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    目ざめよ! 1976 | 5月22日
    • 「いいえ,結構です」と言うことだけはとてもできません。ですから,お好みのパンが,ピザ,ピティ(シリア語かアラビア語で“小型パン”の意),チャパティ,トーチラス,インジェラ,あるいは饅頭のいずれであっても,あるいはベーキングパウダーで作る小型パンやノルウェーのフラットブレッドであっても,自家製のパンを作ってみてください!―寄稿

  • 東ベルリンと古代の近東
    目ざめよ! 1976 | 5月22日
    • 東ベルリンと古代の近東

      西ドイツの「目ざめよ!」通信員

      東ベルリンと言えば何を思い出されますか。共産主義の支配下にある,無神論的な考えが幅をきかせている,ヨーロッパの一近代国家を思い浮かべるだけかもしれません。

      ところで,東ベルリンには,古代の近東に関する知識の宝庫があるのをご存じでしたか。その中には,聖書の記述の一部を確証づけるものもあります。こうした資料は,有名なペルガモン博物館に収蔵されています。この博物館は,近東の古代の遺物を収蔵している点で,世界でも,大英博物館,ルーブル美術館に次いで第三の地位を占めています。

      同博物館の宝庫に収められている遺物の幾つかを調べてみるのはいかがですか。それではまず,館名の由来地ペルガモンの出土品から見ていきましょう。

      古代ペルガモンの出土品

      この博物館には,“ペルガモン祭壇”として知られる,ゼウス神に捧げられた祭壇が復元されています。全焼の供え物の祭壇そのものは,“祭壇の建造物”の上部にある,周囲をかこまれた部分に設けられており,その祭壇へ行くには,まるで玉座へでも上って行くように,幅20㍍ほどの石段を24段昇らなければなりません。階段の両側には,神話の画像が浮彫りにされている石壁があります。では,古代の異教の崇拝にかかわるこうした遺物に,今日関心が持たれているのはなぜでしょうか。

      同祭壇復元工事の指揮を執ったエリーザベト・ローデ博士は,“Pergamon, Burgberg und Altar”(ペルガモン,その城塁と祭壇)と題する出版物の中で次のように語っています。「福音宣明者ヨハネの言葉はこの祭壇に言及した最古の文献と考えられている」。同女史は,使徒ヨハネのどんな言葉を考えていたのでしょうか。

      「啓示」2章12,13節の聖書の次のことばを考えていたに違いありません。「また,ペルガモンにある会衆の使いにこう書き送りなさい。……『わたしはあなたが住んでいる所を知っている。それはサタンの座のある所である。それでもあなたはわたしの名をしっかり守りつづけており,あなたがたの傍ら,サタンの住むところで殺された,わたしの証人,また忠実な者であるアンテパスの日にも,わたしに対する信仰を否定しなかった』」。

      ゼウスに捧げられた王座の祭壇があったゆえに,聖書はペルガモンを「サタンの座」と呼んだのでしょうか。ローデ博士は続けてこう語っています。

      「初期のキリスト教が伝承に基づいて,『サタンの座』を神々のこの古い祭壇とみなしたかどうか,またこの言葉が,カエサルにここで犠牲を捧げるよう強いられたためクリスチャンから忌み嫌われていた,尊厳者アウグスツスのペルガモンの祭壇に関連して用いられたのかどうか,この質問は残念ながら答えられていない」。

      別の興味深い所はペルガモンの“城塁”です。復元された城塁の部分を一望するとわかるように,古代都市ペルガモンは国家崇拝の盛んな所でした。例えば,アテナの神域には,ペルガモンの王アッタロス一世の像が置かれており,碑文の示すところによると,この神域にも祭壇が築かれていました。城塁の上には,ローマ皇帝トラヤヌスが着工し,その後継者ハドリアヌスが完成させた神殿もあり,ここでそれら二人に対する崇拝が捧げられました。またその場所には,テラス状の劇場と共にローマの皇帝カラカラ(マルクス・アウレリウス・アントニウス)に献納されたイオニア式の神殿が建っています。

      古代のペルガモンで異教の宗教が強い勢力を誇っていたことは,種々の彫像の展示されているホールに入るといっそう明らかになります。そこには,神殿の中で飼っていたヘビを通じて崇拝された薬の神アエスクラピウスの像や,カメの背に座った美と官能の女神アフロデイテの像が展示されています。また,小アジア地方から出土した神々の像に加えて,偉大な“母なる女神”の名で知られるメテル,エジプトの女神イシス,そのほかギリシャやローマの数多くの神々の像があります。ペルガモンに住むクリスチャンたちが,『イエス・キリストに対する信仰を否定するよう』圧力を加えられていたことは明らかです。

      バビロンの出土物を調べる

      ペルガモン博物館で見るべきもう一つのものは,ネブカドネザル二世がマルドゥク神のために建造した,バビロンの復元された“行列道路”です。道路に敷かれていた丸石の一つには次のような文が彫られています。「余はバビロン王ナボポラッサルの子なるバビロン王ネブカドネザルなり。ここに,偉大なる主マルドゥクの行列に備え,バベルの通りにシャドゥの玉石を敷き詰めり」。

      イシュタル門に通じるこの道路を歩いている自分の姿を頭に描いてみてください。両側には,堅固な大防壁がそそり立っています。敵の軍隊がこの門を通ってバビロンに侵攻することがいかに難しかったかを想像できますか。バビロンにおける発掘作業を指揮したR・コルデワイ教授は,“Das wieder Erstehende Babylon”(バビロンは再度起き上がる)と題する書物の中に次のように説明しています。

      「防壁の上に守備兵が立つと,その道路はどんな侵入者にとっても危険地域となった。こうした防壁は,侵入者を初め,平和的な新来者にも驚怖心を抱かせるものであるが,その驚怖の念は,外来者に向かって大またで歩いて来るかに見える,壁に彫られたライオンの長い列によって,いやがうえにも高められた。これらのライオンは,煉瓦の壁に彫り込まれ,光沢のあるエナメル塗料で彩られていた」。

      行列道路のはずれには,実物大の復元されたイシュタル門があります。これも,古代バビロンを思い出させる印象的なものです。高さ15㍍ほどの煉瓦造りのこの建物には,二つの大きな塔から成るアーチ形の入り口が設けられています。塔とアーチ道の両側は,雄牛と竜が交互に列を成す面白い模様で飾られています。この竜は,頭が蛇に,胴の部分がライオンに,後足がワシにそれぞれ似ています。この門の名ともなっているイシュタルは,性と豊じょうの女神で,ウルクでは,母なる女神,また天の女王として崇拝されていました。

      バビロンのこの行列道路を進む行列に思いをはせ,考古学者コルデワイは次のような興味深い比較を行ないました。『かつてわたしは,シラクーザ(シチリア島の一都市)にある大聖堂の表玄関で実物より大きめの銀製のマリア像が,担いかごに乗せられ,40人の男によって,群がる人々の頭上高く運ばれてくるのを目にした。担いかごの中には,金,銀,宝石,指輪その他の捧げ物が山と積まれていた。騒々しい音楽が奏でられ,熱烈な祈りを捧げる群衆に取り囲まれながら,パレードはラトミエンの庭へと続いた。バビロンを貫く行列道路でマルドゥク神の凱旋行進が行なわれた際にも同様の光景が見られたものと想像できる』。

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