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  • エホバの組織に対する忠節
    ものみの塔 1964 | 11月1日
    • ん。これを利益を目的とする巨大な企業体と見てはなりません。もしだれかがこれにつけ込んで私利を得ようとするのを見るなら,「私に関係がない」と言ってほっておくべきではありません。組織の成長と共に,多額の資金,機械,御国会館,大会用備品,補給品などが用いられるようになりますが,ここで私たちは,これらの資産を私用に帰し,組織は大きいのだからだいじょうぶだろうといったこの世の慣行にならいません。組織の清さについても同じです。「だれかが不潔な行いをしたからといってどうして怒るんだい。どうしてわざわざ人の感情を害するんだい。組織は大きいじゃないか。全体に影響はないよ」といって,無関心な態度を取るべきではありません。個人の非行は全体に影響します。組織は神のものです。深慮をもってこれを見るなら,そこなわれるのは私たちであり,なによりも神の定めが軽視されているのです。

      20 どんな事のゆえに,私たちは今喜びますか。

      20 エホバの証者の新世社会全体を見渡してごらんなさい。以前に増して世界一致の妨げが拡大するこの緊張の時代に,私たちには愛に発する平和があるのです。その愛の根は深く,強力な国家の力もこれを根こぎにすることはできません。物質主義も,また民族主義も,この神権社会の分解をはかり,あるいは,その造り手なるエホバ神に対する愛を絶たせることはできません。人々は,成長と円熟を促す霊の食物を豊かに与えられています。たしかにイエスがペテロにさとされたごとく,『羊が飼われています』。(ヨハネ 21:15-17)組織は円熟しており,その度合は日毎に増しています。私たちはまちがいのない教義を知っており,神と私たちとの関係をいぶかり,神のみこころは何かと動きまわる必要はありません。食物,霊の食物はふんだんにあります。出版物,聖書,仕事の仕方に関する指示,激励の助言など,仕事に必要なものはすべて備わっています。まさに神権社会は住むにふさわしい所,栄え,にぎわい,安全で確実なところです。イザヤ書 32章18節はこの有様を巧みに描写しています,「わが民は平和の家におり,安らかなすみかにおり,静かな休み所におる」。この状態はかぎりなく続きます。そう,アブラハムのごとく,私たちも満ち足りるでしょう。このエホバの証者の新世社会内にいる私たちは,神に忠節をつくす人々に囲まれています。彼らは神の友であり,神はその人々の神と呼ばれることを恥とされません。それゆえ,エホバに固く着き,その言葉に従って生き,その民と共に働きなさい。そして,エホバの組織と共にかぎりなく生きなさい。

  • 小さな事にも忠実をしめす
    ものみの塔 1964 | 11月1日
    • 小さな事にも忠実をしめす

      「よい僕よ,うまくやった。あなたは小さい事に忠実であったから,十の町を支配させる」。―ルカ 19:18。

      1 日常生活でどんな事に面しますか。その応じ方は人によってどう異なりますか。

      日常の生活に小さな事はいくらでもあります。一つの問題に付随する事柄,ちょっとした痛みや苦しみ,仕事の細部,になう責任の一端,あるいは楽しいひととき,あるいは自分が引き受けたやゝ余分な用事などがあるでしょう。その余分な用事は人を助けるために引き受けたのかも知れません。こうした小さな事柄の多くは処理されてゆきますが,そのままにしておかれるものも少なくありません。多くの責任を受け入れ得る人もあれば,二,三の心配事で容易に動揺する人もあります。ある者は一日一日日をとらえ,さし迫った問題から片付け,残る責任の処理は後に回して平然と日を送り,他の者は,一度にやりきれぬ仕事を見てたちまち意気消沈してしまいます。後者はいまだ起こらぬ細事を心配して自ら悩んでいるのです。言わば,いまだかからぬ橋を渡っているのであり,その多くはかける必要さえ無いのです。私たちはつり合いのとれた考え方をしなければなりません。「うれひ人の心にあれば之をかゞます されどよきことばはこれを楽します」。―箴言 12:25。

      2 (イ)神の組織の一員であればさらに何が加わりますか。(ロ)これがその人個人にどう作用しますか。

      2 神の組織の一員であれば,すでにある日常生活の小事に加えて,さらに多くの事柄を受け入れねばなりません。その中には聖書の研究,霊の食物に与るための集会行き,神の国の福音宣明への参加,家庭内で模範となる事,清潔な生活を送ることなどが含まれます。こうした特権を忠実に果たすなら,会衆の監督者に任命され,神の群を牧する仕事の一部を委ねられるようになるでしょう。このすべては,私たちの日毎の生活に多量の細事を送り込みます。しかしこれらはやらずにすますわけにはゆきません。組織内にあって神に仕えるとは,必要な仕事を成し遂げることであり,そうした仕事を処理することによって,私たちと他の者たちとの霊的な健康が保たれるのです。(テモテ前 4:16)霊的な事柄はいつでも第一に来なければなりません。(マタイ 6:26)時に疲れて,その日の問題にぶつかるほどの勇気の出ぬことがあるかも知れません。しかしそんな時にはイザヤ書 50章4節に出てくる人から助けが得られます。「主エホバは教をうけしものの舌をわれにあたへ 言をもて疲れたるものをたすけさゝふることを知り得しめたまふ」。(文語)ルカ伝 19章18節は,「よい僕よ,うまくやった」と述べています。この言葉は,御国の仕事を忠実に果たす,油注がたれたイエス・キリストの追随者にあてはまります。(マタイ 25:21)忠実に果たしたことの結果として,彼らは任命を受け,地上の御国の事柄すべてを扱う「忠実な思慮深い僕」となりました。この原則はすべての僕にあてはまります。要求されるのはただ忠実性です。

      3 忠実さいかんが人の円熟の度合を示すことを説明しなさい。

      3 実際,小さな事の扱い方によって,その人の人となりがわかります。大きな仕事の場合には大抵だれかが,「良くやった!」と言って私たちをほめ,私たちの能力を認めます。人の称賛を受けるためとあらば怠け者さえ働き出すでしょう。(箴言 13:4)人は会衆での話を準備し,立派にそれを話すでしょう。しかし,会衆内の老年者が乗り物で集会に来るのを助け,あるいは,興味ある人と毎週定期的に聖書研究を開くということになればどうですか。これが神の組織内の小事に対する無関心さをあらわにし,その人の忠実でない点を明らかにするかも知れません。それゆえ,神に対する忠節のほどは小事に対する態度いかんによって容易に判断されます。進んでする人は多くのものを得るでしょう。「物惜しみしない者は富み,人を潤す者は自分も潤される」。(箴言 11:25)こうした忠実な者たちをエホバは真実に恵まれ,ご自身の組織内において有用な者とし,牧羊のわざに与らせます。「羊」を飼い,理解をもって「羊」を養うのはこの種の人々です。これはさして重要でない小さな事ではありません。小さな物が全体の機構を支えることはよくあります。一例をあげましょう。石のそり橋も,かなめ石がなければ,重荷にあってたちまちくずれてしまいます。橋全体の重さと大きさに比べれば,かなめ石はわずかです。それでも橋の安全のためには,この石のかたちと据え場所に多大の注意が払われるのです。

      4 異なる結果をもたらした小事の例をいくつか上げなさい。それが当事者にどう影響しましたか。

      4 エホバとエホバの民が小さな事柄をどう取扱ったか,昔の例をいくつか調べましょう。幕屋の造営にあたってはあまたの事がなされねばなりませんでした。人々は,「エホバがなせと命じたまひし工事をなすに用ふるに余りあ」るほどの物を携えてきました。その結果は次の通りです,「モーセその一切の工作を見るにエホバの命じたまひしごとくに造りてあり 即ちかくのごとくに作りてあればモーセ人衆を祝せり」。(出エジプト 36:5; 39:43)他方エホバは,任命の地ニネベをかえてタルシシに行こうとしたヨナの考えをいかに見なされましたか。(ヨナ 1:4,10,12)また,銀片30のために全生涯の進路を決めたイスカリオテのユダがいます。(マタイ 27:3-6)パウロに利己的なところはありませんでした。自ら処理せねばならぬ多量の仕事があったと思われるにもかかわらず,パウロは時間をさいてオネシモのためにピレモン宛ての特別の手紙を書きました。別の例を上げればヨセフです。奴隷としての日常の務めを徹底的に果たしたヨセフは,やがて主人の家内の管理を委ねられることになりました。彼は獄にあってさえ同じ態度を失わず,獄舎内の細事の多くを取り扱うようになりました。ヨセフはパロの王国においても栄を得ました。創世記 39章23節が示すごとく,ヨセフはエホバの恵みを受けました。「エホバ,ヨセフとともにいませばなり エホバかれのなすところをさかえしめたまふ」。

      5 (イ)献身した兄弟のすべてが責任を受け入れねばならないのはなぜですか。(ロ)必要な能力はいかにして得らまれすか。

      5 エホバの証者の新世社会は,成長し,活動する組織です。委ねられた大きな仕事,すなわち,『この御国の福音をすべての民に対してあかしをするために,全世界に宣べ伝える』仕事を果たすには,当然そうあらねばなりません。(マタイ 24:14)新しい会衆が形成されるにつれ,神の群れを牧する仕事に附随する細事を取扱う新しい監督と多数の補佐のしもべたちが必要になります。こうした責任の地位に用いられるのは,小さな仕事にも大きな仕事と同じほどの勤勉さをもって臨み,それを忠実に果たす人々です。一例として,家のかしらたる父親が自分の家族をよく世話し,子女を集会に伴い,忍耐をもって神への奉仕に加わるべきことを教えるなら,この人をして会衆の世話を見る者ともなし得るでしょう。聖書は,「自分の家をよく治め,謹厳であって,子供たちを従順な者に育てている人でなければならない」と述べて,この点を会衆を司る者の資格の一つとしています。(テモテ前 3:4)新しい人たちは,聖書の真理を深く学ぶにつれ次第に円熟に育てられ,責任を果たす仕方を身につけます。それゆえ,エホバの証者の新世社会内にあっては,率先して「羊」を牧する者となるための訓練が絶えずほどこされています。

      6 今日の古い世ではどんな態度が顕著ですか。なぜその種の考えの影響を避けるべきですか。

      6 もとより,今日の私たちは,責任からしりぞき,これを避けるべきものと見なす人々にかこまれて住んでいますから,エホバ神に奉仕するため自ら献身するときに新たな心の構えをつちかうべき事は容易に理解できるでしょう。エホバの組織内にある者は,今日まだハルマゲドンが来ていないから,あるいは,毎日人がほめてくれないからといって,仕事の手をゆるめることはありません。責任と共に与えられる奉仕の特権に専心することは私たちの願いとならねばなりません。進んで自分を犠牲にするという円熟した精神をつちかうなら,兄弟の多くに資することになり,感じやすい自分から注意をそらすことになります。しかし,自分は指導するより従うことに向いている,と考える人があるかも知れません。また,自分の健康が仕事の重みに耐え得ない,と言う人もあるでしょう。さらにまた,監督の仕事に伴って,断固とした態度を取り,兄弟に助言すべきことがあるのを知りながらも,人の気をそこねるのを恐れてこれをさしひかえる人もあるでしょう。ある人は,自分は能力がないし,すべての質問に答え,必ず起こる問題のすべてを処理するほどの知識がないと思うかも知れません。しかし,こう考える人のすべては,全部のことをひと時に見て驚いているのです。大きな責任も,小さな事を一日一日片付けてゆく事によって成り立っており,日がたつにつれて多くの事を果たせるようになるのです。たしかにあなたにも限界があるでしょう。しかし,なんらかの障害があるからといって,それをもって退く必要はありません。監督に求められる資質は会衆内のすべての者に等しく求められることをも忘れないで下さい。

      7 監督を任命するのはだれですか。なぜ?

      7 ここでしばらく考えて下さい。人は生まれながらに神の会衆の監督者なのですか。そんなことはありません。聖書はこう記しています,「もし人が監督の職を望むなら,それは良い仕事を願うことである」。(テモテ前 3:1)「自分自身とすべての群れに心を配りなさい。聖霊は,……神の会衆を牧させるためにあなたがたを監督に任命したのである」。(使行 20:28,新世)エホバ神とそのみ子イエス・キリストが,「忠実な思慮深い僕」を通じ,だれを立てて神の群を牧する監督者とするかを定められます。それゆえ,そのみ言葉の中に示される神の求めに従って歩む人々が選ばれ,「羊」を牧するために用いられます。

      8 責任に対し,どんな建設的な見方を持てますか。

      8 負担や問題や心痛を見,色々決定せねばならぬ事,自分を押えて人を助けねばならぬ事,いつまでも不断に苦労がつづく事などを考えて,近視的で,貧しい見方をするのを止め,かわりに,以前は神の立てた牧者もなく歩んでいたのに,今では神に献身した僕に守られている人々の増加を考えなさい。新世社会がこれまでに成し遂げたところに注意を向けなさい。とりわけ喜ばしい成長,すなわち,新しい人々が円熟に進むのを見守りなさい。奉仕することの喜びを知りなさい。そしてできるなら,兄弟たちのために働き,兄弟たちと共に働いて神に奉仕することの喜びと特権を数え上げてごらんなさい。

      9 (イ)組織内の仕事の小事に臨んでどうしたら信頼にこたえられますか。(ロ)なぜそれほど熱心に努力すべきですか。

      9 「信心深い様子をしながらその実を捨てる者」の多い今日考えるべき別の点は最後までやりとげるか,信頼できるかという点です。(テモテ後 3:5)神の組織内での任命はいかなるものも軽視すべきではありません。どんな細事も神の僕に委任されるものなら,なし終えるまで,終始,細心の注意を払って行なうべきものです。イエスは言われました,「わたしのもとにきて,わたしの言葉を聞いて行う者(は)……地を深く掘り,岩の上に土台をすえて家を建てる人に似ている。……しかし,聞いても行なわない人は,土台なしで,土の上に家を建てた人に似ている」。(ルカ 6:47-49)聞く以上の事,語る以上の事が必要です。神に仕え,「羊」を養うべく,会衆内の仕事を遂行することが必要です。ヤコブ書 1章25節は,「完全な自由の律法を一心に見つめてたゆまない人は,聞いて忘れてしまう人ではなくて,実際に行う人である。こういう人は,その行いによって祝福される」と約束していますから,信頼性に富む人は前途に多くを期待して良いと言えるでしょう。積極性と感謝する心のある人が,強固な土台の上に立ち,その上エホバの祝福を受けるなら,多大の事柄をなしどげ得るでしょう。多くの人が円熟に進むのを助け,また自らも奉仕の年月を加えるにつれ,いよいよ神の組織に有用なものとなるでしょう。自分が持つ知識を遊ばせて,すでに持つものをさえ失うといった愚行をおかすべきではありません。箴言 11章24節はそれをこう表現しています。「施し散らして,なお富を増す人があり,与えるべきものを惜しんで,かえって貧しくなる者がある」。

      10 (イ)信頼性に富む人にはどんなよい事がありますか。(ロ)小事に忠実でなければならぬ理由がありますか。

      10 ルカ伝 8章18節を読んで,信頼できる人が受ける前途の祝福についても考えてごらんなさい,「だから,どう聞くかに注意するがよい。持っている人は更に与えられて,持っていない人は,持っていると思っているものまでも,取り上げられるであろう」。神の献身したしもべが会衆内の細事を取り扱う事を望まず,束縛を強く感じて,一切の責任から解放されることを求めたとしてごらんなさい。神に仕えるように訓練したいと自ら称えている自分の子供たちにどんな影響を与えることになりますか。生まれたままで良い父親となり,良い監督となる人はありません。知識と訓練と経験により,また自らそれに心を傾け,その上エホバの助力を得てはじめて,そのいずれの立場にも成功を得るのです。一つの務めを良く果たすなら,他の務めをも立派に果たし得るでしょう。イエスの言葉を記録したルカ伝 16章10節は次の通りです,「小事に忠実な人は,大事にも忠実である。そして,小事に不忠実な人は大事にも不忠実である」。「クラークの注釈」(Clarke’s Commentary)第5巻462頁はこの言葉を次のように興味深く注釈しています。「心から忠実をつくそうとする人はどんな小さな事をも注意深く行なって良心を満たす。そして,小さな事に正しく行動するよに絶えず自分を訓練することによって,適正さと忠誠心と敬意と良心とをもって大切な事柄に臨むという高貴な習慣が得られるのである。一方,小さな事に正しく行動しない者が,大切な事態に臨んで,自尊心と良心の指示を十分に注意すべき事を知るのはまれであろう。小さな事でいつでもつまずく者が,大きな悪へのいざないに抗し得るとどうして期待できよう」。

      11,12 (イ)エホバの証者はとくにどんな面で大切な小事を果たしますか。(ロ)「羊」はどのように養われ,組織内に導かれますか。

      11 家から家の宣教活動に携わる数十万のエホバの証者は,小さな事に対する忠実さを実証しています。事実をあげれば,この仕事に加わった事を報告した神の国の伝道者は104万836人を数えました。(1964年度エホバの証者の年鑑38頁参照)この宣教の仕事を通して神とその目的について一層の知識を求める人が見出されます。その人々は聖書の研究においてなんらかの助力を求めているのであり,こうした人を見つけた時のエホバの証者の喜びは,さながら探鉱師が金鉱を掘り当てた時の喜びにも似ています。なぜなら,聖書が羊と呼ぶのはこうした柔和な人々だからです。こうした人々にエホバがどれほどの重きを置いているかマタイ伝 18章14節の記述を読みましょう。「そのように,これらの小さい者のひとりが滅びることは,天にいますあなたがたの父のみこころではない」。エホバの証者は「羊」の住所を手帳につけ,次の訪問で答えるべき質問を書きとめますか。エホバの証者は約束通りまたたずねますか。しかも日をおかず,二,三日のうちに? イエスは,「私の羊を飼いなさい」と繰り返し3度も語って,「羊」を養うことの大切さをペテロに銘記させました。(ヨハネ 21:15-17)エホバの証者は『羊を養う』ことを教えられてきました。それゆえ彼らはまたたずねます。これは神のわざをすることであり,これを果たすことによって小事に対する忠実さを示すことになります。

      12 これに始まって,新たに見つけられた「羊」は,教義の詳細,聖書預言の数々,組織に対する細かな見解,聖書の原則の一つ一つ,神権社会の清潔な生活の仕方など,小さな事柄を数々取り入れます。これらを取るに足らぬ事,定期的に養う計画を立てるほど重要でない事と見なしてよいですか。いえ,こうした柔和な人々のために忠実に働き,エホバに奉仕する仕方を忍耐強く教えねばなりません。こうした小さな事の一つ一つがさらに大きなもの,すなわち,命,しかも永遠の命につながっているのです。―ヨハネ 17:3。

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