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活動する聖霊ものみの塔 1977 | 2月1日
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『霊が上からそそぐ』
17,18 (イ)エホバの民は第一次世界大戦中に荒廃的な経験をしましたが,そのあとも神は霊に関して彼らを見捨てなかったことをどのように示されましたか。(ロ)エホバはそのことを,イザヤ書 32章12-16節で前もってどのように示しておられましたか。
17 聖霊の源であるエホバは,この危機的な「終わりの時」にご自分の崇拝者たちを見捨ててはおかれません。わたしたちは,世界大戦ぼっ発の年である1914年以来その「終わりの時」にいます。忠実なエホバは,献身してバプテスマを受けたご自分の民のために聖霊を活動させてこられました。そうすることを予告しておられたのです。確かに,1914年から18年の第一次世界大戦はその特徴として世界的苦難をもたらし,また記されたみ言葉なる聖書の良心的な研究者また布告者たちの上に荒廃的な迫害を臨ませました。そうした懲戒的な試練を臨ませたことにおける神の知恵と正しさは瞬時も疑うことはできません。それは,エルサレムを首都とする古代のユダ王国に臨んだことに予影されていました。イザヤの預言の第32章の中で,エホバは,とがめあるご自分の民に臨む悲しむべき荒廃と,そのあと彼らが悔い改めて神に立ち返るならどうなるかについて述べ,次のように言われました。
18 『彼ら良き田のため実りゆたかなるぶどうの樹のために胸をうたん[なぜですか]おどろといばらわが民の地にはえ 楽しみの邑[エルサレム]なるよろこびの家々にもはえん そは殿はすてられ にぎはひたる邑[エルサレム]はあれすたれ[高い丘]オペルとやぐらとはとこしえに[定めなく,新]洞穴となり 野のろばのたのしむところ羊のむれの草はむところとなるべし されど遂には霊うえより我らにそそぎて 荒野はよき田となり 良き田は林のごとく見ゆるとききたらん そのとき公平はあれのにすみ 正義はよき田におらん』― イザヤ 32:12-16。
19 そこでイザヤが言及している国民的な災厄はどんなものでしたか。
19 今日のわたしたちは,預言者イザヤがこうして一世紀以上前もって述べた国民的な災厄が実際に起こったことを認めることができますか。確かにできます。それはユダ王国の地の70年にわたる荒廃でした。追放されたイスラエル人は,その期間中,異教の国バビロンに捕虜として抑留されていました。彼らは,バビロニア人が西暦前607年に聖都エルサレムとその神殿に衝撃的な破滅をもたらした時に生き残った者たちでした。その経験は,それら生存者たちにとって,失意せざるを得ないようなものであったに違いありません。彼らが偶像崇拝の国の中で気のめいる生活をしていたとき,エホバの崇拝の神殿は荒れ果て,エルサレムはにぎわいの失せた死の町となり,かつて実りゆたかであった土地はいばらの生い茂るところ,野ろばが人に妨害されずに遊び楽しむところとなっていました。
20 (イ)古代バビロンは,エホバの民を入れた牢の番人としての自分の力をどのように誤まって判断していましたか。(ロ)悔い改めたイスラエル人は,何の力によって帰還しましたか。そのことは彼らの故国にどんな影響を及ぼしましたか。
20 偶像を崇拝するバビロンは,エホバ神を無視して,イスラエル人の流刑者を,獄につなぐかのように抑留しました。古代世界という活動舞台において第三番目の世界強国であったために,バビロンは,エホバの荒廃した土地が,再び競争相手の神エホバの崇拝者たちの住むところとならないようにしておくだけの力がある,と考えていました。エホバが,ずっと昔に指名しておられたペルシャ人征服者クロスを起こしうることを,バビロンは信じていませんでした。定めの時にこの征服者は登場しました。予告されていた通り,クロスは非情な牢番の力を砕き,囚人のイスラエル人を解放しました。エホバの民の地的資産を荒廃させた者は,こうして西暦前539年,世界強国という高い地位から転落しました。そして西暦前537年,流刑者イスラエル人にエホバの霊が上からそそがれました。至高の神のその活動力の力とその導きのもとに,悔い改めた残りの者はバビロンを去り,エルサレムとその聖なる神殿を再建すべく,荒廃した故国に帰還しました。再び人が住むようになった彼らの国土の荒廃した様子は,彼らがそれを極めて実り豊かな地に変えてゆくにつれて徐々に消えていきました。その美しさは,パラダイス,すなわちエデンの園の美しさに近いものがありました。
21 当時のその出来事は,イザヤの預言,すなわち第32章の成就について何を示すものですか。
21 しかし,2,500年以上昔に起きたその出来事によって,イザヤのその預言の第32章は完全に成就したのでしょうか。そうではありません。過去におけるその成就は縮図的成就でありこの20世紀における全面的成就を例示するものであったにすぎません。その大規模かつ最終的な成就は,今日その同じ神エホバの是認された民となっている人々の上に今臨んでいます。
22 第一次世界大戦中,エホバのクリスチャン証人たちに戦いをしかけるのにどんな武器が使われましたか。なぜ諸国家は彼らに対して憤りましたか。
22 1931年以来,それら復帰したクリスチャンは,エホバの証人という名で知られてきました。しかし,それより何年か前,第一次世界大戦中に,世界的な規模の災厄が彼らに臨んだことがありました。人を殺す武器で戦われるその残虐な戦争が始まると同時に,悪魔サタンなる「龍」から力と王座と大いなる権威を受けた象徴的「野獣」は彼らに戦いをしかけました。しかしこの戦いは致命的な武器を持たずに行なわれました。なぜなら,攻撃されたクリスチャンの聖書研究者たちは他に害を加えない,そして武器を持たない人々だったからです。その代わりに政治的,司法的武器が使われ,温良で罪のないクリスチャンたちを投獄することさえなされました。(啓示 13:3-7)象徴的な「野獣」を構成する好戦的な諸国家は,これらエホバのクリスチャン証人たちが,キリストによるエホバの王国を今や地に対する唯一の正当な支配機関としてふれ告げたことに対しで憤りました。そうふれ告げたのは,「異邦人の時」がすでに1914年の初秋に終わっていたからでした。―ルカ 21:24,欽定。啓示 11:15-18。
23 好戦的な諸国民はだれにそそのかされましたか。王国宣布者の残りの者は,どんな強大な三つ組に圧倒されましたか。
23 それら憤った諸国民は,大いなるバビロンに属する宗教指導者たちにそそのかされていました。大いなるバビロンとは,古代バビロンにその起源を有する偽りの宗教の世界帝国です。その宗教帝国の中にあって,キリスト教世界は,諸国民を扇動し,霊的イスラエルの残りの者を迫害する面で先頭に立ちました。その残りの者は,他を害することのない,武器を持たない少数者だったので,「野獣」,「偽預言者」,「龍」の三部から成る同盟のために打ち負かされました。この三つ組はその力を結束させ,王国宣布者たちの残りの者を大いなるバビロンの束縛下に置きました。その後どうなったか,イザヤの預言の第32章がどんな経過をたどって最終的成就に向かったかは,後続のページに述べられています。
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高いところから注ぎ出された霊の活動ものみの塔 1977 | 2月1日
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高いところから注ぎ出された霊の活動
1 1918年に第一次世界大戦が終結する前,霊的イスラエルの残りの者の霊的地所ともいうべきものはどんな状態になっていましたか。
第一次世界大戦は1918年11月11日に終結しましたが,それ以前に,迫害された残りの者の霊的な地所とも言うべきものは荒廃していました。それは霊的にいわば荒野のようになり,油そそがれた残りの者による大胆な神の王国の良いたよりの伝道によって『王国の実』が公に結ばれることがなくなりました。(マタイ 21:43; 24:14)国際的に憎まれ,抑圧されていた王国の大使の残りの者たちは,不安と失意の中にありました。
2 残りの者の荒廃した状態がいつまでも続くかどうかを示したものは何でしたか。その状態を変化させるには何が必要でしたか。
2 エホバ神は,ご自分の献身した民のこうした状態が限りなく続くことをよしとされましたか。そうではありません。キリスト前の場合には神は,エルサレムとユダの地が荒廃する期間を限定し,多くも70年とされました。バビロニア帝国がその犠牲者であるエルサレムとユダに対していつまでも力を誇るのではありませんでした。同様に神は,大いなるバビロンの犠牲者,すなわち霊的イスラエルの残りの者をいつまでも荒廃状態にとどめておくことを意図されませんでした。それで,事態を一変させて彼らの神エホバの栄光を表わすために何が必要だったでしょうか。彼らに対する聖霊の特別な働きです。
3 イザヤ 32章15,16節によると,エホバの民のその荒廃状態は,何が起こる時まで続くことになっていましたか。
3 イザヤ 32章15節の中でエホバは,その民の嘆かわしい荒廃の状態が続くのは『霊が上から我らにそそぐ』までであることを保証していました。では,その後に何があるのでしょうか。その預言がさらに述べているようになります。『荒れ野はよき田となり 良き田は林のごとく見ゆるとききたらん そのとき公平はあれのにすみ 正義はよき田におらん』― イザヤ 32:15,16。
4,5 (イ)したがって霊的イスラエルの上にどんなことが起こることになっていましたか。(ロ)このことは,エゼキエルに与えられた,死んだ骨の満ちた谷を示す幻の中で,残りの者にどのように保証されましたか。
4 そうです,霊的イスラエルの残りの者たちのためには,大いなるバビロンからの解放に伴って霊が注がれることになっていました。この事は,エホバがその預言者エゼキエルに与えた幻によっても確認されました。それはこの預言者がまだ古代バビロンに流刑となっている時のことでした。彼はその幻の中で,とある谷の低地が無数のイスラエル人の死体のばらばらになった骨で満ちているのを見ました。
5 それら死んだイスラエル人にとって事態は全く望みのないもののように見えました。その荒廃した郷土から幾百キロも離れた古代バビロンの地に流刑となった生きたイスラエル人にとっても,事態はそれと同じように望みのないものに思われました。が,全能の神の観点からするなら決して望みのないものではありません。エホバは死者をさえ復活させることのできる神です。幾世紀か前,神は預言者エリヤとエリシャを用いて,本当に死んでいた者を聖霊によって復活させました。それで,エゼキエルへの幻の中で神はそれら死んだイスラエル人のすべてを再創造し,再び生きたものとしました。この幻の意味の説明として,神はこう言われました。『わが民よ 我汝らの墓を開きて 汝らを[バビロンなる]その墓より出できたらしむる時 汝らは我のエホバなるを知らん 我わが霊を汝らのうちにおきて汝らを生かしめ汝らをその地に安んぜしめん 汝らすなはち我エホバがこれを言ひこれをなしたることを知るにいたるべし』― エゼキエル 37:13,14。
6 霊的復活はどのように生じましたか。それを見守っていた諸国民は,自分の見たことに驚いて何と言いましたか。
6 この預言にたがわず,バビロンはユダヤ民族の墓ではなくなりました。霊的な復活が生じました。西暦前537年,流刑になっていた一団のイスラエル人とその従者たちは,奇跡でも起こったかのように,バビロンからさっさと出て行って,彼らの郷土であるユダの地に落ち着きました。そしてエルサレムとその神殿を再建することと,また長く荒廃していた彼らの郷土をパラダイスのようにすることに取りかかりました。西暦前607年に征服者のバビロニア人が荒廃させてしまっていた『良き田のため実りゆたかなぶどうの樹のため』に胸を打つ理由はもはやなくなりました。それは,聖霊が活動していることの明白なしるしではありませんか。それを見守る異教の諸国民は驚きに打たれました。詩篇 126篇2節は,『エホバかれらのために大いなることをなしたまへり』という彼らの言葉を伝えています。
7 この20世紀においては,詩篇 126篇2節の言葉はだれに関して言われたものですか。なぜですか。
7 これとまさに同じことがこの20世紀にも語られています。だれに関してですか。第一次大戦後パレスチナに定住し,1948年,イスラエル共和国設立のために「軍隊」をもって戦った生来のユダヤ人に関してではありません。詩篇 126篇2節の預言は,国際的に敵意と迫害を受けた聖書研究者たち,大戦後の1919年に大いなるバビロンの束縛から解放された人々に関して言われたものです。それら霊的イスラエル人であった復帰したクリスチャンたちの上に,上から霊が注がれました。そのことは聖書研究者たちに,西暦33年のペンテコステを思い起こさせました。もっともそれは,弟子たちの頭の上にとまって彼らが別の,学んだこともない異国語を奇跡的に語れるようにした,目に見える「火のような舌」は伴っていませんでした。―使徒 2:1-4。ヨエル 2:28,29。イザヤ 32:15。
8 戦後のどんな業のために霊的イスラエルの残りの者は保存されましたか。なぜ彼らは「エホバの証人」という名前を正しく取り上げることができましたか。
8 結果として,これら霊的に活気づいたクリスチャンたちはエホバへの奉仕においてかつてなく活発な者となりました。樹立された神の王国を全世界に証しし,証しし,証しすること,これが彼らの高鳴る叫びとなりました。それが今,彼らの生きる主要な目的ともなったのです。聖書によると,神がこれらの人々を第一次世界大戦後にまで生き長らえさせ,大いなるバビロンから解放したのは,このことが目的でした。(マタイ 24:9-14)そこで彼らは散らばっていた成員を再び集め,王国に関する世界的証言を終わりに至るまで遂行するために再組織しました。次いで1931年が来ました。それまでには彼らは,幾億枚の無料の冊子,幾千万冊の書籍,世界的な聖書講演運動,また幾百の放送局の連携によって,エホバの名とそのメシア王国に関して全世界的な証しを行なっていました。彼らはこのすべてを「憶病の霊」を持たずに行ないました。(テモテ第二 1:7)そこで今やこれら,エホバとキリストによるその王国の闘士たちは,イザヤ書 43章10節の言葉をその耳に響かせつつ,聖書に基づく,「エホバの証人」という名称を採用しました。
9,10 (イ)だれがその名をこの地から除くことに失敗しましたか。(ロ)霊的イスラエルの残りの者のほかにだれがその名を生き続けさせる決意をしましたか。そのために彼らは何をしましたか。
9 今日に至るまで,大いなるバビロンに属するすべての宗教勢力,またその政治,司法,軍事面の支援者たちも,神の王国の宣布者の上にあるこの名を地から消し去ることを試みましたができませんでした。それは生き続けているのです。またその名を帯びる者たちも生き続けています。
10 全地にわたって「大群衆」をなす神を恐れる民も,自らは霊的イスラエルを構成する者ではないながら,この名を生き続けさせ,意義あるものとして保つことを決意しています。彼らは,エホバという名を持つ神がそのみ名のための民,すなわち霊的イスラエルの残りの者に対して行なった事柄に注目しました。どの人々の上に神の霊が注がれているかを看破しました。それで今日,「大群衆」を成す人々が,『もろもろの国民のなか』にあって,『エホバかれらのために大いなることをなしたまへり』と語る者たちとなっています。(詩 126:2)霊的イスラエルのごく少数の残りの者のためにそれほどの事を行なわれた神,「大群衆」はそのような神を崇拝し,それに仕えたいと願っています。国際的な敵意や迫害を恐れることなく,彼らもこの同じ神にキリストを通して献身し,エホバのクリスチャン証人の油そそがれた残りの者の側に立っています。彼らも,エホバの証し人としての責任を,恥じらうことなく引き受けました。―啓示 7:9-17。ゼカリヤ 8:23。
「悪霊の霊感による表現」に対する防備
11 龍と野獣と偽預言者は,どんなことを言っていますか。にもかかわらず残りの者と「大群衆」は,どんなことを人々の耳に伝えていますか。
11 今日,油そそがれた残りの者と,その仲間の証し人で成る「大群衆」とは,一丸となって,悪魔である「龍」と,核装備を持つ「野獣」と,政治上の「偽預言者」とに立ち向かっています。啓示 12章17節は,「龍」である悪魔サタンが油そそがれた残りの者と戦うために出て行ったことを明らかにしています。これを行なうにあたって,龍は,政治上の「野獣」と,英米勢力である「偽預言者」を,地上の力として用います。それで彼らの口からは,悪霊の霊感を受けたかえるのような表現が,国家崇拝,国家主権,物質主義,国際連合による世界平和と安全を吹聴するものとして出て行きます。にもかかわらず,エホバの証人は神のメシア王国に関する良いたよりを全世界に響かせてきました。この王国の音信は雑音による障壁を突き破って,世界の200以上の土地や島々に達しています。明らかに,鳴きたてる「龍」と「野獣」と「偽預言者」は,王国の音信を聞こえないようにしたいと考えています。宗教上の大いなるバビロン,特にキリスト教世界はそれを願い求めています。キリスト教世界は自分だけが神の代弁者であると主張しているからです。
12 したがって今日の状況は,アハブ王と彼の偽預言者たちおよびエホバの預言者ミカヤがどんな状態にあったのに似ていますか。
12 こうした状況は,エホバの預言者ミカヤと,イスラエルの王アハブに属した偽預言者たちとの関係に似ています。それは西暦前920年ごろの事でした。偽預言者たちはアハブ王のために軍事上の勝利を予言しました。が,ミカヤは災厄を予言しました。エホバの許しの下にアハブは自分の偽預言者たちの口から出る虚偽の霊感の言葉に欺かれて自らの破滅に陥る,という点をミカヤは指摘しました。ゼデキヤという名の偽預言者はこれに反論しました。列王紀上 22章24節にこう記されています。『ゼデキヤ近よりてミカヤのほほをうちて言ひけるは エホバの霊いづくより我を離れゆきてなんぢにものいふや』。それでも,エホバは確かにミカヤを通して語っておられました。アハブ王は生きた姿では戦いから戻らなかったからです。―列王上 22:20-38。
13 油そそがれた霊的イスラエルの残りの者は,自分たちが預言者ミカヤのようであることを,どのように示しましたか。
13 この出来事には現代にその類例が見られます。特に1919年以来そうだと言えます。これは,第一次世界大戦に勝利を収めた軍事同盟諸国が,世界平和と安全を守るための国際連盟創設の提案をいれた年です。霊的イスラエルの油そそがれた残りの者たちは預言者ミカヤのようです。彼らの上には上から聖霊が注がれていました。その事の結果として,彼らは,予告されていたとおり預言をし,またエホバの霊感による聖書の預言の意味をふれ告げてきました。(ヨエル 2:28,29)彼らは,国際連盟が失敗することを,恐れることなく聖書預言から予告しました。また,キリスト教世界の王たちもしくは政治支配者たち,すなわち背教したイスラエルのアハブ王に対応する人々に警告の音信を,恐れることなく宣明してきました。
14 キリスト教世界の支配者たちに関するどんな音信は牧師級を憤らせましたか。彼らは王妃イゼベルに似たどんな行動を取りましたか。
14 ハルマゲドンにおける「全能者なる神の大いなる日の戦争」が訪れる時,それらクリスチャンの支配者を自任する人々は敗北を喫し,エホバの裁きの執行に直面して滅びを被ります。キリスト教世界の牧師階級は,ゼデキヤと一団の偽預言者のように,キリスト教世界の支配者たちの政府や軍隊に祝福を与えてはきましたが,それでもこの事は起こります。それら牧師たちは,自分たちだけに神を代弁する権利があり,神の霊を有していると唱えます。そのゆえに彼らは,自分たちが神の祝福を祈り求めてきた政治支配者とその軍隊に関して油そそがれた残りの者たちが災いの音信をふれ告げることを快く思いません。彼らは,油そそがれた残りの者たちの行なう伝道の業を,神の権威を受けておらず,エホバの霊によってなされていないもののごとくにして抑圧しようとしてきました。アハブの妻であった女王イゼベルはエリヤとエホバの他の預言者百人を迫害しましたが,彼らも油そそがれた残りの者に対する暴力的な迫害を扇動してきました。―列王上 18:13。
15 キリスト教世界の牧師級は,彼らが神の霊を持たないことを,いつ明白にしますか。また彼らがキリスト教世界の支配者たちによる勝利を見ないのはなぜですか。
15 こうしてキリスト教世界の牧師たちは事実上,油そそがれた残りの者たちのほほを打ち,『エホバの霊いづくより我を離れゆきてなんぢにものいふや』と語りました。(列王上 22:24)やがてこれら牧師たちは,自分たちが一体エホバの霊を有したことがあるのかどうかを知らされるでしょう。キリスト教世界の支配者や軍隊が勝利を収めるのを彼らが見ることは決してないでしょう。事実,彼らの政治・軍事上の友たちがハルマゲドンにおける「全能者なる神の大いなる日の戦争」で滅びるのを彼らが見ることはありません。なぜ? なぜなら,そのハルマゲドンの戦争が始まる以前に,今のところは友好的態度を取っている政治要素,国際連合機構において今日活動的な役割を果たしている勢力が,キリスト教世界の牧師および大いなるバビロン内の他の宗教指導者たちを憎むようになり,これを滅ぼし絶やすからです。―啓示 16:14,16; 17:3-18。
16 しかし,ミカヤに似た残りの者は何を見ますか。
16 しかし,油そそがれた者たち,すなわちエホバが上から霊をそそがれた者たちはどうでしょうか。キリスト教世界の牧師級は彼らのほほを打ちましたが,彼らはそれに生き残りました。神の霊
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