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  • 真の宗教の修繕者と回復者
    ものみの塔 1954 | 5月15日
    • です。サタンの悪の深さは,ここで表わし示されました。神の律法と命令にたいするサタンの叛逆は,最も高い方の御名に非難をもたらすことによつて表わされています。ここで,ヱホバの御名は初めて汚され,非難をあびせられました。サタンの行いの計画は,一組の人間とヱホバとの間の結びを切ることであり,修繕することも回復することも不可能であつて,その原の健全な状態にもどらない程の破れをつくることでした。

      12 『その時に,ヱホバの名前を呼ぶことが始められた。』という聖句は,何を意味しますか?

      12 人類の歴史で第3世紀に,まだセツの子エノスが生きていた時,人々はヱホバの御名を公然と汚し始めました。『その時に,ヱホバの名前を呼ぶことが始められた』と書かれています。(創世 4:26,新世)人々は後悔の気持を持たず,謙遜な心をもつてヱホバに奉仕しようとしませんでした。ヘブル語の学者たちは,ここの聖句は『汚し始めた』または『汚すことが始まつた』と読むべきであると主張しています。欽定訳(英文)では,レビ記 21章6節で同じヘブル語の動詞は『汚す』と翻訳されていますが,その動詞は違つた活用,形成,または種類のものです。しかし創世記 4章26節の場合,表面に表われた偶像崇拝の時でありました。これに関係して,次の適切な論評に注意してください『エノスの時代に,アダムの息子たちは大きな間違いをした。そして,その時代の賢明な人たちは獣のようになつて理性を失い,そしてエノス自身も間違いをしたもの(の一人)であつた。彼らの間違いはこうであつた。世界を支配するために,神はこれらの星や天体を創造し,それらを高いところに置いて名誉を与え,またそれらは神の前にあつて仕えるものであるから,人間はそれらを讃え,あがめ,ほまれを与えることは適当なことであると彼らは言つたのである。…人間は,星にたいして宮を建て始め,犠牲を捧げ始めた。…それは彼らが悪い考えを持ち,創造者から恵みを受けたいと思つたからであつた。そして,これは偶像崇拝の根元であつた。‥‥それで時がたつにつれて,栄光ある恐ろしい(神の)御名は,生きているすべての人の口から忘れられ,知られなくなつた。彼らは神を認めなかつたのである。』(マイモニード著「偶像崇拝についての論文」から引用)これは,サタンの狡猾な計画に関して,創世記 4章26節についてのユダヤ人の見解を示しています。

      13 ニムロデはヱホバをどのように無視し,偽りの宗教のために働きましたか?

      13 ノアとセムが,血をやたらに流してはいけないという禁止を含むヱホバの命令を人々に伝道したことは疑いない事です。それで叛逆者であるニムロデは,ヱホバを崇拝する者たちを軽べつしました。ニムロデはヱホバを無視し,自分自身を人々の支配者といたしました。『彼はヱホバに反対して,力ある猟夫であることを自ら表わした。それで,「ヱホバに反対した力ある猟夫ニムロデのようである」という諺があるのである。」』(創世 10:9,新世)エルサレムのタルグムはこう言つています『彼は力ある猟夫であつた。(または,掠奪するのに力があつた)彼は神の前で罪を犯した,というのは彼は人間の子供たちを狩り,「セムの宗教から離れよ,そしてニムロデの制度につき従え」と彼らに言つていたからである。』彼の目的は真の宗教を亡すことでした。彼の王国の始まりはバベルでした。(創世 10:10)バベルの町と大きな塔が建てられた時,ヱホバはそれで不快に感ぜられました。記録はこう述べています『その後ヱホバは言はれた「見よ! 彼らは一つの国民であつて,彼らは一つの言語を持つている。そして彼らはこのことをし始めようとしている…」それでヱホバは人々を地上の全表面に散らされたので,彼らは次第に町を建てることを止めた。』(創世 11:5-8,新世)ヱホバの御名を拭き消すためにこの町と塔は建てられました。そしてそれはヱホバに反対して自分自らの名前をつくるためでした。

      14,15 (イ)パロはヱホバを無視しましたが,それはヱホバへのどんな讃美という結果をもたらしましたか?(ロ)モーセの時代とエリヤの時代にあつた危険な破れを説明しなさい。

      14 モーセの時代に,パロはヱホバに反対し,ヱホバよりもパロの方が偉大なものであると世界の前に高ぶりました。ヱホバはこの勢力ある世界支配者の力を滅ぼし,パロの偶像を投げ倒し,御自分が最も高い方であるということを立証されました。パロにたいしての神の警告は次のようでした『しかし実際にこの理由のために,私はお前を存在させて来た,それはお前に私の力を見せ,そして私の名を全地に知らしめるためである。』(出埃 9:16)モーセと彼の後継者ヨシユアの生涯の間,真の宗教につき従うか,または偽りの宗教をとり上げて神の恵みを失うかを人々にはつきり選ばせることは必要になりました。イスラエルの国民は幾度も滅びから救われました。ある時に,ヱホバの御名の故に,イスラエルの国民を救うようにとモーセはヱホバに願い祈りました。神は聞かれ,そしてその破れは直されました『それで彼らを滅ぼそうとヱホバは言われた,しかしモーセはその破れにあつて,ヱホバの前に立ち,ヱホバの烈しい怒りをそらしたので,彼らは滅ぼされなかつた。』― 詩 106:23,ア標。

      15 別の重大な破れは,エリヤの時代に直されました。アハブ王は異教の宗教へと背教しましたので,ヱホバは彼を強く憎まれ,その結果として破れが生じたのでした。アハブ王の妻イゼベルは,カナンの子孫が住んでいたフェニシヤ地方のシドン人で,以前にアミタロテとバアルの祭司であつた人の娘でした。清い宗教を憎むこの異端者イゼベルとアハブは結婚すべきではありませんでした。イゼベルは自分自身の祭司制度を組職し,450人の祭司たちが彼女によつて扶養されました。それは,もちろん国の費用でされたということは言うまでもありません。何年か前に,サムエルは偽りの宗教を廃止しました。しかしイゼベルは偽りの宗教を再び持ち入れました。イスラエルの国民が,ヱホバかまたはバアルかそのどちらに奉仕するかを決定する時がきました。

      16 真の宗教と偽りの宗教の間のこの勝負で何が起つたかを話しなさい。

      16 この時には真の宗教はうちこわされた状態でありました。しかし,エリヤはヱホバの御名を高くあがめましたので,ヱホバはエリヤを用いて,うちこわされたものを建ておこし真の宗教を回復させました。アハブ王はエリヤを非難して,イスラエルをなやましていると言いましたが,予言者エリヤは恐れを感ぜず,次のように答えました『我はイスラエルを悩まさず,ただ汝と汝の父の家これを悩ますなり。すなわち汝らはヱホバの命令を棄てて,かつ汝はバアルに従いたり。』エリヤは命令を出してイスラエル人たちをカルメル山に集めさせ,またバアルの450人の偽りの予言者たちをも集めさせました。それからエリヤは言いました『汝らいつまで二つのものの間にまようや? ヱホバもし神ならば,これに従え。されどバアルもし神ならば,これに従え。』続いて勝負が行われましたが,そのことは列王紀略上 18章17-40節に書かれています。狂信者たちが,異教の儀式にしたがつてだらしのない憎むべきことをし,彼らの神をなだめようと大声をあげて叫びましたが,バアルには助けることもできず,望みを与えることすらできなかつたことに注意してください。その記事を読んで,そのえらい興奮状態と,気のくるつたような逆上さわぎを想像してごらんなさい。でも,何の答えもありませんでしたので,彼らの宗教的な儀式はますます馬鹿げたものとなり,恥知らずのものとなりました。(バアルの崇拝は,非常に淫猥な崇拝の一つでした)これらの狂気じみた悪魔崇拝者たちは,自分自身の体をナイフで切り,血が多くほとばしりでました。一日中行われ,遂に彼らはすつかりつかれ果ててしまいました。傍に立つて見ていた人々は,清き美わしきものをもてヱホバを崇拝すべきでありましたが,そのような人々にとつてこれはなんという悪魔宗教の表われなのでしよう!

      17 エリヤの態度は,バアルの予言者たちの態度とどのような対照をしめしましたか?

      17 さて,エリヤをよく見てごらんなさい。静かに,尊敬の態度でまた取りみだして,感情を表わすということもなく,彼は威厳をもつておごそかに祈りを捧げます。それは偽りの予言者たちのみだらな狂気じみたこととは対照をなすものです『アブラハム・イサク・イスラエルの神ヱホバよ,汝のイスラエルにおいて神なること,および我が汝の僕にして,汝の言葉にしたがつてこれらの全てのことをなせることを今日知らしめたまえ。ヱホバよ,我にこたえたまえ,我にこたえたまえ。この民をして汝ヱホバは神なること,および汝は彼らの心をひるがえしたまうということを知らしめたまえ。』そのような祈りは,なんとはつきり理解できるのでしよう,そしてまたヱホバとイスラエル人に対してエリヤの持つていた深い愛をなんと良く表わしているのでしよう! エリヤはこの祈りの中でヱホバに彼の心を傾け注いだのでした。エリヤは強い信仰を持つていました。そして,ヱホバの呪いがこれらのイスラエル人の上に来るの欲しませんでした。この民の心が,安全な古い道にひき戻り,バアルの利己的な,感情を刺げきして引き起させ亡びをもたらす偽りの宗教を棄てさせるようにエリヤは祈りました。

      18,19 (イ)エリヤは真の宗教をどのように修繕し回復しましたか?(ロ)どのようにヱホバは祈りに答えられましたか,そしてその結果を示しなさい。(ハ)エレミヤの時代に,なぜヱホバは破れをもたらしましたか?

      18 エリヤはバアルの祭壇を用いるのを拒絶し,ヱホバを尊びあがめました。ヱホバの壇は,用いられずまた軽んぜられましたので地にくずれ落ちていましたが,エリヤはヱホバの壇を修繕しました。12の石でもつてエリヤは壇をふたたび建てました。前もつて何が起るかということを彼は発表しておきましたが,彼の信仰は完全でした。彼はヱホバの御名をまもり,イスラエル人に真の宗教を回復し,真の崇拝のやぶれたものを修繕しました。恐らく,彼の祈りはほんの数分であつたことでしよう。しかし,その祈りのすぐ後にヱホバから答えがありました。待つこともなく,天からの火が犠牲を焼きつくすのを見て,目撃者たちは誰が神であるかについてもはや全く疑いを持ちませんでした『民みな見て伏していいけるはヱホバは神なり,ヱホバは神なり。エリヤ彼らに言いけるは,バアルの予言者をとらえよ,その一人をものがれしむるなかれと。すなわち之をとらえたればエリヤ之をキション川にひき下りて,かしこに之を殺せり。』― 列王紀略上 18:39,40。

      19 ヱホバはエリヤを用いて破れを修繕し,真の宗教を回復させ,エリヤはヱホバの御名をあがめました。それで,エリヤにとつてその日は勝利の日でありました。この神聖を瀆し,神にこの不敬を行い,獣のように理性のない偽りの宗教に反対して,エリヤの生命は危くなくなるところでした。しかし,彼は,神への敵対を許しませんでした。ヱホバ御自身も敵対を許さない神であります。それですから,如何なる反対者をも彼は耐え忍ぶことはできません。最も高い神についてのエリヤの考えはそんなにも高いものでしたので,他のすべての神々や崇拝物を全く排除しました。カルメル山でのこの勝負は,記録の中でももつともすばらしいものの一つです。しかし,その決定は勝負を永久に終らせませんでした。というのは目に見えないサタンは間もなく忙しく働き始め,エリヤの建てた仕事を再びこわし,イスラエルから真の宗教を取り離してしまいました。後に70年間続いた破れが来ましたが,その年月の間エルサレいとユダの町は荒れ果てていました。イスラエルの偽りの宗教について,エレミヤは幾度も幾度もイスラエルに警告しました。その警告の一つはこうでした『愚かにして,悟りなく,目あれども見えず,耳あれども聞えざる民よこれをきけ。ヱホバ言いたもう,汝らわれを畏れざるか,我が前におののかざるか‥‥しかるにこの民はそむき,かつもとれる心あり。すでにそむきて去れり。彼らはまた…我が神ヱホバを畏るべしと其心に言わざるなり。…この地に驚くべきことと憎むべきこと行わる。予言者は偽りて予言をなし,祭司は彼らの手によりて治め,我が民はかかることを愛す。されど汝らその終りに何をなさんとするや。』― エレミヤ 5:21-31。

      20 偽りの宗教家たちは,なぜ『平康!』と叫びましたか? ヱホバはなぜよろこばれませんでしたか?

      20 ヱホバは言われました『彼らは小さき者より大いなる者にいたるまで皆むさぼる者なり。又予言者より祭司にいたるまで皆いつわりをなす者なればなり。彼ら浅く我民の傷を医し,平康からざる時に平康平康といえり。』ヱホバの烈しい怒りは必らず来ることでしよう。偽りの予言者たちがどのように宥めようとも,その烈しい怒りを止めることはできないでしよう。彼らは,イスラエルの真の王であり,最も高い神ヱホバの命令に反対し,その命令を取り消しましたので,これらの偽りの宗教家たちは,ヱホバの前にあつて叛逆の行為をしていました。ヱホバの忠実な大使のもつ忠義な従順をこわそうと彼らは努めました。『ヱホバかくいいたもう,汝ら途に立ちて見古き道について,いづれが良き道なるをたづねて,国の道に歩め,さらば汝らの魂安きをえん。されど彼ら答えて我らはそれに歩まじと言う』また『わが目は夜も昼もたえず涙を流さん。そは我が民の童女大いなる破れと重き傷によりて亡ぼさるればなり。』この破れは,そんなにも広かつたので,神の民は70年間捕われていなければなりませんでした。唯一つの正しい崇拝しかないということを彼らは学ばねばなりませんでした。『神でないものを神に人間はするであろうか? であるから,この度私は彼らに私の手と私の力を知らせよう。そうすれば,私の名前がヱホバであることを彼らは知るであろう。』― エレミヤ 6:13-19; 14:17; 16:20,21,ア標。

      21 この大きな破れがくるであろうと,イザヤはどのように予言しておりましたか?

      21 エレミヤの時代よりもずつと昔しに予言者イザヤは,ヱホバとの将来の破れをイスラエルに警告しました。でも彼らは拒絶して聞きませんでした。『それは叛逆の民であり,偽りを言う子らであり,ヱホバの律法を聞かない子らである。見る者にむかつては,見てはならないと言い,予言者にむかつては,正しいことを予言するな,滑らかなことを語れ,偽りのことを語れと言う。また,道をはなれ,道をされ,そしてイスラエルの聖者を私たちの前からなくせと言う。しかし,イスラエルの聖者はこう言う「あなた方はこの言葉を軽べつし,圧制とよこしまなることを信頼し依存している。それであるから,あなた方にとつて,この不正はくずれ落ちようとする破れのようであろう。」』― イザヤ 30:9-14,ア標。

      22 偽りの宗教家たちは,ヱホバの名前を隠しましたが,それはなんの理由のためでしたか?

      22 イスラエル人は真理と清い宗教を欲しませんでした。予言者たちに願い出てただ『滑らかなこと』だけ語らせました。罪の意識を持ち,恐れを感じている彼らの心にとつて,曲ることのない正しい真理には耐えることができませんでした。これらのヱホバの裁きは,来ないということを予言者たちに保証してもらいたかつたのです。ヱホバの名前をイザヤは口にだしてはならないというようなことまでも彼らは要求し,『イスラエルの聖者を私たちの前からなくせ』と言いました。全く彼らは創造者に非常に反対しました。その心は固くなりましたので,いままで養つて下さつた手を咬もうとしました。彼らを導いた母親に怒りの気持をもつて,憎しみをむけました。なんという恐ろしい状態に彼らは落ち込んだのでしよう! そのことは,偽りの宗教を持つときに,人々がどのように狂気じみ,獣のようになるかということを再び強く示すものです。ヱホバの名前を記憶から取りのぞこうと欲しました。『ヱホバの名前を欲しない!』と彼らは言いました。しかし,忠実な予言者は,ヱホバの御名にあつて,語るのを止めるなどということを全然考えもしませんでした。忠実な僕はヱホバの御名を伝道するのに決してためらわず,またヱホバからの音信を発表するのに決してためらわないでしよう。世界のあらゆる地方の人々に,その言葉をより受けやすくするため,ヱホバという御名の代りに『主』とか『神』とかいう一般の称号が用いられていますが,真の崇拝者たちは,ヱホバという御名を隠すなどという罪を決して犯さないでしよう。ヱホバという御名を隠す者たちは,その御名を恥じており,その御名から来る裁きを恐れています。

      23,24 禁ぜられている道を人が行く時,何が結果として生じますか? アモスの子言を何時ヱホバは成就せしめましたか?

      23 エレミヤを通して,次のようにヱホバは告げました『私の民は私を忘れ,偽わりの神々に香をたく。彼らは,その古代の道につまずき,小道である,つくられていない道を行かねばならない。』(エレミア 18:15,ア標)ヱホバを見棄てることは,古代の道をすてさることを自動的に意味しました。イスラエル人は無限に栄光あるヱホバから離れ価値のない,感覚のない唖の偶像に向い,その民をつまずかせました。律法にそむいて,彼らは禁ぜられていた,未知の道を歩みました。彼らは誘惑者の思うがままとなり,王の正しい公道を離れ去つたために多くの苦しみで本当に悩まされました。彼らはヱホバの警告を軽べつし,ヱホバという畏るべき御名を聞くことすら耐えることができませんでした。全く,彼の無限の聖さの前にあつて,耐えることができなかつたのです。

      24 70年の荒廃に続いて,恵みある御親切はイスラエル人に与えられました。彼らは自分の国に連れ戻され,ヱホバの清い崇拝にもどりました。それから,ゼルバベルの指導の下に,宮殿を再建し,後には城壁が建てられ,大きな再建の仕事が全地に行われました。予言者アモスはこれらのことを予言しました。こう書かれています『その日には,我ダビデの倒れたる幕屋を興し,その破れをつくろい,そのくづれたるを興し,古代の日のごとくにこれを建なおすべし‥‥われ我が民イスラエルの捕われを返さん。彼らは荒れたる町々を建なおして其処に生まん。』(アモス 9:11-15)この予言は文字通りに成就しましたが,そのことだけでなく,将来においてより大きな規模で成就する筈でありました。この予言のより大きな将来の成就について,次の記事は論じています。

  • 今日の真の宗教の回復
    ものみの塔 1954 | 5月15日
    • 今日の真の宗教の回復

      1 アモス書 9章11-15節の予言が,使徒の時代に成就し始めたということをどうして知りますか?

      アモス書 9章11-15節に記録されている予言は,最初にイエス・キリストと彼の使徒たちの働らきによつて成就され始めました。このことは,エルサレムで開かれた特別の集会の時に,ヤコブによつてこの予言が引用されたことから判るのです。当時には,真の宗教をうけ入れた異邦人たちの割礼について多くの議論が生じていました。先ずペテロはこのように証言しました『私の口から異邦人らが良い音信の御言葉を聞いて信ずるようにと,神は久しい前にあなた方の中から私を選ばれた。…神は私たちと彼らとの間に,何らの差別をもなさずに,信仰によつて彼らの心を清められた。』バルナバとパウロは,異邦人の中にあつて神がなされた多くの徴と不思議を語りました。その後に,ヤコブは次のように答えました『兄弟たちよ,聞きなさい。神が初めて異邦人たちに注意を向けられ,彼らの中から御名のための民を取られたということについては,シメオン(ペテロ)が十分に語つたところである。そして,予言者の言葉もこれと一致している。このように書かれている「これらの後,私は帰つて来よう,そして倒れたダビデの王の宮を再建しよう。私はそのこわれたものを再建し,そしてそれを立て直そう。これは,残つている人々と私の名によつて呼ばれるすべての異邦人たちが共になつてヱホバを熱心に求めるためである。昔しから知つておられるこれらのことをなさつているヱホバはこのように言われるのである。」』― 使行 15:7-18,新世。

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