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  • 多くの責任があっても平衡を保つ
    ものみの塔 1966 | 8月15日
    • のことばは,神により頼むことをすすめています。「何事も思い煩ってはならない。ただ,事ごとに,感謝をもって祈と願いとをささげ,あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。そうすれば,人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が,あなたがたの心と思いとを,キリスト・イエスにあって守るであろう」。

      平衡のとれた奉仕者は家庭を楽しむ

      12 (イ)会衆の監督の中にはどんな責務のある人がいますか。(ロ)何を第一にすべきですか。そのことは家族にどんな影響を与えますか。

      12 今日エホバの組織には2万4158人に上る会衆の監督がいます。そのうち大多数の人には二つの責任があります。これらの兄弟は何を第一にすべきかをたびたび思いおこさなければなりません。それは家族ですか。それとも会衆ですか。この点で平衡を失うのはよくあることです。それで神のことばから教えを受けるほうが賢明です。テモテへの第一の手紙 第3章は監督の資格を述べており,4節に監督は「自分の家をよく治め,謹厳であって,子供たちを従順な者に育てている人でなければならない」ことを定めています。テモテへの第一の手紙 5章8節はさらに具体的に,「もしある人が,その親族を,ことに自分の家族をかえりみない場合には,その信仰を捨てたことになるのであって,不信者以上にわるい」と明言しています。それで監督は家族に対する責務を主要なものと考えるでしょう。勉強することを家族に教え,家族そろって学ぶ聖書研究を司会し,家族を宣教に訓練し,衣食住を備え,健康に気をくばり,学校の勉強を助け,有益な休暇と娯楽を計画するなど,多くのことをしなければなりません。家のかしらが示す良い手本を毎日見ている家族は恵まれています。家族を愛し,真理を愛し,エホバを愛する心が,平衡のとれた家族を幸福にします。責務をじゅうぶんにはたす,平衡のとれた夫の下で,家族は満足を味わうでしょう。それはどんな時にも平衡を失うことのない,慎重な人の運転する車に乗っているようなものです。車に乗っている人は安心してくつろぎ,ドライブを楽しむことができます。

      13,14 賢明な監督は家庭生活と会衆の活動の両方において,どんな方法を用いますか。

      13 しかし一家のかしらがすべてをすることはできません。そこで家の者を訓練して責任を分担することが必要です。初めは父親ほど上手にできなくても,訓練の結果やがては,手伝う者のほうが上手に仕事をできるようにさえなるでしょう。責任を持つことを幼い時から教えられた子供は,長じてエホバの有用な奉仕者となります。

      14 このように父親に要求される事柄は会衆の監督に要求されているものと同じです。家族の人数という点で相違があるにすぎません。つまり四,五人のかわりに50人とか100人が一家族となります。監督は各人に気を配り,ガラテヤ人の手紙 6章2節のことばどおりにします。「互に重荷〔めんどうなこと,1950年版新世訳の注〕を負い合いなさい。そうすれば,あなたがたはキリストの律法を全うするであろう」。ここでもひとりで万事をすることはできませんから,他の人に責任をわけるのが賢明なことです。監督は会衆内の人々が自立できるように助けます。

      15 献身した奉仕者は会衆内の務めをはたすため,どのように訓練されますか。

      15 平衡は会衆にも及びます。そこで監督は,組織のすべての活動に会衆が参加するようにとりはからいます。監督は,「それを正しくやりたければ自分でしなさい」というような態度をとりません。監督はこのような態度を決してとらないでしょう。監督は熟練しており,能率の点でいちばんすぐれているとしても,ひとりで何もかもできるわけではありません。ですから別の兄弟にまかせて,たとえ時間と忍耐が必要でも,その兄弟が代わってできるようになるのを待つのは賢明なことです。赤ん坊も訓練され,また自分でやっているうちに,初めて歩くことも食べることもできるようになります。まちがいがあるのは当然です。しかし長い目で見,また「何事にも慎み」と述べたテモテへの第二の手紙 4章5節のことばを心に留めて平衡を保ってください。出エジプト記 18章17節から27節にあるように,「重過ぎる」荷を負っていたモーセに何がすすめられたかを考えるのは有益です。

      16 聖書は,会衆が監督を支持すべきことをどのように教えていますか。

      16 会衆の支持が必要なことは言うまでもありません。物事が自分の思うとおりに行なわれていないからといって不平をならべたり,しびれをきらしたりせず,会衆内のすべての人が監督を尊敬すべきことを,聖書は教えています。監督もまちがいをします。あれこれ考える事が多く,重い責任を負っているので,監督は物事を忘れたり,計画に手落ちがあったりしがちです。離れたところから見ていて,他の人のすることに欠点を見つけることはだれにもできます。もう少し近づいて自分が当事者になり,監督を助けて責任をはたすのにあずかるならば,監督を嘆かせるかわりに祝福となることもできるでしょう。「あなたがたの指導者たちの言うことを聞きいれて,従いなさい。彼らは,神に言いひらきすべき者として,あなたがたのたましいのために,目をさましている。彼らが嘆かないで,喜んでこのことをするようにしなさい。そうでないと,あなたがたの益にならない」― へブル 13:17。

      平衡のとれた配偶者は貴重な存在

      17 献身した妻には,家庭を平衡のとれたものにするための,どんな基礎がありますか。

      17 監督の家族は監督と一緒に生活しているため,家族と会衆の両方に気を配る監督の仕事に影響を与えます。夫を助けて家のことをきりもりする妻の仕事は小さな務めではありません。しなければならない無数の事をこまかく書き並べると,あまりにも多くてとても全部はできないと感ずるでしょう。それに宣教の責務まで加えるならば,自分には無理のように思えるかもしれません。平衡のとれた妻に関して箴言 31章を読んでごらんなさい。彼女は多くの務めをはたし,夫をもりたてます。しかも30節には「エホバを畏るる女は誉められん」と述べられています。多くの務めをはたすには時間の計画が必要です。ひとつの事にあまり多くの時間をかけず,全部の仕事を考慮に入れなければなりません。それで限られた時間を用いて仕事を改善する方法を考えるようになります。食事の準備があります。食事は家族とくに夫が平衡を保つうえに大切なものです。夫が会衆内のしもべであれば,時間どおりに出される,健康によい食事は祝福となります。妻は集会におくれずに出席するため,子供たちに準備をさせます。幼い時からの母親のしつけによって,子供たちは集会にいつも出席するため,学校の宿題や遊びをすませてしまうことの大切さをじゅうぶんに認識しています。

      18 家庭と会衆の両方において,妻はどのように夫を支持しますか。

      18 母親あるいは妻にも霊的に平衡を保つため,勉強が必要です。『真理を慕い求め,それによって育た』なければなりません。(ペテロ第一 2:2)家族そろっての勉強が毎週行なわれるように万事を都合して,この面でも夫をもりたててください。会衆の活動のプログラムにいつも注意を払い,平衡を保つうえに大切な会衆のすべての活動に参加できるように家の中の計画をかげんする用意も必要です。内助の功を毎日夫からほめられないにしても,自分の成し遂げたことは大きな励みとなります。実業家は見識と独創力のある,平衡のとれた人を求めており,そのような人には高い給料を惜しみません。主婦にはそれ以上の価値があるのです。そのことを実際に示しましょう。平衡のとれた妻を持つ夫は帰宅することを楽しみにしています。また何よりも,「妻を得るものは美物を得るなり,且エホバより恩恵をあたへらる」と箴言 18章22節(文語)に述べられているではありませんか。

      平衡のとれた奉仕者は聖書研究のグループを助ける

      19 (イ)書籍研究の益を述べなさい。(ロ)研究司会者は群れと関連した自分の働きに,ピリピ人への手紙 2章4節をどのようにあてはめることができますか。

      19 エホバの証人の小さなグループは,聖書を学ぶために毎週一度,神の国の福音を伝える宣教に携わるために毎週何回か,多くの家あるいは他の便利な場所に集まります。(マタイ 24:14)これらのグループは小さいので,平衡と円熟を増すための援助が行き届きます。グループは会衆の書籍研究と呼ばれ,その管理者が研究司会者です。司会者は,パウロがテサロニケ人への第一の手紙 2章7,8節に述べているのと同様な気持ちを抱いています。「あなたがたの間で,ちょうど母がその子供を育てるように,やさしくふるまった。このように,あなたがたを慕わしく思っていたので,ただ神の福音ばかりではなく,自分のいのちまでもあなたがたに与えたいと願ったほどに,あなたがたを愛したのである」。研究司会者は委ねられている人々をいろいろな面で助けます。勉強の仕方を教え,戸別訪問による宣教に訓練し,会衆の集会に出席するように助けます。家族を顧みるとともにこれらすべての祝福にあずかるためには実際的な計画をたてることが必要です。そこで司会者は兄弟たちの家を訪問し,この点でも援助します。グループの中で病気になったり,事故にあったり,霊的に病気になった人がいれば,研究司会者はさっそく出かけて行き,霊的な食物を供給したり,励ましたりして,回復するまでの間欠けているものを補います。また病気で外出できない人が何かの方法で宣教に参加するのを助け,病気の時にも平衡を保つように助けることを怠りません。それは当然のことです。聖書のピリピ人への手紙 2章4節は「おのおの,自分のことばかりでなく,他人のことも考えなさい」と教えているではありませんか。言うまでもなく,司会者自身も平衡を保たねばならず,したがって家族を顧み,個人的に勉強し,集会に出席し,会衆のすべての活動に参加するための時間の計画が必要です。司会者は自分の群れの他の奉仕者とともにこれらの事を行なう時,すべての責務を首尾よくはたせることに気づくでしょう。ローマ人への手紙 15章2節に「わたしたちひとりびとりは,隣り人の徳を高めるために,その益を図って彼らを喜ばすべきである」と述べられた助言を心に留め,平衡を保ちましょう。エホバの奉仕者としてすべての活動において平衡を保ち,群れの手本となるのは司会者の特権です。

      自分の限界を知る

      20 なぜ自分の限界を知るべきですか。それはエホバに奉仕するうえに妨げとなりますか。どんな態度を持つべきですか。

      20 平衡を保つには自分の限界を知ることが必要です。自分の限界をわきまえない人は自分をよく知っているとは言えません。あなたにはどんな能力がありますか。特定の事をする能力を持っているかもしれません。しかし必要なのは訓練です。あなたの力には限りがありますか。あなたには好みがあり,ぜひやりたいと思い,興味をひかれている事があるかもしれません。しかしそれを手がけることができますか。全時間の宣教を行なう開拓者になることが,父親であるあなたの願いかもしれません。しかし開拓者となっても家族を養うことができますか。そのような人もいますが,あなたとは事情が異なっていませんか。熱心のあまりに平衡を失うことをせず,むしろ計画し,自分を訓練することに努めなければなりません。たとえ開拓者になれなくても,信頼できる,平衡のとれた会衆の伝道者となって祝福を味わうことができます。すべての人に同じ能力が必要なわけではありません。自分よりも能力のある兄弟をねたんで平衡を失ってはなりません。むしろエホバが人々に才能を与えてわざを行なわせ,たとえ自分は用いられなくても,わざを改善する兄弟がいることに感謝すべきでありましょう。パウロはこの事に関してエホバのみこころをテモテへの第一の手紙 6章6節から8節に書きしるしました。「信心があって足ることを知るのは,大きな利得である。わたしたちは,何ひとつ持たないでこの世にきた。また,何ひとつ持たないでこの世を去って行く。ただ衣食があれば,それで足れりとすべきである」。喜んで従う気持ちがあればエホバに用いられます。人は訓練次第で多くのことをできるようになります。そして神の組織の中で長く働けばそれだけ有用な者となります。このようにして受ける訓練に終わりはありません。それでたとえわずかでも,着実な進歩に満足してください。しかしたゆまずに進歩することが必要です。イエスはやもめのわずかな寄付に満足されました。あなたとても同様ではありませんか。―ルカ 21:1-4。

      21 エホバへの奉仕において平衡を保つため肝要なことを要約しなさい。

      21 ひとりで全部をすることはできません。家を治め,子供を訓練し,会衆を治め,書籍研究を司会し,区域で神の国の福音を伝道することは,ひとりの働きでは出来ません。自分のものである特権のすべてにいくらかずつでもあずかりなさい。自分に届く範囲内にあるすべての機会をじゅうぶんにとらえ,そうすることによって平衡を保ちなさい。「ただ,わたしたちは,達し得たところに従って進むべきである」と述べたピリピ人への手紙 3章16節のことばを実行してください。平衡は,心と思いをよく守ることによって得られます。それで日毎に神のことばを学んで心を守らなければなりません。思いわづらったり不必要に心配することをやめましょう。着実に成長し,エホバのわざを喜んで行ない,毎日,祈りをささげてエホバに近づき,エホバに感謝し,また信頼をおいてください。毎日の時間を計画するにあたって,御国の福音の伝道に加わる時間をじゅうぶんに設けてください。それは現在のところ,クリスチャンの生活の中で大切な事だからです。詩篇 109篇30節のことばをあなたの決意にしてください。「われはわが口をもて大にエホバに謝し,おほくの人のなかにて賛めまつらむ」― 文語。

  • 王の宮殿に住む
    ものみの塔 1966 | 8月15日
    • 王の宮殿に住む

      ● 箴言 30章28節で,「やもり」は,小さいが非常に賢い四つのものの一つにあげられている。やもりは,「手をもて」つかまり,王宮内でさえも,歩くことができる。王宮では,どんな表面にでも,「手」― くっついて離れない足でつかまる。レイモンド・デトマースは,付着性の吸盤を持つその足について,「明らかに,ハエの足のうらを大きくしたようなものだ。その付着の仕組みは,ねばねばした分泌物によるのではない。密集する,杯状の吸盤のようなものによって実際に吸いつく」と述べている。

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