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ヱホバへの献身ものみの塔 1955 | 9月1日
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ん。献身はヱホバへの全き信頼と確信を表明します。献身は次のことを表します。つまり,献身する人は,ヱホバが神であること,神が正しい方であること,神の義がかならず勝利を得ること,そして献身した者の心と気持には一点の疑問もないこと,そしてヱホバ神の側に立つて幸福とよろこびに充ちていると確信していることです。
14 (イ)ヨハネ伝 3章19-21節のイエスの言葉を読みなさい。それから,その論議を自分の言葉で言い直しなさい。(ロ)今日のクリスチャン献身について,私たちは何にはげましと確信を求めますか?
14 ヨハネ伝 3章19-21節(新世)に記録されているキリスト・イエスの言葉は力強いもので,しかも啓示を与えるものです。イエスは,こう述べました『いまや,これが裁きの基である。光は世に来たが,しかし人は光よりも暗い方を愛した。人の業は悪いものだからである。悪いことを行う人は,自分の業が明るみに出されるのを恐れて,光を憎み,そして光に来ない。しかし,真実を行う人は,光に来る。それは自分の業の神と一致して為されたことが示されるためである。』そこに述べられている裁きの基は,変化しておりません。そして神の真理の言葉である聖書の光を持つ理智の人々,すなわち私たちの前に,問題は厳然として置かれています。キリスト・イエスはヱホバに献身していて,クリスチャンの従うべき正しい型を残しました。イエスの時以前にも,献身の事柄は真の神の崇拝と関連していました。それで,次の記事では歴史に考慮を払つてみましよう。それは,神権的な御国の設立されているすばらしい今日にあつて,私たちを励まし,かつ確信を与えるものです。
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確信を与える献身の歴史ものみの塔 1955 | 9月1日
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確信を与える献身の歴史
『ヱホバを恐れ,かつ忠実と真実をもつて彼に仕えよ。……私と私の家族はヱホバに仕える。』― ヨシユア 24:14,15,新世。
1 ヱホバに崇拝を捧げるとき,なぜ彼に献身することは必要ですか? このことはエジプトにいたイスラエルの場合に,どのように示されていますか?
崇拝とは,崇拝の対象物の特質から生ずる価値を認めて,尊崇の気持ちをもつて遇することです。それで,ヱホバ神に崇拝を捧げるとき,ヱホバ神の素晴らしい特質の故に,彼に献身することが必要であります。モーセとその友なるイスラエル人たちは,エジプトでヱホバを崇拝し,彼の律法に逆うのを拒絶しました。(出エジプト 1:17,21。ヘブル 11:23-29)ヱホバは,イスラエルが御自分の民であることを認められました。『私は,エジプトにいる私の民のくるしみを間ちがいなく見ており,……私はエジプト人の手から彼らを救い出そうとしている,……さて私はお前をパロのところに送り,イスラエルの子孫である私の民をエジプトから導き出させよう。』(出エジプト 3:7-10,新世)ヱホバはアブラハム,イサク,そしてヤコブと契約を結んで,御自分の目的を述べられていました。彼はその御目的を決して忘れず,そして遂には救助の裔を備えるということを御期待しつつ,「その契約を憶えておられる。」(出エジプト 6:5,新世)モーセを通してイスラエルの子らに述べられたヱホバの言葉は,次のようでした。『私はかならず,あなた方を私の民となし,私はあなた方の神になるであろう。あなた方は,エジプトの重荷から救い出している私が,あなた方の神ヱホバであると必らず知るであろう。私は,手を上げてアブラハム,イサク,ヤコブに与えると誓つた地に,あなた方を導くであろう。そしてそれをあなた方に与えよう。私はヱホバである。』― 出エジプト 6:7,8,新世。
2 イスラエルをエジプトから救つた目的は,どのように示されていますか?
2 エジプトから救い出された時に,次のことが再三再四明白に示されました。つまり,エジプトからイスラエルを救い出した目的は,彼らがヱホバの民となつて,彼に崇拝と奉仕を捧げるためでした。イスラエルは,エジプトからの救助の後に,いつたい何が要求されるかをその時知りませんでしたが,しかしヱホバの命ずるとおりのことを為そうと決定しました。(出エジプト 10:26)ヱホバは,その民について,モーセに言われました『お前はパロに言わねばならない。「ヱホバはこう言われる『イスラエルは私の子,私の長子である。そしてお前に言う,私に仕えることができるように私の子を去らしなさい。もし彼を去らせないならば,私はお前の息子,お前の長子を殺すであろう。』」』― 出エジプト 4:22,23,新世。
3 イスラエルの献身の行を示す事実を述べなさい。
3 ヱホバは,その御力によりこの言葉を成就しました。そして,エジプトの軍勢を亡ぼして,御自分の民であるイスラエルを救いました。この救い出された民,そしてヱホバに献身している民は,ヱホバの民であつて,ヱホバの命令に従いました。『ヱホバはさらにモーセに言われた。「人でも家畜でも,イスラエルの子らの中で最初に生まれる長子を潔めて私に捧げよ。それは私のものである。」』(出エジプト 13:1,2,新世)と強調されました。エジプトから救助された時と,その後に,崇拝についての詳細な事柄は,献身したこの民に述べられました。シナイ山で,ヱホバは契約制度を通し,イスラエルの国民と御自分とのあいだの特別な関係を,彼らに強調しました。そして,イスラエルの国民全部は,その献身を果す同意を表明しました。ヱホバの言葉はこうです。『もしあなた方が私の言葉にかたく従い,そして私の契約を本当に守るならば,あなた方は他のすべての民たちの中より私の特別な所有物になるであろう。なぜならば,全地は私に属するからである。そして,あなた方は私にとつて祭司の国となり聖なる国民となるであろう。』『その後,全国民は一致して答えて言つた。「私たちはヱホバの語られたことなら,みなよろこんで行う。」』― 出エジプト 19:5,6,8,新世。
4 イスラエルの始めた生活の仕方を説明しなさい。ヱホバが何を求められたかを示す多くの事実を述べなさい。
4 救助された人々で成り立つ従順の国民,そして御自分の特別な所有物とヱホバの言われた民にむかい,『神はこれらのすべての言葉を語られた「私はあなた方を,エジプトの地より,奴隷の家から導き出したあなた方の神ヱホバである。あなた方は私以外の何ものをも神にしてはならない。』(出エジプト 20:1-3,新世)出エジプト記 20章の最初の17節を読んでごらんなさい。特に,第5節(新世)には『あなた方の神である私ヱホバは,専心の献身を求める神である。』と書かれています。それに続く後の章は,そこで提起された契約の詳細の箇条を述べており,そして,次のような言葉で終つています『あなた方は,彼ら,あるいはその神々と契約を結んではならない。あなた方の地に,彼らを住まわせてはならない。さもないと,あなた方は彼らの影響をうけて私に対して罪を犯すようになるであろう。あなた方が彼らの神々に仕えるならば,それはあなた方にとつて罠となるであろう。』(出エジプト 23:32,33,新世)イスラエルの国民はエジプトから解放され,そしてモーセを通して与えられたヱホバ神の律法下に制度化されました。そして神の崇拝を中心とする生活を始めました。その神は彼らの支配者,律法の与え主,審判者,そして彼らの崇拝の対象であつたのです。彼らはこのことを認め,献身の気持のうちに『私たちはヱホバの語られたことなら,みなよろこんで行おう。そして従順に従おう』と言いました。(出エジプト 24:7,新世)その後再びヱホバは御自分の民を正しく指示して,こう述べました。『レビ人を取つて,イスラエルの子らのすべての長子に代えさせ,レビ人の家畜を取つて,彼らの家畜に代えさせよ。レビ人は私のものにならねばならない。私はヱホバである。』(民数記略 3:45,新世)ヱホバはその民を更に制度化して,そして儀式のことでも政府のことでも,御自分の崇拝に関連するあらゆる事柄を正しく遂行いたしました。ヱホバは彼らの王でもあり,また支配者でもあつたからです。
5 ここに列挙されている歴史的な出来事を述べなさい。そして,献身は各人の為す重大な行であることを示しなさい。
5 神の民であるイスラエルの歴史の中には,人々が物や人を捧げた時が多くありました。申命記 20章には,戦争に召された人が,まだ住んだことのない新しい家を持つている場合の手続きが記録されています。サムエル後書 8章11節に,ダビデは器を『納め』たと言われています。ここの『納める』という言葉は,神聖なるものにするという意味を含んでいます。列王紀略上 7章51節でソロモンはダビデが以前ヱホバに捧げた品物を宮にたずさえています。列王紀略上 8章63節で,王と全国民はヱホバの家を捧げて,ヱホバ崇拝のために正しく使用しはじめたと示されています。善良な女ハンナは,幼児を孕む以前に,その子をヱホバに捧げると誓いました。その子サムエルは忠実に奉仕して,ヱホバ神の崇拝をいたしました。(サムエル前 1:11)サムエルは,自分の献身した奉仕に関して,彼自身も行動を取りました。それはサムエル前書 3章10節に示されています。『サムエル,僕きく語りたまえ,と言う。』彼が従順を守つたことは,その宣教の記録全部に示されています。サムエル前書 3章19,20節はこう述べています。『サムエルそだちぬ。ヱホバこれとともにいまして,そのことばをして一も地におちざらしめたもう。ダンよりベエルシバにいたるまでイスラエルの人みなサムエルがヱホバの予言者とさだまれるを知れり。』予言者イザヤは,自発的に進んで神の奉仕に従事しました。『我またヱホバの声をきく曰く,われ誰をつかわさん。誰か我らのために往くべきかと。そのとき我いいけるは,われ此にあり,我をつかわしたまえ。ヱホバ言いたまわく,往きてこの民にかくのごとく告げよ。』(イザヤ 6:8,9)むかしからの真の崇拝の記録は,そろつて次のことを証しています。つまり,献身とは,ヱホバ神を崇拝し,ヱホバ神の是認をうけるすべての人各人が正しく取る重大な行ということです。
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