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死人が生き返る時!ものみの塔 1983 | 10月1日
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18 約束された胤の特質を考えてみると,神の友アブラハムはだれの予型であったと言えますか。
18 ご自身の友アブラハムに対する神ご自身の約束は,地のすべての家族が,アブラハムの「胤」によって「自らを祝福する」というものでした。(ヤコブ 2:23。創世記 12:1-3; 22:15-18)その「胤」が霊的な存在となられたので,人間アブラハムはエホバ神を予型的に表わしました。というのは,今や天で栄光を受けたイエス・キリスト,つまり霊的な「胤」の父となることができたのはこの方だけだからです。
19 啓示 20章11-14節には,何に関する預言的な描写がありますか。
19 わたしたちには,地のそれら死んでいる家族の来たるべき復活に関する預言的な描写が与えられています。啓示 20章11節から14節は,幾らかの象徴的な言葉を用いてそれを描写し,こう述べています。「またわたし[使徒ヨハネ]は,大きな白い座とそれに座っておられる方とを見た。その方の前から地と天が逃げ去り,それらのための場所は見いだされなかった。そしてわたしは,死んだ者たちが,大なる者も小なる者も,そのみ座の前に立っているのを見た。そして,数々の巻き物が開かれた。しかし,別の巻き物が開かれた。それは命の巻き物である。そして,死んだ者たちはそれらの巻き物に書かれている事柄により,その行ないにしたがって裁かれた。そして,海はその中の死者を出し,死とハデスもその中の死者を出し,彼らはそれぞれ自分の行ないにしたがって裁かれた。そして,死とハデスは火の湖に投げ込まれた。火の湖,これは第二の死を表わしている」。
20 千年の裁きの日の終わりに,命の書に名前が記される人々と,記されない人々に何が生じますか。
20 神が「定め」られ,「ご自分が任命したひとりの人によって人の住む地を義をもって裁く」千年にわたる「日」の間,復活させられた死人は,彼らのとこしえの救いのために与えられる神からの備えすべてを自分に適用しなければなりません。(使徒 17:31)この意味で彼らは「自らを祝福」しなければなりません。彼らの忠誠に関する最終的な試みを完全に通過することにより,彼らは全地球的な楽園でのとこしえの命という報いを得るのです。そうでない人はどうなるでしょうか。復活のない「第二の死」です。(啓示 20:14)啓示 20章15節に書かれている通りです。「また,だれでも,命の書に書かれていない者は,火の湖に投げ込まれた」。
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決して死ぬことがない,今生きている信仰の人々ものみの塔 1983 | 10月1日
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決して死ぬことがない,今生きている信仰の人々
1,2 主権者なる主,エホバ神を愛する幾百万もの人々は,とこしえの命を享受するためどこに行くことを願ってはいませんか。彼らは,死なないで生きることに関するイエス・キリストのどんな言葉を忘れませんか。
現在地上では,幾十億という人々が生きています。そのうちの幾百万もの人々は,死に絶えることなく地上で生き続けるというすばらしい機会について今学んでいます。それらの人々の中には,「ああなんじ,主を愛す者となるべし,さもなくば,なんじ死すとも天には行かじ」という古い宗教的な歌を覚えている人が大勢いるかもしれません。しかし,主権者なる主エホバ神を愛していても,天に行くことなど全く望んでいない,今生きている幾百万もの人々がいます。神から与えられた彼らの希望は,この地に楽園が回復され,それが地球全体を含むまでに広げられるということです。その地上こそが,義にかなった天的政府のもとで人間として完全にされ,永遠にわたって生きたいと彼らが願う場所なのです。(ルカ 23:43)彼らは,マルタに対して語られたイエス・キリストの注目に値する言葉を思いに留めています。イエスはマルタの兄弟ラザロを死者の中からよみがえらせようとしておられました。これらの言葉には,現在生きているすべての人が真剣に考慮するだけの価値があります。それは次のようなものです。
2 「そして,生きていてわたしに信仰を働かせる者はみな決して死ぬことがありません」― ヨハネ 11:26。
3 1918年2月24日に,途絶えることのない人間の命に関し,どんな話が行なわれましたか。その同じ年に生じた別のどんな出来事によって,その話の続行が阻まれましたか。
3 この20世紀の男女は,1918年2月24日の日曜日に,米国カリフォルニア州ロサンゼルスで注目すべきこの希望に注意を促されました。その場所で初めて,当時のものみの塔聖書冊子協会の会長は「世界は終わった……現存する万民は決して死することなし」と題する公開講演を行ないました。a それは,アメリカ合衆国を呑み込んでいた第一次世界大戦が頂点に近づいていたまさにその時でした。その画期的な聖書講演をその後も行ない続けることは阻まれました。少したった1918年の5月8日,ものみの塔協会の会長と,ニューヨーク市ブルックリンにあった本部の7人の仲間たちが逮捕された時は特にそう言えました。それよりも早く,1918年2月12日に,カナダ政府は,「終了した秘義」と題する製本された最新版の協会の本と,「聖書研究者月刊」と題する協会の無料の小冊子の出版を禁止していました。3月14日には米国政府も先例に倣い,「終了した秘義」と「聖書研究者月刊」の関連した号の出版を禁じました。これらの出版物には協会の会長の署名が付されていたのです。次いで6月21日,幾週間かにわたる公判のあと,米国の連邦裁判所は,協会の会長,会計秘書,「終了した秘義」の二人の共著者,ブルックリン本部の他の3人の職員,協会に所属するイタリア人の翻訳者に対し,ジョージア州アトランタの連邦刑務所に長期間投獄するという判決を下しました。1918年7月4日には,8人全員がニューヨーク市ブルックリンから,ジョージア州アトランタの連邦刑務所へと移されました。第一次世界大戦がなお猛威を振るっていた時です。
4 霊的に言って,地上のエホバの民の残りの者はどのように死んだものとなりましたか。彼らの天的な希望はどうなりましたか。
4 次の冬が来る前に,協会は「ものみの塔」誌1918年10月1日号(英文)の290ページに掲載された移転通知に従い,ニューヨーク市のブルックリンから,ペンシルバニア州のピッツバーグに戻らざるを得ないように感じました。国際聖書研究者の諸会衆の若い成員たちが各地で軍隊の野営地,場合によっては刑務所に拘留されました。霊的に言って,エホバの献身してバプテスマを受けた民は,とりわけ福音,すなわち良いたよりを大胆に宣べ伝えることに関しては死んだものとなりました。彼らは,自分たちの地上の生涯の終わりが来た,自分たちの天的な栄光はまさにこれから実現するのだ,と考えました。しかしそうではなかったのです。11月になって世界戦争の参戦国により停戦の調印が行なわれ,平和が戻りました。そして,ご覧ください,戦争に傷つけられた地上でなお生きる,エホバの崇拝者たちの残りの者が存在していたのです。
5 彼らの霊的に眠った状態は,長い間流刑にされていただれの状況に似ていましたか。しかし神の言葉は,彼らに関して何を予告していましたか。
5 今はどうでしょうか。エホバの預言の言葉は,死んだように見える証人たちが生気を取り戻した活動へと回復され,地上における,王国に関係した務めを行なうということを予告していました。第一次世界戦争の期間中,彼らの霊的な状態は,イスラエル人の国家的首都エルサレムが西暦前607年にバビロンの軍勢によって破壊された後,遠方のバビロンに強制移住させられ,その地で70年間霊的に眠った状態にあったイスラエル人の経験したことに似たものとなりました。
6 預言者エゼキエルは,ユダヤ人の国家の復興と,その故国における崇拝の回復に関する預言的な描写を行なうために,どのように用いられましたか。
6 西暦前607年から537年に至る古代イスラエルに関する物事の状況については,自らもバビロンに流刑となっていたエホバの預言者エゼキエルが言及しています。エゼキエルは一つの幻の中で,乾いた骨の満ちた低地平原を見,切り離されたこれらの骨が流刑の状態にあるイスラエルの全家を表わしていると告げられました。神の命令に従ってエゼキエルがばらばらになったこの骨に関して預言すると,これらの骨は再び集まってがい骨となり,そのがい骨は肉で覆われるようになりました。最後にそこに息が入り,これらの体は立ち上がりました。(エゼキエル 37章)この預言は予型的な成就として,イスラエル人がどのようにバビロンの滅亡後バビロンから解放され,一国民として再び生きたものとなり,どのように自分たちの回復された国家的な首都エルサレムに再建された神殿で憐れみ深い神をもう一度崇拝するようになるか,ということを示していました。
7 啓示 11章3-13節には,その国民の復興に似たどんなことが予告されていましたか。
7 この国民が復活して幾世紀もの後,啓示 11章3節から13節で類似した事柄が象徴的な言葉で予告されました。
「『そしてわたしは,わたしの二人の証人に,粗布を着て千二百六十日のあいだ預言させる』。……そして,彼らが自分たちの証しを終えた時,底知れぬ深みから上る野獣が彼らと戦い,彼らを征服して殺すであろう。そして,彼らの遺体は……大いなる都市の大通りに置かれるであろう。……それから三日半の後,神からの命の霊が彼らに入り,彼らは自分の足で立ち上がった。そのため,大いなる恐れが彼らを見ている者たちに臨んだ。そして彼らは,天から出る大きな声が,『ここに上って来なさい』と自分たちに言うのを聞いた。それで彼らは,雲のうちにあって天へ上って行き,敵たちは彼らを見た。そして,その時刻に大きな地震が起こ(った)」。
8,9 (イ)現代において,霊的に死んでいた神の民に対して活動への同様の呼びかけがなされたのはいつでしたか。(ロ)イザヤ 26章19節では,どのような象徴的な言葉により,活動への預言的な呼びかけがなされていますか。
8 この点に類似することとして,エホバの献身した民の霊的に死んでいた残りの者たちに対し,全地の住民に注目されるエホバの証人として奉仕するようにという,活動のための戦後の呼びかけがなされることになっていました。戦後の最初の年1919年にそのような呼びかけが残りの者たちになされましたが,それは,エホバ神が自分たちを肉体のまま地上に生き残らせたのには重要な目的があるという認識を彼らが喚起させられてのちのことでした。敵対する世のただ中になおとどまる間,何事も神の助けなしには達成できないことを彼らは深く認識しました。(イザヤ 26:18)やがて彼らは,イザヤ 26章19節に予告されている全能の神からの再保証と命令を与えられました。その聖句の中には,彼らを益するために保存されてきた預言的な言葉が次のように記されています。
9 「あなたの死者たちは生きます。わたしの死体 ― それらは起き上がります。塵の中の居住者よ,目を覚まし,喜び叫べ! あなたの露はあおいの露のようであり,地が死んだ無力な者たちをも生み落とすからです」。
10 これらの表現の中で,エホバはどんなときに当てはまる言葉を利用しておられますか。しかしこの言葉が適切であったのはなぜですか。
10 これらの表現に関して言えば,エホバは,即位した王,贖い主であるイエス・キリストの手中にある天の王国のもとで,人類のうちの贖われている死者が文字通り復活する時に当てはまる言葉を借り,利用しています。一国民としての生活を送っていた土地から強制移住させられ,霊的に言えばバビロンで70年間葬られていた古代のイスラエル人と同じく,現代の霊的イスラエル人の残りの者も,1914年から1918年の間絶滅の危機にさらされました。第一次世界大戦が終わった1918年には彼らは霊的に言ってエホバのみ手にある「死体」のようでした。
11 (イ)霊的な再生を生じさせることができたのはだれだけですか。それは,どんな種類の植物の持つ新鮮さに似ていますか。(ロ)どんな呼びかけがエホバの民に出される時が到来しましたか。
11 命の偉大な授与者としてエホバは,これら「死者たち」が,油そそがれた証人として生き返るよう取り計らわれるでしょう。神は彼らをよみがえらせることがおできになりました。戦後の時期の様々な機会が既に開かれた以上,もはや彼らが嘆いたり,死人また「塵の中の居住者」に似た者となったりする時ではありませんでした。それは,彼らを霊的な命に目覚めさせ,今生きていてエホバの奉仕に携われることに対して喜びにあふれて叫ぶための,延ばすわけにゆかないエホバの時でした。(詩編 126編)彼らは,死体や塵の中の居住者のような乾いた状態ではなく,あたかもおびただしい露を浴びた,丈の低い生え広がる植物のあおいのように,命の潤いを得ることになっていました。大いなるキュロスであるイエス・キリストは今や天で統治を始められ,死を来たすバビロニアの土地におけるような流刑から彼らが解放されるエホバの定めの時が到来しました。古代のイスラエル人が流刑に遭い,抑留されていた昔のバビロニアの土地に似た,彼らの流刑の状況は,もはや彼らを死のような無力さのうちにとどめることはできませんでした。偽りの宗教の世界帝国である大いなるバビロンから出るための勇気と力とをもって,彼らが霊的な再生のために解き放される時が来たのです。「わたしの民よ,……彼女から出なさい」というのが,実に時宜にかなった神からの呼びかけでした。(啓示 18:4)彼らは速やかに従順な行動を取り,大いなるバビロンとこの世的な協力者にもはや従わないようにして,エホバから糾弾される事態を避けました。
12 (イ)エホバの民は神の糾弾からどのように身を隠しますか。どれくらいの期間そうしますか。(ロ)その時,大いなるバビロンに関してどんなことが暴露されますか。どのような清算が行なわれますか。
12 そのあとのイザヤ 26章20,21節はこう述べています。「行け,わたしの民よ,あなたの奥の部屋に入り,あなたの後ろで扉を閉じよ。糾弾が過ぎ行くまで,ほんのしばらくの間,身を隠せ。見よ,ご自分に対する地の住民のとがに関して言い開きを求めるため,エホバはその場所から出て来られるからである。その地は必ずその流血をあらわにし,もはやその殺された者たちを覆い隠すことはない」。大いなるバビロンのこの世の協力者に大いなるバビロンを滅ぼさせることにより,エホバが大いなるバビロンに対する糾弾を十分に表明するまでの期間は,またその協力者自身がハルマゲドンの戦場における「全能者なる神の大いなる日の戦争」の間に滅ぼされるまでの期間も,非常に長いものではないでしょう。それはまるで,「ほんのしばらくの間」のようです。(啓示 16:14,16)その時,大いなるバビロンが負ってきた流血の罪が暴露され,大いなるバビロンは報いを得ます。大いなるバビロンが直接的また間接的に殺害してきた人間は,もはや覆い隠されるままにされることも,無視されることもないでしょう。殺害者を処刑することによって,彼らに関して清算が行なわれます。大いなるバビロンに殺されてきたエホバの証人たちは少なくないのです。
神の糾弾から隠される人々の,今生きている仲間たち
13 (イ)戦後の1919年は,回復に関するどんな祝福をもって飾られましたか。(ロ)イザヤ 35章によると,彼らはどんな道を通り,終わりのない喜びの状態に戻りましたか。
13 1919年は神の善良さで飾られました。3月21日,国際聖書研究者たちによる全国的な規模の請願運動が完了する前に,協会の8人の代表者たちには保釈が認められ,3月25日にはアトランタ刑務所から釈放され,再びそこに戻ることはありませんでした。なぜでしょうか。後に彼らの容疑が晴れ,
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