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  • 新世社会と歩調を揃えよ
    ものみの塔 1956 | 9月1日
    • 帰つて持つているものをみな売り払つて,貧しい人々に施しなさい。そうすれば,天に宝を持つようになろう。そして私に従つてきなさい。」すると,彼はこの言葉を聞いて,顔を曇らせ,悲しみながら立ち去つた。たくさんの資産を持つていたからである。それから,イエスは見まわして,弟子たちに言われた,「財産のある者が神の国にはいるのは,なんとむずかしいことであろう。」』金銭とか,物質主義とか,この世の事柄の故に,生命を得ることを妨げられてはなりません。―マルコ 10:17-30,新口。

      17 クリスチャンは古い世から離れるために何かを失いますか。

      17 イエスが若者と話を終えた後に,ペテロはこう言いました,『ごらんなさい,私たちはいつさいを捨てて,あなたに従つて参りました。』イエスはこのように答えておられます,『よく聞いておくがよい。だれでも私のために,また福音のために,家,兄弟,姉妹,母,父,子,もしくは畑を捨てた者は,必らずその百倍を受ける。すなわち,今この時代では,家,兄弟,姉妹,母,子および,畑を迫害と共に受け,また来るべき世では永遠の生命を受ける。』別の言葉で言えば,イエスはペテロにこう告げられているのです,つまりクリスチャンは古い世を断念しても何一つ失うものはなく,またヱホバのクリスチャン証者は,新世社会と歩調を揃えるために古い世を断念するにしても,何一つ失うものはない,ということです。私たちは,断念するものの百倍かそれ以上のものを得るのです。油注がれた残れる者は,キリストの花嫁としてその他に天の栄光ある生命を得るでしよう。そして,主の他の羊はパラダイスの新しい地で永遠の生命を得るでしよう。これはみな信仰を失わなかつた為であり,また信仰の気持を抱きつつ新世社会と共に新しい世に向つて進んで行くからです。

  • 神権的な要求に従い歩調を揃えよ
    ものみの塔 1956 | 9月1日
    • 神権的な要求に従い歩調を揃えよ

      『あなたに命じる。私たちの主イエス・キリストの出現まで,その戒めを汚すことがなく,またそれを非難のないように守りなさい。』― テモテ前 6:13,14,新口。

      1 西暦1914年以来,ヱホバの油注がれた証者とキリスト教を奉ずる人々には,どんな大きな責任が課せられましたか。

      (西暦)1914年にヱホバの御国が設立されてより,ヱホバ神の油注がれた証者とキリスト教を奉ずると言うすべての人々には大きな責任が負わせられました。彼らは立つて全国民への証のために,設立した御国の良いたよりを全地に宣伝えたでしようか,それとも信仰は欠如していてこの古い世の希望なき状態に沈み,忘れられるに至つたでしようか。彼らが神の証者として用いられるには,ヱホバとその御言葉に信仰と信頼を持つことが要求せられました。故にイエスはこう尋ねておられました,『人の子が来るとき,地上に信仰が見られるであろうか。』ヱホバが御自分の宮に来られた1918年の時までを振回つて見ると,アブラハムの信仰である『この信仰が地上に』ありました。このことにつき,私たちは心から神に感謝しています。全能の神ヱホバに専心の献身を捧げ,この世の『いつさい』を棄てて,たとえ死ぬとも自分の生命を愛さなかつた人々がいました。―ルカ 18:8。マタイ 19:27; 24:14。黙示 12:11,新口。

      2,3 (イ)油注がれた残れる者は,なぜそしてどのようにヱホバに用いられましたか。(ロ)イザヤのどんな言葉は,成就し始めましたか。

      2 1914年から1918年までは,試練の年でありました。敵はその人々の地的な見える制度を殆ど破壊しましたが,しかし神に捧げる彼らの愛と献身を亡すことはできなかつたのです。神にたいする彼らの信仰は亡びずに残りました。ヱホバはこれらの献身した者たちでもつて,神の設立した御国の下に,新しい地的な制度,新しい世の社会を建て始めました。イエスはこれらの忠実な者の群を立てて,「自分の全財産を管理させ」ました。彼らは直ぐに緊迫した自分たちの責任と信用を感じたのです。そして,神秘のバビロンとは何の繋りをも持つていなかつたため,直ちにその業を行い,ヱホバの御国の良いたよりを地の四隅まで宣べ伝えるという自分たちの任務を成就し始めました。神の御霊と将来の多くの仕事を与えられた油注がれた残れる者は,生気に充ち溢れるようになりました。そして,新世社会の中核を形成したとき,彼らの将来は神の祝福を頂いた光り輝くものでありました。―マタイ 24:45-47,新口。エゼキエル 37:1-14。黙示 11:11。

      3 イザヤの予言の言葉は成就し始めました,『起きよ,光をはなて。なんぢの光きたり,ヱホバの栄光なんぢの上に照り出でたればなり。視よ,くらきは地を覆い,闇はもろもろの民をおおわん。されどなんぢの上にはヱホバ照出でたまいてその栄光なんぢの上に顕わるべし。もろもろの国は汝の光にゆき,もろもろの王は照出づるなんぢが光輝に行かん。なんぢの目をあげて見廻わせ。かれらは皆つどいて汝にきたり,なんぢの子らは遠きより来り,なんぢの女らはいだかれて来らん。そのときなんぢ視てよろこびの光をあらわし,なんぢの心おどろきあやしみ,且ひろらかになるべし。そは海の富は移りて汝につき,もろもろの国の宝はなんぢに来るべければなり。』『なんぢを苦しめたるものの子らはかがみて汝にきたり,汝をさげしめたる者はことごとく汝の足下にふし,かくて汝をヱホバの都イスラエルの聖者のシオンととなえん。』1919年以後,そして特に1935年以来,大いなる群衆はあらゆる国民,種族,人種,そして言語から来て,新しい世の社会に集まり始め,神権的な指示を求めました。神の宇宙的な制度は『ヱホバの都,イスラエルの聖者のシオン』と知られるようになつたのです。―イザヤ 60:1-5,14。黙示 7:9。ミカ 4:1-5。

      4 柔和な者たちがヱホバの御要求に従うことは,なぜ必要ですか。その要求のいくらかはどんなものですか。

      4 いまヱホバの神権制度に来ている柔和な者たちは,ヱホバの御要求に従わねばなりません。それは当然であります。そうすることによつて,新世社会と歩調を揃えることができるからです。いろいろの要求の中にも,先ず神権制度を認める必要性があります,すなわちヱホバは『忠実にして慧き奴隷』級を通して御目分の群に時に適つた霊的な食物を供給せられている,ということです。また,研究と交わりも,よろこびをもたらす御要求です。この手段によつて,新しい世の制度を通してますます明るく照り輝く理解の光と歩調を揃えて行くことができるのです。古い世の習慣と野心を棄てる必要も悟らねばなりません。口論,人種的憎しみや宗教的な憎しみ,国家の因襲,高ぶつた思い,競争,そして古い世に特有な分裂を引起す数多くの理論や行は,全くかなぐり捨てるべきものです。これらのものは,過ぎ行くこの世の組織制度に属するものだからです。あらゆる形式のこの世的な利己主義,しつと,羨み,自己中心的な野心,宗教宗派の戦争,相互の迫害 ― これらはみな,この亡び行く制度とその神サタンの精神の表われです ― は,この古い世に棄てられねばなりません。新しい組織制度の中に,そのようなものの存在は決して許されないのです。私たちがこれらの神権的な要求に従うときにのみ,新しい世の社会と歩調を揃えることができます。―ヤコブ 3:13-18; 4:1-4。マタイ 24:45,46。新世。

      節制を行う

      5 節制は,新世社会と歩調を揃えることを,どのように援助しますか。

      5 新しい世に入るために節制は必要です。長年のあいだヱホバの僕として忠実に,そして勤勉に奉仕したモーセは,あるとき節制を失つたため,約束の地に入ることができなかつたのです。モーセは怒りの気持に充ち,激怒のあまりイスラエルの前でヱホバを崇めませんでした。この結果,彼は約束の地に入る特権を失いました。今日,実体的な約束の地にむかつて旅行している人々は,良く気をつけて節制を失わぬようにすべきです。節制とは,あらゆる事柄において中庸であり,自己訓練をなすことです。パウロはピリピ人に対して『あなた方の分別をすべての人に知らせなさい』と諭しました。古い世の習慣を断念して新しい世の習慣をつけるとき,私たちはあらゆる事柄において分別のある賢明な道を取りたい,と欲します。賢い人の諭しの言葉は,次のようです,『なんぢ義しきに過ぐる勿れ,また賢きに過ぐるなかれ。汝なんぞ身を亡ぼすべけんや。汝悪に過ぐる勿れ。また愚かなる勿れ。汝なんぞ時到らざるに死ぬべけんや。』これは節制を意味します。つまり,何時始めて,何時終るかについての知識です。一方だけに傾いたり偏つたりしないで,あらゆる事柄に平衡を保つということは,新世社会と歩調を揃えるために必要な事柄です。―ピリピ 4:5,新世。伝道之書 7:16,17。

      6 新世社会に属する各人は,何を推薦し得なければなりませんか。

      6 新しい世にむかつて旅行しているすべての人,特に僕たちが正しい模範を示すことは義務であります。どの僕も自分の行を他の人々に推薦し得るように振舞うべきです。各自は,使徒の言葉『私がキリストにならう者であるように,あなたがた

  • ハンガリーの教会教育
    ものみの塔 1956 | 9月1日
    • ハンガリーの教会教育

      ブタペストからアメリカの新聞発行人ユージン・プリアムはハンガリーの宗教についての報告を送つてきました。『「穏健主義」といら新しいソヴェットの政策に即応して,ハンガリーの共産主義指導者たちは,牧師たちを迫害するという政策を廃止した。国家と教会の協力計画というものが始められた。いまや,人民が神を信じたり,教会に出席したりしても,叱られるとか,脅迫されることもない。むしろ,人民はミサに出席し,教会に行くようにすゝめられている。…教会の出席者がこんなに増したのは,ハンガリー史上かつてない。…もちろん,カラクリはある。牧師たちは,日曜日ごとに共産主義者の哲学を賛える短い「説教をしなければならない。』― 1955年10月17日。タイム

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