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だれに復活の希望があるかものみの塔 1965 | 6月1日
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だれに復活の希望があるか
「海はその中にいる死人を出し,死も黄泉もその中にいる死人を出し……それから,死も黄泉も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である」― 黙示 20:13,14。
1,2 (イ)人間の大きな敵はどんな力を持っていますか。それはだれですか。(ロ)その者はどなたによって滅ぼされますか。そのかたのどんな行いによって,それは成し遂げられますか。
人間の最も大きな敵は死をもたらす力を持っています。この者は間もなく滅ぼされます。これは1900年前のイエス・キリストの死によって成しとげられるすばらしい事の一つです。それ以前にイエスは天において栄光を持つ神の子でした。しかし天の父の力あるみ手の下に自らを低くしたイエスは天の栄光を捨て,神の力により血肉を持つ人間となって生まれ,エルサレムのダビデ王の子孫,従って族長アブラハムの子孫の一人となりました。ダビデ王の家系に属するユダヤ人の処女マリヤによって,イエスはアブラハムの子孫の一人と同じ者になったのです。西暦33年の過越しの日にイエスは死にました。その日はユダヤ人が過越しの羊をほふる日でした。イエスは,「死の力を持つ者」悪魔に仕えた人間の手にかかって羊のようにほふられ,彼らの仕わざを妨げようとはせずに死につきました。イエスの死によってもたらされる救いに関し,次のことが書かれています。
2 「このように,子たちは血と肉とに共にあずかっているので,イエスもまた同様に,それらをそなえておられる。それは,死の力を持つ者,すなわち悪魔を,ご自分の死によって滅ぼし,死の恐怖のために一生涯,奴隷となっていた者たちを,解き放つためである。確かに,彼は天使たちを助けることはしないで,アブラハムの子孫を助けられた」― ヘブル 2:14-16。
3 イエス・キリストはその犠牲の死によってどこに下りましたか。詩篇 16篇10節はイエスにどう成就しましたか。
3 このように神のみ心に従って犠牲となったイエス・キリストは,シェオール(陰府)またヘーデース(黄泉)すなわち死んで土の塵の中に横たわる人間一般の墓に下りました。しかし全能の神は,忠実なみ子が永久にシェオールに留められることを許さず,またその肉体が記念の墓の中で朽ちるのを許しません。3日目に神はイエス・キリストを死からよみがえらせて,ダビデ王の書いた詩篇 16篇10節を成就させました。クリスチャン使徒パウロは詩篇 16篇10節を引用して次のことを述べています。「そは他の篇に『なんぢは汝の聖者を朽腐に帰せざらしむべし』と言へり,それダビデは,その代にて神の御旨を行ひ,終に眠りて先祖たちと共に置かれ,かつ朽腐に帰したり然れど神の甦へらせ給ひし者は朽腐に帰せざりき」― 使行 13:35-37,文語。
4 なぜイエス・キリストは死をもたらす者悪魔を滅ぼすことができますか。イエスはどのようにその事をしますか。
4 全能の神はイエス・キリストをシェオールからよみがえらせ,「死の力を持つ者」サタン悪魔よりもはるかに強い不滅の霊者にしました。復活したイエス・キリストは,死をもたらした悪魔を神の定めの時に滅ぼします。イエス・キリストは神から油そそがれた王として統治する1000年の間に,悪魔をはじめすべての悪鬼の活動を封じるため,悪魔と悪鬼どもを捕えて底のないところに束縛します。
5 (イ)その事は何時起きますか。このようにして何が逃げ去りますか。(ロ)さばきの日のどんな幻がそのとき成就しますか。
5 この事は,天の戦士イエス・キリストと天使たちが,政治支配者の治めるサタンの地上の組織を滅ぼすハルマゲドンの戦いの直後に起きます。(黙示 19:11–20:3)こうして象徴的な天と地は,白い大きな御座すなわち神のさばきの座の前から追われて逃げ去り,「新しい天と新しい地」に場所をゆずらなければなりません。(黙示 20:11; 21:1)クリスチャン使徒ヨハネの見た幻が成就するのはその時です。「また,死んでいた者が,大いなる者も小さき者も共に,御座の前に立っているのが見えた。かずかずの書物が開かれたが,もう一つの書物が開かれた。これはいのちの書であった。死人はそのしわざに応じ,この書物に書かれていることにしたがって,さばかれた。海はその中にいる死人を出し,死も黄泉もその中にいる死人を出し,そして,おのおのそのしわざに応じて,さばきを受けた」― 黙示 20:12,13。
6 14万4000人の弟子たちは,なぜその幻に含まれていませんか。
6 黙示録 20章13節には,「海はその中にいる死人を出し,死も黄泉もその中にいる死人を出し」と述べています。ヘブル書 2章16節に「アブラハムの子孫」と呼ばれている人々,すなわちイエス・キリストの直接の追随者となった14万4000人はこの中に含まれていません。この「アブラハムの子孫」によって,地のすべての国民は永遠の祝福を獲得します。(黙示 7:3-8; 14:1,3。創世 12:3; 22:18)19世紀前にシェオール(陰府)すなわちヘーデース(黄泉)は,死んだイエス・キリストを出しました。イエスの霊的な兄弟である14万4000人の忠実な追随者は,「第一の復活」と呼ばれる復活に与ってイエスに似る者となります。
7,8 (イ)彼らの復活は何時始まりましたか。(ロ)黙示録 20章4-6節は,彼らの復活をどのように描いてますか。
7 聖書の示すところによれば,この人々の復活は西暦1918年すなわちイエス・キリストが天において王の位につき,敵の只中で支配を始めてから3年半後に始まりました。(詩 110:1,2。ヘブル 10:12,13。黙示 14:13)ゆえに黙示録 20章は,海と死と黄泉(ヘーデース)が死人を出すことを述べる前に,イエス・キリストの霊的な追随者である14万4000人の復活についてまず次のことを述べているのです。
8 「また見ていると,かず多くの座があり,その上に人々がすわっていた。そして,彼らにさばきの権が与えられていた。また,イエスのあかしをし神の言を伝えたために首を切られた人々の霊がそこにおり,また,獣をもその像をも拝まず,その刻印を額や手に受けることをしなかった人々がいた。彼らは生きかえって,キリストと共に千年の間,支配した。(それ以外の死人は,千年の期間が終るまで生きかえらなかった。)これが第一の復活である。この第一の復活にあずかる者は,さいわいな者であり,また聖なる者である。この人たちに対しては,〔火の池で象徴される〕第二の死はなんの力もない。彼らは神とキリストとの祭司となり,キリストと共に千年の間,支配する」― 黙示 20:4-6,14; 21:8。
「第一の復活」
9 (イ)これはキリストの共同相続者14万4000人がヘーデース(黄泉)すなわちシェオール(陰府)に行かないという意味ですか。(ロ)イエスがペテロに告げたマタイ伝 16章18節の言葉によれば,たとえどんなものでも,14万4000人に勝つことができませんか。
9 先に述べた通り,黙示録 20章13節は,イエス・キリストの共同相続者14万4000人のことを述べていません。しかしこれら14万4000人は死んでヘーデース(黄泉)またシェオール(陰府)に行く事がないという意味ではありません。また海で死んで陸に葬られない場合があるとすれば,やはり海に死んでいる人々の一人となるのです。それで「第一の復活」に与るために,ヘーデース(黄泉)また海における死からよみがえされる事が必要です。岩であるご自身の上に教会すなわち会衆を建てることについて,イエス・キリストが12使徒に告げた言葉はその事を示しています。「我この磐(ペトラ)の上に我が教会を建てん,黄泉(ヘーデース)の門はこれに勝たざるべし」。(マタイ 16:18,文語)ご自身が死から復活してのち,イエスは使徒ヨハネに与えた幻の中で次のことを言われました。「わたしは初めであり,終りであり,また,生きている者である。わたしは死んだことはあるが,見よ,世々限りなく生きている者である。そして,死と黄泉とのかぎを持っている」。「耳のある者は,御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者は,第二の死によって滅ぼされることはない」。それで復活があるのです。―黙示 1:17,18; 2:11。
10 (イ)14万4000人の共同相続者のために,イエス・キリストはどのように死と黄泉の力を破りますか。(ロ)さばきに関して,黙示録 20章4節は14万4000人のことをどのように描いていますか。
10 復活したイエス・キリストは,「死の力を持つ者」悪魔を滅ぼします。死と黄泉(ヘーデース)のかぎを持つイエスは,ご自身の霊的兄弟14万4000人から成る忠実な会衆に黄泉(ヘーデース)が打ち勝つことを許しません。西暦1914年,天で王の位についてのち,イエスは死と黄泉(ヘーデース)の力を破り,死についている会衆の成員を解放して「第一の復活」に与らせます。目に見えない,この霊的な復活によって,14万4000人は天においてイエス・キリストの共同相続者になり,サタン悪魔が底のない所につながれる1000年のあいだ,キリストと共に王となり,祭司となり,さばき人となります。これらの人々は「大きな白い御座」の前に立ってさばかれるのではありません。それとは反対に,黙示録20章4節によれば,位についたこの人々に「さばきの権が与えられて」います。こうして黄泉(ヘーデース)に死んでも,この人々の死は「第二の死」という言葉が表わすような永遠の死ではありません。
11,12 ヨハネ伝 6章39-54節において,イエスは死と黄泉がイエスの弟子たちに永久に打ち勝たないことを,どのように保証しましたか。
11 死と黄泉(ヘーデース)が,イエスの忠実な弟子に永久に勝つことはありません。イエス・キリストはこの事を重ねて保証しました。人々を復活させるために神から用いられるイエス・キリストは,忠実を守って死んだ弟子たちの死が永遠の死とならないようにします。イエスは次のことを言われました。
12 「わたしをつかわされたかたのみこころは,わたしに与えて下さった者を,わたしがひとりも失わずに,終りの日によみがえらせることである。わたしの父のみこころは,子を見て信じる者が,ことごとく永遠の命を得ることなのである。そして,わたしはその人々を終りの日によみがえらせるであろう」。「わたしをつかわされた父が引きよせて下さらなければ,だれもわたしに来ることはできない。わたしは,その人々を終りの日によみがえらせるであろう……〔信仰によって〕人の子の肉を食べず,また,その血を飲まなければ,あなたがたの内に命はない。わたしの肉を食べ,わたしの血を飲む者には,永遠の命があり,わたしはその人を終りの日によみがえらせるであろう」― ヨハネ 6:39,40,44,53,54。
13 イエスはその友ラザロに関連して,どんな力を示しましたか。どのように?
13 地上においてさえイエス・キリストは,将来の復活の力を示す奇跡を行ないました。イエスは,その愛する友ラザロがシェオール(陰府)に下って4日目に,彼をそこからよみがえらせました。その直前にイエスはラザロの姉妹マルタにむかい,「わたしはよみがえりであり,命である。わたしを信じる者は,たとい死んでも生きる。また,生きていて,わたしを信じる者は,いつまでも死なない」と言われました。それからイエスは記念の墓の入口から石を取りのかせ,ラザロを墓の中から生命によび返しました。この奇跡によって,マルタは期待していたよりも早く,兄弟のラザロをとり戻すことになりました。マルタはイエスにむかい,「終りの日のよみがえりの時よみがえることは,存じています」と言ったからです。―ヨハネ 11:24-44。
14 後にラザロはどうなりましたか。しかしラザロに関しては,何を期待できますか。
14 言うまでもなくラザロはその後死にましたが,おそらくイエス・キリストの忠実な弟子として死んだことでしょう。それでラザロはシェオール(陰府)すなわちヘーデース(黄泉)に戻りました。しかしヘーデースが忠実なクリスチャン会衆の成員であるラザロに勝つことはありません。イエスがベタニヤに来られ,4日間の死の眠りからラザロを呼びおこした時,黄泉はラザロに勝たなかったからです。しかしこのたびは,神の国の王として治めるイエス・キリストが,クリスチャン会衆の他の成員と共にラザロをよみがえらせます。その後ラザロが再び死ぬことはありません。―ヨハネ 11:26。
15 「第一の復活」という言葉から,復活全般に関して何がわかりますか。コリント前書 15章20-23節は,その事をどのように証明していますか。
15 黙示録 20章5,6節は「第一の復活」のことを述べていますから,全体として見るとき,復活には順序のあることがわかります。14万4000人の弟子たちの復活すなわち栄光ある,天への霊的な復活について述べたコリント前書 15章20節から23節は,その事を明らかにしています。「キリストは眠っている者の初穂として,死人の中からよみがえったのである。それは,死がひとりの人によってきたのだから,死人の復活もまた,ひとりの人によってこなければならない。アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように,キリストにあってすべての人が生かされるのである。ただ,各自はそれぞれの順序に従わねばならない。最初はキリスト,次に,主の来臨に際してキリストに属する者たち……である」。
16 また黙示録 20章は,復活の順序に関して何を示していますか。
16 黙示録 20章もまたこの順序を示しています。それによれば,まずイエス・キリストの共同相続者14万4000人が幸いにも第一の復活に与って生命によみがえり,ついで地上の永遠の生命の機会を得る他の死人が海と黄泉(ヘーデース)から救われます。
「まさりたる復活」
17 ヘブル書 11章35節にある「まさった復活」という言葉は,だれにあてはまりますか。
17 イエス・キリストの死と復活の前に生存した人々について,ヘブル書 11章35節は興味深いことを述べています。「女は死にたる者の復活を得,ある人は更にまさりたる復活を得んために免さるることを願はずして極刑を甘んじたり」。(文語)
18 ヘブル書 11章はだれの信仰のわざを述べていますか。またその人々の復活が保証されていることを,どのように述べていますか。
18 この章は,バプテスマのヨハネからアベルにまでさかのぼる「多くの証人」の偉業を述べています。アベルはアダムとエバの子カインの弟で,エホバの忠実な証人となった最初の人です。(ヘブル 11:4から12:1)これら昔の信仰の人々が復活することは確かです。ヘブル書 11章を書いたクリスチャンの筆者は,これらの人々が「死人の中から人をよみがえらせる」神の力を信じていたことを証ししており,またクリスチャンの読者にむかって,この章の終わりに次のことを述べているからです。「さて,これらの人々はみな,信仰によってあかしされたが,約束のものは受けなかった。神はわたしたちのために,さらに良いものをあらかじめ備えて下さっているので,わたしたちをほかにしては彼らが全うされることはない」― ヘブル 11:19,35,39,40。
19 どんな意味において,その人々の復活は,「わたしたち(14万4000人)をほかにしては」あり得ないのですか。
19 イエス・キリストの忠実な弟子14万4000人は,イエスご自身と同じく,死から復活して「全うされ」ます。これらのクリスチャンをほかにして,すなわち彼らが天において「全うされ」る前に,クリスチャン時代以前の「多くの証人」が復活することはありません。イエス・キリストの忠実な共同相続者14万4000人の与る「第一の復活」は,時と質と重要さにおいて第一のものだからです。
20 (イ)それは14万4000人の復活にくらべて「まさった復活」ですか。(ロ)どんな意味において,それは「まさった復活」ですか。
20 ゆえに昔の「多くの証人」の受ける「まさった復活」が,天において神の国を相続する14万4000人の復活にまさることはありません。しかしそれは預言者エリヤとエリシャの手でよみがえらされた人々の復活にまさっています。それはイエス・キリストや使徒たちの手でよみがえらされた人々の復活にさえ,まさっています。a それはどのようにまさっているのですか。これら神のしもべたちがよみがえらせた人々は,再び死んでヘーデース(黄泉)またシェオール(陰府)に下ったからです。それはなぜですか。「異邦人の時」の支配が西暦1914年に終わった後になって,み子イエス・キリストによる天の神の国の支配が始まったからです。いまは設立された天の神の国の下で,昔の「多くの証人」の「まさった復活」があるのです。天の王イエス・キリストが「死と黄泉のかぎ」を用いてこれら昔の証人を黄泉(ヘーデース)すなわち陰府(シェオール)から呼び戻すとき,彼らは二度と死なないでしょう。それはなぜですか。
21 これら昔の証人は,復活ののち,なぜもう死ぬ必要がありませんか。
21 敬虔な信仰と従順を保ち,「いのちの書」に名前を留めることによって,この人々は完全な人間にまで次第に高められます。そして最後には,楽園となった地で完全な人間とって永遠に生きることのできる生命の報いを得ます。彼らは「火の池に投げ込まれ」ません。このような人は復活した時から信仰の人であり,従って完全な人間を目ざして歩みも容易なものとなるに違いありません。
22 ダニエル書 12章13節は,ダニエルに何を保証していますか。それは何時のことですか。
22 たとえば預言者ダニエルがいます。「ペルシャの王クロスの第三年」に,神の天使はこの「終りの時」に関する驚くべき預言をダニエルに告げました。この預言はダニエルに対する天使の次の言葉で終わっています。「しかし,終りまであなたの道を行きなさい。あなたは休みに入り,定められた日の終りに立って,あなたの分を受けるでしょう」。(ダニエル 10:1から12:13)b ヘブル書 11章33節に「彼らは……ししの口をふさぎ」と述べられた人々の中にダニエルも含まれているに違いありません。ダニエルは神の国の下に復活し,「立って」その分を受けます。―エゼキエル 14:14,20; 28:3。マタイ 24:15。c
23 (イ)アベルは殺された時,どこに下りましたか。(ロ)大洪水の前あるいは後に消滅した記念の墓に葬られていた人々はどうなりますか。
23 昔の「多くの証人」の最初の者アベルは,兄カインに殺され,葬られてシェオール(陰府)に下りました。アベルが記念の墓に葬られたかどうかは,聖書にしるされていません。(マタイ 23:35。ルカ 11:51。ヘブル 12:24。創世 4:8-11)アベルの時からノアの時代の世界的洪水の時に至るまで,多くの記念の墓が作られましたが,それらは破壊的な洪水によってまずたいていは流されてしまいました。しかし全知の神エホバは洪水前にヘーデース(黄泉)すなわちシェオール(陰府)に下った人々を知り,「〔アベル,エノクのような〕義者」も「不義者」も共に覚えています。エホバは,イエス・キリストによる御国の下で,ヘーデースまたシェオールに死人を出させます。紀元前2370年の洪水から今日に至るまでの間に消滅した多くの墓や記念の墓についても,同じ事が言えます。
ゲヘナ,「ヒンノムの谷」
24,25 (イ)死んで別の場所に行く人があることを,イエスはどのように語りましたか。その場所に行くことは何を意味しますか。(ロ)マタイ伝 23章13-33節において,イエスはこのような人々がだれであることを明らかにしていますか。
24 西暦33年のこと,「義人アベルの血から……バラキヤの子ザカリヤの血に至るまで,地上に流された義人の血」について語ったイエスは,当時の人々のうち,死んでヘーデース(黄泉)またシェオール(陰府)に行かず,別のところ,すなわちゲヘナに行く人があることを語りました。この理由でそのような人々は「わざわい」です。それはどんな人々ですか。マタイ伝 23章の中で,イエスはそれがだれであるかを明白にしています。
25 「わざはひなるかな,偽善なる学者,パリサイ人よ,なんぢらは人の前に天国を閉して,自ら入らず,入らんとする人の入るをも許さぬなり。わざはひなるかな,偽善なる学者,パリサイ人よ,汝らは一人の改宗者を得んために海陸を経めぐり,既に得れば,之を己に倍したるゲヘナの子とするなり。わざはひなるかな,偽善なる学者,パリサイ人よ,汝らは預言者の墓をたて,義人の碑を飾りて言ふ『我らもし先祖の時にありしならば,預言者の血を流すことにくみせざりしものを』と。かく汝らは預言者を殺しし者の子たるを自ら証す……蛇よ,まむしのすえよ,なんぢらいかでゲヘナの刑罰を避け得んや」― マタイ 23:13-15,29-33。
26 このような者はなぜゲヘナの子であり,ゲヘナのさばきを受けるようになりましたか。イエスはその事をどのように示していますか。
26 ゲヘナの子,ゲヘナのさばきにあう者とされたこれらの宗教的な人々は,悔い改めなかったユダヤ人の学者,パリサイ人とその改宗者でした。彼らは悔い改めることをせず,天国にはいるのを拒絶しました。イエスは次のように言葉をつづけて,その事を示しました。「それだから,わたしは,預言者,知者,律法学者たちをあなたがたにつかわすが,そのうちのある者を殺し,また〔杭〕につけ,そのある者を会堂でむち打ち,また町から町へと迫害して行くであろう。こうして義人アベルの血から,聖所と祭壇との間であなたがたが殺したバラキヤの子がザカリヤの血に至るまで,地上に流された義人の血の報いが,ことごとくあなたがたに及ぶであろう。よく言っておく。これらのことの報いは,みな今の時代に及ぶであろう」― マタイ 23:34-36,〔新世〕。
27 使徒行伝の示すところによれば,このような者の中には,ゲヘナのさばきを逃れた人がありましたか。
27 パリサイ人の中にも,クリスチャン使徒パウロとなったタルソのサウロのように悔い改め,天国を閉ざすことをやめた人もありました。(使行 7:58; 8:1-3; 9:1-30; 22:1-5; 23:6。ピリピ 3:4-6)使徒行伝 2章10節,8章27-39節にも,割礼を受けた改宗者のことが出ており,また使徒行伝 6章7節は「エルサレムにおける弟子の数が,非常にふえていき,祭司たちも多数,信仰を受け入れるようになった」ことを述べています。宗教的な偽善を捨てたこれらの人々は,クリスチャンの信仰に忠実に留まり,こうしてかつてはゲヘナのさばきを受ける身であったにもかかわらず,それを無事に逃れることができました。彼らは「蛇……まむしのすえ」悪魔を宗教的な父とした者たち,「悪魔でありサタンである龍」のすえでないことを証明しました。―ヨハネ 8:44。黙示 20:2。
28 ギリシャ語のゲヘナという語は何から出ていますか。原語を文字通りに訳すと,どんな言葉になりますか。
28 ゲヘナとはいったいどんな場所であり,またそれは何を象徴していますか。ギリシャ語の「ゲヘナ」は,「ヒンノムの谷」を意味するヘブライ語のゲー・ヒンノムを音訳した言葉です。ギリシャ語の言葉ゲヘナの音節「ゲ」は,「谷」を意味するヘブライ語のゲー(גיא)に相当し,残りの部分「ヘナ」はヒンノムに相当します。ヒンノムはさばき人ヨシュアの時代にいたある人の名前でした。
29 ゲヘナははじめ何でしたか。ヨシュア記 15章8節,18章16節によれば,そこで何が行なわれましたか。
29 ヒンノムの谷という名称が聖書の中にはじめて出てくるヨシュア記 15章8節を読むと,それはベニヤミンとユダの支族の領地を区切る境界線であり,エルサレムと関連しています。(ユダの)境はベンヒンノム〔ヒンノムの子〕の谷に沿って,エブスびとの地,すなわちエルサレムの南のわきに上り,ヒンノムの谷〔ヘブライ語でゲーヒンノム,ラテン語でゲ・エンノム〕の西にある山の頂に上る。これはレパイムの谷の北の果にあるものである」。ギリシャ語七十人訳はこれをオノムのファランクスすなわちオノムの裂け目(割れ目,小谷,峡谷)と呼んでいます。ヒンノムの谷は,ベニヤミンの支族の境界に関連してヨシュア記 18章16節にも出ています。
30 ゲヘナはイスラエル人によってどのように悪用されましたか。そのような悪用を防ぐために,何が行なわれましたか。
30 昔のエルサレムの西および西南にあったヒンノムの谷は,背教のユダヤ人によって悪用されるようになりました。歴代志下 28章3節はエルサレムのアハズ王に関して次のことを述べています。「ベンヒンノムの谷〔ゲー・ベネノム,七十人訳〕の谷で香をたき,その子らを火に焼いて供え物と(した)」。(また歴代下 33:6。エレミヤ 7:31,32。32:35)ヒンノムの谷がバアルの偶像崇拝に使われ,この偽りの神に人身御供をささげるために用いられたので,忠実なヨシヤ王はこの谷をわざと汚しました。列王紀下 23章10節はヨシヤ王について次のことを述べています。「王はまた,だれもそのむすこ娘を火に焼いて,[偽りの神]モレクにささげ物とすることのないように,ベンヒンノムの谷にあるトペテを汚した」。d この谷は現在ワディ・エル・ラバービと呼ばれています。
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その2ものみの塔 1965 | 6月1日
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その2
1 イエス時代のゲヘナとは何でしたか。それはどんな刑罰の象徴として用いられましたか。
ゲヘナすなわちヒンノムの谷は,クリスチャン・ギリシャ語聖書中に12回述べられています。イエス・キリストの時代にそれはエルサレムの城壁の外にあった谷であり,火の燃える場所でした。ゆえにそれは地上にあったのです。それはおよそ人間に臨む刑罰のうちで最悪のものの象徴となりました。たとえば山上の垂訓の一部であるマタイ伝 5章22節において,イエスはこう言われました。「すべて兄弟を怒る者は,審判にあふべし。また兄弟にむかひて,愚者よといふ者は,衆議にあふべし。また痴者といふ者は,ゲヘナの火にあふべし」。(文語)このようにイエスは「ゲヘナの火」を第3番目の,そして最悪の段階のものとしています。なぜそうですか。人を痴者と呼んでゲヘナの火に宣告された者は殺され,しかも葬られないからです。その死体はゲヘナの火で焼かれてしまうので,骨をひろってつぼにおさめることも行なわれません。それでこのような人は黄泉(ヘーデース)に行くとは述べられていません。
2,3 マタイ伝 5章29,30節は罪人の死体について何を示していますか。
2 同じ山上の垂訓の中で何節か後に,イエスは罪人の死体がゲヘナに投げ入れられて火葬にされることを示しています。マタイ伝 5章29,30節においてイエスは次のように言われました。
3 「もし右の目なんぢをつまづかせば,くじり出して棄てよ,五体の一つ亡びて,全身ゲヘナに投げ入れられぬは益なり。もし右の手なんぢをつまづかせば,切りて棄てよ,五体の一つ亡びて,全身ゲヘナに投げ入れられぬは益なり」。(文語)
4 イエスはここでゲヘナをどんな意味に使いましたか。その事はどうして明らかですか。
4 この言葉からわかるように,イエスはエルサレムの城壁の外にあった昔のゲヘナを象徴的に用いました。イエスはその追随者が文字通り目をくじり出し,文字通り右の手を切りすてることを意味したのではありません。イエスは私たちにとって大切なものが私たちのつまずきになる場合のことを語っていたのです。それでイエスは右の目と右の手のことを語りました。ゆえに目と右手が象徴的に使われている以上,ゲヘナも文字通りではなく象徴的な意味で語られているに違いありません。
5 マタイ伝 18章8,9節において,イエスは象徴的なゲヘナに投げ入れられることを,どんな事と対照させていますか。
5 ここでイエスはゲヘナに投げ入れられることを,生命を得ることに対照させています。その事に注目して下さい。これからわかるように,象徴的なゲヘナは少しも生命のないところです。マタイ伝 18章8,9節においてイエスは次のことを言われました。「もし汝の手,または足,なんぢをつまづかせば,切り棄てよ。不具またはあしなへにて生命に入るは,両手・両足ありて永遠の火に投げ入れらるるよりも勝るなり。もし汝の眼,なんぢをつまづかせば抜きて棄てよ。片眼にて生命に入るは,両眼ありて火のゲヘナに投げ入れらるるよりもまさるなり」。このように「火のゲヘナ」は,象徴的に言って「永遠の火」の燃える場所です。
6,7 (イ)エルサレムの外のゲヘナには,火のほかにどんな破壊的な物質が存在していましたか。(ロ)マルコ伝 9章43-48節において,イエスはこの事をどのように指摘しましたか。
6 イエスの言葉にあるように,エルサレムの外のゲヘナにはうじがいました。もちろん火の中にではなく,火の近くにあって腐敗しつつある有機体にわいたうじです。いうまでもなく,これは墓に葬られた人につくような,地中に住むみみずの類の虫ではありません。これはヘロデ・アグリッパ1世を食いつくしたような虫です。使徒行伝 12章23節によれば,「彼が神に栄光を帰さなかったので,エホバのみ使いは直ちに彼を打ち,彼は虫にかまれて息が絶えた」とあります。(新世)この同じギリシャ語(スコーレークス)を用いて,イエスは次のように言われました。
7 「もし汝の手なんぢをつまづかせば,之を切りて去れ,不具にて生命に入るは,両手ありて,ゲヘナの消えぬ火に往くよりも勝るなり。もし汝の足なんぢをつまづかせば,之を切り去れ,あしなへにて生命に入るは,両足ありてゲヘナに投げ入れらるるよりも勝るなり。もし汝の眼なんぢをつまづかせば,之を抜き出だせ,片眼にて神の国に入るは,両眼ありてゲヘナに投げ入れらるるよりも勝るなり。『彼処にては,その蛆〔スコーレークス〕「つきず,火も消えぬなり』」― マルコ 9:43-48,文語。イザヤ 66:24。
8 このようにゲヘナはどんな場所として描かれていますか。マクリントック,ストロングの大百科は,ゲヘナについて何を述べていますか。
8 それでエルサレムの外のゲヘナに投げ込まれた死体は,硫黄を加えた火の届かないところにあってもやはり消滅しました。それは腐敗してゆくからだに,はえが卵をうみつけ,うじがわくためです。ゆえにゲヘナとは完全な滅びまた消滅の場所であり,普通の墓また記念の墓に葬られるに値しないとされた者の死体がそこに投げ込まれました。マクリントック,ストロング大百科第3巻764頁ゲヘナの項に次のことが出ています。
これら忌むべきことのために,ヨシヤ王は谷を汚した。(列王下 23:10)その結果,谷は町のごみ捨て場となり,犯罪者の死体,動物の死体をはじめあらゆる不浄なものがそこに捨てられた。やや問題とされる後代の一権威によれば,燃えるものは何でも火で焼きつくされた。この谷が狭くて深いこと,また何時も火の燃える場所であったこと,あらゆる腐敗物,聖都を汚すもの一切がそこに捨てられたことから,後代においてそれは,虫も死なず,火も消えない永却の刑罰の象徴となった。タルマッド筆者はそこを地獄の門と認めた。「ヒンノムの谷には2本のしゅろがあり,その間に煙がたち上った……これはゲヘナの門である」。a
それが象徴するもの
9 (イ)マタイ伝 10章28節およびルカ伝 12章4,5節において,イエスはゲヘナに関して何を述べていますか。(ロ)神はからだと魂の両方を何時滅ぼしますか。それはどんな結果になりますか。
9 ゲヘナに関して権威者が何を述べているにしても,神のみ子イエス・キリストは何を言われましたか。全能の神から象徴的なゲヘナに定められることは,その人にとって何を意味しますか。12使徒を宣教に遣わした時のイエスの言葉は,それを明らかにしています。「身を殺して霊魂をころし得ぬ者どもをおそるな,身と霊魂とをゲヘナにて滅し得る者をおそれよ」。(マタイ 10:28,文語)別のときイエスは何千人の群衆に次のことを言われました。「我が友たる汝らに告ぐ,身を殺して後に何をも為し得ぬ者どもをおそるな。おそるべきものを汝らに示さん,殺したる後ゲヘナに投げ入るる権威ある者をおそれよ。われ汝らに告ぐ,げに之をおそれよ」。(ルカ 12:4,5,文語)全能の神が人間のからだと魂の両方をゲヘナで滅ぼすとき,何が残りますか。完全な滅びがあるのみです。この滅びは永遠のものであり,従って人間のからだと魂をこのように滅ぼすことは,永遠の刑罰となります。このような滅びから復活はありません。
10 象徴的なゲヘナの「火」が「永遠の火」であるということは,どのように理解すべきですか。
10 このようにイエスは,火で焼きつくすように完全で,回復不可能な滅びの象徴としてゲヘナを用いました。この滅びは永遠であり,従って象徴的なゲヘナの火は「永遠の火」と呼ばれています。それはこのようなゲヘナが常に存在し,その中の者を決して出さないこと,それがからになることはないという意味です。アダムに由来した死と黄泉(ヘーデース)はなくなりますが,ゲヘナはなくなることがありません。(黙示 20:13)比喩的に言って,象徴的なゲヘナは常に燃えており,未来永却にわたって如何なる時においても,神に反逆する者を滅ぼす用意をしています。
11 象徴的なゲヘナからの復活がないのはなぜですか。
11 象徴的なゲヘナは永遠の滅びの場所であるゆえに,イエスはゲヘナにはいることを,生命にはいることの反対としています。従ってゲヘナにはいり,からだと魂を神から滅ぼされてしまう人は,天の神の国においても神の国の下に復興する地上の楽園においても,永遠の生命の機会を得るために復活することがどうしてありますか。象徴的なゲヘナからの復活はありません。
12,13 (イ)ほしいままな舌は,どれだけの人々を動かすことができますか。それは何を汚しますか。(ロ)ゲヘナのように,舌は何の原因になることがありますか。
12 火の燃えるゲヘナは破壊的です。それで弟子ヤコブは,ほしいままに語る人間の舌をそれと結びつけています。「〔大きな森を燃やす小さな火のように〕舌は火である。不義の世界である。舌はわたしたちの器官の一つとしてそなえられたものであるが,全身を汚し,生存の車輪を燃やし,自らは地獄〔ゲヘナ,新世〕の火で焼かれる」― ヤコブ 3:6。
13 ゆえにとくにどの人に限らず,全人類の世は舌に気をつけなければなりません。全人類は不義のうちに生まれているからです。舌は人の口から口に伝わる宣伝によって全世界を燃やし,人々を不義にかりたてる力を持っています。舌はそのまわりを囲む口だけでなく全身を汚します。それでからだの美しい人でも舌を制することをしなければ,からだの美が与える印象を台なしにします。神の前ではとくにそうです。なぜならイエスは,私たちが自分の言葉によって義とされ,あるいは罪せられると言われました。(マタイ 12:37)ゲヘナのように,舌はとり返しのつかない破滅の原因となります。
14 ゲヘナによって火をつけられた舌は,その持ち主を何に陥れることがありますか。
14 からだを汚す火のような言葉は人の生活全体に影響を及ぼし,身の破滅を招く行動に人を燃やす力を持っています。それでヤコブは,「舌を制しうる人は,ひとりもいない。それは,制しにくい悪であって,死の毒に満ちている」と書いているのです。ゲヘナによって火をつけられた舌のために,その持ち主は象徴的なゲヘナに行く者として神から宣告されるかも知れません。そのような舌は心の悪いことを示しているからです。―詩篇 5:9,ロマ書 3:13をごらん下さい。
「帰らざる国」
15 (イ)ゲヘナに相当するものは,黙示録の中でどのように象徴されていますか。(ロ)天からそゝがれた火と硫黄は,ソドムとゴモラにどんな影響を与えましたか。
15 聖書の巻末におさめられたヨハネへの黙示の中に,ゲヘナの語は出ていません。しかしゲヘナに相当するものは「硫黄の燃えている火の池」「火と硫黄との池」「火の池」「火と硫黄の燃えている池」によって象徴されています。(黙示 19:20; 20:10,14,15; 21:8)硫黄を混ぜた火の中に可燃物を投ずるならば,どうなるかは明らかです。アブラハムとそのおいロトの時代に,「エホバ硫黄と火をエホバの所より即ち天よりソドムとゴモラにふらしめ」と,創世記 19章24節(文語)にあります。ソドムとゴモラがこの事からこうむった結果について,イエスは次のように語りました。「ロトがソドムから出て行った日に,天から火と硫黄とが降ってきて,彼らをことごとく滅ぼした」― ルカ 17:29。
16 (イ)ソドムの場合に,湖がどのように火と硫黄に関連していましたか。(ロ)人々に降りそそいだ火と硫黄は一時のあいだ,そして最後にどんな結果をもたらしましたか。
16 そのうえソドムは死海すなわち塩の海の近くにありました。この大きな内陸湖にはどんな生物も生息していません。それでこの地域の町々に降りそそいだ文字通りの火と硫黄が死の荒廃をもたらしたさまは,容易に想像できます。黙示録におけると同じく,ここでも死の湖と火と硫黄とが関連しています。火と硫黄の降りそそいだとき,人々は意識のある間苦しんだかも知れませんが,硫黄を混じた火は遂に人々を滅ぼしました。b このように苦しんでのち滅びる事が黙示録 14章10,11節および詩篇 11篇5,6節にも述べられており,明らかに象徴的な意味の火と硫黄が同時に述べられています。
17 マゴグのゴグの軍勢の上に何がそそがれますか。それはどんな結果になりますか。
17 復興したエホバの民を攻めるマゴグの地のゴグの軍勢を滅ぼすために,神はエゼキル書 38章22節にあるように「火と硫黄」を使います。ゴグの軍勢は火と硫黄のために暫らくは苦しむかも知れませんが,最後には影も形もなく滅びてしまいます。その事は次の章すなわちエゼキエル書 39章11-20節に示されています。マゴグのゴグの軍勢の死体は最後の骨に至るまで捨てられてしまうでしょう。
18 黙示録 20章14節において,黄泉(ヘーデース)また陰府(シェオール)と,火と硫黄の池との相違がどのように示されていますか。
18 前述のことから全く明らかなように,ヘーデース(黄泉)またシェオール(陰府)は,ゲヘナおよび「火と硫黄の燃える池」と異なります。両者が同じものならば,黙示録 20章14節にあるように「死も黄泉も火の池に投げ込まれた」と言うことはできません。この節はまた次のように述べて「火の池」の意味を明らかにしています。「この火の池が第二の死である」。
19 (イ)「第二の死」(「火の池」)は,その中に投げ込まれたものを出すことがありますか。(ロ)従ってゲヘナあるいは火と硫黄の池は何を象徴しますか。
19 すべての人がアダムから受け継いだ死は,このように「第二の死」にあって消滅します。死は「第二の死」に永遠に滅ぼされ,従ってそこで永遠に苦しめられることはありません。黄泉(ヘーデース)も同様であって,「第二の死」の中におかれて永遠に苦しめられるのではなく,この象徴的な「火の池」の中で永遠に滅ぼされます。この「火の池」すなわち「第二の死」は,その中に投げ込まれた「死と黄泉」を決して出しません。ゆえにゲヘナすなわと火と硫黄の燃える池は,復活のない,永遠にわたる,全くの滅びを表わす聖書の言葉です。そこで受け継がれた死と黄泉から復活によって出てきた人も,生命の書に名を書かれなければ,後になって「火の池に投げ込まれ」て「第二の死」を受けます。―黙示 20:15。
20 (イ)「獣」と「にせ預言者」はどこに投げこまれますか。何時そしてどの位のあいだ?(ロ)その事は何を象徴していますか。
20 黙示録 19章20節によれば,きたるべき「全能の神の大いなる日の戦闘」のとき,「獣」と「にせ預言者」は,「硫黄の燃えている火の池に投げ込まれ」ます。これはサタン悪魔と悪鬼が捕えられ,キリストの千年統治のあいだ底のないところに束縛される直前のことです。千年統治の終わったときにも,象徴的な「獣」と「にせ預言者」は,象徴的な「火と硫黄の燃えている火の池」になおあり,サタンと悪鬼が底のないところから解放されて人類を惑わそうとする時にも,そこから解放されません。象徴的な「獣」と「にせ預言者」は「第二の死」と呼ばれる滅びの場所から決して解放されず,後に他の者たちが「火の池」に投げ込まれて彼らに加わる時にもそこにいます。(黙示 20:10,15)ゆえにきたるべき「大いなる日の戦闘」がハルマゲドンで行なわれるときに,象徴的な「獣」と「にせ預言者」は永遠にわたる滅びを受け,決して復活することがありません。
21 (イ)底のないところから一時釈放されたのち,サタン悪魔はどこに投げ込まれますか。これはどのようにヘブル書 2章14節の完全な成就となりますか。(ロ)悪魔の永遠の刑罰の場所は,マタイ伝 25章41節において象徴的にどのように述べられていますか。
21 あがなわれた人類を治めるキリストの千年統治が成功のうちに終わったとき,サタンと悪鬼は底のないところから解放されます。このように彼らを出すことによって,底のないところは事実上存在しなくなります。しばしの自由を用いて,サタンと悪鬼は神の国の地上の民を一人でも多く惑わして滅びに陥れようとするでしょう。その後サタンと悪鬼は「第二の死」に投げ込まれます。そこは「獣」と「にせ預言者」が前からいるところです。(黙示 20:1-3,7-10)このようにしてエホバ神は,ご自分を犠牲にしたみ子イエス・キリストにより,「死の力を持つ者,すなわち悪魔を,〔キリストの〕死によって滅ぼ」すという栄光のお目的を成し遂げます。(ヘブル 2:14)「永遠の滅び」というこの刑罰は,「悪魔とその使たちとのために用意されている永遠の火」によって象徴され,イエスはマタイ伝 25章31-33,41,46節において,山羊にたとえられた,のろわれた者がハルマゲドンの時そこにはいると言われました。
復活に値しない
22,23 (イ)イエスは,ユダヤ人の宗教指導者にどんな警告の言葉を告げましたか。それはどんな結果を生みましたか。(ロ)エルサレムの議会に述べたステパノの言葉から見て,これらのさばき人はイエスの警告に耳を傾けたと言えますか。
22 19世紀前,人間となって地上に来られた時のイエス・キリストは,ゲヘナの象徴する永遠の滅びに陥る危険を当時のユダヤ人に警告しました。ユダヤ人の偽善的宗教指導者は,異邦人を改宗させては「己に倍したるゲヘナの子」にしていると,イエスは語りました。イエスはユダヤ人の偽善的学者,パリサイ人をへび,まむしのすえと呼び,彼らが「古き蛇」サタン悪魔の子であることを明らかにしています。そして神の国と神の国の伝道者にしつように反対する彼らが,どうして「ゲヘナの刑罰を避け得」るだろうかと問うています。(マタイ 23:13-15,29-36,文語)彼らは「自分の父,すなわち,悪魔」の偽りと殺人行為をつづけました。(ヨハネ 8:44)「信仰と聖霊とに満ちた人ステパノ」は,彼らの手にかかって殺される少し前に次のように述べています。
23 「ああ,強情で,心にも耳にも割礼のない人たちよ。あなたがたは,いつも聖霊に逆らっている。それは,あなたがたの先祖と同じである。いったい,あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が,ひとりでもいたか。彼らは正しいかたの来ることを予告した人たちを殺し,今やあなたがたは,その正しいかたを裏切る者,また殺す者となった。あなたがたは,御使たちによって伝えられた律法を受けたのに,それを守ることをしなかった」― 使行 6:5; 7:51-60。
24 (イ)悔い改めなかったユダヤの宗教指導者は,死んだ時どこに行きましたか。それで復活の希望がありますか。(ロ)マタイ伝 15章12-14節によれば,だれが彼らと共にそこへ行きましたか。
24 このようなユダヤ人宗教指導者のうち,聖霊にさからい,メシヤによる神の国に反対して御国の伝道者を迫害する行ないを悔い改めなかった者は,「ゲヘナの刑罰を避け得」ませんでした。彼らは何時死んだにしても,死んだときゲヘナに行きました。そのため,彼らが神の国の治める地に復活することはありません。儀式ばった葬式によって崇められたにしても,彼らはヘーデース(黄泉)またシェオール(陰府)に行きませんでした。彼らは神から「ゲヘナの刑罰」を受けました。彼らは「盲目な案内者」であり,これらの偽善的な盲目の案内者に従った,宗教的に盲目なユダヤ人や改宗者は共にゲヘナに陥りました。導いた者も導かれた者も,イエスがマタイ伝 15章12-14節に述べたように「穴に落ち込み」ました。「第二の死」に落ち込んだ彼らはキリストの犠牲の恩恵に与らず,死から復活することがありません。イエスが死んだのは,ゲヘナに行く者のためではありません。―マタイ 23:16,17,19,24,26。
25,26 (イ)当時の世界にいた全部のユダヤ人について,どんな疑問が起きますか。(ロ)マタイ伝 12章39-42節にあるイエスの言葉によれば,だれがその時代のユダヤ人を罪に定めますか。
25 西暦1世紀,当時の世界に散らばっていたユダヤ人全体についてはどうですか。天の希望を抱くクリスチャンにならなかったユダヤ人は連帯責任によって死のときゲヘナに行くように定められ,従って復活に値しない者となりましたか。ユダヤ人の世代を他の人々とくらべ,預言者ヨナとシバの女王について述べたイエスの次の言葉は,正しい答えを得る手がかりとなっています。
26 「邪悪で不義な時代は,しるしを求める。しかし,預言者ヨナのしるしのほかには,なんのしるしも与えられないであろう。すなわち,ヨナが三日三晩,大魚の腹の中にいたように,人の子も三日三晩,地の中にいるであろう。ニネベの人々が,今の時代の人々と共にさばき〔クリシス〕の場に立って〔アナステソンタイ〕,彼らを罪に定めるであろう。なぜなら,ニネベの人々はヨナの宣教によって悔い改めたからである。しかし見よ,ヨナにまさる者がここにいる。南の女王が,今の時代の人々と共にさばきの場に立って,彼らを罪に定めるであろう。なぜなら,彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果から,はるばるきたからである。しかし見よ,ソロモンにまさる者がここにいる」― マタイ 12:39-42。ルカ 11:29-32。
27 アッシリアのニネベ人がこの事をするには,他の聖句とも一致してニネベ人に何が必要ですか。
27 「ニネベの人々」がさばきの時に立って証人となるには,死から復活しなければなりません。ニネベは古代アッシリアの首都です。先に述べた通り,エゼキエル書 32章21,22節は「アッスリヤとその仲間とはその所におり,その墓はこれを囲む」と述べて,彼らがシェオール(陰府)すなわちヘーデース(黄泉)にいることを明らかにしています。ヘーデースすなわちシェオールがその中の死人全部をさばきの日に出す以上(黙示 20:11-15),ニネベの人々も,キリストの千年統治の間にその埋葬の場所から地に復活してこなければなりません。
28 当時のユダヤ人が復活しなくても,ニネベ人は彼らを罪に定めることをしますか。ニネベ人はその事をどのようにしますか。
28 イエスの言葉を見ると,ニネベの人々が「この時代の人々と共に」さばきの場に立つのであって,この時代の人々に敵して立つのではありません。この事から見て,イエスと使徒時代のユダヤ人全部が死の時に「ゲヘナの刑罰」に定められたのではありません。キリスト教に改宗しなかったにもかかわらず,彼らは神の恵みによってヘーデース(黄泉)すなわちシェオール(陰府)に行きました。それで「大きな白い御座」の前に立ってさばかれるため,アッシリア人や,ニネベ人と共に復活を受けます。そのとき,昔のヨナの時代の行ないによって紀元前8世紀のニネベ人は,イエス時代のユダヤ人を罪に定めるでしょう。それはなぜですか。アッシリアのニネベ人はユダヤ人の宗教に改宗しなかったにしても,エホバの預言者ヨナの語ることを聞いて悔い改めました。しかしユダヤ人はヨナよりもはるかに偉大で重要なイエス・キリストの伝道を聞いても悔い改めなかったからです。
29 (イ)ニネベ人がユダヤ人を罪に定めることは,刑罰の宣告を意味しますか。(ロ)復活して不利なさばきを受けるかどうかは,どのように決まりますか。
29 ニネベ人が不信仰で心のかたくななユダヤ人を罪に定めると言っても,このようなユダヤ人をゲヘナに定めるわけではありません。その事をできるのは,天のさばき主エホバ神とその代理者イエス・キリストだけです。イエス時代に罪に定められたユダヤ人は,キリストの千年統治の残りの年月に地上で何をするかによって二つの事のうち一つを選ぶ結果となります。それはゲヘナすなわち「火の池」,「第二の死」に定められるにふさわしい者となるか,あるいは「いのちの書」に名を書かれるのにふさわしい者となるかのいずれかです。このようにしてヘーデース(黄泉)すなわちシェオール(陰府)から出て生命の復活を受けたことになるか,不利なさばきの復活を受けたことになるかが決まります。―ヨハネ 5:28,29。
30 (イ)ほかにだれが,イエス時代のユダヤ人を罪に定めますか。(ロ)そのためシバの女王にとって何が必要ですか。
30 同様にイエス時代のユダヤ人を罪に定める者は,アッシリアのニネベ人の他にもいます。それは「南の女王」です。列王紀上 10章1節から10節اおよび歴代志下 9章1節から9節によれば,彼女はシバの女王でした。シバ人の国シバはエルサレムから南に1000マイル以上はなれた南西アラビアにありました。これはおそらく今日のイエーメン東部にあたります。シバの女王の国つまり国の人々はエゼキエル書 31章,32章の中で,シェオールすなわちヘーデースに死んでいる人々のうちにあげられていません。しかしシバの国は大体の方角を言えば,エゼキエル書にあげられた土地の方角に位置していました。この「南の女王」すなわちシバの女王は,「今の時代の人々〔に敵してではなく〕と共にさばきの場に立つ」ことでしょう。それでシバの女王は復活しなければなりません。しかも女王だけではなく,その民もキリストの千年統治のあいだ,「大きな白い御座」の前でさばかれるために復活することでしょう。エゼキエル書に名前のあげられている他の人々と同じく,南の女王とその民もシェオールすなわちヘーデースにあり,従って復活を受けます。
31 (イ)南の女王の行いは,なぜイエス時代のユダヤ人を罪に定めるものでしたか。(ロ)この事からユダヤ人はさばきの日に何を学ぶべきですか。
31 よみがえらされたシバ人の中でもとくに女王は,イエスの時より1000年前のその行ないによって,イエス時代のユダヤ人を罪に定めるでしょう。女王はソロモン王の知恵を聞き,エルサレムにおけるソロモンのわざを見るために,当時の交通機関を考えれば非常に長い道のりをやって来ました。その結果,女王はソロモン王の神を認めました。しかしイエス・キリストはソロモン王よりもはるかに偉大であり,重要です。それにもかかわらずイエス時代に生きていたユダヤ人の大多数は,イエスの語った天の知恵に耳を傾けませんでした。それでキリストの治めるさばきの日にこれらのユダヤ人と南の女王がならび立つとき,両者の対照はユダヤ人を恥じ入らせるでしょう。こうして彼らは偉大なソロモンの1000年の支配に服従することを学ばなければなりません。
32 ソロモン王自身についてどんな疑問が生じますか。列王紀上 11章43節および歴代志下 9章31節は,この問題にどのように光を投げかけていますか。
32 シバの女王はシェオール(陰府)すなわちヘーデース(黄泉)からの復活に与るでしょう。しかし女王の訪問を受けたソロモン王はどうなりますか。ソロモンの父ダビデはエホバに是認された昔の証人の一人としてヘブル書 11章32節にあげられていますが,昔の王の中で最も知恵にすぐれ,聖書の3つの本を書いたソロモンはそこにあげられていません。シバの女王の訪問を受けてしばらくのち,ソロモンは何百人に上った妻とそばめの感化によって異教の愚かな偶像崇拝に心を転じました。(列王上 11:1-8。ネヘミヤ 13:25,26。ロマ 1:25)しかし列王紀上 11章43節および歴代志下 9章31節によれば,「ソロモンはその先祖と共に眠って,父ダビデの町に葬られ」ました。ゆえにダビデをも含めてその先祖と共に死の眠りについたソロモンはシェオール(陰府)すなわちヘーデース(黄泉)にあり,大いなるソロモンの御国の下によみがえってくることでしょう。―申命記 31:16,サムエル後書 7:12,列王記上 1:21,列王記下 20:21とくらべて下さい。
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