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どうすれば宗教は緊張緩和に貢献できますかものみの塔 1982 | 4月1日
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の果たす役割は何一つないという意味なのでしょうか。世界の緊張を緩和するために宗教が貢献できる分野はないのでしょうか。
助けを与える最も優れた方法
実のところ,真の宗教は大いに貢献できます。しかし,その貢献している点を悟るには,幾つかの基本的な事実を理解しなければなりません。
価値あるものとなるには,宗教はまず,人間の声ではなく神の声を代弁しなければなりません。どうすればそれができますか。聖書はこう述べています。「聖書全体は神の霊感を受けたものであり,教え,戒め,物事を正し,義にそって訓育するのに有益です。それは,神の人が十分な能力をそなえ,あらゆる良い業に対して全く整えられた者となるためです」。(テモテ第二 3:16,17)たとえ聖書を手にしていても,僧職者が自分の意見を表明するのであれば,その意見は他の人の意見同様価値がありません。しかし,その人の言葉が実際に「聖書」に述べられている事柄なら,それは神のお考えを言い表わすものとなります。
次に,イエスは,「わたしの王国はこの世のものではありません」と言われました。(ヨハネ 18:36)ですから,聖書に基づく真の宗教は世の政治に関して中立の立場を取り,いかなる国家,人種,政治体制,経済上の取決めを支持することも,それらに反対することもしません。クリスチャンはこの世の何らかの「王国」ではなく,神の王国を推し進めているのです。イエスが当時のユダヤ人とローマ人との間の心をうずかせる論争に関してどちらの側にも立たなかったのと同様,クリスチャンはこの世の政治的な論争のいずれの側にも組すべきではありません。―マルコ 12:17。
今日のクリスチャン同様,イエスはできる時に病人や困っている人に有形の援助を与えました。しかし,政治には関与されませんでした。その主要な業は「王国の良いたより」を宣べ伝えることだったのです。(マタイ 9:35)今日の難しい世界情勢を考えに入れると,クリスチャンが隣人を助ける最善の方法は,この同じ「良いたより」を宣べ伝えることです。
そのほうが政治に関与するよりも優れているのはなぜですか。現実的な見方をすればだれでも認めねばならない点ですが,たとえ勤勉で誠実な努力を払う政治家がいても,人類の諸問題が政治的な行動で完全に解決されることは決してないからです。貧困・病気・腐敗および他の悪をすべて除き去るには,超人間的な権威と力が必要とされます。そして聖書は,そのような事柄が神の王国,つまりイエス・キリストを王とする天の政府を通して神によってのみ成し遂げられることを説明しています。―エレミヤ 10:23。ダニエル 2:44。
ですから,イエスが追随者にお与えになった使命は,世の政治家に影響を及ぼそうと努めることではなく,弟子を作ることなのです。その弟子を作る業は,今日,人の住む全地で「王国のこの良いたより」を宣べ伝えることによって行なわれています。(マタイ 24:14)イエスの追随者は人類に,その王国がなぜ緊張を除き去るのか,またその王国が今や間近に迫っているとどうして分かるのかを知らせることになっています。その務めは現在そして将来にその王国から流れ出る祝福について他の人々に伝えることにあります。そして,イエス・キリストの弟子となってこうした祝福にあずかるよう人々を助けるのです。―マタイ 28:19,20。テモテ第一 4:8。啓示 21:3,4。
この音信はそれを受け入れる人々にとって極めて価値あるものになります。それは当人の持つ最も複雑な問題に答えを与え,疑念を除き,現在自分が悩まされている緊張に対処するのに役立つので,「いっさいの考えに勝る神の平和」を得る方法を示していると言えます。―フィリピ 4:6,7。
それで十分だろうか
それだけでは不十分であると考える人もいるようです。世俗主義と不道徳のはんらんする西欧のある国で政治活動を行なう僧職者はこう語っています。「クリスチャンの側にはき然とした心構えの活動家的態度がどうしても必要となる,……さもなくば我々はおしまいだ」。しかし,クリスチャンであると唱える人が政治的な活動家にならなければ,キリスト教は敗れ去ることになりますか。
貧しい国々に遣わされた宣教師の中にも,「良いたより」を宣べ伝えるだけでは十分でないと考える人がいます。彼らは,人々がまさに助けを必要としていると信じています。それで,革命を実現するための動きに加わるのです。しかし,既存の政府を転覆しようとする試みは,「すべての魂は上にある権威に服しなさい」という聖書の助言に反します。(ローマ 13:1)それは,『世のものではなかった』イエスとその直接の追随者の行動とは正反対のものでもあります。(ヨハネ 17:16)それは緊張を増し加えるに過ぎません。
イエスはご自分の真の追随者に,「見よ,わたしは事物の体制の終結の時までいつの日もあなたがたとともにいるのです」と約束されました。(マタイ 28:20)クリスチャンを自認する人々は,イエスの死後最初の数世紀間,その約束を信じていました。そして政治に関与しなかったのです。ですから,迫害され,不信仰の波にもまれても,キリスト教の信仰は消滅しませんでした。
今日,イエスは依然としてご自分の追随者と共におられ,クリスチャンが政治に関与しなくても,真のキリスト教を守ってゆく力をいまだに有しておられます。そして,今日,自分たちが世の中を変えなくてはならないと思う人が非常に多くいても,イエスはこの地を幸福で,緊張を味わわない人々の満ちるパラダイスに変えるという神の目的を成し遂げます。―ダニエル 2:44。啓示 21:4。
しかし,世界の貧しい人々にとって,この「良いたより」だけで十分ですか。極東の地で数年間宣教者として暮らしたエホバの証人はこう語っています。
「確かに,貧困を目にしてしばしば悲しみに沈んだことは否めません。しかし,貧しい人々に反乱を起こすよう勧めたところで,一体どれだけ助けになれたでしょうか。次の政権がより良いものになることをだれが保証できたでしょうか。
「ですから,より良いものになると分かっている政府,つまり神の王国に人々の注意を向けたのです。それら貧しい人々はこの王国に関する良いたよりを受け入れると,神との新しい関係を感じ取りました。その人たちは神が自分たちのことを本当に気遣ってくださることを膚で感じ,自分たちの生活に危機が訪れた時に神が助けてくださる方法を身をもって体験しました。その結果彼らは,人間としての尊厳と将来に対する確信を抱けるようになりました」。
中央アメリカで長年,「王国の良いたより」を宣べ伝えてきた別のエホバの証人もその意見に同意し,こう付け加えています。「『良いたより』を受け入れる貧しい人々は,喫煙,賭博,大酒,およびビンロウジをかむことなどかつて習わしにしていた様々な悪徳,それに迷信を捨てます。また,以前よりも有用な仕方で自分の資産を用いるようになるので,結婚関係もしばしば向上しました。そして霊的な事柄を生活の中で第一にするので,物質面の貧しさはそれほど重荷ではなくなります。裕福な人々の多くが持っていないようなものを所有していることを悟っているので,もはや裕福な人々をうらやむこともありません」。
確かに,不敬けんな態度が広まり,抑圧や飢えをはじめとする,この事物の体制の害悪がまんえんするのを見て憂慮するのは自然な感情です。こうした問題がいまだに存在し続けていることは人類が神の王国を切実に必要としていることを示しています。これこそ人が幸福な将来を目にするために抱ける唯一の希望であり,それに信仰を置くよう人々を本当に助けているのは聖書に基づく唯一の真のキリスト教だけです。そうすることによって,そのキリスト教は今日の緊張を緩和するための最善の助けを与えているのです。
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名前は本当に重要ですかものみの塔 1982 | 4月1日
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名前は本当に重要ですか
神のみ名に関する話し合いになると,多くの人々は上記の質問を提起します。そうした人々は,「神は神だ。どうして名前が必要なのか」と言います。
1980年にティンダル・ハウス出版社から出された「図解聖書辞典」は,聖書時代の名前の重要性について次のように注解しています。「旧約[聖書]中の『名前』という語を調べてみると,ヘブライ語でこの語がどれほど深い意味を持っているかが明らかになる。名前は単なる表示のようなものではなく,その名前を持つ人物の真の人格を表わしている。それはその人の誕生の際の状況に由来していること(創 5:29)もあれば,その人物の特徴を反映していること(創 27:36)もある。そして,人が自分の『名前』をある物や別の人の上に置くと,後者はその影響および保護の下に来ることになる」。
次いで,同辞典は神の名前についてこう述べています。「ゆえに,ヤハウェはエローヒーム[神]とは異なり固有名詞である。すなわち人格的な存在者の名前なのである。もっともその人格的な存在者は神性を有しておられる。それゆえこの名前には独自のイデオロギー上の背景がある。み名は神を一つの人格的存在として表わしており,それゆえ神は他の人格的存在,人間と関係を持つことになる。……そして神は族長たちに対して友に対するように語っている」。
ですからだれであれ神に近付き,神と個人的な関係を持つには,ヤハウェつまりエホバという名前を持つ方として神を知り,神を崇拝する際にそのみ名を用いる仕方を学ぶよりほかに道はありません。(ヨハネ 17:26)確かに,そのような人は『神の影響と保護の下に来る』ことになります。エホバご自身,「彼がわたしの名を知るようになったので,わたしは彼を保護する」と述べておられるからです。―詩篇 91:14,新。
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