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今死んでいる幾十億の人はまもなく生き返る今ある命がすべてですか
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確かに,死者をよみがえらせる神の約束に確信を置く人のほうが,復活の希望を持たない人よりはるかに勝った立場にいます。その人は恐れを抱かずに将来に立ち向かうことができます。
聖書に基づく証拠は,現存する体制が,まもなく,今の世代が存在しているうちに終わりを迎え,イエス・キリストとその仲間の支配者たちの手にゆだねられる義の管理機関がそれに代わることを示しています。今死んでいる幾十億の人がまもなく生き返り,王国による支配から益を受けるのはそのためです。「患難」を生き残る人々にとって,それら死んでいた人々を迎えるのはなんと壮大なことでしょう。親しい友や愛する親族と再び交わりを共にし,そのなつかしい声を聞き,その健康な姿を見ることの喜びについて考えてごらんなさい。
このことはあなたにどんな影響を与えますか。驚嘆すべき復活の希望についてあなたは神に感謝されるのではありませんか。そして,その感謝のゆえに,神について学ぶことに力を尽くし,ついで神に忠実に仕えようとされるのではありませんか。
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復活はだれに益をもたらすか今ある命がすべてですか
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第20章
復活はだれに益をもたらすか
死者の復活に関しては多くの疑問が提出されます。どんな人々が復活しますか。幼児は? 子供は? 義にかなった人も邪悪な人も復活しますか。結婚していた人は以前の配偶者と再び共になりますか。
聖書は復活に関してすべての詳細な事項を述べてはいません。しかし聖書は,死者がよみがえらされるとの驚嘆すべき約束を差し伸べており,その約束に対する信仰を確立させるための細かな事項は十分に提出しています。幾つかの点について聖書は沈黙していますが,そのことのために,わたしたちはこの約束の確かさを見失うべきでしょうか。
仲間の人間と接するさい,わたしたちは,詳細な事項がすべて示されることは期待しないのではありませんか。例えば,だれかから宴席に招かれた場合,あなたは招待をしてくれた人に,『それだけの人がどこに座るのですか。それほど大ぜいのために料理をする準備があるのですか。皿や器が十分にあることをどうしたら確かめられますか』などと尋ねたりはしません。そのようなことを尋ねるのは,その人に対して礼を欠くことではありませんか。自分を招いてくれた人に,『それが楽しい一時になることをまず納得させてください』などと言う人はいません。招待を差し伸べられたこと,まただれが招いてくれたかを知るだけで,物事がうまくゆくことを確信するのに十分なはずです。
実際のところ,自分の述べるすべての事柄について一つ一つ説明や証明を求められるのはうれしいことではありません。例えば,わたしたちの知る人が,おぼれかかった人を救った経験について話しているとしましょう。それが尊敬される友人であれば,その述べることが確かであるという証明を求めたりはしません。それをいちいち求めるのはその人に対する確信また信頼の不足を示すことであり,友情を築いたり維持したりすることにはなりません。こうして明らかなとおり,すべての詳細事項が細かに説明されるまでは復活に関する神の約束を受け入れないという態度を取る人は,決して神の友とはみなされません。神は,信仰を働かせ,ご自分の言葉に信頼を寄せる人々だけを,ご自分の友として迎え入れます。(ヘブライ 11:6)神は,そうした信仰の根拠となるものを豊富に与えておられますが,すべての詳細事項を一つ一つ示しかつ証明することによって強いて信じさせ,こうして信仰が不要なものであるかのようにはしておられません。
こうして,ある種の詳細事項が明示されていないことは,人々の心の状態を試すものとなっています。自分と自分の持論を高く評価して独行的な態度を取る人々がいます。そうした人々は,だれに対しても責任を問われることを好みません。復活に対する信仰を受け入れれば,神の意志に従って生きる務めを認めなければなりません。しかし,その人々はそれを望みません。そのため,復活について幾つかの詳細事項が示されていない点を理由にし,そのゆえにそれは信じ難いとするのです。そうした人々はイエスの地上の宣教当時のサドカイ人に似ています。サドカイ人は復活を信じようとせず,自分たちが乗り越え難い問題とみなすものを強いて取り上げました。彼らはイエスにこう語りました。
「師よ,モーセはわたしたちに,『ある人の兄弟が妻を持ちながら死に,その者に子どもがなかったなら,彼の兄弟はその妻をめとり,自分の兄弟のために彼女から子孫を起こすべきである』と書きました。さてここに,七人の兄弟がいました。一番めの者は妻をめとりましたが,子どものないままに死にました。こうして二番め,ついで三番めの者が彼女をめとりました。七人までが同様でした。彼らは子どもを残さずにみな死んだのです。最後に,その女も死にました。この結果,復活のさい,彼女は彼らのうちだれの妻となるのですか。その七人が彼女を妻として得たのですから」― ルカ 20:28-33。
この質問に答えたイエス・キリストは,サドカイ人の論議の誤りを暴き,復活に関する約束の確かさを強調しました。イエスはこう答えました。
「この事物の体制の子らはめとったり嫁いだりしますが,かの事物の体制と死人の中からの復活をかち得るにふさわしいとみなされた者たちは,めとることも嫁ぐこともありません。……しかし,死人がよみがえらされることについては,モーセでさえ,いばらの茂みに関する記述の中で明らかにしました。そのとき彼は,エホバ
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