていました。『仇を打つ者,その故殺人を殺すことを得,すなわち之に遭うところにて,之を殺すことを得るなり。』(民数紀略 35:19)しかし,思いがけずに,悪い気持を毛頭持たなくても,あやまつて他の人を殺してしまうこともあります。そのような人を守るために,神は逃れの町を備えられました。それによつて,誤つて人を殺した者は,裁きに立つて自分は殺害する意図を持たず,また人を殺す程の憎しみをも持たなかつたと証明する時まで,その生命を助けられました。(ヨシュア 20:9)それで,無罪な殺人者は,自分の地域に属す逃れの町に逃げることができました。『あなた方のために町を選んで,逃れの町とし,あやまつて,人を殺した者を,そこに逃れさせなければならない。これはあなたがたが復讐する者を避けてのがれる町であつて,人を殺した者が会衆の前に立つて,さばきを受けないうちに殺されることのないためである。あなたがたが与える町々のうち,六つをのがれの町としなければならない。』― 民数紀略 35:11-13,新口。

      8 そのような逃れの町は,カトリックのキリスト教国内にあるどんな制度を予表しませんでしたか? その制度は,ついになぜ廃止されましたか?

      8 昔のイスラエル人と結ばれたヱホバの律法契約の中に,実際の逃れの町が規定されていました。霊的なイスラエルと結ばれたヱホバの新しい契約の中にも,同様な逃れの手段が規定されています。それで,イスラエル人の逃れの町は,キリストと関係を持つ将来の良いことがらを予表していました。(コロサイ 2:16,17。ヘブル 10:1)それは,何を予表しましたか? ローマ,カトリック教会の建物と,その境内を予表していたのではありません。その神殿保護所は法律の違反者のために役立つていました。自称のクリスチャンたちが,異教の事柄を採用して,それをキリスト教らしく見せかけたとき,聖所に保護所の権利があるという異教の習慣は,キリスト教国に入つてきました。ローマ皇帝コンスタンチンの時に,はやローマ・カトリック教会は避難所になつていました。そして,法律の役人や,復讐の念に燃える力強い敵に追いかけられた不仕合わせな人々は,ローマ・カトリック教会に逃げこんで,難を避けました。681年のトレドの宗教会議で,保護所の権利は拡大され,それは各教会から30歩離れたところまでに及びました。その時以来,教会の特典は,カトリックのキリスト教国内で通用し,法王が独立していて勢力を持つ期間中,すくなくともイタリーで存続していました。しかし,教会のこの潜越行為のため,官吏よりも牧師の方が力を持ち,違法行為がなされ,そして正しい行政が行われなくなる傾向が生じました。そのため,有罪者や有罪者に同情する者たちは,その特典を濫用するようになりました。アメリカナ百科辞典(英文)はこう記しています。『この制度による濫用が増大した。そして,公正の目的はこわされ,その結果キリスト教の国家は,その制度を廃止するようになつた。』― 第24巻,『避難所』という見出しの下の記事。

      9 何時から,逃れの町は全き成就をしましたか? そのような実体の逃れの町は,いまなぜ必要ですか?

      9 神の御国が天で1914年に誕生した時から,模型的な逃れの町の全き成就がなされました。なぜなら,神の御国は,不当に殺されたすべての者の流された血に対して報復を加えるからです。無実な者の流した血に対する報復の時は近づいています。そしていまこそ実体の逃れの町が是非とも必要です。なぜなら,主ヱホバがその契約の使とともに霊の宮に来た1918年以来,人類の流血の罪を定める裁きの時が始まつているからです。

      10 今日,逃れの町の実体は何ですか? その保護の御準備は,何ですか? それは,誰のために設けられていますか?

      10 今日の実体的な逃れの町は,何ですか? むかしの模型的な逃れの町は,ヱホバの大祭司をも含む宮の僕級の町であつたことから,実体の町は私たちを,死より救うヱホバの御準備にちがいありません。血の神聖さに関する神の契約を破るとき,死刑に処せられますが,しかしヱホバの大祭司イエス,キリストの取りなしの恵みの下に来て,その下に留るならば,死から救われます。その保護の御準備は,ヱホバの民の神権制度です。それは,あやまつて思いもよらずに殺人をした人によつて予表されている者たちだけのために設けられました。『以前から憎むこともないのに,知らないでその隣人を殺した場合,……そういう人は,これらの町の一つにのがれて命を全うすることができる。そうしなければ,復讐する者が怒つて,その殺した者を追いかけ,道が長いために,ついに追いついて殺すであろう。しかし,その人は以前から彼を憎んでいた者でないから,殺される理由はない。』― 申命 19:4-6,新口。

      団体的な流血の罪

      11 何時より,血は今までよりも多く流されましたか? 特に,どんな大きな論争に関して流されましたか?

      11 キリストによる神の御国が1914年に設立されて以来,人類の歴史上でいまだ曾てない程に多くの血が流されました。個人的な一人々々の殺人とか,偶然の殺人だけでなく,団体的な殺人が行われました。すなわち,第一次世界大戦と第二次世界大戦という全人類が今までに経験したことのない程の一番大きな殺人が行われたのです。相戦つた両方の側は,殺人の熱に浮かされながらも,それぞ自分の義しいことを主張し,いろいろな言い訳を申し立てて,その流血の罪を消し取ろうとしています。ヱホバの証者は,1914年以前から,そして特に1914年以来,この年に『諸国民に定められた時』は終り,神の御国が設立されたことを宣明し彼らに通達して来ました。しかし,私たちの知るごとく,両方の側は,世界支配という論争について相争つたために,大量殺人を行つたのです。第一次,第二次世界大戦は,全体的な戦争でした。その戦争を行うために,全国民が動員され,すべての人は国家的な運動にそれぞれの分を尽くしました。そして,戦線背後の市民の多い中心都市は,戦略的な爆撃の的になりました。

      12 それで,自己弁護を図るこの世の諸制度は,どんな聖句を記憶すべきですか? この点からみると,宗教はなぜ清くありませんか?

      12 それで,神の前に立つても,なんらの罪をも感じない諸国民やこの世の制度は,パウロの次の言葉を記憶すべきです。『自ら省みて,私には,すこしもやましいところがないが,それで義とされるのではない。私を裁く方は,ヱホバである。』(コリント前 4:4,新世)またシンゲンの中には,次の言葉もあります。『人の道はおのれの目に正しとみゆ。されどヱホバは人の心をはかりたもう。』(シンゲン 21:2)使徒はまた次のように言いました。『自分で自分を推薦する人ではなく,ヱホバの推薦する人こそ,御旨にかなつた人である。』(コリント後 10:18,新世)生命の与え主であり,かつ支え主である神の御前から見るとき,全人類はひとり残らずなんらかの流血の罪を負うています。直接に人の血を流した者はもちろんのこと,道徳的にも又は物質的にも流血を支持した人々は,流血の罪を負うています。この点から見ると,宗教の裾は汚れています。キリスト教国の牧師を含めて,戦争に加つていた国々の宗教指導者たちは,それぞれの神々に祈りを捧げて,自分たちの軍隊の上に,天の祝福あらんことを願つたからです。それで,不忠実なエルサレムに述べかけられた次の予言の言葉は,キリスト教国に適用します。『汝の裾に,罪なき貧しき者の生命の血あり。』― エレミヤ 2:34。

      13 流血に関して,ヱホバは人々に共同の責任を取らせますが,そのことを示すどんな模型的な例がありますか?

      13 流血ということに関して言うならば,公正な神は,人々に共同の責任を取らせる,ということを銘記すべきです。このことは,イスラエルに与えられた律法の中で,極めて明白に示されました。それは,殺人者が誰であるかが分らないときの被害者に関する律法です。『汝の神ヱホバの汝に与えて得させたもう地において,もし人殺されて野に仆れおるあらんに,これを殺せる者の誰なるかを知らざる時は,汝の長老たちと士師たち出きたり,その人の殺されおるところよりその四周の邑々までを度るべし。しかして,その人の殺されおるところに最も近き邑なるべし。』罪ありと想定されたその邑の長老たちは,その罪を雪ぐために,まだ使つたことのない若い牝牛を,種蒔くこともしない急流の谷に連れて行つて,その頸を折らねばなりません。それは,レビの祭司たちの面前で為されました。何故なら『彼らは汝の神ヱホバが選びて己に事えしめ,またヱホバの名をもて祝することを為さしめ給う者にて,すべての訴訟とすべての争いは彼らの口によりて決定るべきが故なり。』その町の長老たちは,頸を折つた牝牛の上で手を洗い,こう言いました『我らの手はこの血を流さず,我らの目はこれを見ざりしなり。ヱホバよ,汝が贖いし汝の民イスラエルを赦し給え。この罪なきものの血を流せる罰汝の民イスラエルの中に降したもう勿れ。』そのとき『彼らその血の罪を赦されん。汝かくヱホバの善と観たまう事を行い,その罪なきものの血を流せる咎を汝らの中より除くべし。』と神の律法は告げていました。―申命 21:1-9。

      14 それで,今日の全国民は,地を染めた血に対しての共同の責任を,どのように負いますか?

      14 今日の戦争は,全体的な戦争であつて,国家は総動員され,国際的な友好関係や,条約,交易が結ばれているため,全国民は地を染めた血に対して,共同の責任を負つています。流血の行われる原因は,諸国民がヱホバの宇宙的至上権を認めず,また即位したヱホバの王イエス・キリストの前に平和の裡にひざまつかず,イエスの恵みを求めようとしないからです。

      15 今日の誰が,もとより悪(にくむ)ことも無く,知らずして人を殺したイスラエルの殺人のようですか? どうしてそうですか?

      15 直接にせよ,間接にせよ,また戦時中でも平和の時でも,今日流血の罪を負わない人がいるでしようか。自動車を不注意に運転したために殺人した人もいるでしよう。または,他の事故のために殺人したり,あるいは故意に殺人した人もいるでしよう。その後に彼らは悔い改め,そして『カイザルのものはカイザルに払え』という原則に従つて,法律上の刑罰をうけるとも,生命の与え主である神の憐みを願い求めました。他の人々は,集団の殺人に参加して,それは良心から判断して,自分の義務であると考えたかもしれません。あるいは,それは神の御意であつて,神に聖なる奉仕を為しているのであると,宗教指導者や教師たちに言いふくめられたかもしれません。その後,彼らは間ちがいをしたことを告白し,いまや神の恵みは必要である,と感じています。他の者は,キリスト教国の牧師やその他の宗教指導者の毒々しい言葉にそそのかされて,ヱホバの証者を迫害いたしました。そのため,神に忠実を保つた幾千人という証者は,死にました。しかし,今や彼らは,タルソのサウロと同じように,悪く教えられ又,悪く導かれたことを今までは本当に悟り,神の恵みを強く必要としている,ということを悟りました。人間の生命が無残にも失われていることに対して,私たちは皆,共同の責任を持つていることに気づきます。事柄をもつと良く知つていて,しかも良く教導されていたなら,私たちは人を殺すとか,あるいは殺人に関係するあらゆる事柄に加らなかつたと感じます。私たちが,神の律法と御意を知らず,また理解していなかつたために,殺人は過失のものであり,あやまつてなされたのです。丁度,イスラエルの昔の殺人と同じようです。彼は『もとより悪むことも無く知らずして,その隣人を殺せる者』です。

      16 (イ)逃れの町に逃げ込むということは,何を表わしていますか?(ロ)イスラエルの逃れの町は,どんな国民のために設けられていましたか?

      16 逃れの町に逃げ込むということは,私たちが,神に献身していようと献身していなかろうと,できるだけ早く行く,ということを表わしています。そして,流血の罪を神に告白し,全人類の贖の犠牲を備えられた神の大祭司イエス・キリストを通して,神の恵みを頂くようにお願いたします。それで,神の御準備と神権制度内に,しつかりと避難することにより,私たちの悔い改めは真のものであると神に証します。昔の逃れの町は,誰の為に設けられたか,ということを銘記しなければなりません。そのとき,今日におけるその実体により,誰が恩恵をうけるかが,はつきり理解されます。ヱホバの律法は,次のように述べていました。『のがれの町としなければならない。これらの六つの町は,イスラエルの人々と,他国の人および寄留者のためにのがれの場所としなければならない。すべてあやまつて人を殺した者が,そこにのがれるためである。』『これらは,イスラエルのすべての人々,およびそのうちに寄留する他国人のために設けられた町々であつて,すべて,あやまつて人を殺した者を,そこにのがれさせ,会衆の前に立たないうちに,あだを討つ者の手にかかつて死ぬことのないようにするためである。』― 民数紀略 35:14,15。ヨシュヤ 20:9,新口。

      17 あやまつて人を殺した者に対する神の保護という御準備の恩恵に,まず誰があずかりましたか? なぜそうですか?

      17 このわけで,霊的な『キリストの体』である油注がれたクリスチャン会衆の成員は,この御準備を必要とします。なぜなら,彼らは実体の『イスラエルの子孫』であり,霊的なイスラエルの成員だからです。残れる者の中,もとからの成員は,第一次世界大戦を通過いたしました。しかし,その期間中,彼らはバビロの世に捕われました。それは,彼らが高位の人間を恐れたためであり,またその行はこの世の汚れに染まり,そしてこの世の戦争に対して全き中立を保たなかつたからです。御自分の宮に来られたヱホバが,彼らにどれ程の流血の罪があるかを裁いたかは,つまびらかに分りません。しかし,1919年にヱホバはバビロンの捕われから彼らを解放しました。その後,彼らは,あらゆらる罪をことごとく悔い改めて,その罪を告白し,そしてキリストの導きをうけつつ,ヱホバの崇拝を清めようと努めました。さらに,1919年以来,特に1931年にいたるまで流血の罪に染まつていた幾千人という多くの人々は,御国の音信と,来るべきハルマゲドンの音信を聞いて,実体の逃れの町に逃げ始めました。彼らは悔い改めて,神のあわれみを乞いました。彼らは神の大祭司イエス,キリストに信仰を持ち,以後神の御意を行つてその恵みの御準備内にしつかりと止まるため,神に全き献身をしています。それは,流血の有罪者すべてになされるハルマゲドンの処罰から,身を守るためです。『選民のために艱難の日が短くされている』現在,まず霊的なイスラエル人はあやまつて人を殺した者に対する神の保護という御準備の恩恵にあずかりました。

      18 その模型によつて予表されているように,実体の逃れの町は,他の誰のために設けられていますか? その模型の成就する時に関して,このことは何を証明していますか?

      18 しかし,むかしの逃れの町は,またイスラエルに住んでいた『他国の人および寄留者』のためにも設けられていました。彼らは,イスラエル人に属さぬ人々を予表しています。つまり,霊的なイスラエル人の神に頼つて,神の大祭司を通してなされる恵みの御準備にあずかりたいと,欲しています。彼らは,全世界の行つている流血の罪を,はつきり見ることができました。彼らは,その罪にあずかることを欲せず,またハルマゲドンにおいてこの世とともどもにその罪の罰を払いたいとは,欲しません。しかし,彼らも目前に迫つている処罰から逃げて,大祭司イエス・キリストの支配する実体の逃れの町に入つて行きます。そこへ逃げるときに彼らは心から悔い改めたことを示し,かつキリストを通してその生命の救を得るため神の恵みに依存していることを示します。どのように? 今より後永遠にわたつて神の御意に従おうと神に全く献身することによります。それで,今日流血の有罪者になされる死から生命を守るため,『他国の人』および『寄留者』級の幾十万という避難者は,残れる者の成員と共に,新しい世の社会というヱホバの御準備の中に入つております。1931年以来の今こそ,主イエスの『他の羊』がイエスの檻に集められて霊的イスラエルの残れる者とともに『ひとつの群』になる時です。この事実も1914年以来の今日こそ,逃れの町についてのこの予言的な縮図が成就されている時である,という証拠を強めるものです。

  • 逃れの町のなかに止まる
    ものみの塔 1956 | 4月15日
    • 逃れの町のなかに止まる

      1,2 逃れの町に逃げた人に,どんな制限が課せられましたか? それは,どの位の期間でしたか?

      血の復讐者から逃げのびた人は,身の潔白なることを示し,意識的に殺人したのではなく,あやまつて殺人したということを証明することが必要でした。その者の逃げ込んだ逃れの町は,まず殺人の起きた町,あるいは附近で殺人の行われた町に,その者を引き渡さねばなりません。その町の会衆は,はたしてその者が,逃れの町の保護をうけるにふさわしいか否かを判定しました。『会衆はこれらのおきてによつて,その人を殺した者と,血の復讐をする者との間をさばかなければならない。すなわち,会衆はその人を殺した者を血の復讐をする者の手から救い出して,逃げて行つたのがれの町に返さなければならない。その者は聖なる油を注がれた大祭司の死ぬまで,そこにいなければならない。』(民数記 35:24,25,新口)逃れの町の一つであるヘブロンは,アロンの子孫である大祭司と,その従属の祭司たちの町でした。それで,次のことが考えられます。すなわち,殺人者が人を殺そうという悪意を持たなかつた場合に,そのことを裁決される御方はヱホバの大祭司である油注がれたイエス・キリストであります。殺人者をヱホバの新世社会の逃れの町に入れるか,どうか,そして新世社会内に止まらせるか,どうかを決定される御方は,イエス・キリストです。

      2 避難者が死をまぬがれるのは,ただ神の憐みによりました。その故に,避難者に制限をつける,つまりその自由を限定するのは,全く正しいことです。その者は,その逃れの町と,その町のまわりの1000キュビットの空地の中に止まらねばなりませんでした。その制限の外に出るなら,折角救われた生命も殺されてしまうでしよう。『しかし,もし人を殺した者が,その逃げて行つたのがれの町の境を出た場合,血の復讐をする者は,のがれの町の境の外で,これに出会い,血の復讐をする者が,その人を殺した者を殺しても,彼には血を流した罪はない。彼は大祭司の死ぬまでそののがれの町におるべきものだからである。大祭司の死んだ後は,人を殺した者は自分の所有の地にかえることができる。また,のがれの町にのがれた者のために,あがないしろを取つて大祭司の死ぬ前に彼を自分の地に帰り住まわせてはならない。』(民数記 35:26-28,32,新口)それで,大祭司がその職務に即いている期間中に,殺人が行われた場合,その時の大祭司が死んでから後に始めて,あやまつて殺人をしたその者は,血の復讐者に恐れることなしで,自分の町か,自分の所有する地に帰ることができました。もしイスラエルの大祭司自身が,あやまつて人を殺した場合には,一生涯その逃れの町から去ることはできません。もし,レビ人があやまつて人を殺した場合,大祭司の生きている期間中は,その逃れの町から出てヱホバの宮に行き,そこでレビ人の義務を行うことはできません。このことから,大祭司は逃れた者たちの生命と自由を大きく支配したことが分ります。

      3 それで,いま血に染まつている避難者に対するヱホバの保護は,誰を通してなされますか? 人は,どのようにして実体の逃れの町を去りますか? その結果は,どうなりますか?

      3 また,このことから,次のことも分ります。無実な者の流された血に対して,ハルマゲドンの復讐の処罰が行われますが,そのとき,今日の血に染まつた避難者をヱホバは,大祭司イエス・キリストを通して,保護されます。大祭司であるイエス・キリストは,あらゆる種類の罪人だけでなく,悔い改めている殺人者をも救うために,御自分の人間としての生命を棄てられたのです。それで,イスラエルの大祭司の死ぬ以前に,逃れの町から外に出るということは,神の恵みと保護をいただいている者が,自分に課せられた神の制限に反逆する,ということを表わします。その者は,キリストを通して為された神の御処置に対して感謝の心を失い,またなぜ神が制限を設けられたかについての正しい認識を失つています。その者は,ダビデの子アブサロムから逃げた時のダビデを呪つたシメイのようになります。ダビデの後継者であるソロモン王は,シメイをエルサレムの都の中に住まわせて,その行動に制限をつけました。シメイは,ソロモン王を試す行をなし,逃げたふたりの奴隷を取り戻すためにエルサレムを離れました。しかしわがままな気持から制限を破つたため,その帰り道の途中で殺されてしまいました。(列王紀略上 2:36-46)それで,逃れの場所から出てくる者は,キリストの犠牲の贖いの恩恵から離脱してくることであり,その恩恵にもはや頼ろうともせず,また罪に対する神の刑罰から身を守るのに欠くことのできないキリストの犠牲の必要をもはや感じてはいません。その者は不注意にも,ヱホバの御要求に適うこと,また神の大能の御手の下に身を卑くするということについて,おろそかにしています。そして,自分は他よりも義しい者であるという考えをつくりあげ,それに頼つて身の守りを図ります。彼は神を試しすぎます。そして,自分のためにイエス・キリストをあらためて杭につけ,悔い改めの気持を全く失つています。ヱホバの恵みに充ちる逃れの場所の外に出るならば,かならず亡ぼされてしまいます。そのハルマゲドンの時,贖の恩恵をうけていないすべての流血の有罪者に対して報復はなされます。その者は,生き残らないでしょう。

      4,5 (イ)イスラエルの大祭司の死ということの成就に関して,どんな質問が生じますか?(ロ)それで,霊的イスラエルの残れる者の成員は,どの位の期間,その逃れの町にいなければなりませんか?

      4 死人の中から復活をうけた大祭司イエス・キリストは,『朽ちることのないいのちの力』を持つており,『もはや死ぬことがなく』『死はもはや彼を支配しない。』しかし,彼はメルキゼデクの状に似て『永遠に祭司』となります。(ヘブル 7:15-17そしてロマ 6:9,新口)それでは,イエスは,イスラエルの大祭司が死ぬという予表をどのようにして成就することができますか? そして人は,どのようにして,新世社会内の実体的な逃れの町から出ることができますか? 現代の避難者は,どの位の期間そこにいなければなりませんか? 忘れてならないことに,イスラエルの大祭司が死んだときには,その大祭司の務めは終り,そしてあやまつて人を殺した者のために贖いを捧げることは止まりました。その故に,実体的な逃れの町の中にいる残れる者の成員は,地上に生きている期間中,そこにいなければなりません。彼らは,ハルマゲドンの戦争を生き残つて,神の新しい世に入ることを希望しています。しかし,その戦争が行われて,流血の有罪者に対する処罰がなされた後でも,彼らは天的な大祭司の贖いの価値を必要とします。なぜ? なぜなら,彼らはまだ不完全な人間だからです。

      5 しかし,ハルマゲドン後の地的な義務を終えて,死亡し,そして瞬間的に天の霊者の生命に復活される時,彼らは,もはや,ヱホバの大祭司の贖いの奉仕を必要としません。彼らは,人間としての体をヱホバの宇宙的至上権の立証のために犠牲にしたため,人間の体を永遠に棄てたからです。あやまつて為した流血の罪をも含めて,不完全な人間の体に附随するすべてのものは,彼らから取り除かれます。それで,彼らに贖をなし,保護を与えるという面で,大祭司は,死んだことになります。しかし,ハルマゲドンを生き残つて,その肉の幕屋である地的な家,もしくは天幕が,死によつて消滅し,そして『神からいただく建物,すなわち天にある,人の手によらない永遠の家』を得る時まで,彼らは不滅な大祭司の支配する逃れの町の中にとどまります。―コリント後 5:1,新口。

      6 霊的イスラエルでないハルマゲドン生存者は,大祭司の実体的な死まで,どのように逃れの町に居りますか? その後でも,彼らは何をするために死にますか?

      6 しかし,現代の逃れている『他国人』と『寄留者』についてはどうでしようか。彼らは永遠に人間の状態にとどまります。それなら,何時その逃れの町を去つて,あやまつてなされた流血の罪から解放されますか? ハルマゲドン直後に,キリストの支配する逃れの町から出るということはありません。彼らも,生き残つている残れる者と同じく,不完全な人間であり,また罪に染まつているからです。それで,大祭司の贖の保護の下にいなければなりません。そこから出るなら,血の復讐者は,彼らを殺します。大祭司が王としての職務と,祭司としての職務を行う千年期間中,彼らがこの贖の保護を頂くことにより,遂には人間としての完全さまでに向上することができます。千年の終りに,イエス・キリスは,完全となつた残りの人類ともどもに,彼らをヱホバ神に渡し,彼らの忠実に関して,永遠に,しかも最終的に決定する試験を行います。その試験は,サタンとその悪鬼共をしばらくの間,解放することによつて行われます。神の御旨にかないつつこの試験を通過するなら,ヱホバ神は,彼らを義と認め,かつ新しい世の楽園の『新しい地』における永遠の生命を彼らに与えるでしよう。しかし,大祭司が,人間としての完全さを持つ彼らを神に渡されるとき,贖と保護をなす祭司としての仕事は終り,事実上は死んだと同じようになります。彼らは,逃れの町における彼の保護から出て,自分自身の力で決定する試験をうけるため,神の御前に置かれたからです。その後に死ぬことがあるなら,それは,血の復讐者によるのでなく,またあやまつて人を殺した昔の流血の罪によるのではありません。それは,忠実の試験に,彼ら自身の利己主義により,ことさらに失敗したからです。―黙示 20:1-6,11-15。

      「道を開く」

      7 昔の逃れの町は,あやまつて人を殺した者に,どのような待遇をしましたか? あやまつて人を殺した者は,逃れの町の中で,どのような行為をすべきでしたか?

      7 昔の逃れの町は,あやまつて人を殺した者に,その門を開き,中へ迎え入れました。『その人は,これらの町の一つにのがれて行つて,町の門の入口,に立ち,その町の長老たちに,そのわけを述べなければならない。そうすれば,彼らはその人を町に受け入れて場所を与え,共に住ませるであろう。たとい,あだを討つ者が追つてきても,人を殺したその者を,その手に渡してはならない。彼はあやまつて隣人を殺したのであつて,もとからそれを憎んでいたのではないからである。その人は,会衆の前に立つて,さばきを受けるまで,あるいはその時の大祭司が死ぬまで,その町に住まなければならない。そして後,彼は自分の町,自分の家に帰つて行つて,逃げ出してきたその町に住むことができる。』(ヨシユヤ 20:4-6,新口)逃れた者は,その逃れの町にいるあいだ,神の宮に行く自由がありません。しかし,宮仕えの者たちであるレビ人と親しい関係を持つていました。そしてヘブロンに逃れた者は,そこにいた祭司たちや大祭司たちとも親しい関係を持つていました。しかし,その時の大祭司が早く死ぬように,と願つてはなりません。もし,そうするなら,殺人の気持を惹き起し,神の制限に対して反逆の気持を生ずることになります。逃げた者は,怠慢であつてはならず,また町は当然に自分の生活を支えるべきだ,と考えてレビ人や祭司たちに経済的な負担をかけてはなりません。その者は,仕事を覚えて,町の福利と繁栄に貢献しなければなりません。

      8 それで,クリスチャンの逃れの町に逃げる人々は,どのような行為をすべきですか? その結果は,どういうことになりますか?

      8 それとおなじように,クリスチャンの逃れの町に逃げる人々は,新しい世の社会内にあつて,怠慢な行為をすべきではありません。彼らは,自分に示された神の恵みに感謝し,つねに『王なる祭司』の残れる者と交らねばなりません。そして,特に自分たちを保護してくれる大祭司と交らねばならず,また彼らは,新しい世の社会の負担,重荷になつて,その活動を制止し,かつその霊的な繁栄を取り去つてはなりません。彼らはその制度内で仕事を学ぶべきです。その制度に課せられている神よりの責務から判断してみると,その制度にふさわしい唯一つの『仕事』は,御国の音信を伝道して『我らの神の刑罰の日』を告げ知らしめることを学ぶことです。(マタイ 24:14。イザヤ 61:1,2)このことから,その中にいる時の時間は,ハルマゲドン前に,まつたく幸福のうちに飛び過ぎて行きます。そして,それはヱホバを讃美するとともに,また逃れた者と他の者に救をもたらす結果になります。

      9 流血の罪から,身を清く保つために,逃れる者は,何を言明しましたか? また,彼らは何の契約をかたく守りますか?

      9 それで,私たちは現在の逃れの町に入つており,大祭司の『死ぬ』時まで,そこに止まろうと決意しています。ヱホバの証者は,大祭司の支配下にあるヱホバの恵みに充ちる「逃れの町」の内に止まろうと決意しています。そして,1939年の11月1日に,彼らはこの世の流血の戦に対しては,絶対の中立を保つ,と言明しました。また,彼らは血の神聖さに関する神の契約をかたく守ります。彼らは,未公表の多くの死者を出している輸血を行いません。また,神の目からことさらの罪と見なされるあらゆる流血の罪から,身を清く保ちます。故意になした殺人者は,むかしの逃れの町の保護がうけられず,血の復讐者に引渡され,その手にかかつて当然に殺されました。新しい世の社会内に,そのような故意の罪を犯す者をひとりとして欲しません。―民数記 35:16-21,30,31。申命 19:11-13。

      10 あやまつて人を殺した者が,具合良く逃げるために,どんな援助が準備されましたか? むかしの予表では,それはどのように行われていましたか?

      10 逃れの町にいる祭司やレビ人は,保護を求めて逃れた人々に,心からの援助の手をさし伸べ,安全な拠り所を与えることが必要でした。さらに,祭司とレビ人だけでなく,全イスラエルの人々は,苦境にいる避難者を援助して,どのようにして血の復讐者よりも先に,逃れの町の安全地帯に逃げさせるかということについて,最大の関心を払いました。それによつて,あやまつて人を殺した者の無実な血が流れないようにしました。ヱホバの恵みの律法は,次のように述べていました。『汝の神ヱホバの汝に与えて産業となさしめたもう地の中に,(さらに)三つの町を汝(イスラエル)のために区別べし。しかして,汝これに道を開き,また汝の神ヱホバの汝に与えて産業となさしめたもう地の全体を三の区(ヨルダン河の西)に分ち,すべて人を殺せる者をして其処に逃れしむべし。』(申命 19:2,3)この「道を開く」ということは,逃れの町に通ずる大道を,平坦な道にする,ということです。岡をくずして平らとし,躓きの石を取り除いて,河には橋を架け,道幅を32キュビットの広さ,つまり48フィートまで広げて,文通が頻繁に行われる時でも避難者の妨害にならないようにしました。また,『逃げよ! 逃げよ!』と記された道標が,十字路のところに立てられていて,逃れの町に行く道を示していました。ヨルダン河の東に三つと,その西に三つある各地区には,それぞれの逃れの町がありました。それで,どの地区にいようとも,逃げ込む距離は,さして遠いものではなかつたのです。各人は,自分の属す正しい逃れの町を知つていました。

      11 どんな御準備の故に,今日の全国民はヱホバの霊的な民と共によろこぶことができますか?

      11 このことは,なんとすばらしい予表になつているのでしよう! 今日,あやまつて人を殺した者に,道が是非とも備えられねばならないのです。特に,霊的なイスラエル人でなくても,全国から来る実体的な『他国民』や『寄留者』,すなわち『他の羊』のために道が備えられるのです。そのわけで,これらの国民はいま霊的イスラエルの残れる者であるヱホバの民とともにいて,よろこびを感じています。流血の罪に対するハルマゲドンの処罰を待ち望んでおられるヱホバは,次の歌を述べられています。『我わが箭をして血に酔わしめ,吾劔をして肉を食わしめん。すなわち,殺さるる者と捕えらるる者の血をこれに飲ませ,敵の髪おおき首の肉をこれに食わせん。国々の民よ,汝らヱホバの民のためによろこびをなせ。そは,ヱホバその僕の血のために返報をなし,その敵に仇をかえし其地とその民のけがれをのぞき給えばなり。』― 申命 32:42,43。

      12 (イ)『道』を良い状態に保つことは,なぜいちばん大切なことになりますか? 私たちは,どのようにそうすることができますか?(ロ)もしそうしないなら私たちは将来どのような流血の罪を犯し,自分の亡びを招きますか?

      12 罪無き者の流された血に復讐するハルマゲドンまでの期間は,ヱホバにより『短い時』に定められています。そして,1918年以来,今日にいたるまで,その時はますます短くなつているため,今日の逃れの町に備えられている道を,良い状態に保つことは,いちばん大切なことになりました。このようにして,あやまつてなした流血の罪を,神および神の大祭司の前に認識する無数の多い人々も,大速力で逃げこめることのできるようにします。それらの人々は,『全能の神の大いなる日の戦争』のときになされる全世界にわたる危険な血の復讐に気づいています。私たちは,大胆不敵にも『神の刑罰の日』を宣明し続けることにより,彼らに警告を告げなければなりません。また,彼らを助けて,ヱホバの大祭司の支配するただ一つの逃れの町に,素早く逃げこませねばなりません。私たちはいま『逃れよ! 逃れよ!』と告げる道標のようになり,その逃れの唯一つの場所を指し示さねばなりません。各人は,その各々の属す区域内で,生命を救うこの仕事をなすべきです。危険な刑罰の剣を告げ知らせる見張りの者としての義務を,おろそかにすべきではありません。いまや,危険な状態にいる人々に警告を発して,逃げさせるべきです。もし,この義務をおろそかにして,警告を与えない

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