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現代において光は増し加わるものみの塔 1982 | 3月1日
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その成就の証拠を見ることができます。―コリント第二 12:4。ガラテア 6:16。
15,16 イエスの二つのたとえ話にどんな光が当てられましたか。
15 イエスの幾つかのたとえ話に関するより正確な理解も得られました。その顕著な例の一つは,マタイ 25章31-46節に記されている羊とやぎのたとえ話です。このたとえ話はキリストの千年統治の期間中に成就するものと長い間考えられていましたが,その時になってエホバの証人は,それがその時代に適用されるはずのないことを理解しました。数多くの理由の一つとして,キリストの千年統治の期間中その「兄弟たち」は地上におらず,まして病気になったり迫害されたりして困窮することもないという理由が挙げられました。したがってそれは,天におられる即位されたイエスが,裁きのために諸国民を集める時の今成就するに違いありません。そしてこのことは成就している観察できる事実によって確証されています。
16 同じように,富んだ人とラザロのたとえ話にも光が当てられました。富んだ人はユダヤ国民全体ではなく,イエスの時代の裕福で偽善的な宗教指導者たちと,それに相当する現代のキリスト教世界の宗教上の僧職者たちを表わすということが理解されました。―ルカ 16:19-31。
17 啓示の書に関し,どんな顕著な理解を彼らは得ましたか。
17 似たこととして,光が増し加わったためにエホバの僕たちは,啓示の書の成就は「主の日」と共に,すなわち1914年から始まって最高潮に至るのであって,かつて考えられていたこととは違い,使徒時代から現在に至るまでのクリスチャン会衆の歴史の全期間に生じたのではないということを認識するようになりました。(啓示 1:10)「主の日」の始まりを特色づけていたのは,ミカエル(即位したイエス・キリスト)とそのみ使いたちがサタンとその使いたちを天から投げ落とした天の戦争だった,ということを理解するに至りました。(啓示 12:1-12)エホバの民は,自分たちの王国の業が特に啓示 2,3,6-11章に予告されていたことに気付き,大いに喜びました。
神権的な秩序
18 クリスチャン会衆内の神権的秩序について,どんなことが知らされましたか。このことはどのように実施されましたか。
18 現代において光が増し加わってきたことを示す実例はまだまだありますが,紙面の関係でもう一つだけにとどめます。それは神権的な法,あるいは神が統治される方法に関連したものです。19世紀の後半に聖書研究者たちは,自らの会衆を統治するために民主的な方法を用い,独裁的な聖職階級制度から脱却したいと願っていました。しかし1938年,この民主的な取決めには聖書的な裏付けのないことに気が付きました。これは神権的秩序,つまり人間の側から上に向けて行なわれるのではなく,神の側から下に向けて行なわれる支配と一致していませんでした。(イザヤ 60:1,17-19)そのため近年,「忠実で思慮深い奴隷」e は聖霊の導きにより,長老また奉仕の僕として会衆内で仕える男子を任命しています。(使徒 20:28)これらの人々は,テモテ第一 3章1-13節及びテトス 1章5-9節に示されている聖書的な資格にかなっていなければなりません。
19 十分で完全な光が一時に入って来ると期待すべきでないのはなぜでしょうか。
19 確かに,以上述べてきたことの全体は,エホバの民の道筋が,いよいよ明るさを増してゆく輝く光のようであったこと,また現在もそうであることを示しています。(箴 4:18)彼らが偽りの宗教の世界帝国である「大いなるバビロン」を包んでいた厚い暗やみから出て来たとき,直ちにすべての事柄を正しく解釈することは期待できませんでした。(啓示 17:5)啓示された真理の輝きは,霊的に目をくらます,混乱さえもたらすような影響を彼らに与えることもあり得ました。このことは,真っ暗な部屋から明るい日光の下へ出て来た人になぞらえられるでしょう。急に太陽のぎらぎらした光を浴びるなら,目がなれるまで時間がかかるでしょう。
20 (イ)真理の漸進的な光によって,どんな広い範囲が照らされましたか。(ロ)考慮すべきどんな質問が残っていますか。
20 そして,これまで見てきたように,真理の漸進的な光は広範囲に及んでいます。教理,預言,クリスチャンの行状とクリスチャンの使命,イエスのたとえ話の意味,会衆の正しい組織などに関する理解は純化されています。これらはどれも十分明確になっています。しかし次のような質問をする方がいるかもしれません。真のクリスチャンの進路が必ずしも一直線でないように見えるのはなぜですか。どんな説明ができますか。これらの質問に答えるため,読者の皆さんに次の記事をお読みになるようお勧めいたします。
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義なる者の進路は絶えず明るさを増してゆくものみの塔 1982 | 3月1日
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義なる者の進路は絶えず明るさを増してゆく
『人間を支配する者が義にかなっているとき,それは太陽が輝き出る朝の光のようだ』― サムエル後 23:3,4,新。
1 サムエル後書 23章3,4節から,わたしたちは何を期待できますか。それは実現しましたか。
エホバの僕たちの道筋を照らす光は,最も初期の時代から現代に至るまで絶えず輝きを増してきました。あの注目すべき年1914年以降,その輝きはいよいよ増し加わっています。その1914年には,地上の事態の進展が示している通り,「世の王国(が)わたしたちの主[エホバ]とそのキリストの王国となった」のです。(啓示 11:15)神の言葉聖書からの光が「雲一つない朝」の日の光のようにきらめき,エホバの僕たちが歩むべき道筋を一層明るく照らし出したのです。―サムエル後 23:3,4,新。
2 時折生ずる見解の調整を,わたしたちはどうみなすことができますか。
2 それでも,一部の人にはその進路が必ずしも一直線でないように見えたかもしれません。エホバの見える組織が行なう説明が,以前の見解に調整を加えるもののように思えたことがあるかもしれません。しかし実際にはそうではありませんでした。このことは,航海の際の“タッキング”として知られる航法になぞらえることができるかもしれません。水夫は帆を操作することによって船を右から左へ,また前後に動かすことができますが,向かい風をついて常に目的地に向かって進みます。エホバの僕たちが思いに描いているその目的地
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