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彼らはまた生きるだろうか目ざめよ! 1978 | 6月8日
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彼らはまた生きるだろうか
愛する身内の者や親友の死に直面するとき,人は全く無力です。世界で最も進んだ医学的知識も,たった一人の人間を死の手から解放することには役立たないのです。遺族を慰めようにもその言葉が見つからなくて困る人も少なくありません。死は全く最終的なもの,全く取り返しのつかないもののように思えます。しかし,本当にそうでしょうか。
人間の造り主の霊感によって書かれたというある本は,この質問に答えを与えています。そして多くの証拠は,神の霊感によるというその主張が正しいことを確証しています。その本を調べたことについて,アメリカの元最高裁判所長官は次のように述べました。「それは長い,真剣な,そして深い研究だった。わたしは世俗の問題を扱う際にいつも行なうように,この宗教上の問題においても証拠の法則を利用し,結論に到達した。……それは神から与えられたものである」。他の幾百万という人々も,身近に見られる証拠に基づいて同じ結論に達しました。その本というのは聖書です。
人間は地の諸元素から創造されたものであることを聖書は明らかにしています。「エホバ神は,地面の塵から人を形造り,その鼻孔に命の息を吹き入れられた。すると,人は生きた魂になった」と書かれています。(創世 2:7,新)その最初の人間アダムの前には,限りない命の見込みが置かれていました。しかし神のおきてに背いたとき,彼に対して次の宣告が言い渡されました。「あなたは顔に汗してパンを食べ,やがて地面に戻るであろう。あなたはそれから取られたからである。あなたは塵だから塵に戻る」。(創世 3:19,新)アダムの死以来幾世紀もの歳月が流れ,その間に彼の幾十億もの子孫が同じように生命のない塵に戻りました。
最初の人間を地の塵から創造されたのであれば,全能の神は死者を復活させる能力もお持ちであるにちがいない,と結論するのは妥当ではないでしょうか。死者をそのようにして生き返らせるといっても,故人を作り上げていた同じ分子を再び集める必要はありません。分子は人が生きているときでも七年ごとに代わるのです。ですから分子は,人の性格を決める重要な要素ではありません。わたしたちがわたしたちであることを明らかにするものは,容姿,声,個性,精神の発育度,経験,記憶などです。ですから同じ分子ではなく,個人すなわち魂が生き返らされなければなりません。
至高者は,まさにその通りのことが生ずることを約束しておられます。「地面の塵の中で眠る者のうち目覚める者が多くいる」と,聖書には記されています。(ダニエル 12:2,新)「あなたの死んだ者たちは生きる。わたしの遺体 ― それらは起き上がる。目覚めよ,喜びに満ちて叫べ,あなたがた塵や中の居留民よ! あなたの露は,あおいの露のようであり,地そのものは死んで無力の者たちをさえ生み落とすからである」― イザヤ 26:19,新。
考えただけでも心が躍る将来ではありませんか。ちょうど露が草木をよみがえらすように,神の活動力,すなわち霊の働きは,死者を眠りから覚ますのです。地は子宮のように,「死んで無力」であった者たちを産み出すのです。
神が死者を生き返らせることについてもっと詳しく知りたい方は,次にエホバの証人がお訪ねするとき,彼らにお尋ねになってください。復活に関する神の約束に対して十分な根拠のある信仰を持つなら,それは現在においてあなたの励ましとなり,また他の人たちが不幸に遭うときに真の慰めを与えることができます。
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安楽死 ― 弁護士の見解目ざめよ! 1978 | 6月8日
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安楽死 ― 弁護士の見解
フィリピンの「目ざめよ!」通信員
自分が不治の病にかかっていることを医師から知らされた80歳の老人を想像してください。これからは体の調子が悪くなりますよ,とその老人は言われています。痛みはしだいにひどくなり,体の機能も徐々に失われていきます。薬剤は激しい苦痛を一時的に和らげるかもしれませんが,末期になると,死ぬまでひどい痛みがつづくでしょう。そしてその激痛がはじまっても,死ぬのはまだ数か月先のことかもしれません。
それを聞いて患者は,痛みが耐えがたいものになったときに死期を早める注射をすることを医師に正式に要請する,書類を作成します。人々はその行為を「安楽死」,すなわちエウサナシア(ギリシャ語で「良い死に方」)と呼びます。「能動的」もしくは「積極的」安死術とは,毒薬または他のなんらかの方法で死期を早めることを意味します。「受動的」もしくは「消極的」安死術とは,死をわずかに遅らせるにすぎない「特別の」医療措置を新たに始めるとか継続することなどをせずに,末期の状態にある病人を死なせることを言います。
近年まで,ほとんどの医師は,安死術を頼まれても恐らく断わってきたでしょう。しかしこのところ,一部の人々に見方の変化が生じているようです。スウェーデンのある地区の医務官は最近,老齢の重病人や他の不幸な人々が,「死ぬのを助けてもらうように頼める」「自殺クリニック」の
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