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    神の千年王国は近づいた
    • その天の主人に対する奉仕を二度と再び行なえないようにさせたことを大いに喜びました。というのは,もう一度始める力が彼らにあるかどうかは疑問視されたからです。

      44 (イ)事態はいつ,またどのように逆転しはじめましたか。(ロ)生き残った「奴隷たち」に関してはどんな疑問が生じますか。なぜですか。

      44 事態が逆転しはじめるのを見て敵が驚き,仰天したのは,戦争が終わって4か月余経ってからのことでした。それはものみの塔聖書冊子協会のそれら八人の代表者たちが1919年3月25日,(ジョージア州)アトランタ連邦刑務所から釈放され,翌日ニューヨーク市ブルックリンで保釈が認められたときのことでした。はなはだしい虚偽の告発を受けた彼らは,その後ほどなくして無罪であることが証明されました。しかし,戦争のための宣伝や戦争熱のゆえにイエス・キリストの「奴隷たち」に関して偏った歪められた見方をいだいた,戦争で疲れ果てた人びとにとって,このことにはどれほどの価値がありましたか。それは「奴隷たち」の考慮すべき事がらでした。そうした険悪な事情にもかかわらず,彼らは元気を取り戻して再び前進することができましたか。彼らはそうするために,自分たちの天の主人の勇気と確信を得ましたか。それは当時のそれらクリスチャンの奴隷たちにとって正しく試みの時でした。

      45 (イ)たとえ話によれば,「その奴隷たちの主人」によって何が行なわれようとしていましたか。(ロ)彼らが「タラント」を持ち合わせているという点では,それらクリスチャンの奴隷たちのために何がなされる必要がありましたか。

      45 「タラント」のたとえ話は,外国から戻った旅行者が彼らとの勘定を清算することを表わしていました。それは彼らを検閲することを意味していました。1919年の春のそれらのできごとを転機として,「その奴隷たち」の天の「主人」が彼らを検閲することになったのは,けだし当然と言わねばなりません。それにしても,彼らは奴隷級にゆだねられた主人の「タラント」に関して,どんな説明を行なうことができましたか。戦時下の迫害が1918年に最高潮に達する以前に彼らが得たであろう幾ばくかの増加は拭い去られてしまったように見えました。彼らはまるで比喩的な「タラント」を何ら持ち合わせていないようでした。もし今,自分たちの主人の「タラント」のもたらす増加を示すというのであれば,彼らは戦後の時期にそうした増加をもたらし,そうして増やした主人の持ち物を後日彼に手渡さねばなりません。彼らは新たな別の機会を得て,主人の貴重な「タラント」を用いて「商売をし」なければなりませんでした。彼らの主人の憐み深い思いやりのゆえに,歴史上まさにそのとおりに事が運びました。

      46 (イ)当時は彼らが何を払いのけるべき時でしたか。彼らは何のために再組織する心要がありましたか。(ロ)彼らの天の主人が「王権」を持っていることを考えると,当時は何をするのに絶好の時機であり,幸先のよい時でしたか。

      46 最初の世界大戦が猛り狂い,病的興奮状態をもたらしていた間,奴隷級のあいだには人間に対する恐れの気持ちが引き起こされ,統治する王イエス・キリストの信頼できる奴隷としてなすべき仕事からかなり手を引くことを余儀なくされましたが,1919年はそうした恐れを払いのけるべき重大な時でした。当時は,崩され,損われた自分たちの隊伍を再組織し始め,今や王権を持っておられる主の奉仕の点で自分たちの生活の中で最大の努力を払うべき絶好の時機でした。今や彼らの主は,恵みとして天の王国の希望が与えられる弟子たちをさらに産み出すべく自由に用い得るご自分の畑である全地に対する正当な権利をかつてなかったほど要求されました。彼はその時宜にかなった事態を彼らにゆだねて,ご自分に対する奉仕の点で『商売をさせる』ことができました。当時は弟子たちで成る「奴隷」級が,「五タラント」を委託された奴隷や,また二タラントゆだねられた奴隷によって表わされた者として立ち上がるべき幸先のよい時でした。彼らはそうしました。「タラント」のたとえ話は,それも特に最高潮を迎える時点で成就しないわけにはゆかないからです。

      47 1919年に彼らは,恐れるのではなくて,戦後のわざに自らを捧げるよう,どのように強められましたか。

      47 一刻も無駄にはされませんでした。1919年,「奴隷たち」のそれら二つの級は仕事を始めました。彼らは1919年8月1日および15日号の「ものみの塔」誌の「恐れなき者は幸いなり」と題する記事から強力な新たな確信を得ました。そして,1919年9月1-8日にわたってオハイオ州シーダー・ポイントで開かれた8日間の大会の発表を歓呼して迎えました。さらに迫害を伴い,多大の精力と勇気を要する戦後のわざに直面しはしまいかと恐れて,その大会に出席するのを思い留まったりはしませんでした。

      48 (イ)シーダー・ポイント大会の出席者たちは,「ものみの塔」誌の姉妹誌としての新しい雑誌に関する発表をどのように受け入れましたか。(ロ)付け加えられたこの雑誌は今日に至るまでどのように用いられてきましたか。

      48 特にカナダおよびアメリカ合衆国から来た六千人もの人びとは,自分たちの前途のわざをどのように行なうようエホバが意図しておられるかを知りたいと切に願いつつ,国際聖書研究者協会のこの大会の集まりに毎日出席しました。彼らは「ものみの塔およびキリストの臨在の告知者」誌の姉妹誌として1919年10月1日に発刊される「黄金時代」と題する新しい雑誌の発表を驚きとともに,心からの感謝の念をいだいて迎えました。その新しい雑誌は,樹立された神のメシアによる王国を告げ知らせる上で付け加えられた補助誌となりました。それは主イエス・キリストの弟子をさらに産み出すための新たな地域を耕し,植えて水を注ぐわざを行なうのに彼らが用いるもう一つの道具となりました。「ものみの塔」誌と並んで,その新しい雑誌(今日の「目ざめよ!」)は今日に至るまで発行部数を増しながら,心の正直な人たちに新たに関心を引き起こさせ,神のみことばのいっそう深い事がらを受け入れられるよう用意させてきました。

      49 ものみの塔協会の支部に関してはどんな事が行なわれてきましたか。その結果,耕されるようになった地域はどの程度増えましたか。

      49 また,世界大戦のために断たれていた,ものみの塔聖書冊子協会の本部と全地の支部組織との間の通信連絡が回復され,強化されるとともに,時と事情の進展により必要が明らかになるにつれ,新しい支部がさまざまな土地に確立されました。その結果,天の主人イエス・キリストの「奴隷たち」のいっそう綿密な監督を受ける地域が増え,またそうした地域を耕して,あらゆる国の人びとの中からさらに多くの弟子を集めるわざは大いに強化されることになりました。当時はごくわずかの支部しかありませんでしたが,その数は急増し,今日では95の支部があります。それらの支部は,208の国々や海洋の島々で行なわれている,種を蒔いて育成する働きを監督しています。

      50 (イ)1922年のシーダー・ポイント大会の出席者たちは自分たちが,神殿にいるイザヤ同様の立場に立っていることをどうして知りましたか。(ロ)イザヤがエホバの招きに答え応じたことは,彼らに関してどんな質問を提起するものとなりましたか。

      50 1922年の9月,天の王国を継ぐ見込みを持つそれらクリスチャンの奴隷たちは,自分たちが今や正に,王の王,主の主で,統治しておられる主イエスの検閲を受けていることを強烈に知らされました。マラキ書 3章1節を成就して主イエスは,神殿で仕える霊によって生み出された「奴隷たち」に関して裁きのわざを行なうため霊的な神殿に来るさい,エホバ神に付き添って来ました。オハイオ州シーダー・ポイントにおける国際聖書研究者協会の第二回大会に出席した人たちは,「勝負の日」と呼ばれた4日目,つまり1922年9月8日に今や自分たちが,神殿でエホバ神に関する幻を見た預言者イザヤ同様の立場にあることを知りました。霊的に清められる必要を感じたイザヤは,必要な清めを受けで憐みを示されました。こうして彼は,「ここに私がおります! 私を遣わしてください」という熱烈な叫びをもってエホバの招きに答え応じ得る有利な立場に立ちました。(イザヤ 6:1-8,新)それで問題は,国際聖書研究者協会のその大会出席者たちが当時自分たちに差し伸べられた奉仕へのエホバの招きに同様に答え応じるだろうかということでした。

      51 協会の会長は「勝負の日」における話の結びとして大会出席者にどんな質問を尋ねましたか。会長は最後にどんな勧告のことばを聴衆に述べましたか。

      51 イザヤの幻を取り上げた話の最後から2番目の節の中で,ものみの塔協会の会長J・F・ラザフォードは大会出席者に対して次のような最後の質問を含め,幾つかの質問を提起しました。「主は今やその神殿にいて,地の諸国民を裁いておられることを,あなたは信じていますか。あなたは,栄光を受けた王が統治を開始されたことを信じていますか」。何千人もの大会出席者はいやが上にも熱意をこめて賛同の叫びを上げました。そこで講演者は次のように述べて,講演を最高潮に持って行きました。「では,いと高き神の子たちである皆さん,野外に戻ってください! 自分のよろいをまとってください! 冷静にし,油断なく注意し,活発に働き,勇敢でありなさい。主の忠実で真実の証人でありなさい。バビロンの痕跡がことごとく荒廃に帰するまで戦い,前進し,音信を遠く広く告げ知らせなさい。世界は,エホバが神であり,イエス・キリストは王の王,主の主であることを知らねばなりません。今は最も重大な勝負の日です。ご覧なさい,王は統治しておられます! あなたがたは王のことを広く伝える代理者です。それゆえに,王とその王国を宣伝し,宣伝し,宣伝しなさい」― 1922年11月1日付,「ものみの塔」誌の332-337ページをご覧ください。

      52 (イ)1920年,聖書文書の配布を増大させるために協会は何を行ないましたか。(ロ)1924年には協会は王国を宣伝する他のどんな手段を用い始めましたか。後日,他のどんな広報手段によってわざは拡大されましたか。

      52 戻られた主イエス・キリストの「奴隷たち」はかつてないほど一層強烈な熱意を抱き,一層大きな努力を払って出かけて行き,イエス・キリストのことを統治する王として宣伝し,家から家に,また公式の演壇でも公に宣べ伝えました。1920年以来,彼らはニューヨーク市ブルックリンで独自の印刷施設を運営し始め,その結果,聖書文書,雑誌,小冊子,冊子,硬い表紙を使って製本した書籍,そしてついには聖書そのものをも大いに経費を節約して一層大量に入手し,メシアなる王とその王国を宣伝するのに用い得るようになりました。1924年2月24日,日曜日からは,それら「奴隷たち」の法人団体の所有する放送局が数知れぬ見えない聴衆にラジオ受信機を通して王国の音信を放送し始めました。時経つうちに多くの土地で多数のラジオ放送局が用いられ,有料あるいは無料の時間に王国の良いたよりが地の最果てまで伝えられるようになりました。こうした広報手段に加えて,何年か後には,拡声器を取りつけた宣伝カーが用いられ,またキリストの「奴隷たち」は携帯用蓄音器を持って戸別訪問をし,家々の人びとに王国を宣伝しました。

      53 1925年3月1日号の「ものみの塔」誌の主要な記事を読んだ読者には,なぜ感動させられる理由がありましたか。

      53 「ものみの塔およびキリストの臨在の告知者」誌の読者は1925年3月1日号を受け取って,「国民の誕生」と題する主要な記事を読み,感動させられました。なぜですか。なぜなら,その記事からヨハネへの啓示 12章の一層詳細な理解を与えられたからです。理解の目を開かれた彼らは,同章に非常に感動的な筆致で表現され,自分たちにとって久しく秘義とされていた男子の象徴的な誕生が,異邦人の時の終わった1914年における神のメシアによる王国の誕生を表わすものであることを知りました。その記事は結びとして74ページで次のように述べました。「天の王国は今や来ました。救出の日が今や見えます。この良いたよりは地上の諸民族に告げ知らされねばなりません。勝利はわれわれの王の側にあります。この戦いの終わりまで忠実でありなさい。そうすれば,喜びと楽しみの永遠に満ちあふれる所で,降り注ぐ陽光のような王の愛に永久に浴せるでしょう」。

      54,55 1925年の主の夕食にあずかった人の数は,活動のための地域が増えたことをどのように示しましたか。

      54 続いて1925年4月8日,水曜日に行なわれた主の夕食の例年の祝いは,励みになる事がらを明らかにするものとなりました。活動のために付け加えられた地域で当時まで進められていた,種を蒔いて水を注ぎ,育成するわざに加えて,王国を宣伝するために新たに備えられた道具のお陰で,天的な希望を抱く弟子たちの会衆の数は増加しました。諸会衆の成員も増えました。それで,その主の夕食の祝いにあずかった人たちの人数は,キリストの弟子たちのそうした成長と産出を示すものとなりました。では,その年にはどれほど多くの人が祝いにあずかりましたか。1925年9月1日号の「ものみの塔」誌は263ページの「記念式の報告」という見出しのもとでこう述べました。

      55 「記念式にあずかった人の人数がたいへん多いのは喜ばしいことです。なぜなら,それは至る所で真理に対して多大の関心が示されていることを明らかにしているからです。また,そうあって然るべきでしょう。今まで寄せられた報告の総合計は昨年のそれより2万5,329人も多い9万434人です」。

      56 このことは,「タラント」を委託された弟子の「奴隷たち」の「商」取引きに関して何を示しましたか。

      56 確かにキリストの「奴隷たち」は,つまり「五タラント」を委託された奴隷および二タラントをゆだねられた奴隷によって表わされた級の人たちは,キリストの弟子たちをさらに多く生み出す他の地域を殖やすべく,それらのタラントを用いて時をたがえず素早く『商売をし』ました。発表された事実は,それら「奴隷たち」の努力が祝福され,増加をもって報われたことを証明しています。それは,なおも努力するよう彼らを励ますものとなりました。

      喜び

      57 (イ)たとえ話のその金持ちはなぜ外国に旅行しましたか。(ロ)それで,たとえ話の成就について言えば,イエス・キリストに関してどんな質問が生じますか。

      57 とはいえ,歴史的に言えば,この問題についてはもう一つの要素が今や判然としてきました。イエスのたとえ話の,銀八タラントと三人の奴隷の持ち主は,観光旅行の場合のように単に楽しみのために外国へ旅行したのではありません。その外国旅行には重大な理由がありました。ある貴重なものを確保したいと願っていたのです。たとえ話が示すように,彼が外国へ旅行したのは,『多くのもの』とともに,ある種の「喜び」を得るためでした。したがって,その独特の「喜び」を授け得る方に願い出るため,長い時間を要する長途の旅をしなければなりませんでした。「タラント」のたとえ話ははっきりと述べてはいませんが,イエスのたとえ話は暗にそのことを示しています。たとえ話のその金持ちは主イエス・キリストを表わしていますから,その人が長途の外国旅行をすることは,主イエスが目ざす特別の喜びの唯一の源に赴くことを表わしています。では,だれのもとに行きましたか。喜びのその源とはだれのことですか。

      58,59 (イ)復活させられたイエス・キリストはその「喜び」を得るために,だれのもとに行きましたか。(ロ)ローマ 15章13節に示されているように,エホバ神はほかにだれにとっても喜びの源ですか。

      58 ヘブライ 12章2節はそのことをわたしたちに示しています。こう記されています。「わたしたちの信仰の主要な代理者また完成者であるイエスをいっしんに見つめ(なさい)。彼は,自分の前に置かれた喜びのために,恥をものとも思わず苦しみの杭に耐え,神のみ座の右にすわられたのです」。

      59 そうです,エホバ神こそ,その「喜び」の源です。復活させられたイエス・キリストはこの地上に忠実な弟子たちを残し,ご自分の「持ち物」つまり「タラント」を委託して,エホバ神のもとに去って行かれたのです。天の父はイエスの「喜び」の特別な理由の源でした。エホバ神はその最愛のみ子の弟子たちにとってもやはり喜びの源です。したがって,そのような弟子のひとりは,ローマにいた仲間のクリスチャンに手紙を送ってこう述べました。「希望を与えてくださる神が,その信ずることによって,あなたがたをあらゆる喜びと平和で満たしてくださり,こうしてあなたがたが,聖霊の力をもって希望に満ちあふれますように」。(ローマ 15:13)その正しい祈りに神は答えることができました。

      60 (イ)今やイエス・キリストは「喜び」を得て戻ったのですから,だれを当然そうあるべき顕著な存在として目立たせるのは時宜を得たことでしたか。(ロ)その方はみ名に関して,当然そうあるべき顕著な存在としてどのように目立たされましたか。

      60 今や神のメシアによる王国が天で誕生したのですから,主イエス・キリストの喜ばしい再来が始まった後,物事の当然の成り行きとして,喜びの天的な源であられる神を当然そうあるべき顕著な存在としてイエスの「奴隷たち」の目に映じさせるのは時宜を得たことと言えるでしょう。喜びのこの神聖な源である方にとって,名を上げる時が到来したのです。それにはまず,その方の個有のみ名が知らされなければなりません。そして,そのみ名は正しく知らされました。当然のこととして,そのみ名は神を敬う地上の崇拝者たちの間でいつも用いられるようになり,またそれ以前には一度もなかったほど全地の至る所で広められました。1926年に入るや,同年最初の「ものみの塔」誌は,「エホバを尊ぶのはだれか」と題する主要な記事を掲げました。その時以来,聖書の最初のヘブライ語本文に何千回も出ている聖なるみ名は,神のみ子の「奴隷たち」の間でその正当な高い位置に引き上げられました。彼らはまず第一にその神のための証人になりましたが,み子イエス・キリストのための証しを減少させたりはしませんでした。エホバという名を持っておられる唯一の方のための証人になるという自分たちの義務に従って,愛をもって行動したのです。

      61 (イ)1931年に採択された決議によって,イエス・キリストの弟子であるその奴隷たちは,どんな名称で呼ばれることに反対する旨を表明しましたか。(ロ)以来,彼らはどんな名称で呼ばれることを欲しましたか。

      61 それに続く5年半の間,その聖なるみ名のためのそうした証しがなされました。次いで,それらクリスチャンの「奴隷たち」が身分を明らかにする,つまりキリスト教世界の自称クリスチャンすべてから自らを区別する時が来ました。そのためにイエス・キリストの「奴隷たち」は1931年7月26日,日曜日,午後,アメリカのオハイオ州コロンバスにおける国際大会で行動を起こしました。同日の午後4時,幾千人もの大会出席者に決議が提出され,読み上げられました。ここに,その決議の4節,5節そして6節を引用いたします。

      それゆえに今,私たちの真の立場を知らせるため,またそれがみことばに表明されている神の意志と調和するものであることを信じて,次のように決議いたします。

      私たちはチャールズ・T・ラッセル兄弟をその働きのゆえにこよなく愛しており,主が同兄弟を用いて,その働きを大いに祝福されたことを喜んで認めるものですが,神のみことばに終始一貫従う者として,「ラッセル信奉者」という名称で呼ばれることには承服できません。ものみの塔聖書冊子協会,国際聖書研究者協会および一般人伝道者協会という名称は,クリスチャンである私たちが一団として神のご命令に従って私たちのわざを遂行するために保持し,管理し,用いている法人の呼称にすぎません。それらの名称はいずれも,私たちの主で主人であるキリスト・イエスの足跡に従うクリスチャンの団体としての私たちに正しく結びつく,もしくは当てはまるものではありません。私たちは聖書の研究者ですが,協会を組織しているクリスチャンの団体として,主のみ前における私たちの正しい立場を明らかにする手段としては,「聖書研究者」その他同様の名称を持つ,あるいはそうした名称で呼ばれることを拒みます。私たちはいかなる人間の名前を持つことも,あるいはそれで呼ばれることをも退けます。

      また,私たちの主で,買い戻し手であるイエス・キリストの貴い血をもって買い取られ,エホバ神によって義とされ,生み出され,そしてその王国に召されたゆえに,私たちはエホバ神とその王国に対して全き忠誠と専心の限りを尽くすことを,ためらうことなく断言します。私たちはエホバ神のしもべであって,その御名によって仕事を行ない,またそのご命令に服してイエス・キリストの証しを伝え,エホバが真の,そして全能の神であられることを人びとに知らせるわざを委ねられています。それゆえに,私たちは主なる神が御口をもって命名した名称を喜んで採用し,また用います。私たちは,すなわちエホバの証人という名称で知られ,また呼ばれることを欲するものです。―イザヤ 43:10-12,新; 62:2。啓示 12:17。

      62 その決議の最後の節では,どんな招待が差し伸べられましたか。

      62 この決議の8節と最後の節はこう述べています。

      私たちは,エホバとその王国に全く専念している人たちすべてに対して,この良いたよりを他の人びとにふれ告げるわざに加わるよう,謹んでお勧めいたします。それは主の義の規準が高く掲げられ,救済をもたらす真理と希望をどこに見いだせるかを世界の諸民族が知り,なかんずくエホバ神の偉大な,聖なる御名が立証され,高められるためです。

      63 (イ)新しい名称に関するこの決議は,どんな人たちの全員によって採択されましたか。(ロ)その後,この決議はどのようにして公表され,その結果この知らせは世界中に伝えられましたか。

      63 オハイオ州コロンバスの大会に参集した人たちだけでなく,後日全地のイエス・キリストの「奴隷たち」の諸会衆も熱意をこめてこの決議を採択しました。こうして彼らは「エホバの証人」という名称を自発的に採用しました。この名称に関するその決議は,同大会で発表された「王国,世界の希望」と題する小冊子に載せられて公表されました。その題はまた,ものみの塔協会の会長J・F・ラザフォードが同大会の見える聴衆と大規模なラジオ放送網を通じ,耳を傾ける見えない聴衆の両方に向かって正午から行なった公開講演の主題でもありました。その後,同公開講演の全文と決議文を収めたこの小冊子は,カトリックおよび新教の牧師たちの手に,後には著名な政治家や専門職の人びとの手に個人的に直接渡されました。また,一般の人びとの間でも広く流布されました。それら義とされ,霊によって生み出された,いと高き神の崇拝者たちは自分たちの神の名によって歩み,エホバの証人という名称のみを認めるという知らせは,こうして世界中に伝えられました。―ミカ 4:5,新。

      64 彼らはなぜ自分たちがエホバのクリスチャン証人であることを認めていますか。

      64 それら崇拝者たちは,主イエス・キリストが最初に来られる以前にもやはり生ける唯一の真の神の証人たちがいたので,自分たちはエホバのクリスチャン証人であることを認めています。―イザヤ 43:10-12; 44:8。ヘブライ 11:1–12:1。また,1931年9月15日号の「ものみの塔」誌の278,279ページもご覧ください。

  • 今日の奴隷たちと勘定を清算する
    神の千年王国は近づいた
    • 13章

      今日の奴隷たちと勘定を清算する

      1,2 (イ)天与の名称を担うことは,キリストの「奴隷たち」の残れる者の何を増し加えましたか。その源となったのはだれですか。(ロ)「タラント」のたとえ話の中でこの喜びがどのように言及されていますか。

      主イエス・キリストの「奴隷たち」の,なお地上に留まっている残れる者にとって,1931年以来天与の名称を担うことは,新たな喜びを加えるものとなりました。彼らの喜びは,彼らの主

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