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神の目的とエホバの証者(その24)ものみの塔 1961 | 8月15日
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て入れられました。そして,第6番目の肝要な真理は次のように述べていたのです。
サタンは諸国民と地上の国民に対する悪い支配を断念しようとしない。したがって,万軍のエホバは,油そそがれた執行者キリスト・イエスと共に,サタンとその悪の勢力に対して戦いを行なうであろう。今後は,われわれの戦闘の叫びは「エホバの剣ぞ,油注がれし者の剣ぞ」であろう。間もない中に始まるハルマゲドンの大いなる戦いは,サタンを全く抑制して,彼の悪い制度を完全にくつがえし,エホバは新しい支配者キリストにより地に正義を設立するであろう。そして,人類を悪から解放して,地上の全国民に永遠の祝福をもたらすであろう。……f
ロイス: 神の敵共に対するこの決議運動のすばらしい最高潮ですね!
マリア: 指導者でも国民大衆でも,この宇宙についての論争についてエホバの証者がどの立場に立っているかについては,もう一点の疑問もなくなりました。
ジョン: これがそのときになされたということは特に意味深いものでした。新しい世の社会は,ものみの塔協会と交わっていた者によってつくられたということは,当時のエホバの証者の知らなかったことです。しかし,エホバ神の目的は遂行されます。人間歴史の6000年以上もの期間中,サタンが計画して建てた制度はいまや永久に消滅しようとしていました。神と一致調和する人々が地に住むには,新しい制度が来なければなりません。
1919年からの20年の期間は,強烈な変化と大論争の期間でありました。サタンは,「天の戦争」で不名誉な敗北をうけて後,自分の勢力を再組織しようと最大の努力をかたむけました。新世社会が誕生して1年か2年の中に国際連盟,ファシズム,ナチズム,共産主義もみな誕生し,共に発展しました。それぞれは,自分たちの原則にしたがい,世界の諸国民の中にその立場を見つけようと努力したのです。
エホバの証者たちには,最終の結果がどういうものであるか,すこしの疑問も持ちませんでした。彼らの立場は神の御言葉に基いているからです。そして,1922年から1928年までのこの一連の大たんな決議によって,彼らはつよい立場を取りました。彼らはもうそれからひきさがることはできなくなりました。古い世の社会と新しい世の社会のあいだの戦争は行なわれ,エホバが僕たちを通して述べられる最終の裁きの宣言文の中で,この世の組織制度の不信心な同盟の張本人はばくろされて公然の嘲笑と,恥をうけるようになりました。いまではサタンはその正体が明らかにされました。彼は背教者,あざむきをする者と示されました。そして,おろかにも彼の罠に落ちこむ者は,絶滅をまぬかれないということが示されたのです。
この危険な期間の最初の10年は過ぎて行きました。サタンを非難しエホバを支持するこの宣言がなされたとき,次の10年にどういう結果が生ずるかは,ひとりとしてはっきり知る者はいませんでした。しかし,その期間中に終りが来ても,来なくても,エホバの証者はエホバが勝利を得られると確信していました。この強烈な非難の宣言文が発せられた後の10年間は,活動,つらい試錬,そしてエホバの忠実な証者たちの心をよろこばせる結果でみちみちていました。
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感謝の言葉ものみの塔 1961 | 8月15日
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感謝の言葉
1959年3月9日ニューヨーク州サウスランシングにおいて「御国宣教学校」の最初のクラスが開かれました。これはエホバの証者の新世社会の監督に特別な訓練を与えるものです。その時から世界各地で同様な学校が開かれました。この学校はどのようなものでしたか。以下にかかげる感謝の言葉を読んで下さい。
アメリカ合衆国において,学校を終えた監督のある群れは語りました,「私たちは基礎的な聖書の原則と,監督がそれを用いる方法を教えられました。この教えはイエスや使徒たちが1世紀のクリスチャンに与えたと同様にきわめて愛のある,実際的な方法で授けられました」。
オランダの学校に出席したあるグループは次のように語っています,「4週間という短い期間に私たちは真理,方針,原則に関する,比類のない訓練を受けました。この訓練によって私たちはエホバに対する責任をいっそう深く認識させられました。エホバと神権制度に対する私たちの関係をはっきりと理解したことは,私たちにとってほんとうにすばらしい経験でした」。
学校を終えてフランスのあるグループは,学校を次のように評価しています,「私たちは,教科書の中におさめられた時宜にかなう助言に感謝しています。私たちは制度がいままでにないほど円熟した証拠を見,エホバの制度を常に認めて尊敬すること,制度と歩みをそろえてクリスチャンの円熟に進歩することは私たちの永遠の福利になるという事をたしかに知りました」。
ドイツの監督たちも深い感謝の意を表明しています。「数週間にわたり,充実した訓練,愛のあるすすめと励ましを受けました。そのすべては私たちの心をおどらせた期待,最初に招待された時の喜びをはるかに上回るものでした。……天と地の制度の一致した脈はくが学校においてよく感じられました。これからの何年にもわたり,学校は制度に大きな影響を与えるものと確信しています。私たちの願いは,御国の事柄を忠実に行ない,エホバに誉をもたらすと共に何千人の兄弟たちを助けて私たちの父の過分の御親切に感謝を表わし,あらたな心で自分を捧げることです」。
協会のブルックリンの本部に働き,ニューヨークの一会衆の僕をつとめるある兄弟は学校に出席しました。その兄弟は次のように語っています,「96時間に及ぶ教室での討議,またそれと同じ時間にわたる個人勉強の機会は,霊的に富ませる経験となりました。監督としての私の生活は新しい意味を持つようになり,ベテルに対する認識も深められました」。
これはスイスからの感謝の言葉です,「エホバは御自身の民の偉大な羊飼であられ,御自身の地上の制度を導かれています。また御自身の僕一人一人の福祉と進歩に関心を持たれています。この訓練はその事を更に証明するものと私たちは考えます。……更に大勢の僕たちがこの訓練を受ける特権に与るようにと希望しています。……ベテルに滞在して私たちは規則正しく行なわれる協会の仕事を見,ベテルで働く兄弟の無私の奉仕にいっそう感謝の念を覚えるようになりまた。これらの兄弟たちと一緒に働いたことは,大きな喜びであり,私たちを豊かにさせました。これはまた全国各地の監督たちと親しく交わるよい機会ともなりました」。
会衆の人々でさえも学校の益を受けて深く感謝していることを示すものとして,カナダのブリテイッシユ・コロンビアにある一会衆の姉妹は次のような便りを寄せました,「私たちの巡回の僕の受けた特別な訓練に対して,感謝の意を表わしたいと思います。私たちは先回の訪問のとき,たしかにその益を受けました。今までの訪問からも常に励ましと援助を受けてきましたが,この度の訪問は以前とは大きな違いでした。いたむ傷の上に暖かい愛という油が注がれて,痛みなしにいやされたとでも表現するほかはありません。過去1年ばかりの間,サタンの攻撃と肉の試練になやまされてきた私たちは,びっこで盲の捧げ物をしてきたと言われることを期待していました。ところが,私たちのしたことに対して感謝され,ほめられたのです。その結果は御存じの通りです。私たちは更に励みつづけたいと望み,エホバの助けを得てそうする決心です。それでエホバの導きに従い,私たちの必要をみたして下さったことを協会に感謝しています」。
日本のエホバの証者も,この国で御国宣教学校の設けられたことを喜んでいます。すでに3つのクラスがその課程を終えました。日本中の大勢の人にとって学校は祝福となっています。
たしかにイザヤ書 54章13節の次の言葉は真実です,「又なんぢの子らは皆エホバに教をうけ,なんぢの子らのやすきは大ならん」
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読者よりの質問ものみの塔 1961 | 8月15日
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読者よりの質問
● イエスは,どういう意味で,「あなたがたは聖書も神の力も知らないから,思い違いをしている。復活の時には,彼らはめとったり,とついだりすることはない」と言われたのですか。(マタイ 23:29,30,新口)復活と,復活の時には結婚しないということについて,サドカイ人が知っているべきであったどんな事がヘブル語聖書に書かれていますか。―アメリカの一読者より
サドカイ人が復活を信じていなかったことは,福音書の記録はもとより,使徒行伝 23章6節から10節の記録 ― パウロが死人の復活を信ずると言ったために,パリサイ人とサドカイ人との間に論争が起きたことが書かれている ― からも明らかです。サドカイ人は,イエスがまちがっていることを証明するつもりで,7人の兄弟をつぎつぎに夫にした女は,復活した時にだれの妻になるのかというこうかつな質問をしましたが,イエスは彼らを逆襲して,彼らがまちがっていることを証明しました。それをするに当たってイエスは,ヨブ(14:13-15)や,ホセア(13:14),ダニエル(12:13)の言葉など,死人の復活を示す多くの聖句を引用することができたでしょう。しかし,サドカイ人たちは,モーセの五書だけが霊感されたものだと信じていたので,イエスは,エホバがもえるしばの所でモーセに言われた言葉を用いてこの点を証明しました。
これは,イエスのがわの実に見事な一撃でした。というのは,サドカイ人たちは,モーセの五書に通じていると自負していたからです。それなのに彼らは,イエスが指摘した復活の暗示を,五書の中にはっきりと見ることができていなかったのです。神が,もえるしばの所でモーセに,エホバ神は死者の神でなく生きている者の神であることを啓示するためにいわれた言葉の意味をつかんでいなかったのです。その時死んでいたアプラハム,イサク,ヤコブが,また生きかえって,彼らの共通の神を崇拝するには,死から復活しなければならないでしょう。エホバ神は,死人を復活させるという奇跡を行なう力をもっておられました。
神が復活させる力をもっておられたことは,サドカイ人がこうかつな質問でイエスをやっつけようとした前に,神の御子イエス自身によってすでに実証されていました。このような強い理由があったため,イエスは,サドカイ人たちが結局はあまり利口でないこと,死人の復活を過少評価する点でまちがっていること,このことで彼らがまちがっているのは,モーセによる聖書も,残りの預言書も,また奇跡を行なう神の力も知らないためであることを卒直に彼らに告げることができました。
イエスは,サドカイ人に次のことを教えることによって復活にかんする彼らの質問を容易にきりぬけました。すなわち,地上に復活してくる者は,めとったりとついだりしないこと,そのため,この古い世において7人の兄弟を順々に夫にした女が,だれの妻になるかというような問題は起きないということです。こうしてイエスは,サドカイ人たちが,記録された聖書,ことにモーセの律法にくわしくても,それらの意味と預言的力に関する真の知識をもっていないことを示されました。サドカイ人たちが聖書を知っていたなら,聖書が復活を教えていることも知っていたでしょう。また神の力というものを知っていたなら,復活に関するいかなる問題も,神にとっては少しも問題でないことを知っていたはずです。
● 「御心が地になるように」の14章17節(1960年7月15日号ものみの塔276頁)の「この地球を太陽系の他の遊星と異ならせている大海」という説の権威となる本を教えて下さい。―アメリカの一読者より
私たちの太陽系の遊星に関するどの天文学の本の説明を読んでも,「御心が地になるように」の14章17に,大量の水が,この地球を,太陽系の他の遊星と異なったものにしているという説が正しいかどうかすぐに分かるでしょう。理由は簡単で,他の諸遊星の,太陽から離れている距離が地球と同じでないということにあります。したがって,諸遊星の温度は,太陽への距離の長短にしたがって異なるわけです。
一例をあげると,金星の太陽に面しているがわは,零度より何百度も高いですが,反対側は零下何百度です。こういう状態が,H2Oにどう影響するかは理解できます。地球は,太陽から適当な距離に位置しています。ですから,人間が生命を保つために,また人間の依存する自然界の理法にとっても,ちょうど適した状態が地球にあるわけです。
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