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  • 私たちすべてはなぜ決議に参加すべきか
    ものみの塔 1964 | 3月15日
    • が,政治,宗教,物質主義に心を奪われた人々に予告されるとき,人々は100斤ほどの大きな雹に打たれたような打撃を受けます。しかしかつてない世界的大艱難という地震のおきる前に,エホバの証者は天使の導きを受けつつ,この事を予告しなければなりません。それから苦痛を受ける人々がエホバ神をのろっても,驚くにはあたりません。それは人々が悪魔の精神を吸い込んでいることを示します。―黙示 16:17-21。

      14 (イ)炎に似たこれらの状態について,どこから知ることができますか。従ってそれを知ることができるのは,どなたのおかげですか。(ロ)私たちは悪鬼に導かれて全能の神と衝突することを望まないゆえに,いまどんな賢明な道をとりますか。

      14 この世が災に感ずるこれらの出来事は,使徒ヨハネに与えられた黙示録の15章,16章に啓示されています。この事に対する誉は私たちのものではありません。私たちはイエス・キリストを通して神にその誉を帰し,また黙示録のこれらの章に明白に描かれている通り,神の天使がこの事にはたす役割を認めます。私たちは神の天使によって与えられる導きに従ってゆきたいと,心から願っています。それで「天上にある悪の霊」の導く流れの中に巻き込まれ,ハルマゲドンにおいて全能の神に敵対することを望みません。全地の大会に集まった私たちは,この理由でいま次の決議にいっせいに参加すべきです。

  • 決議
    ものみの塔 1964 | 3月15日
    • 決議

      1,2 第2節に述べられている通り,私たちがまず宣言し,決意している4つの事柄を述べなさい。

      今年1963年,全地において順次に開かれつつある「永遠の福音」大会の一環として,日本,京都市に開催された大会に集まった私たちエホバの証者は,今日次の事柄を宣言し,決議します。

      2 私たちは,唯一の生ける真の神,天地の創造主にしてエホバという名をお持ちになる唯一の神だけを恐れ,また崇めます。またエホバのみを崇拝し,現在,進行中の宇宙的な論争すなわち全知全能なる永遠の神はどの神ですか,という論争においてエホバのためにのみ証者となります。更に人種,国籍,民族,皮膚の色,言語を問わず,あらゆる場所のすべての人に対し,エホバのみを唯一無二の真の神として崇拝することを強くすすめます。

      3 聖書に関して私たちは何を宣言しますか。

      3 霊感の下に,はじめヘブル語,アラミヤ語および古代ギリシャ語で書かれた聖書は,文字に書きあらわされた神のことばです。聖書は,絶対の真理であるひとつの啓示宗教を伝えています。聖書は神に受け入れられる清い崇拝の確実な導きです。

      4 創造主エホバ神,その王と御国について,私たちはどんな気持ちを抱いていますか。

      4 文字に書きあらわされた神ご自身のことばに何千回も示されている通り,創造主なる神はエホバという名をお持ちになり,永遠の王,宇宙の永遠の主権者です。私たちは最高の忠誠と絶対の従順をエホバにささげねばなりません。エホバ神の許しと寛容があったからこそ,人間は公共の益を図るための政治支配体制を建ててきたのです。しかし神が許しを与えた期間は永遠でもなく不定でもなくて,神のいとし子なるメシヤ,すなわち油そそがれた者,キリストの御国の設立と共に終了するはずのものでした。イエスの名は,神の子が完全な人間となって地上に来られた時の名前です。1914年以来,世界に起きたいろいろな出来事を総合して見ると,それはイエスの言われた見えるしるし,すなわちエホバ神がその年に主権者として治め始め,地を治める政府として御子イエス・キリストの国を設立されたしるしとなっています。聖書に基づいて公にされた音信によれば,それは地のすべての国家が天にある神の国に主権を引き渡すべき時でした。神の御子イエス・キリストは神の国の王として即位したからです。ところが世界史の示すように,キリスト教国を先頭に20以上の国々は世界支配を目ざす世界大戦に加わりました。この行いのゆえに諸国家は聖書に預言された「終りの時」を迎えたのです。「終りの時」の最終段階において諸国家は滅ぼされます。

      5 (イ)戦争防止について,この世の諸国家はどんな考え方をしてきましたか。また全人類に関して諸国家はいま何を目ざしていますか。(ロ)エホバの証者である私たちは,今後も何をしますか。

      5 自らの作り出した兵器によって自滅するのを防ぐために国家の連合を設立した諸国家は,メシヤによる神の国に主権をゆだねることを更に拒絶しました。この国家の連合は1945年以来,国際連合の名称と形態で存在し,ニューヨーク市に本部をおいています。この国際的な組織は,人間の支配による世界主権を表わすものです。神の国に信仰を持たない人々は,すでに何年にもわたり,人間の政治支配権を象徴するこの国際的な組織を偶像化し,国際連合こそ地上に平和と安全を保障する最善の希望であり,人類最後の希望であると叫んで,すべての人にこれを崇拝させようと努めてきました。現在までに111ヵ国が国際連合に加盟し,この政治的偶像に崇拝をささげました。しかし最高主権者エホバ神の証者である私たちは,このような偶像崇拝にかかわり合うことを今後とも拒絶します。神は象徴的な意味の悪性のはれ物でこのような偶像崇拝者を打ち,天使から啓発される私たちはその事を知っているからです。天地の創造主をおいて政治家の作ったものを拝んでいる偶像崇拝者は霊的に病んでおり,その人々にとってこの悪性のはれ物は命とりになります。

      6 人間の手による革命運動に関して,私たちは何を決意していますか。

      6 革新的な政府が強力な諸国家を支配するようになった現在,長く地を治めてきた保守的な支配体制は,海の波に洗われるように革新勢力から戦いを挑まれています。このように革新的な革命政府も,人類のために理想的な世界を実現することはできません。これらの政治体制が不満足なものであり,理想を実現するのに無能力であることはすでに示されました。創造主なる神はこれらの革新的政治組織を裁いて,それが死んだものであり,死をもたらすもの,死人から流れ出て固まった血のように生命のないものであることを宣告しました。その中で生きようとする者は,すべて死にます。あらゆる生命の源である神の証者として,私たちはクリスチャンの立場を固く守り,これら革新勢力の運動に参加しません。また革新,保守を問わず地を治めるあらゆる人間の政府に対してクリスチャンの中立を固く守ります。

      7 この世の「水」を飲んだ人々は,そのために何をしますか。私たちの決意は何ですか。

      7 人間の哲学,政治理論,社会改造論,経済政策立案者,伝統的な宗教の支持者などの泉また河から人々が飲んだ水は,一向に生気を与えません。このような水を飲んだ人々は,血の神聖さに関する創造主の律法を破り,宗教的な迫害に加わってエホバ神の預言者や聖徒の血を流すことさえするようになりました。そこで神はこれらの人々を裁いて,個人的にも集団的にも,彼らが流血に対する罰を十分に受けるべきことを定めました。しかし,私たちは聖書により,生ける水の源であるエホバ神からのみ水を得て,神から罪に定められることを避けます。

      8 私たちはどなたを仰いで,誉をささげますか。

      8 私たちは,啓発する光,導きといやしの源である偉大な太陽として,これからもエホバ神にたより,またエホバ神をあがめます。それで精神的,霊的な向上,物質的な繁栄の源として人類の中の光り輝く者たちに頼る偶像崇拝者には加わりません。このようにして私たちは,失望して神をのろう者の仲間にならなくてもすみます。明るい将来と光を求めて人々が偶像化した象徴的な「太陽」は,人類の窮状をいやすかわりに,世界の状態を悪化させ,耐えがたい炎暑で人々を苦しめました。

      9 政治的諸国家は支配権の代償として何を支払いましたか。また神の証者に対してどんな態度をとりますか。

      9 私たちは,サタン悪魔が「悪鬼のかしら」であり,「この世の支配者」であることを決定的に述べた聖書のことばを受け入れます。私たちの指導者イエス・キリストはサタン悪魔から支配権を受けることを拒絶しました。しかしバビロンの王ニムロデの時以来,この世の政治組織は「この世の支配者」であるサタンから政治的支配権を受け,何時も変らないその代価としてサタンに崇拝と奉仕をささげてきました。決定的な年となった1914年以来,人間の手による政治組織はこの支配権を手離すことを拒絶し,また「この世の支配者」に奉仕するのをやめることを拒絶してきました。このゆえに神の恵みを失ったこの世の国々は暗黒にとざされており,増し加わる「諸国民(の)悩み」の中にあって採るべき道を人間の指導者に示す政治的な光は,どこからもさしてきません。悔い改めることをしない人々は自分の力で自分を救おうと躍起になっています。世は滅びに定められており,人間の手で世界の状態をいやすことは不可能です。神はご自身の証者をつかわしてこの事を人々に告げています。それを聞いて人々は苦しみを感じ,そのために神をのろっています。

      10 (イ)むかしのバビロンに今日,相当するもの,またその政治的な同盟者に関して,私たはち何を宣言しますか。(ロ)いま私たちはどのように振舞いますか。

      10 エホバ神に敵対したニムロデは,中東のユーフラテス河畔にバビロンの都の基をすえました。この都はユーフラテス河の水をその守りとし,自分を肥やす交易を営みました。昔のバビロンに相当するものが現代にも存在しています。それは象徴的な水である人々を圧迫してその上に座り,自らの保護と利益を図っています。そして地の政治的な王を支配する宗教的な国を動かすことさえしました。富をもたらし,保護を与える「水」を干上らせ,現代のバビロンを倒して滅ぼす神の時がきました。その政治的な同盟者は,「全能の神の大なる日の戦闘」を目ざして進んでいます。悪鬼の霊感を受けると共に,「この世の支配者」に仕える政治組織が叫ぶ宣伝ともくろみに導かれて,地の王たちとその軍隊はユーフラテス河にではなく,ヘブル語でハルマゲドンと呼ばれる戦場に向かって進んでいます。エホバの証者である私たちはこの軍隊の行進を妨げません。しかし地の王たちおよびその軍隊と共にハルマゲドンに行進することはしません。私たちは全能の神と,メシヤなるイエスによる神の国に敵対して戦うことを拒絶するからです。

      11 (イ)世にいるにしても,私たちは何をすることを拒絶しますか。(ロ)現代のビバロンは何をしませんでしたか。従ってどんな結果が期待されますか。

      11 現在,私たちはこの世にいることを余儀なくされていますが,私たちはこの世の精神を吸い込みません。それは神の御霊ではなく,「この世の支配者」である悪魔の精神だからです。人類の世界は,目に見えないその支配者の精神に導かれて,何千年のあいだ堕落した肉欲のわざにふけってきました。いまや世界は,サタン悪魔の精神を吸い込んで,神にさからう肉欲のわざにふけってきた報いを刈り取っています。現代の宗教的バビロンは,神の御霊をつちかうことを人々に教えませんでした。人は神の御霊の実を刈りとるとき,神の造る新しい秩序に永遠の生命を獲得するのです。ゆえに世界は,かつてないほど大きな艱難に直面しています。この大艱難にふるい動かされるとき,世のすべての政治組織と現代の宗教的バビロンはこなごなに砕け,たとえ山のような堅固な組織も,島のように遠く離れている組織も,人間の組織はみな滅びうせてしまうでしょう。

      12 (イ)この裁きの日に私たちはどこにいることを決意しますか。(ロ)最後に私たちは「永遠の福音」に関して何を決意しますか。

      12 したがって私たちは,人間の歴史で最も重大な時期に直面しようとしています。神の正義の裁きはまさに執行されようとしており,私たちにとっていまは決定を下すべき時です。滅びに定められたこの世の諸国家は,超人間的な悪鬼に導かれて行進しています。しかしそれを見る私たちの決意は,すでに設立された,メシヤによるエホバ神の御国の側に立ち,その立場を固く守ることです。同時に私たちの祈りは,神がますます豊かに御霊を与えて下さることです。神の御霊をつちかうことに努め,汚れのない清い崇拝を神にささげてゆくとき,私たちは神の武具で何時も身を固め,血肉に対してではなく,「天上にある悪の霊」に対して戦いつづけます。この戦いは,「この世の支配者」であるサタンとその悪鬼が,キリストの治める千年のあいだ底のない穴につながれるまで,つづけられるのです。イエス・キリストの下にある神の天使は,私たちのために働いています。私たちはこの事をエホバ神に感謝します。天使たちの助けと神の聖霊およびみことばの助けによって,私たちは差別なくすべての人に対して,メシヤによる神の国と神の裁きに関する「永遠の福音」を宣べ伝えつづけます。神に敵対する者にとり災となっても,神の裁きはかならず執行され,霊と真をもって創造主なる神に正しい崇拝をささげたいと願うすべての人々を解放します。(この決議は24のの大会において,合計45万4977人の出席者により可決されました)。

  • 偽りの宗教に対する神の裁きの執行
    ものみの塔 1964 | 3月15日
    • 偽りの宗教に対する神の裁きの執行

      「さあ,きなさい。多くの水の上にすわっている大淫婦に対するさばきを,見せよう」― 黙示 17:1,新口。

      1 各人にはどんな権利がありますか。この点において他の人にはどんな義務がありますか。

      自分の選ぶ宗教を実践する権利はだれにでもあります。極端に不道徳とかわいせつ,あるいは社会の良識に反する宗教を持つというのでなければ,この事は今なお真実です。自分の宗教を選んで実践する各人の権利を,すべての人が尊重しなければなりません。すなわち宗教に関しては寛容を示すことが必要です。

      2 (イ)宗教上の寛容は何を意味しませんか。(ロ)ヒンズー教の一著者は,多くの神々の名前についてどんな見解を述べていますか。どんな疑問が生じますか。

      2 すべての人が持つ宗教上の権利を認め,各人の宗教上の行為に干渉しないといっても,それは私たちが他の人の宗教を是認するとか,あるいは他のすべての宗教をよいものと認めるという意味ではありません。宗教的に寛容であっても,私たちはすべての宗教が正しく,有益であるとは考えません。すべての宗教が永遠の幸福な将来に通ずる道とはならず,どんな崇拝をしてもその神を永遠に楽しめるわけではないのです。またいろいろな名の神があるにしても結局は同じひとつの神を崇拝しているのであって,神に近づく道あるいは宗教的な儀式が違うだけなのだ,とよく言われますが,私たちはその考えにも同意できません。最近ヒンズー教に関する本の中に次のことが出ていました,「人の名前が人格とは無関係なように,神の名前は宗教に必須なものではない。……エホバ,バグワン,イシワール,アラー,ハリ,シバ,ラマその他何と呼んでも,人はおのおの育てられた環境に従って,宇宙の神秘および崇拝の観念をそれぞれ神に結びつけているだけで,名前は違っても神の本体は同じである」。a しかしこれは正しいですか。異なる神々

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