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告げる者の足はうるわしいものみの塔 1964 | 5月15日
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エホバそのきよきみ手をもろもろの国人の目のまへにあらはし給へり,地のもろもろの極までもわれらの神のすくひを見ん」。
23 エホバの民は大いなるバビロンから解放されたことをどのように証明しましたか。
23 1919年,エホバは心をいためた残れる者を解放し,慰めることによって,大いなるバビロンをはじめ諸国民の目のまえにご自身のきよいみ手をあらわされました。忠実な残れる者はそのとき以来クリスチャン証者として地のはてにまで行き,1914年から天で支配しているメシヤの国の福音を伝道して,神の民が大いなるバビロンから解放された事実を知らせました。彼らが大いなるバビロンになお捕われていたならば,その事は不可能であったに違いありません。今年1964年に御国の音信は,この慰められ,あがなわれたシオンのすえの残れる者の監督下に194ヵ国に宣べ伝えられています。彼らがあらゆるところに神の国を伝道して自由に活動していることは,エホバが彼らを解放した証拠です。こうして「地のもろもろのはて」は,神の民に施された神の救いを実際に見ました。神は解放を告げる使者として彼らをお用いになっています。
24,25 (イ)解放を告げる使者として用いられるため,エホバの民は何から離れることが必要でしたか。(ロ)この事は大いなるバビロンに関して何を証明しましたか。バビロンから離れることはどのように行なわれましたか。
24 崇拝の自由を愛する全地の人々に解放を告げる使者として用いられるために,1919年以来シオンのすえの残れる者は,大いなるクロス,イエス・キリストを通して神から与えられた解放の音信をまず自ら実行に移すことが必要でした。それでイザヤ書 52章11,12節の述べる神のご命令に従わなければなりません。「なんぢら去れよされよ,かしこをいでて汚れたるものに触る勿れ,その中をいでよ,エホバの器をになふ者よ,なんぢら潔くあれ なんぢら急ぎいづるにあらず はしりゆくにあらず,エホバはなんぢらの前にゆきイスラエルの神はなんぢらの軍後となり給ふべければなり」。
25 このような命令が出され,それに従った行動がとられるには,大いなるバビロンがまず倒れ,その征服者大いなるクロスが解放の布告を出さなければなりません。大いなるバビロンは倒れました! それゆえにシオンのすえの油そしがれた残れる者は1919年以来大いなるバビロンを去ることを始め,いまではその全部が集められています。彼らは汚れたものにふれることを望まず,汚れたものの中に留まることを望みません。むしろその神エホバの前に清く,汚れのない崇拝をするために,宗教的に清くなることを望んでいます。彼らはバビロン的な宗教のならわしと伝統,悪鬼の教えを携えることなく,エホバ崇拝の清い器を携えました。それは紀元前607年にエルサレムの滅びたとき,バビロニア人がエホバの宮から盗んだ聖なる器によって表わされていたものです。この世の革命のような混乱を伴うことなく,彼らは神の導きの下に神権的な秩序をもって大いなるバビロンから出ました。エホバは彼らの前にゆき,後をつける敵を防いで彼らのしんがりとなられたのです。このゆえに今日彼らは大いなるバビロンのそとにいます! 1964年のいま彼らは解放を告げる自由の使者としてここにいます!
26 解放された残れる者にいまだれが加わっていますか。神に自由に奉仕したいという願いを表わして,その人々はいま何をしていますか。
26 しかも残れる者だけではありません! 解放をもたらす神の国の福音を,残れる者が大胆に宣べ伝えた結果,「地のもろもろのはて」はシオンと,その霊的な子たちの残れる者に施された神の救いを見ました。紀元前537年,ユダヤ人の残れる者がバビロンを出たとき,7537人に上る奴隷と歌うたう者がユダヤ人の残れる者と行動を共にしました。それと同様なことが今日にも見られます。「地のもろもろのはて」の「大ぜいの群衆」が霊的イスラエルの忠実な残れる者に施された神の救いを見,崇敬の念にみたされて,解放をもたらした栄光の神の崇拝に転じました。そして霊的イスラエルの残れる者と共に大いなるバビロンを離れてその汚れから全く身を清め,エホバ神の清い,聖なる崇拝のために勇気をもって献身しました。(エズラ 2:64,65。ネヘミヤ 7:66,67。黙示 7:9-17)崇拝の自由を享受するようになったこの人々は残れる者と共に解放を告げる使者として自分をささげ,神の是認を得て遣わされました。
27 解放のわざはあとどれだけの間つづけられますか。だれのためにこのわざは行なわれますか。
27 倒れた大いなるバビロンには,恐ろしい滅びが迫っています。その中に留まる者は大いなるバビロンの罪にあずかって共に滅びるでしょう。大いなるバビロンはエホバに対して罪を犯しました。エホバのみ手によって大いなるバビロンが滅ぼされるまで,なすべき解放のわざがあります。いまなおその中に捕われ,唯一の生ける真の神を崇拝する自由を求めるすべての人のために,このわざをしなければなりません。これらの人々の目は,良いおとずれを告げる者のうるわしい足を見ることを望んでいます。残された時は短いのです。ゆえに解放を告げる自由の使者である皆さん,宣べ伝えるために働こうではありませんか!
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聖霊に満たされて大胆に神の言を語るものみの塔 1964 | 5月15日
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聖霊に満たされて大胆に神の言を語る
― 1964年度エホバの証者の年鑑から
アルゼンチン
最高伝道者数: 9,754
人口: 20,956,000
比率: 2,148人に1人
新築のベテル・ホームと支部事務所は,監督や特別開拓者の勉強の場所ともなりました。すでに135人が御国宣教学校の課程を終えましたが,学生のすべては,ベテルの家族と共に過し,特別の訓練を受けた事を喜んでいます。また,訓練を受けた監督たちは,自分自身,および伝道者一人一人の円熟さの必要を一層強く認識するようになりました。ある会衆では,4月に,伝道者80人のうち20人が休暇開拓奉仕をしました。このように会衆の4分の1もの人が一度に開拓者になったのは,会衆の僕の率先によります。アルゼンチンにおいても,家庭聖書研究をする人の多くが,御国伝道者の招きにこたえて,伝道し,教える仕事に参加するようになりました。それゆえ,伝道者の数は,前年度に比べ10パーセント増加しました。昨奉仕年度中に,エホバの証者がこの地で証言に費した時間は1,748,683時間に上り,最大の証言が行なわれた事になります。平均して,毎週9,213の聖書研究が司会されました。支部の僕から送られた経験のうちいくつかを次に紹介します。
「さあ,前に主の言葉を伝えたすべての町々にいる兄弟たちを,また訪問して,みんながどうしているかを見てこようではないか」というパウロの言葉どうりに語った3人の開拓者の姉妹には,大きな報いがありました。その経験は次の通りです。
3人の任命地から4時間ほど離れた村に,数人の予約者がいましたが,それまでは手紙によって多少の連絡がとられていただけでした。3人の姉妹はこの人々をもっと助ける事を考え,村まで遠出をしました。3人がとくに心にとめていた予約者の一人は,開拓者が訪ねて来た事を非常に喜び,数日の間一緒に伝道し,12時間働き,予約を1つ得,28冊の雑誌を配布しました。
しかし,「羊」に愛をもたない偽りの羊飼は,旧来の否定的な態度でこれにこたえようとしました。すなわち「羊」をおどそうとしました。しかし,なんの効果もありません。拡声器をつけた自動車が村を回り,証者の話を聞かないようにと宣伝されたにもかかわらず,20以上の家庭聖書研究が始まり,その日曜日,村で初めて開かれた「ものみの塔」研究会には,17人もの人々が出席しました。しかも,出席者のすべてが討議に参加しました。
4年ほど前,V ― 町のバスの停留所にいた一人の婦人は,いかにも不安気に,世界の終りが来る
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