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真の崇拝の神を喜ぶものみの塔 1968 | 6月15日
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22 1919年以降,「汚れ」はどのように暴露されましたか。
22 これは背教のキリスト教国が「諸国民の時」のあいだ,またその後に作りあげた汚れた記録をおおいかくす時ではありません。王キリストは昔のヒゼキヤの命令をくり返します。「聖所から汚れを除き去りなさい」。(歴代下 29:5)戦争と大量殺りくを促したキリスト教国がエホバにさばかれ,捨てられたことを暴露しなければなりません。1919年,エホバの証人であるクリスチャンがバビロン的な束縛から解放されたことは,キリスト教国の宗教が悪霊の宗教の世界帝国もろともその時に倒れたことを示しています。今や「驚きと物笑い」の種として,それは神の正義のさばきの執行を待つばかりです。―歴代下 29:8。
23 ヒゼキヤより偉大な者は,真のクリスチャンのため,「エホバとの契約」をどのように結びましたか。
23 今日の忠実な霊的レビ人すなわち真のクリスチャンの油そそがれた残れる者の状態は,全く異なっています。ヒゼキヤよりも偉大なキリスト・イエスは,「イスラエルの神エホバとの契約」を彼らのために結ばれました。またとがを許すことを定めた「新しい契約」を彼らに対して更新し,真の崇拝を行なうように彼らを力づけました。(ルカ 22:20。エレミヤ 31:31-34)彼らは,ヒゼキヤがレビ人の祭司たちに燃えたたせたと同じ精神と決意に満たされています。「我子等よ今は怠る勿れ エホバらを択びて己の前に立て事へしめ己に事ふる者となしたまひたればなり」― 歴代下 29:10,11,文語。
24 残れる者の前にどんな戸が開かれましたか。
24 エルサレムの宮の扉が開かれ,修理されたのと同じように,いまやキリストは,油そそがれた残れる者に対し,奉仕の機会を開かれました。それは「だれも閉じることのできない門」です。(黙示 3:8)特に1919年と1922年のアメリカ,オハイオ州シーダーポイントにおけるクリスチャンの大会によって力づけられた彼らは,「王と御国を宣べ伝えよ,宣べ伝えよ,宣べ伝えよ」との呼びかけに力強く応じました。
25 エホバの実体的な家はどのように清められ,その器はととのえられましたか。
25 しかしこれら真の神の賛美者は,異教の教えとならわしを全く捨て去らねばなりません。1919年以後しばらくの間,宗教的な衣服,エジプトのピラミッドを「石に書かれた聖書」と見ること,クリスマスのような異教の祝日を守ること,十字架のような異教の象徴を使うことその他,宗教的に汚れた事柄が行なわれていました。このようなものは除かれねばなりません,エホバの崇拝にふさわしい「器」を用いることが必要です。神のみこころが次第に啓示されるにつれて,油そそがれた残れる者は宮の崇拝を清め,その結果,ヒゼキヤに報告した祭司やレビ人と同じく自分たちの王に報告できました。「我らエホバの室をことごとく潔めまた燔祭の壇とその一切の器具……とを潔めたり またアハズ王がその治世に罪を犯して棄たりし一切の器皿をも整えてこれを潔めエホバの壇の前にこれを据置り」。(歴代下 29:18,19,文語)1世紀にイエスによって確立された真の崇拝の道が,真のクリスチャンの間で復興されました。
26 ヒゼキヤが朝早く起きてつかさたちを崇拝のために集めたことは,何を予表していますか。
26 「是においてヒゼキヤ王つとに起いで邑の牧伯等をあつめてエホバの家にのぼり往き……」。(歴代下 29:20,文語)ひな型によって示されたとおり,第一次世界大戦後まもなく王イエス・キリストは,エホバの王なる家に属する者すなわち地を治める御国の千年統治の時,キリストとともに王また祭司となる人々のうち,地上に残る者を集められました。(黙示 20:6)ついで祭司たちはすべての者のために犠牲をささげはじめました。「これは王がイスラエル全国のために播祭および罪祭をささげることを命じたためである」。(歴代下 29:24)その成就において霊的ユダヤ人14万4000人の残れる者全部がエホバの御名を負う真実の民として生み出され,清められねばなりません。これは次の詩篇の成就でもあります。「いけにえをもってわたしと契約を結んだわが聖徒をわたしのもとに集めよ」。(詩 50:5)イエスの完全な犠牲に基づくエホバの新しい契約の定めにしたがって集められた人々は,ヒゼキヤの時代におけると同じくこぞって「喜んでさんび」しました。―歴代下 29:30。
27,28 (イ)集めることはどのように完成されましたか。神の民はいま何を喜ぶことができますか。(ロ)しかしどんな質問になお答えなければなりませんか。
27 この集めるわざは1919年あるいは1922年に至っても完了しませんでした。エホバの賛美の犠牲をささげるわざを効果的に遂行するには,もっと大ぜいの働き人が必要でした。それで歴代志下 29章34節は著しい成就をみました。「祭司が少なかったので,その兄弟であるレビびとがこれを助けて,そのわざをなし終え,その間に他の祭司たちは身を清めた。これはレビびとが祭司たちよりも,身を清めることに,きちょうめんであったからである」。ひな型が示しているとおり,キリストの追随者の油そそがれた残れる者のうち,まだ集められていなかった人々は特に1931年-1935年までに集められました。その多くはエホバの要求される事柄と奉仕に対し,前に集められていた人々よりも熱心でした。
28 当時「にわかに」起きた真の崇拝の復興に「ヒゼキヤおよびすべての民(が)喜んだ」のと同じく,油そそがれた残れる者はキリストの下にあってエホバがその民のために同様に「備えをされた」ことを喜びました。(歴代下 29:36)しかしこのことは現代における国家主義の脅威に対処するうえにどう役だっていますか。その点を以下にとりあげます。
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インディアンの間でものみの塔 1968 | 6月15日
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インディアンの間で
● 南米,ギアナの北西部のけわしいジャングルの地域に住むエホバの証人の一特別開拓者は,区域内のかなりの距離を小さな舟に乗って旅行するので,文字通りの「開拓者」のような気分を感じながら働いています。ある日少し大きな船に乗って旅行し,船上で「ものみの塔」誌を読んでいると,インディアンの一少女が,その雑誌を読み終えたなら自分にも見せてもらえまいかと尋ねました。彼は少女に証言したところ,少女は雑誌の予約者であり,すでに「…バビロン」(英文)の本を読み終え,目下その本を母親に読んで聞かせていることがわかりました。そして開拓者はこう述べました。「私はその場でさっそく聖書研究を始めました。それ以来,少女はその研究を熱心に続け,その後まもなく奉仕を始め,自分のボートで川を渡って,インディアンの間で証言しています」。
― エホバの証人の1968年度年鑑より
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