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  • 永遠の王の正義の律法は真理です
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1970
塔70 9/15 556–564ページ

永遠の王の正義の律法は真理です

「正義と審判は,あなたの王座の,確立された場所です。いつくしみと真実は,あなたの御前にはいります」― 詩 89:14,新。

1 「法」ということばは,今日,なぜ問題になっていますか。

今日,「法」ということばが問題とされています。法律違反者は処罰を恐れることもなく,ちまたを往行しています。女性や,罪のない男子が襲われたりしても,人々は助けようともせず,あとずさりします。すわり込みや抗議デモ,はては暴動を起こして,公然と警官に反抗する一部の過激な人々のために,公共機関の機能がまひし,幾百万もの市民が迷惑をこうむります。世界の指導者たちが暗殺されたりするため,安全な人はひとりもいない,と感ずる人も多数います。なかには,そうした脅威のために,取り締まりを強化したり,戒厳令をしいたり,市民のたいせつな人権を制限したりしている国もあります。

2,3 神の律法はどのように攻撃の的となっていますか。どんな疑問が生じますか。

2 しかし,脅かされているのは,一般政府の法だけではありません。もっと重大なことに,超自然的な法などは決して存在しない,という見方のために,創造者なる神の宇宙的な法が疑問視されているのです。学校では,なんら証明されていない進化論が教えられており,教師は進化論に異議を唱えることをはばかります。進化論は,「自然」と呼ばれる物質界はもとより,人間の道徳上の関係をも律する宇宙的な法が存在するという真理を否定し,かわりに,偶然という盲目的な力が物事を律している,と唱えます。

3 たよりうる確かな基盤はないのですか。事態をさばいて法を正しく執行し,無政府状態に発展する情勢を押しとどめうる,超自然的な立法者,もしくは,宇宙の最高法廷に源を持つ,永続する強固な法の基盤は,存在しないのでしょうか。確かに存在します。それに,この記事が公にされているのは,法を守る人々のためなのです。聖書の伝道の書 5章8節には,こうしるされています。「汝国のうちに貧き者を虐遇る事および公道と公義をまぐることあるを見るも そのことあるをあやしむなかれ そはその位高き人よりも高き者ありて その人を伺へばなり またそれらよりも高き者あるなり」。また,ロマ書 8章21節(新)は,「創造物みずからも,堕落の捕われから自由にされて,神の子たちの栄光ある自由をもつ」であろうと述べています。

必ず執行される,神の律法

4,5 神の定めた道徳上の律法は,自然を律する,神の法と同様に,確実に執行されますか。説明しなさい。

4 なかには,好むと好まないとにかかわりなく,すべての人に無差別に働く法もあります。たとえば,10階建てのビルから身をおどらせるなら,地面に落ちることは免れず,悲惨な結果を招きます。「引力の法則」が働いているのです。制裁,もしくは懲罰が直ちに,また自動的に加えられます。引力の法則が人をひどい目に会わせるのですか。そうではありません。引力がなければ,人間は地上にとどまれません。法則をおかす行為が,災いをもたらすのです。

5 必ずしもそれほど即座に執行されるわけではありませんが,道徳上の律法についても同じことが言えます。たとえば,自分の兄弟を憎む者は人殺しであると,聖書は述べています。(ヨハネ第一 3:15)事実が示すとおり,信仰・国籍・人種などを異にする人々を憎め,という教えのために,おびただしい殺人が行なわれ,戦争に際しては,大量虐殺さえ行なわれました。同様に,姦淫を犯す人は,必ずしも直ちに災いをこうむらないにして,自分の立場を有利にすることは決してできません。逆に,おそかれ早かれ,病気・奇形児の出生・家庭の分裂・不幸・憎しみなど,不法の報いを受け,時には殺害される場合さえあります。道徳上の律法を守るのは重荷ですか。不幸な生活に通ずる不当な束縛ですか。それとも,それを破るから,問題が生ずるのですか。その答えからすれば,聖書の律法は真理である,と結論せざるをえません。それは現実に働いて,実効を現わします。

6 神の律法は,人類に対し,どのように拘束力をもっていますか。

6 前述の諸原則は,目に見えない至上の神であられる創造者の律法の一部です。あらゆるものは,神の律法のわく内で動き,かつ,支配されています。それは,使徒行伝 17章28節(新)が神について述べるとおりです。「わたしたちは神によって命を持ち,動き,存在しているからである。あなたがたの中の詩人のある者が,『わたしたちもまた,その子孫である』と言ったとおりである」。イスラエルに対する,神の次の声明は,あらゆる人にかかわる原則です。「人はパンのみにて生る者にあらず人はエホバの口より出ることばによりて生る者なり」。(申命 8:3。マタイ 4:4)創造者が述べられる命令は,宇宙の最終的律法となるのです。イザヤ書 55章10,11節で,創造者は次のように述べておられます。「天より雨くだり雪おちて復かへらず地をうるほして物をはえしめ萌をいださしめて播ものに種をあたへ食ふものに糧をあたふ かくわが口よりいづることばもむなしくは我にかへらず わが喜ぶところを成し わが命じおくりし事をはたさん」。

神のみことばは安全な指針

7 聖書に従うことは,神の律法に対する従順という点で,わたしたちにどんな影響をもたらしますか。

7 創造者エホバ神が,人類のために話された多くの事柄は,そのみことばである聖書にしるされています。聖書が述べることはすべて,エホバの神性について,何かを明らかにしています。『わたしたちの思いを作り直し』て,エホバの見地,つまり事実に基づく,現実に即した見地から物事を見るなら,わたしたちは,いっそうエホバに似る者となり,その律法に従うことに,しだいに容易になるでしょう。(ロマ 12:2,新)その律法に従って生活することは,イエスの場合と同様,わたしたちにとって,いよいよ自然な生き方となるでしょう。人間としての完全さを備え,エホバに献身したイエスにとって,神の律法に少しでも反する事柄は,それを考えることさえ不自然でした。(マタイ 16:21-23)イエス・キリストを通してエホバの助けを得るならば,わたしたちは今,進歩を続けることができます。そして,神の御国の統治下で人が肉体的な完全さの域に達した時には,ロマ書 7章21-25節の次のことばが示すとおり,今日,人を誤った方向に引き込もうとする罪深い肉との戦いは,もはやなくなるでしょう。「されば善をなさんと欲する我に悪ありとの法を,われ見出せり,われ中なる人にては神の律法を悦べど,わが肢体のうちに他の法ありて我が心の法と戦ひ,我を肢体のうちにある罪の法の下にとりことするを見る。あゝわれ悩める人なるかな,この死のからだより我を救はん者はたれぞ。我らの主イエス・キリストによりて神に感謝す,されば我みづから心にては神の律法につかへ,肉にては罪の法に事ふるなり」。

8 人は自分の奉ずる宗教に関し,何を決定すべきですか。なぜですか。

8 エホバは律法と真理の神であられます。イエスは言われました。「神は霊者であられるから,神を崇拝する者は,霊と真理とをもって崇拝しなければならない」。(ヨハネ 4:24,新)宗教の示す道が安全な指針であるためには,それは真理の道でなければなりません。したがって,ある生き方,あるいは崇拝の様式が,事実に基づく真実な事柄と一致していないなら,それに従う人は悲惨な終わりを見るでしょう。箴言 16章25節は,こう戒めています。「人の自から見て正しとする途にして その終はつひに死にいたる途となるものあり」。人は,自分がほんとうに信じている事柄によって,生き方を決めるものです。ですから,首尾よく生きることを願う人は,真理に従わねばなりません。

問題の原因は不服従

9,10 神は最初,人間に対してどんな取り決めを設けられましたか。そのために,アダムは不当な拘束を受けましたか。

9 聖書の記述によれば,最初の人間アダムは,完全な者として創造され,美しい完全な場所に住み,霊的また物質的に必要とするものをすべて備えられ,忙しく従事できる仕事も与えられました。(創世 2:7-9,15。申命 32:4)また,宇宙的な法があって,全創造物の均衡が保たれていました。アダムにもその律法が与えられました。

10 さて,神がアダムにお与えになった律法には,人を害する点が何かありましたか。アダムには,人類に対する神の代表者となる見込みがあったことからすれば,人間の権威の限界をアダムに告知する権利を,神は持っておられたのではありませんか。神はアダムにこう言われました。「しかし善悪の知識の木については,それから食べてはならない。それから食べる日に,あなたは必ず死ぬからである」。(創世 2:17,新)ルカ伝 16章10節(新)は,こう述べています。「わずかなことに忠実な人は,多くのことにも忠実である。わずかなことに不正な者は,多くのことにも不正である」。アダムは不当な拘束を受けましたか。決してそうではありません。ある木から食べることを禁ずる,その律法は,創造物の設計者で,正当な管理者であられるかたに対するアダムの従順と,彼の創造者また立法者の主権をアダムが認めるかどうかを試みるものとなりました。

11 アダムとその家族に苦しみをもたらしたのはなんでしたか。

11 では,何がアダムに苦しみを,また,その家族と子孫に苦悩をもたらしましたか。神の律法に対する従順ですか。そうではありません。それは,自分の思いどおりに物事を運ぼうとする,アダムの決定でした。それは,アダムが,気ままな不服従者になった時にもたらされました。何をすべきかを神さえ命令できない,絶対的な独立を望んだのです。彼は真理の道を離れました。―創世 3:17,23,24。

大洪水前の反逆

12 (イ)大洪水前の人々は,自分たちの行動に対する責任を持っていましたか。(ロ)当時の人々は,なぜそうした行動を取ったのですか。

12 エデンの園の外で生まれた,カインとアベルは,このことを知っていました。ふたりは,その園を見ることができたのです。しかし,「焔の剣」を持ったケルビムが入口を守っていたので,園の中にははいれないということを知っていました。ふたりはまた,今日の聖書の創世記にしるされているとおりの事柄が,起きたことをも知っていました。カインとアベルだけでなく,大洪水前の人々はみな,そうした事柄を知っていました。なぜなら,当時の人々は,大洪水でぬぐい去られるまでの1,656年間,入口を閉ざされたエデンの園を見ることができたからです。人々は,その期間に受け継がれた口伝を唯一のよりどころにして,人間の起源および歴史に関する真理を知らねばならなかったのではありません。身をもって見ることができたのです。人々が正しい道を捨てたのは,真理を知る機会がなかったからではなく,神に対して無政府主義的な態度を取ったためです。彼らは歴史的な事実を無視して,自分たちの思いどおりにしたいと考え,そのとおりに行動し,あらゆる種類の腐敗に陥りました。(創世 6:5,11-13。ロマ 1:24-32)最高の立法者は,眠っているどころか,彼らに突如,終わりをもたらされました。

13 神の律法はどんな結果をもたらすということがわかりますか。

13 道徳および,他の人に対する正しい行動に関して,神の定めた自然法は,大洪水前の人々に苦しみをもたらしましたか。滅びを受けたのはだれでしたか。神の言われたことに従った人々ですか。それとも無政府主義者でしたか。物事の真理を知るという点で,ノアは他の人々よりもすぐれた機会に恵まれていたわけではありません。それでも,ノアは神の定めた自然法を信じ,それに服したのです。ノアが,自分自身と家族の者たち7人を救いえたのはそのためです。彼が従順であったことは,わたしたちの益となりました。―創世 8:1,16-18。ペテロ前 3:20。

人類の新たな出発

14 大洪水後,どんな事態が生じましたか。どのようにして再び問題が生じましたか。

14 神の伝達の経路となったノアは,大洪水を生き残ったのち,直ちに,家族に正しい崇拝を始めさせました。(創世 8:20,21)彼らの子孫は,真理を無視した人々が,かつて滅びをこうむったことを知っていました。しかし,人間がふえるにつれて,ある人々は,確証された事実に反する,自分勝手な道を歩むことを望んだのです。ノアに対する神の命令によれば,人々はやがて,未探検の土地に“開拓者”として出かけて行き,そこに居住して,ふえてゆくことになっていました。創世記 9章1節は,こう述べています。「神ノアとその子らを祝してこれに曰たまひけるは生よ増殖よ地に満よ」。その結果,喜びがもたされ,また,神の正義の律法が全地に確立されるはずでした。ところが,またもや,不服従と反逆が,その醜い姿を現わしたのです。人々は,偉大な立法者が命じられたことを行なうというだけのために,住みごこちの良い安定した,自分たちの家を捨てたいとは少しも考えませんでした。人々は抜け道を求めました。(創世 9:7,19; 11:4)彼らはそれを,エホバに敵対する反逆者,ニムロデによる指導に見いだしました。ニムロデについては,こうしるされています。「彼はエホバに逆らう強力な狩人として現われた。それで,『エホバに逆らう強力な狩人ニムロデのごとし』ということわざがある」― 創世 10:9,新。

15,16 ニムロデに従った人々は,なぜそうした行動を取りましたか。彼らを不幸にしたのはなんでしたか。

15 大洪水後のそれら反逆者たちは,自己決定の精神を持ち,絶対的な独立を図れると考えましたが,実際には,自己本位の不正な政治家,ニムロデへの隷属に陥りました。神は彼らの陰謀を粉砕し,彼らを強制的に四散させ,そうすることによって,真の崇拝を守った人々の清い状態を保たれました。創世記 11章5-9節はこう述べています。「エホバ降臨りて かの人びとの建る邑と塔とをみたまへり エホバ言たまひけるは みよ民はひとつにして皆ひとつの言語を用ふ 今すでにこれをなし始めたり さればすべてそのなさんとはかる事はとどめ得られざるべし いざわれら降り かしこにて彼らの言語をみだし互に言語を通ずることを得ざらしめんと エホバつひに彼らをかしこより全地の表面に散したまひければ彼ら邑を建ることをやめたり このゆえにその名はバベル(みだれ)と呼ばる こはエホバかしこに全地の言語をみだしたまひしによりてなり かしこよりエホバ彼らを全地の表に散したまへり」。しかし,それから散らされた人々が全地に広めたのは,神の律法ではなく,彼らの反逆的な態度でした。

16 それらの人々を不幸に陥れたのはなんでしたか。反逆を始めるまでの約150年間,彼らは神の律法のために害を受けましたか。それに,分裂・憎しみ・偽りの崇拝の伝播・地上に見られる,神に関する誤った信仰などをもたらしたのはなんでしたか。神の律法ではありません。それはやはり,神の律法を捨てた,不従順な不服従者たちでした。

17 セムの家系の忠実な人々が守った,高い道徳規準の幾つかをあげなさい。

17 しかし,大洪水後の人類家族すべてが,こうした誤った精神に染まったのではありません。ノアのむすこセムの家系の人々は,「すえ」に関する,神の約束に希望をおき,真理をしっかりと守りました。その「すえ」は,創世記 3章15節(新)に神がしるさせた予告どおり,人類を解放する者となるのです。「わたしはおまえと女の間,およびおまえのすえと女のすえとの間に敵意をおく。彼はおまえの頭を砕き,おまえは彼のかかとを砕くであろう」。もっとも,それらの人々は,非の打ちどころのない生活をしたわけではありません。罪深いアダムの子孫だったからです。しかし,彼らは神に従い,依然として最初の言語を用い,真の生き方を維持しました。すなわち,殺人を戒めた,神の律法を守り(創世 9:6),淫行(創世 34:2,31),姦淫(創世 38:24),盗み(創世 31:30-32),誘かい(創世 42:21,22)などが,神の正義の道に反することを認めました。また,他人の権利を尊重し,問題や戦いを引き起こしてまで,自己の権利を主張しようとはしませんでした。(創世 13:5-11; 26:15-31)それ以外の人々はどうなりましたか。記録は,彼らが偶像崇拝や英雄崇拝を行ない,強大な諸国家は腐敗と退廃に陥ったことを示しています。神は幾世紀もの間,カナン人を大目に見ておられましたが,彼らはついに,堕落のきわみに達し,神の律法からあまりにも遠く離れ,その社会には病気がまん延したため,彼らのまわりで生活することさえ危険になりました。神が彼らをその土地から一掃されたのは,そのためでした。(創世 15:16)では,正しかったのはだれですか。災いをこうむったのはだれですか。益を得たのはだれですか。人々を苦しみに陥れたのはなんでしたか。神の律法に従うことでしたか。それとも,気ままな生き方をすることでしたか。

18 律法契約は,イスラエル国民のために,何をするものとなりましたか。

18 次に,神は,その友アブラハムに対する愛のゆえに,その子孫,イスラエル国民を律法契約の下に組織されました。そのために,彼らは苦しみや災いをこうむりましたか。預言者モーセを通して与えられた律法は,イスラエルを一致のうちに結束させ,偶像崇拝・人間の犠牲・道徳上の汚れた行為から国民を保護し,人々の健康をも守るものとなりました。―出エジプト 19:1–20:17。

ユダヤ人の指導者たちがキリストを退けた理由

19 西暦70年,イスラエル国民に滅びをもたらす原因となったのはなんでしたか。

19 西暦70年,イスラエルの首都エルサレムが滅びたのは,人々が神の律法を守ったためですか。そうではありません。律法をじれったく思い,あえて顧みなかったためです。その結果,先祖たちが長年待ち望んできた,すえを退けたのです。人々はイエス・キリストを退けて,こう言いました。「カイザルのほかわれらに王なし」。(ヨハネ 19:15)それにしても,当時のユダヤ人は,カイザルの法律の下で平和に暮らすことを本気で考えていましたか。決してそうではありません。彼らは治安をかく乱して,ローマのくびきを排除しようとする国家主義的な反乱扇動者であり,そうした態度のために,彼らの聖都エルサレムは,ついにローマ人の手で完全に滅ぼされたのです。

20 (イ)キリストはユダヤ人の指導者たちを失望させました。どうしてそう言えますか。(ロ)当時,どんな人々が取った態度は,最も有利なものでしたか。

20 ユダヤ人の中に現われたイエス・キリストは,人々の国家主義的な望みにこたえる,征服を意図する偉大な英雄ではなく,柔和な心を持つ人物であり,人々に対し,平和を愛し,律法に従い,かつ,神が不正を取り除かれる時を待つよう,教えました。マタイ伝 22章21節によれば,イエスはこう言われました。「カイザルの物はカイザルに,神の物は神に納めよ」。それは,愚かな弱い人間のすることでしたか。まちがっていたのはだれでしたか。エルサレムの崩壊に際し,ユダヤ人110万人が殺され,9万7,000人が奴隷として売られ,そのために奴隷市場では,買い手がつきてしまったほどです。(申命 28:68)その悲惨な事態の責任は神にありましたか。ユダヤにいて,キリストのことばに聞き従った人々についてはどうですか。歴史の記録によれば,予告されたエルサレムの滅びが,まさに臨もうとしているのを見てとった,それらの人々は,キリストの警告に注目し,西暦70年以前にギレアデの山地へのがれました。(ルカ 21:20,21)こうして,彼らは災いを免れ,自分たちの仕事を続けましたが,神の律法に逆らった,当時の国家主義者や扇動者たちはどうなりましたか。

21 1世紀のユダヤ人は,真理を知る十分の機会に恵まれなかった,と言えますか。その理由は?

21 1世紀当時のユダヤ人が,真理を知る機会に恵まれていなかったわけではありません。指導者たちが人々を誤導してきたことは確かですが,西暦29年に至って,バプテスマのヨハネが現われ,神に帰り,神の律法に従うよう,人々に強く訴えました。ヨハネの語ったことに注意を払った人々は,容易にイエス・キリストを認めることができました。なぜですか。なぜなら,律法は,イエスをキリストもしくはメシヤとして見分ける,幾百もの証拠を提供していたからです。イエスを受け入れるのに盲信は不要でした。たとえば,次の聖句を比較してごらんなさい。ミカ書 5章2節とマタイ伝 2章5,6節。イザヤ書 7章14節とマタイ伝 1章22,23節。創世記 49章10節。およびエレミヤ記 23章5節と使徒行伝 2章30-36節。イザヤ書 61章1-3節とルカ伝 4章16-21節。

22 神の律法に従っていたなら,ユダヤ人はどうなっていたに違いありませんか。

22 1世紀のユダヤ人が神の律法に従っていたなら,かつてエジプトから解放され,紀元前1513年当時,紅海を渡って,モーセにつくバプテスマを受けた,神に献身した民のように,まさしくキリストの下に導かれたはずです。(コリント前 10:1,2。申命 18:18,19)イエス・キリストは,律法全体がさし示していた真理でした。イエスのことばに耳を傾けていたなら,ユダヤ人は滅びずにすんだでしょう。イエスの指導下に来た人々は,決して不幸ではありませんでした。

エホバの証人が幸福である理由

23 エホバの証人は法律をどう考えていますか。そうした考えのゆえに,彼らをみじめな人間とみなすべきですか。

23 今日,エホバの証人は,法律に従うべきことを認めます。しかし,まず第1に,神の律法に服します。それは最高の法です。そして,次に,神の律法に直接反しないかぎり,地上の政府の法律に服すべきことを認めます。それは,ロマ書 13章1節(新)にあるとおりです。「あらゆる魂は,上位の権威に服していなさい。神によらないでは,権威はないからである。現存する権威は,神により,その相対的な位置におかれて,立っているのである」。使徒行伝 5章29節(新)には,こうしるされています。「わたしたちは,支配者として人間よりも神に従わねばなりません」。第3にエホバの証人は,夫が家族のかしらであるという原則に従い,家族に関する律法に服します。(コリント前 11:3。ペテロ前 3:1-6)暴動やデモ,政治的陰謀や反乱に加担しないからといって,証人たちをみじめな人間と考えるべきですか。証人たちは悲痛な表情をしていますか。いいえ,それどころか,証人たちが幸福であることに,だれでも気づきます。

24 神の律法に対する従順は,エホバの証人に何をもたらしましたか。

24 エホバの証人は,よく次のように尋ねられます。「あなたがたはどうしてそんなに幸福なのですか。失礼な態度を取る人が多いのに,家々を尋ねて伝道し,雨が降っても,寒くても出かけて行って,その仕事をなさるのが,わたしにはわかりません」。では,クリスチャンとしての彼らに対する,神の律法は,重荷ですか。重荷は人を幸福にしますか。神の律法は真理であり,人に益するものだからこそ,幸福なのです。神の律法に従って,不幸になった人は,ひとりもいません。

25 神のご命令に対する従順は,アブラハムに何をもたらしましたか。

25 たとえば,愛するむすこイサクを犠牲としてささげるよう,神から命ぜられたアブラハムを例にとってみましょう。「アブラハムはそのために,きっと不幸になったに違いない」と言う人がいるかもしれません。しかし,アブラハムは,神の律法に対する従順は決して悪い結果をもたらさないということ,つまり,「神を熱心に求める者に神が報いてくださる」ということを知っていたのです。(ヘブル 11:6,新)結果はどうでしたか。神は,代わりの犠牲を備えられ,従順を試みられたアブラハムは,地上で最も幸福な人のひとりとなり,最大の祝福の幾つかを享受しました。―創世 22:1,2,9-18。

真の自由

26 神の律法に従う人々は,現在,どんな自由を享受しますか。

26 正義と審判は,神の王座の確立された場所であり,いつくしみと真実が,神の顔の御前にはいる以上,今日,神の律法に従う人々は,数知れぬ不幸にあわないですみます。彼らは真理を知っており,同時に,真理によって自由にされているのです。それは,イエスがヨハネ伝 8章32節で,次のように語ったとおりです。「(汝ら)真理を知らん。しかして真理は汝らに自由を得さすべし」。それらの人々は,人間の約束で欺かれることなく,事実を直視します。死に関する宗教上の誤った考えがもたらす悲しみや,死の恐れから解放されています。その家族には一致があり,幸福です。また,世の紛争や論争に加担して,問題に陥ることがありません。なぜですか。より良い世界を望んでいないからではありません。他の人々と同様,世の諸問題がもたらす苦しみを受けています。しかしながら,神の御国が,永遠に続く真に望ましい状態をやがてもたらす,ということを知っているのです。そのうえ,現在の状態は,今日の事物の取り決めが終わりに近づいているしるしである,ということを知っています。このこと自体,良いたよりです。

27 人間の建てた政府が定めた法律の下で,不正をこうむっている人々は,何をすべきですか。

27 周知のとおり,人は,みずからの建てた政府の下で,不正をこうむってきました。人間の治める政府の下で,多くの人は,当然ともいうべき不平不満をいだいています。一方,神の律法に従ったために不正をこうむった,と本気で言える人はひとりもいません。不正が行なわれている,と感ずる人は,より良い政府を建てようと努力するよりも,エホバの証人がしていることをすべきでしょう。つまり,神の律法にたよらねばなりません。そうすれば,不義の体制の下で生活している今でも,エホバの証人と同様,幸福に暮らせるでしょう。聖書はこう述べています。「人を富ませるものは,エホバの祝福である。彼が,それとともに苦しみを加えることはない」― 箴言 10:22,新。

28 不法な手段に訴えて,自由を求めようとする人は,どうなりますか。

28 不法な手段に訴えて,自由を求めようとする人は,実際には,いよいよ身動きできなくなります。なぜなら,万事がその人にとって不利に働くからです。そのような人々は,自分たちをむずかしい事態に追いやる指導者の配下にはいり,敵意,憎しみ,争い,戦い,欲求不満に陥ります。また,人種・政治・国家主義・宗教などに関する意見の分裂に巻き込まれます。彼らの組織は団結を維持することができず,会員同志の間に意見の相違が見られます。そして,聖書が述べるとおりの,すなわち,あらゆる人の手が仲間に敵して振りかざされる事態に向かって進んでゆくのです。―ゼカリヤ 14:13。

29 神の律法に従う人々は,それ以外の人々が求めても得られない自由を得ます。なぜ,また,どのようにして,それを得るのですか。

29 神の律法に従う人々には,最大の自由があります。なぜなら,神の律法は,人間の必要にかなうものだからです。神は,人がそれに従順であれば,その人に益がもたらされるように取りはからわれます。ロマ書 8章28節は,このことを次のように述べています。「神を愛する者,すなわち御旨によりて召されたる者のためには,すべてのこと相働きて益となるを我らは知る」。正直な人々は,それらの人を尊敬します。彼らを憎むのは,神を憎む者たちだけです。彼らは,自分を喜ばそうとする人が直面する悲痛な争いを避けます。そして,強制されたり,うわべを装ったりしたものではない,真の融和を自分たちの隊伍の中で享受します。互いに愛し合うゆえに,その中では,あらゆる人種また国籍の人々が,完全な一致のうちに仲よく暮らしているのです。彼らが神に来るのは,神に仕えるためであり,そうした相違などは考えてさえいません。神を愛し,神の律法に服するとき,一致はおのずともたらされます。

自分の信ずることが,その人のひととなりをつくる

30 エホバの証人のりっぱな行状をほめた新聞記者は,何を見落としましたか。

30 エホバの証人について次のように評した新聞記者がいます。「彼らの教義はあまり意味をなさないが,彼らは,みずからを今日の社会の最良の市民とする生き方を見いだしており,われわれに対する模範であり,すぐれた手本である」。なんと矛盾したことばでしょう。自分の信ずることが,その人のひととなりをつくるのではありませんか。理想主義者・支配者・無差別待遇主義者・革命論者・禁欲主義者また,“ビート族”その他,どんな種類の人であれ,すべてそのひととなりは,本来そなわったもの,つまり生得のものではなく,自分の信じていることや考え方,また奉じている主義に基づくものなのです。エホバの証人自身は,他の人々となんら異なりません。しかし,彼らは,自分勝手に行動しません。神権的な律法,つまり神の律法に従うのです。彼らのひととなりは,自分たちの信じている事柄,また,自分たちが信じて従っているものが,神の律法すなわち真理であることによります。ですから,詩篇作者は詩篇 119篇142節(新)で,神に向かって言いました。「あなたの正義は,いつまでも正義であり,あなたの律法は真理です」。

31 従順に対するエホバの祝福を考えれば,エホバに仕えることを願う人はすべて,何を行なうことに,特に熱心であるべきですか。

31 それでは,エホバに仕えることを願う人はみな,エホバがあなたの立法者,審判者,また王,つまり,あなたの絶対的な至上者であられることを感謝してください。その法令すべてを支持してください。それはあなたの益を図るものだからです。そうした法令には,会衆の御国会館また大会で神の民とともに定期的に交わることが含まれています。また,神への奉仕に自分自身を十分に役だてることも含まれています。できるなら,個人的な事柄を調整して,聖書に基づく“開拓奉仕”つまり,『公に,また家から家に』伝道する,全時間奉仕に携わってください。また,自分の家を離れて,必要のより大きな場所で奉仕してください。(使行 20:20,新)不必要な重荷をみな退けて,奉仕にひたすら専念し,力をつくして他の人々を助けてください。それは,ヘブル書 12章1,2節に次のように述べられているとおりです。「このゆえに我らはかく多くの証人に雲のごとく囲まれたれば,すべての重荷とまとへる罪とを除け,忍耐をもて我らの前に置かれたる馳場をはしり,信仰の導師またこれを全うする者なるイエスを仰ぎ見るべし。彼はその前に置かれたる歓喜のために,恥をも厭はずして〔刑柱〕をしのび,つひに神の御座の右に坐し給へり」。自己決定という無政府主義的な精神を避けてください。神は,反逆する世に対して,ご自分の律法を執行し,永遠に続く正義の新秩序を招来させられます。生き残って,ご自分の目でそれを見てください。―黙示 21:4,5。

[560ページの図版]

大洪水後,ニムロデは,人類の大多数を神の正義の律法に対する反逆に導いた

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