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  • マラウィ市民は重大な決定を迫られる
    ものみの塔 1973 | 8月1日
    • 地区では,ムツンズで27軒,ムジュマで9軒,ルンピの町で14軒の家が焼かれました。この地域の証人たちは,深い林や高い山に逃げることを余儀なくされました。

      こうしたひどい事を見ているマラウィの市民はひとつの決定に直面しています。彼らは多年の希望であった独立を成し遂げたので,こんどは良心の自由と神を崇拝する自由を抑圧するつもりなのでしょうか。つまり何の抗議もせずに政府がそれをするのを許すつもりでいるのでしょうか。反対に,そのような行為を恥じ,迫害されているクリスチャンたちを慰め助けるために,自ら進んで,いわば「冷かなる水一杯」を与え,そうすることによって自分がキリストの側に立っていることを示す人たちがいるでしょうか。次の記事が示しているように,そういう人たちもいるのです。

  • クリスチャンに対する迫害はマラウィ人の心をためす
    ものみの塔 1973 | 8月1日
    • クリスチャンに対する迫害はマラウィ人の心をためす

      1972年10月の初め,マラウィのクリスチャンの兄弟たちが苦しんでいるということを聞いた全世界のエホバの証人たちは直ちに援助に乗りだしました。ニューヨーク市のブルックリンにある,ものみの塔聖書冊子協会本部と,世界中の同協会支部事務所に多くの寄付が寄せられました。そこでブルックリンの事務所は,マラウィ近辺の支部事務所に十分の基金を送り,何でも必要な物を買うよう指示しました。こうして,ザンビアのスィンダ・ミサレにあった難民収容所の1万9,000人の証人たちに対し,援助の手は早急に差しのべられました。

      事は急を要したので,スィンダ・ミサレの近くのチパタの会衆がまっさきに,トウモロコシの粉4,500㌔,砂糖1,100㌔,ベッドカバー75枚,毛布65枚のほか,種々の道具や器具を収容所に持ち込むべく準備しました。

      その後まもなく,近くの支部事務所から大量の物資がはいり始めました。小さなトラック隊が,トウモロコシの粉約1万㌔,乾魚3,000㌔,防水布950枚,衣料品150箱,新しい毛布数百枚,大量のプラスチックのおおい,シャベル100個,手のこ25個,森林を切り開き,テントを張り,井戸を掘るなどの仕事に必要なおの28個と種々のつるはし,ハンマーその他の道具を運搬する役を買ってでました。物資の多くは,ザンビアのこの場所まで2,400㌔の距離を運搬されました。

      そして11月中と,12月にはいって難民全部がマラウィに帰り,収容所がなくなるまでの間に,次の物資を届けることができました。

      トウモロコシの粉約3万6,000㌔

      粉ミルク約1,000㌔

      乾燥豆226㌔

      塩157袋

      衣料品30㌧

      せっけん5,400個

      収容所内に設けられた医務室で使われる医薬品1.5㌧

      毛布1万枚

      他の必需品を買うためのお金も,収容所内の会衆の監督たちに渡されました。

      すべての人が自分の家族のために必要な物をもれなく受け取れるように,監督たちは配給システムをつくりました。また,子どもたちには特別に医療が施され,ミルクは子どもたちのためにとっておかれました。霊の必要物も忘れられてはいませんでした。迫害者たちは,難民からそのような所持品をすべてはぎ取ってしまっていたので,一台の車は,聖書と聖書の手引を21箱運んできました。

      土地は開墾され,テントが張られ,井戸もたくさん掘られ,病人は手当てを受け,状態は徐々に

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