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    ものみの塔 1965 | 11月15日
    • の憎むべきことに対して嘆き悲しむ人々」と同じであることが理解されました。これらの人々は真理を知り,それを公にも表明することのしるしとして「額にしるし」を受けます。これはハルマゲドンで保護を得るためのしるしともなります。(エゼキエル書 9章)また1932年,この級はヨナダブ級とも呼ばれるようになりました。ヨナダブはバアル崇拝者の処刑にむかうエヒウ王に加わり,喜んでその戦車に乗りました。これは大いなるバビロンの滅びとハルマゲドンの戦いの時,偽りの崇拝に従う者すべてに行なわれる処刑を予影したものです。この時強調されたのは関心を抱く人々が大いなるエヒウである王イエス・キリストに対する奉仕に加わり,戦車のような王の組織に加わるための道がまだ開かれているということでした。(列王下 10:15-27)1933年と1934年には関心を持つ人々を再びたずねる再訪問の活動が始められて,この級の人々に対する実際的な援助がさしのべられることになりました。再訪問は定期的な家庭聖書研究の取りきめを設けて霊的に養うために必要です。これらの人々も献身し,浸礼を受けるべきことは1934年に明らかにされました。

      17 2つの級の発展は1931年と1935年にどのようにしるしづけられましたか。

      17 1931年以来,油そそがれたエホバの証人の側に確固とした足場を定め,共に野外奉仕に加わる羊のような人々が次第に増加するようになりました。その多くは放とう息子と同じように,エホバに対する献身に進み,エホバに奉仕する機会をそれまで無駄にしていました。しかし,この級の発展と帰還の過程の中で最も決定的であったのは1935年です。この年,放とう息子の帰還とこれを迎えた父親の寛大な処置,また長い間いどころの知れなかった息子が家に帰えったとの公の告知に相当する出来事がありました。その時弟はすでに家に着き,身なりをととのえ,喜びの祝宴が開かれようとしていたのです。1935年にはこれに相当するどんな出来ごとがありましたか。

      18,19 1935年の大会の出来事はどのようにたとえ話を成就しましたか。どんな疑問に導きますか。

      18 この年の5月にワシントン市で開かれた大会が私たちの注意を集めます。大会に先立つ数号の「ものみの塔」誌の告知欄を通じてヨナダブとして知られていた人々に特別の招きがさしのべられたことには何か意味があるようでした。a この大会においては,黙示録 7章9節の「大ぜいの群衆」が,それまで考えられていたような二次的な霊的級ではなく,私たちがここで取り上げたいくつかの聖句の中で語られる地上の級と同一であることが示されました。その上,聴衆席にいた人々のうち,自分が「大ぜいの群衆」に属すると考える者に対しては起立することが求められ,多数の人々がこれに応じました。これは喜びと霊の祝宴の時となりました。他の大会でも同様の手順が取られ,同様の結果がありました。「他の羊」の「大ぜいの群衆」は帰還し,すでに家に帰っていたのです。

      19 しかしこれは30年も昔のことだと言われるかたもあるでしょう。今日このことはどうなっていますか。しかし,これに答えるまえに,弟の帰還に対する兄の態度と行動とを中心としたイエスのたとえ話の結末に考慮を向けましょう。

      つまずくべき理由はない

      20 弟の帰還に対し兄はどんな態度を取りましたか。父親はどのようにとりなしましたか。

      20 弟が家に着いた時,たまたま兄は外出中でした。家に近づいた兄は音楽と踊りの光景を見,しもべにその意味をたずねました。説明を聞いた時,兄は非常に怒り,家にはいろうとしませんでした。父親は兄が中にはいり,祝宴に加わることを乞い求めました。兄は,放とうの弟にやさしく,自分に対しては当然の物さえ与えない父親の態度を不公平であるとして非難します。友だちと楽しむための小山羊さえもらったことがありません。しかし父親は哀願するような口調で兄に訴え,同時に両面から兄の考えを正します。「子よ,あなたはいつもわたしと一緒にいるし,またわたしのものは全部あなたのものだ。しかし,このあなたの弟は,死んでいたのに生き返り,いなくなっていたのに見つかったのだから,喜び祝うのはあたりまえである」。(ルカ 15:25-32)反省して本心に返える兄が,家の中にはいれるよう入口の戸を開いたままにしてたとえ話はここで終わります。

      21 ここで兄があらわしているのはどんな人々ですか。どんな事情に留意すべきですか。

      21 この点において兄は「小さい群」のうちまだ地上に残る者全体を表わすのではなく,これに似た態度を取る人々だけを表わしています。これはどのように示されますか。1931年に至るまで,集める仕事は天の希望にいれられる人々だけを対象としていたことに留意して下さい。地上の級のあることはすでに予見されていましたが,この級がハルマゲドン以前に神の特別の取り扱いを受け,組織されるとは考えられていませんでした。ハルマゲドン以前に「他の羊」を集め,それを教育するという仕事は当時考慮に入れられず,放とう息子のように機会を無駄にしていた者たちのことはとくに考慮されませんでした。それだけでなく,極端な考えを抱き,自分たちの一切の経験は人格形成の過程であり,天の相続のためになされる神のご準備であるととなえる者もありました。この考え方は彼らをして自己中心的にならせ,自分を過大に評価させました。彼らは幾分か気ままになっていました。たとえ話の兄のように,彼らはただ自分だけしか見ていませんでした。

      22 エホバは「弟」の級をどのように認められましたか。どんな結果がありましたか。

      22 エホバはこれら自己中心的な者たちが正しい見解を得,正しい精神を示すまで,ご自身の意志の実行を待たねばなりませんでしたか。そのようなことはありません。エホバは「弟」の級を公に認めるべき時が熟した時,肥えた物による祝宴のそなえを進められました。霊的な意味で言って,エホバは弟の級に上等の着物と指環と靴とを着けさせました。すなわちエホバは彼らを地上の希望を抱く息子,いまや「平和の福音の備えを足に」はいて神の組織内に足場を固めた者たちとして認められたのです。(エペソ 6:15)しかし,「兄」の級はこの点を良く理解せず,挑むような態度でその意味をたずねました。彼らは神の組織の家の中にはいることを拒み,人気をかすめ取ったような級を歓迎することに加わろうとはしませんでした。

      23 (イ)なぜ「兄」の級の見方は誤りですか。(ロ)どんな見方をすべきですか,

      23 彼らの考えはどちらの側から見ても間違っていました。彼ら自身について言うなら,忠実に対するほう賞として長子として彼らの受ける分は保証されていました。「弟」の級に対することについて見ても,いずれか一方を優遇したということはありませんでした。もし,神の愛と忍耐とによって地上の級が見出され,生きかえり,予期したより早くすがたをあらわしたなら,私たちのすべてが天の父と共にそのことを喜ぶべきではありませんか。たしかに私たちはけちで議論がましい態度を取ってはなりません。

      24,25 (イ)この級の者に対して戸はどのようにまだあけられていますか。(ロ)どんな問題に答を得るべきですか。

      24 イエスは兄を家の外に置いたままにしてたとえ話を終えられましたが,この級の中にエホバの訴えに応ずる者が一人もいないという意味にこれを解してはなりません。戸はまだあけられているのです。このたとえ話を引き出したのがパリサイ人と学者たちであった事を忘れてはなりません。罪人や取税人に対する彼らの尊大な態度は兄の弟に対する態度と同じでした。しかしこれらの宗教指導者の中にものちに本心に立ちかえった者が多数いたのです。事実,記録も示す通り,「祭司たちも多数,信仰を受けいれるようにな」りました。―使行 6:7。

      25 エホバの愛と忍耐はまだ働いていますか。そのことを示す発展が1935年以来ありましたか。イエスは生き生きとしたたとえ話をされましたが,息子それぞれのあやまちから私たちはどんな教訓を得ますか。また父親の態度から何を学ぶことができますか。当然のこととして私たちは今日の状態に深い関心を寄せています。次の記事の中ではこれらの問題が取り上げられます。

  • エホバに向かう
    ものみの塔 1965 | 11月15日
    • エホバに向かう

      1 (イ)何がモーセの顔を輝かせましたか。そのためどんなことがありましたか。(ロ)問題の真因をパウロはどのように示しましたか。

      「しかし〔エホバ〕に向く時には,そのおおいは取り除かれる」。モーセを中立ちとしてイスラエル人と結ばれた律法契約と新しい契約とを比較し,後者のすぐれた栄光について論じた使徒パウロはこのように書きました。モーセが十戒をしるした石の板2枚をたずさえてシナイ山から下りて来た時,その顔は非常に輝き,民は彼に近づくことを恐れるほどでした。それゆえ,モーセは自分の顔をおおわねばなりませんでした。しかし,パウロの説明した通り,問題はイスラエル人自身にありました。彼らの心と思いが正しくなかったのです。「実際,彼らの思いは鈍くなっていた。今日に至るまで,彼らが古い契約を朗読する場合,その同じおおいが取り去られないままで残っている」。彼らの心と思いはエホバへの愛の心からの献身に向いていませんでした。むしろ,エホバが彼らについて言われた通り,彼らはかたくなになっていたのです。「彼らの心は,いつも迷っており,彼らは,わたしの道を認めなかった」。―コリント後 3:12-16。出エジプト 34:29-35。ヘブル 3:10,〔新世〕。

      2 (イ)今日の世界はこの点でイスラエルに誇ることができますか。(ロ)問題の根本原因はどのように示されていますか。

      2 世界全般について語ったパウロは同じ調子をこのように続けています。「わたしたちの福音がおおわれている……滅びる者どもにとっておおわれているのである。彼らの場合,この世の神が不信の者たちの思いをくらませて……キリストの栄光の福音の輝きを,見えなくしているのである」。(コリント後 4:3,4)またイザヤは述べました,「われわれはみな羊のように迷って,おのおの自分の道に向かって行った」。(イザヤ 53:6)問題はここにあります。だれでも自分の道を好みます。しかし,今取り上げた放とう息子のたとえ話の息子たちの誤りはいずれもこの点が根本の原因となっています。弟は放縦な生活を求めました。兄は高慢な気持ちで自分の道を守り,父親の意向にさからいました。

      3 どうしたらこうした誤りを避けられますか。どんなことが疑問になりますか。

      3 各自の望む道に行こうとすることによる誤まりを避けるためにただ一つ必要なものは,誠実な態度で私たちの心をエホバに向けることです。これは決して容易ではありません。これは今の世界の精神と道,また私たち自身の堕落した肉とは逆の道を行くことです。エホバに帰ろうとする者を,またエホバ

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