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    ものみの塔 1963 | 4月15日
    • ています。パウロの述べた,種の種類に関する法則がこの人々にあてはまらなければなりません。「神はみこころのままに,これにからだを与え,その一つ一つの種にそれぞれのからだをお与えになる」。―コリント前 15:37,38,新口。

      31 従って,復活のとき,神はその人々にどんなからだを与えますか。

      31 土に属する人類の種として留まり,天に属する種となるために神の霊によって生み出されなかった人々にとっても,この事が言えるのです。よみがえりの時,この人々は土の種に属するからだでよみがえるでしょう。神はみこころのままにからだ,人間のからだをお与えになります。しかし死んだ時に持っていたのと全く同じ人間のからだではありません。「では一体どうして同じ人と言えるのですか」。ある読者はこのように問うでしょう。全能の神は,たとえそれが同じからだではなくても,同じ人にすることができます。

      32 同一性を保つため,死後にも残るものが必要ということに関し,どんな質問がありますか。

      32 こう言うと,次の問が出るに違いありません,「よみがえりの時,生前の人と似た人が新しく創造されるのではなくて,それが全く同じ人であるためには,死後にも残る何かがなければならないと思います。しかしすでに聖書から証明されたところによると,人間が死ぬとき,魂も死んでしまい,死んだからだは海の魚あるいは地中の虫に食べつくされて消滅してしまいます。してみると死後に残るものは何もありません。魂もなく,からだもないことになります」。

      33 (イ)伝道之書 12章7節にある,神に帰るものとは何ですか。(ロ)詩篇 104篇29,30節は,神が人間なる魂を再創造できることをどのように示していますか。

      33 それは聖書から見て正しいことです。伝道之書 12章7節に「ちりは,もとのように土に帰り,霊はこれを授けた神に帰る」とあります。(新口)悪い者の霊も正しい者の霊も,これを授けた神に帰ります。どうしてそう言えるのですか。ここに言う霊〔rúahh〕は,魂〔nèfesh〕のことではありません。死んだのは魂です。霊は神の授けた生命力すなわち生まれてくるすべての人が神の力によって持つ生命の力です。神は,アダムより死を受けついだ全人類からこの生命力をとり去ります。神がこの霊すなわち生命力を取り去るときに人間すなわち魂は死ぬのです。(ロマ 5:12)神のみがこの霊すなわち生命力を回復させることができ,魂をふたたび生かすことができます。「あなたがみ顔を隠されると,彼らはあわてふためく。あなたが彼らの息〔霊〕を取り去られると,彼らは死んでちりに帰る。あなたが霊〔魂でない〕を送られると,彼らは造られる」と詩篇 104篇29,30節(新口)は述べています。霊感によるこれらの言葉は,全能の神が再創造,そうです,魂である人間を再創造する力を持たれることを保証しています。

      34,35 (イ)神の再創造の力に関して,なぜひとつの疑問が生じますか。(ロ)死んだ魂に死後も残るものがあるかどうかを決めるのは,どなたですか。どの聖句はこれを示していますか。

      34 ここで次のような質問が出ることでしょう「肉体的なものにしろ霊的なものにしろ,魂の死後そしてからだが土と気体に戻ってのち残るものが何もなければ,神はどのように再創造つまり同じ魂をもういちど創造できるのですか」。

      35 魂が死んでも,なくならないものがあるのです。神の御心にかなうならば,それは消滅せずに残ります。これが再創造の基礎になるものなのです。それは何ですか。死んだ魂の生涯の記録です。神は悪しき魂の記録を拭い去ることもでき,あるいは正しい魂の記録を保存して,神ご自身の用に供することもできます。出エジプト記 32章33節に「主はモーセに言われた,すべてわたしに罪を犯した者は,これをわたしのふみから消し去るであろう」と述べられ,申命記 29章20節(新口)は「主はついにその人の名を天の下から消し去られるであろう」と述べています。「彼らをいのちの書から消し去って,義人のうちに記録されることのないようにして下さい」。これは詩篇 69篇28節(新口)の祈りです。また箴言 10章7節(新口)にも「正しい者の名はほめられ,悪しき者の名は朽ちる」とあります。このように神は悪しき者の名をご自身の記憶にとどめません。神は悪しき者をいのちの書から消し去るため,そのような者は死者の中からよみがえされません。―マタイ 10:28。詩 145:20。

      36 死んだ魂の記録を留める力が神にあることは,どうしてもっともな事ですか。

      36 記録の保存について言えば,今日では人の姿,音声を映画のフィルムにおさめ,テレビで再現することができます。人の話,歌をレコードに録音し,あるいはテレビの画面にあらわれる俳優の所作や声を,磁性テープにおさめることさえ出来ます。やがては死ぬ不完全な人間でさえも,神のかたちに造られているゆえにこれらの事をするとすれば,全能の神が,イエス・キリストによって死人の中からよみがえそうとする人々の記録をご自分の記憶の中にとどめるのは,いとも容易であると言えましょう。それで肝心なものは,神のみ前における私たちの記録です。

      37 (イ)各人が神の前に持つ記録は,何を表わしますか。(ロ)異教のギリシャ人の考えた魂が理知,思考,個性,の中枢でないことは,どのように証明されますか。

      37 人はそれぞれ自分自身の記録を神の前に残します。この記録がすなわちあなたをあらわすのです! それは人の個性を物語るものです。個性は肉体に全く依存しているわけではありません。からだの組織や器官は絶えず消耗し,また更新されてゆくため,約7年ごとにからだは全く新しいものに変ってしまいます。しかし個性は変ることがなく,同じ人であるという見分けがつくのは,この個性のためです。個性でさえも変ることがありますが,それはからだが更新されたためではなく,神の聖霊すなわち人を変化させる力が働くためです。各人は個有の個性の型を発達させ,頭脳そしてある程度までは血液中にこれが貯えられます。知性,思考,記憶,意識および個性の中枢は,異教のギリシャ人が考えたように魂すなわちpsykhé<プシケ>にあるのではありません。異教徒によれば,知性と個性は各人に宿る魂に所在しています。しかしどんな人の場合にも脳がそこなわれると,人は理知すなわち正気を失い,かりに魂が体内にあるとしても,そのために理知,記憶,思考能力が正常に保たれるということはありません。これは生命および思考の中枢が不滅の魂にあるとする異教の教えの間違いを証明します。

      38 神は死んだ魂をどのように再創造しますか。これに関して伝道之書 11章3節は何を示していますか。

      38 神はこのすべてをご存知です。御子イエス・キリストの国の下において,地に属する死んだ魂を復活させる神の時が来たとき,神は各人に関するご自身の記録すなわち各人に関する神の記憶をしらべることができます。神は地上の生命によみがえされた各人に,「みこころのままに,からだを与え」,このからだには独自の型の血液が流れています。このからだには脳があります。もちろんその人が死んだ時に持っていた脳にあったのと全く同じ原子あるいは分子から出来ているわけではありません。しかしそれは同じ脳です。なぜならば,神は,その人が死んだ時に持っていた脳をそのまま再生するからです。神は前と同じ脳表面の皺を作り,その人が生涯にあげた記録をそこに移し植えます。神は,その人がかつて意識を持っていた全期間に起きた出来事の印象と記憶,また人々,情景,場所を識別する力,個性と性向のすべて,その人の精神的な成長と退歩を示すすべてのものを,脳の中に入れます。それは魂であるその人が死んだ時,死後には精神面および個性において何らの変化も生じないからです。人が死の時までに達し得た個性および精神性は,その状態にとどまります。―伝道之書 11:3。

      39 従って,よみがえされた人が新らたに創造された類似の人ではなく,死んだ当人であるのはどうしてですか。

      39 このようにしてよみがえりの時,独自の個性と脳の能力を持つその人は,死んだ人自身であって,似ているだけの別人ではありません。よみがえされたその人に再生された記録を持つ人は,他にだれもいないからです。また単に似ているだけの人では,このような記録を持つ理由がありません。その人はこの特定の記録を作りあげた当人ではないからです。それでもし死んで復活したならば,神は同様な頭脳,死んだ時までの記録をもつからだを与えます。その結果,よみかえされた人は余人ならぬ当人その人なのです。その人を知る人々は,それが当人であることを認め得るでしょう。

      40 (イ)死んだ魂が地上に復活することによって,その人々にどんな機会が開かれますか。(ロ)今日,神の御国を宣明している人々には,どんな特別な機会がありますか。それはなぜですか。

      40 神が死んだ魂をよみがえらせるとき,互を知ることができ,また過去における神の愛ある御親切を思い起せるのは,なんとすばらしいことでしょう! 死んだ魂が地上の生命によみがえることにより,完全な政府である神の国の下,地上の楽園に永遠の生命を得る機会が開かれるのです。(ルカ 23:42,43,ロザハム,新世)このほかにも,神の国を全地に宣べ伝えている敬虔な人々の大群衆が,いま地上にいます。この人々は死んだ人間の共通の墓からよみがえることを必要としないでしょう。この人々は,悪の組織制度を間もなく終らせる「全能の神の大なる日の戦闘」を生き残ります。(黙示 16:14,16)それで死ぬことなく,神の御国の治める新しい世を迎え,永遠の生命の報いを獲得するでしょう。また地上によみがえってくる人々を喜んで迎えることもできるでしょう。しかしこの問題を論ずることは他日にゆずります。

  • 魂を得るに至る信仰を行いにあらわす
    ものみの塔 1963 | 4月15日
    • 魂を得るに至る信仰を行いにあらわす

      ブラジル

      人口: 70,799,352人

      最高伝道者数: 26,390人

      比率: 2,683人に1人

      サンパウロで開かれた大会は,1962奉仕年度の顕著な出来事でした。公開講演には48,094人が出席し,この同じ大会で,1,269人が,浸礼によって献身を表わしました。しかしブラジルで,この1年のうちにバプテスマを受けた人は3,782人でした。わざは急速な勢いで発展しています。5年間に野外伝道に従事する伝道者は2倍になり,1957年の平均10,522人の伝道者にくらべて,1962奉仕年度中には24,664人の伝道者がいました。協会が,リオデジャネイロの所有地に,新しいベテルの家を建てる必要を認めたのも不思議ではありません。この新しい建物には,立派な御国会館が作られて,近隣の兄弟たちに使われることになるでしょう。いまある印刷工場には,宿舎が建増しされ,能率的な事務所は,野外で行なわれているめざましい発展に同調できるように,支部組織に関するわざの拡大を可能にすることは間違いありません。支部の僕は,多くの興味深い経験を報告していますが,その一つをお伝えしましょう。

      これは新しい伝道者からの手紙です。「妻と私は,私の家で行なわれた毎週の聖書研究を通して,正確な知識へと着実に進歩しました。私たちは,自分のアパートを奉仕中心地として提供しました。バプテスマを受けてから4日たったばかりのとき,アパートの管理人から1通の手紙を受け取りました。その手紙によると,私たちの聖書研究は許可されておらず,直ちに中止しないなら法的処置が取られるということでした。私たちは真理にはいってまだ日は浅かったのですが,年の聖句を思い起こし,エホバの御名とその清い崇拝が関係した問題ですから,エホバに頼って勇気をふるい起こしました。そして,管理人の手紙に返事を出したところ,ほかのアパート所有者たち全部の会合に出るようにという手紙がまたきました。この会合で私の手紙は読まれ非難されました。ところが,出席者の多くは,その管理人を支持するかわりに,そういう苦情を出したことに驚きあきれていました。ほかの人たちは,私たちのアパートで個人的な集まりが開かれていることを知りませんでした。討議中,宗教的偏見がいちばんの原因になっていることがありありとわかりました。ついに私の話す番がきたので,私は巧みに,しかし勇気をもって,集まって聖書を研究する私たちの権利を擁護しました。最後にひとりの経営者が,アパートの中に聖書研究に興味を持つ者がいるなんて,全く称賛に価することだ,と言いました。ほかのひとりは,これは,かけごとをしたり,酒を飲んだり,トランプをしたりして暇をつぶよりよっぽどいいことだ。誰に対して失礼になるわけでもなく,規則違反でもないと言いました。驚いたことに,管理人は,毎週の会衆の書籍研究に,その建物の『社交室』を使っていいという許可をくれました。真の崇拝のためにこの勝利を得た私たちは,心から感謝しています。

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