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「わたしたちの神の奉仕者」と今日の彼らの助け手ものみの塔 1978 | 10月1日
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のために前もって用意がされていたことを示すことになるでしょう。こうしたことを行ないながらも「大群衆」は,神の霊的神殿の地上の中庭でイエス・キリストを通してエホバ神に神聖な奉仕を定期的に行なうことを怠りません。この点で彼らは率先し,死人の中からよみがえってくる人々すべてのために優れた模範となるでしょう。―ルカ 23:43。
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喜びに満ちあふれ,神にあって歓喜する理由ものみの塔 1978 | 10月1日
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喜びに満ちあふれ,神にあって歓喜する理由
1 なぜ霊的イスラエルの残りの者は今日,イザヤ 61章10節の成就で喜びに満ちあふれていますか。
偽りの宗教の世界帝国である大いなるバビロンへの捕らわれから,そしてその獄中から解放された喜びは,言い表わせない喜びです。人が真の宗教の神の恵みと善意を再び受け得るようになったことを歓喜するのには理由があります。霊的イスラエルの油そそがれた残りの者は今日,エホバが彼らを救出し回復させてくださったことを思い巡らすとき,喜びに満ちあふれます。霊感を受けた預言者イザヤは,彼らの口に次の言葉を入れます。「必ずわたしはエホバにあって歓喜するであろう。わたしの魂はわたしの神にあって喜びに満たされる。彼は救いの衣をわたしにまとわせてくださった。義のそでなしの上着でわたしを包んでくださった。祭司の仕方にならって頭飾りを着ける花婿のように,また飾り物で身を飾る花嫁のように」― イザヤ 61:10,新。
2 油そそがれた残りの者は依然「救いの衣」を着ていますか。彼らが霊的パラダイスから追放されることが決してないのはなぜですか。
2 戦後の年1919年以降,エホバは霊的イスラエルの油そそがれた残りの者を大いなるバビロンおよび彼女のこの世的な情夫から解放することによって,彼らのために「救い」を作ってこられました。その後あらゆる宗教的迫害が加えられたにもかかわらず,油そそがれた残りの者は依然として「救いの衣」をまとっています。残りの者は,大いなるバビロンとその不道徳な情夫がきたるべき「大患難」において滅ぼされるまで,身分証明となるその衣を着用しつづけることを決意しています。そうするゆえに彼らは,エホバが1919年以来彼らを連れて来ておられる霊的パラダイスから追放され,流罪にされることはありません。
3 油そそがれた残りの者が「義のそでなしの上着」で包まれる必要が生じたのはどうしてですか。
3 「義のそでなしの上着」は,回復した残りの者にエホバがお着せになった美しい「救いの衣」
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