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エホバは強さを増し加えられるものみの塔 1967 | 6月1日
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25,26 (イ)デリラとはだれですか。彼女はだれを予表しましたか。(ロ)この級の者はサムソンにどんな影響を与えようとしましたか。結果はどうなりましたか。
25 「この後,サムソンはソレクの谷にいるデリラという女を愛した」。(士師 16:4)デリラとはどんな女でしたか。彼女の名には「ぐずぐずした」という意味があり,彼女はイスラエル人であったと思われます。エホバの証人の現代史上にも霊によって生まれた級の中にデリラのような者が登場します。それらの者は1914年,直ちに天の御国に召されなかったことを怒り,熱意を失いました。1917年から1918年にかけて,彼らはものみの塔協会を自分の管理下において,現代のペリシテびととの妥協を図ろうとしました。彼らは献身したサムソン級に対して真実の愛をいだいていませんでしたが,サムソン級は『あかりが消えかかっていた』これらの仲間に純粋な愛をもちました。(マタイ 25:8)サムソン級は彼らを立ちかえらせようとしましたが,デリラ級はその機会を利用し,キリスト教国の宗教家に引き渡すため,サムソン級を妥協の綱で何度も縛ろうとしました。
26 これらかつての愛人は献身した「サムソン」が偽りの宗教に対する戦闘の手をゆるめることを望みました。今やキリスト教国の宗教家は戦線の両側で第一次世界大戦を熱烈に支持していましたが,デリラ級は神を恐れる「聖書研究生」が大戦の愛国的な雰囲気に乗ることを望んだのです。しかし「サムソン」は「デリラ」の手くだに容易なことでは屈しませんでした。1917年4月15日号「ものみの塔」ははっきり述べました。「クリスチャンに中間的な立場はありません。一つの道つまり参戦拒否の道を取ることによってのみ……主に対する忠誠を守れます」。
27 サムソン級の忠実さはどのように危険になりましたか。彼らはついにどんなわなに落ちましたか。
27 神の「どれい」がこれら「愛人」の反逆者を親切に扱おうとしたことは,サムソンが,献身のしるしとしてあれほど大切であった自分の髪の毛を機の縦糸と一緒に織ることをデリラに許したことと比較できるでしょう。忠実さが危険になりました! そしてサムソンが二心のデリラのひざの上で寝たように,ぐずぐずした背教者に対するサムソン級の懐柔的な態度はついに自らを弱め,妥協を始める結果になりました。献身した証人が1918年にそのようなわなに落ち込んだことは,同年6月1日号「ものみの塔」の一記事によく見られます。その記事は合衆国大統領の宣言した「祈りと願いの日」である1918年5月30日を支持したものであり,こう述べていました。「戦争の結果として約束された栄光……および世界が一般民に安全な所となることについて,神に感謝し,また神をたたえよう」。
28,29 (イ)「どれい」が妥協した結果は何ですか。(ロ)今どんなことが疑問になりますか。
28 世との妥協はエホバの霊を失う結果になりました。サムソン級の髪の毛は象徴的な意味で切り取られ,彼らの「力は去って」ゆきました。ペリシテびとたる宗教家は神の「どれい」を捕えることに成功し,神のみ心を見きわめる「どれい」の両眼をえぐり,ペリシテびとの領地にある「獄屋の中で,(彼に)うすをひ」かせました。しばらくの間,神の国に対する「どれい」の大胆な証言は行なわれなくなりました。宗教的な圧迫によって投獄さえもたらされました。ものみの塔の2代目の会長と他の7人の責任ある兄弟は,偽りの告訴によって最高80年の投獄刑を宣告されたのです。敵はニューヨーク市ブルックリンの協会本部を閉鎖させました。しかし,「サムソン」投獄のこうした暗黒時代にも,「ものみの塔」はペンシルバニア州ピッツバーグから引き続き発行され,かすかであっても,希望と慰めの光を放っていました。―士師 16:5-21。
29 エホバはご自分の「どれい」をこの捕われの状態で見捨てられるのですか。サムソン級はこの苦境の理由に目ざめますか。エホバは神権的な活動のためにご自分のしもべを再び強くされますか。次の記事はその点を扱います。
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「弱い者は強くされ」ものみの塔 1967 | 6月1日
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「弱い者は強くされ」
1 エホバは何の源ですか。
エホバは命と力の真の源であり,「天を創造してこれをのべ,地とそれに生ずるものをひらき,その上の民に息を与え,その中を歩む者に霊を与えられる」かたです。(イザヤ 42:5)そして,苦難にある地上のしもべが助けと導きを求めるとき,エホバはご自分の霊つまり活動力によってその者を強くされます。―詩 34:8,15。
2 サムソンが本心にかえったことは何を表わしていますか。
2 サムソンの場合もそうでした。敵に力を奪われたサムソンは直ちに本心にかえりました。自分のあやまちを悟ったサムソンは神の前で悔い,ナジルびととしての献身を果たして再び神に仕える用意をしました。このことには一刻の猶予もありません。その髪の毛はそり落とされたのち,すぐに「伸び始め」ました。力がよみがえってきたとき,サムソンはふたたび「ペリシテびとを攻めようと,おりをうかが」いました。(士師 16:22; 14:4)同じように,1919年以来,心の底から悔い改め,死に至るまでエホバに仕えようと決意した神の「どれい」は,力がよみがえるのを知りました。「いのちの〔霊〕が,神から出て彼らの中にはいり,そして彼らは立ち上がった」。彼らは「終りの時」の精力的な活動のための用意ができたのです。―黙示 11:8-12,〔新世訳〕。ダニエル 12:1-4。
3 『めしひの民』はどのようにたずさえ出されましたか。どんな目的のために?
3 イザヤ書 43章8,10,11節の成就する時が来ていました。「目あれどもめしひ…のごとき民をたづさへ出でよ…エホバのたまはく,なんぢらはわが証人わがえらみし僕なり,さればなんぢら知りて我を信じわが主なるを悟りうべし,我よりまへにつくられし神なく我よりのちにもあることなからんただ我のみ我はエホバなり,われのほかにすくふ者あることなし」。(文語)エホバの民は第一次世界大戦の間,偽りの宗教家のため一時的にめしいにされましたが,今エホバの証人として確固とした奉仕をするため,とらわれの状態からたずさえ出されねばなりませんでした。もしめしいの状態が少しでも残っていたとするなら,それは全能の神のみこころ以外のことはいっさい行なわないというめしいでした。彼らは『うしろのものを忘れ』ようと心に決めていました。―ピリピ 3:13,14。
4 宴会をしたペリシテびとはなにを理由に自分の神をたたえましたか。
4 ペリシテびとの君たちは魚の神ダゴンに大きな犠牲をささげるために集まりました。それはおよそ600年後,ベルシャザルがバビロンで催したような宗教的な宴会でした。ベルシャザルはその席でエホバの宮からとって来た聖器を戯れ事に用いています。(ダニエル 5:1-4,30)しかし,ペリシテびとの宴席で悪口と嘲笑の的とされたのは,エホバの献身したしもベサムソンです。「(彼らは)共に集まって言った,『われわれの神は,敵サムソンをわれわれの手にわたされた』。民はサムソンを見て,自分たちの神をほめたたえて言った,『われわれの神は,われわれの国を荒し,われわれを多く殺した敵をわれわれの手にわたされた』」― 士師 16:23,24。
5 ペリシテびとのような今日の牧師はどんな点で一致団結していますか。
5 第一次世界大戦の終わりころ,キリスト教国牧師はエホバの証人が捕われの状態になったことを喜んだのです! 証人を完全に沈黙させたと考えた彼らは黙示録 11章10節の予告どおりのことをしました。『これらの者は彼らのことで喜び楽しみ,互に贈り物をし合った』。彼らはしいたげられたエホバの「どれい」をもてあそびました。そしてこの時以来,キリスト教国牧師および偽りの宗教の世界帝国の僧侶全体は,終始エホバの証人を嘲笑し,自分たちの偽りの崇拝の家に集まり,信仰合同運動によって互いの結びつきを深め,神に逆らい,建てられたキリスト・イエスによるエホバの御国に敵対してきました。彼らはエホバの証人に敵対するという面でいつも一致団結しています。
6,7 (イ)サムソンはなぜ獄屋から引き出されましたか。(ロ)エホバは現代のご自分の「どれい」についてどんな配慮をされましたか。
6 ダゴンの前での偶像崇拝にふけったペリシテびとは,「また心に喜んで言った,『サムソンを呼んで,われわれのために戯れ事をさせよう』。彼らは獄屋からサムソンを呼び出して,彼らの前に戯れ事をさせた」― 士師 16:25。
7 エホバはサムソンの時代に事の成り行きを支配しておられました。同じように,献身したエホバの「どれい」が1919年に宗教上の捕われからたずさえ出されたのはエホバの配慮によりました。自らは直ちに悟らなかったかもしれませんが,現代のペリシテびとはエホバの証人に対しもはや力をふるうことはできませんでした。エホバの証人は奉仕し,働くために出てきました。象徴的な髪の毛の『伸びた』彼らは教会指導者からの恥辱と非難に耐えました。1967年の今日に至るまで,「忠実な思慮深いどれい」,油そそがれたエホバの証人の残れる者は,エホバに強くされて忠実に奉仕し,エホバの至上権をあかしすると同時に,「苦しめられて見せ物にされ」てきました。―ヘブル 10:33。
「柱のあいだに」
8,9 ペリシテびとがサムソンを柱の間に立たせたことは何を表わしていますか。
8 そして『彼らはサムソンを柱のあいだに立たせ』た。これはダゴンの家の主要な柱です。非常に大きな家をささえたこれらの柱は巨大なものであったにちがいありません。実際,
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