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秘義の巻き物の封印を破る『その時,神の秘義は終了する』
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と同じく,この秘義に強く魅せられます。使徒ヨハネは,個々の象徴および象徴的な出来事が明らかにされるのを期待しました。今日のわたしたちは,巻き物の封印があたかも初めて破られるかのように,それら象徴および象徴的な出来事に関する秘密の解明を期待し,また期待し続けるのです。ヨハネが見たのは幻においてであり,わたしたちは現実に,実際の人類の経験を通して見るのです。わたしたちは深い関心を抱いて,ヨハネの告げることに耳を傾けます。
5 「そして,子羊が七つの封印の一つを開いた時にわたしが見ると,四つの生き物の一つが雷のような声で,『来なさい!』と言うのが聞こえた」― 啓示 6:1。
第一の封印を開く
6 (イ)「来なさい!」との招待は何を意味していますか。なぜそれを無視する口実はありませんか。(ロ)どの生き物が招待を差し伸べましたか。その者がそのとき話すのはなぜ適切でしたか。
6 第一の封印が開かれて後,わたしたちが現代目にする出来事や明らかになる事柄は,重要です。それを無視する口実はありません。それを見るよう,わたしたちは耳が張り裂けるような雷鳴によって招待されているからです。「来なさい!」つまり,見に来るようにとの招待は,「四つの生き物」の一つによって表わされている者から差し伸べられています。その者は「雷のような声で」話し,ヨハネに来るようにと招待しました。それは疑いなく,使徒ヨハネが見た四つの生き物のケルブの最初の者,つまり『ししに似ている』者であり,その者は神の公正を表わしていました。(啓示 4:7)それは神のみ座の前面の前中央に位置しており,エルサレムにあったソロモン王の王座に幾分似ていました。ソロモン王の王座の扶手のわきには二つのししの像があり,『其六の階級には十二の獅子がこなたかなたに立っていました』。(列王上 10:18-20)ししに似たこの生き物は,神の公正の成就における何かに注意を向けるだけでなく,自分に似ただれか,すなわち,ついに義の行動に移る天の王としての,「ユダ族の者であるしし」を指し示そうとしていたのです。
7,8 (イ)ヨハネは次に何を見ましたか。(ロ)この場景は,ヨハネの時代に存在していたローマ帝国に対する,パルチヤ人の侵入を予影していたのですか。
7 使徒ヨハネは,わたしたちが今日,霊的な識別の目をもって見るであろうものを象徴する,何を見たのでしょうか。彼はこう述べています。「そして,見ると,見よ,白い馬がいた。それに乗っている者は弓を持っていた。そして,その者に冠が与えられ,彼は征服しに,また征服を完了するために出て行った」― 啓示 6:2。
8 この場景は,東方からパルチヤ人がローマ帝国へ侵入することを予影していたのではありません。確かにパルチヤ人は馬上から弓を操るのが巧みでした。退却すると見せかけておいて,ねらい定めた弓から後方に,いわゆる“最後の一矢”を射るのがその騎兵の戦術でした。こうしたことを思い出させるとはいえ,使徒ヨハネがここで見た場景は,それよりはるかに重大なことを予告していたのです。
9 詩篇 45篇は白い馬の騎士がだれであることを明らかにしていますか。
9 この白い馬に乗っているかたの実体は,ある王に関する霊感の詩,つまり詩篇 45篇から明らかになります。4-7節〔新〕は,その王に預言的に語りかけ,こう述べています。『なんぢ真理と柔和とただしきとのために威をたくましくし勝をえて乗すすめ なんぢの右手なんぢに畏るべきことををしへん なんぢの矢は鋭して王のあたの胸をつらぬき もろもろの民はなんぢの下にたふる 神〔こそ〕なんぢの宝座いやとほ永く なんぢの国のつえは公平のつえなり なんぢは義をいつくしみ悪をにくむこのゆえに神なんぢの神はよろこびの膏をなんぢの侶よりまさりて汝にそそぎたまへり』。この預言的な言葉は,その五百年余の後,ヘブライ人への手紙の筆者がその1章1,2,8,9節で,神の子であるイエス・キリストに当てはめました。この事実と調和して,ヨハネに与えられた幻の他の詳細は,白い馬に乗っているこのかたが,「ユダ族の者であるしし」,栄光を受けた,神の天のみ子であることを証明しています。したがって,巻き物の最初の封印が開かれた時,神の子羊はご自分が王として行動に移るところを見たことになります。
10 (イ)この騎士は,啓示 19章11-16節に描かれている白い馬の騎士とどのように外見が違いますか。(ロ)それら二人の騎士の使命はどこが違いますか。
10 この予備的な幻における白い馬の騎士は,啓示 19章11-16節に描かれている騎士と外見が異なります。後者の場合,その騎士は,頭に「多くの王冠」を着け,そして,地の諸国民を打ち,彼らに神の裁きの執行を宣告する鋭くて長い剣を,自分の口から突き出しているかたとして描かれています。しかしこの後者の幻における騎士は,「ヘブライ語でハルマゲドン[アーマゲドン]と呼ばれる場所」で戦われる,「全能者なる神の大いなる日の戦争」に馬を進めているのです。(啓示 16:14-16)その戦争において,予告されていた地の諸国民の「終わりの時」は終結します。(ダニエル 12:4,新)しかし,巻き物の最初の封印が開かれた後に白い馬の騎士が弓を携えて現われる時は,「終わりの時」の始まりに相当します。それは七つの異邦人の時が終わった時ですから,第一次世界大戦のぼっ発した年,つまり1914年の初秋です。それゆえ,白い馬の騎士は,平和の使命を帯びて出発するわけではありません。
11,12 馬,馬の色,騎士が手にしている弓は,それぞれ何を象徴していますか。
11 天の騎士が馬に乗っているということ自体,その使命が戦争にかかわるものであることを明らかにしています。昔の聖書時代において馬は,箴言 21章31節にあるとおり,戦いの象徴でした。「戦闘の日のために馬を備ふ」。(ヨブ 39:19-25もごらんください。)騎士の馬が白馬であることは,それが義にかなった戦争,神の公正と義を立証する戦争であることを確証します。この事実と調和して,白い馬の騎士は,同じく戦争の武器である,弓を持っています。聖書時代のイスラエルの王は,弓の名手でした。(サムエル後 1:22)しかし,油そそがれて間もないイスラエルのエヒウ王は,白い馬の騎士のように馬上からではなく,兵車から弓を使って敵を殺しました。―列王下 9:20-24。
12 聖書時代には,騎兵のある者は,よく槍を携えました。しかし,その場合には敵に近寄って,やりを相手に突き刺さねばなりませんでした。走る馬の上から正確に矢を射るのは一つの芸でしたが,それにより白い馬の騎士は遠くから,矢をもって敵の心臓を貫くことができるのです。―詩 7:11-13。
13 (イ)この点イエス・キリストは,どのように詩篇 110篇1,2節を成就しますか。(ロ)彼の矢は何を象徴しますか。
13 天におられる主なる神が詩篇 110篇1,2節を,エルサレムのダビデ王の子孫であり,主である,み子イエス・キリストに関して成就させる時が明らかに来ていたのです。「我なんぢの仇をなんぢの承足とするまではわが右にざすべし」。「エホバなんぢのちからの杖をシオンよりつきいださしめたまはん 汝はもろもろの仇のなかに王となるべし」。異邦人の時の終わりであった1914年には,目に見えない聖なる天においてさえ,神とキリストの敵がいました。そのため,神から権限を与えられた王イエス・キリストは,啓示の書の後の章に示されているように,まずそれら天の敵に対して行動を起こすのです。ゆえに彼は,いわば白い馬に乗って遣わされ,弓で武装しているのです。彼が軍馬の上から射る矢は,神と神の民に敵する者たちを的とする,『エホバよりの救いの矢,救いの矢』となります。(列王下 13:17)ねらいたがわずに放たれるその象徴的な矢は,敵が最終的に滅ぼし尽くされるまで,敵に対する神の裁きの表明となります。
14,15 (イ)弓の使用が秀でたことで有名な国はどの国でしたか。(ロ)白い馬の騎士が弓で武装していることは,彼がどんな預言的な役割を果たすことを示唆していますか。
14 ここで,古代ペルシャの地が馬の国であったこと,また,ペルシャ人が弓の名手であったことを思い起こすのは適切です。歴史によると,彼らは弓を武器として盛んに用いました。ペルシャ人がバビロニア人を倒して,今日に至るまで人類史に出現した七つの世界強国中,四番目の地位を築いたのは,弓の使用に大きく依存していました。
15 したがって,白い馬の騎士が弓で武装しているということは,そのかたが,西暦前539年,ユーフラテス川に位置するバビロンを攻略し,第三世界強国としてのその地位を覆した,古代ペルシャ帝国のクロス大王の果たした役割を演じることを示唆しています。ペルシャの王たちの乗った白い馬を思い起こしてください。また,ローマ人の勝者たちが首都への凱旋行列のさいに乗った馬については言うまでもありません。(エステル 6:8-11)これは,白い馬の騎士が,偽りの宗教の世界帝国である大いなるバビロンを覆し,次いで,その支配下からエホバの民を解放するため,大いなるクロスとしてエホバ神に用いられることを意味しています。神の民すべてがそのご命令に従って大いなるバビロンから出た後,この大いなるクロスは,バビロン的な偽りの宗教の,邪悪な世界帝国を滅亡させるのです。―イザヤ 13:17-19。啓示 16:12; 17:1-18。「『大いなるバビロンは倒れた!』神の王国は支配す」(英文)の197-199ページをごらんください。
16,17 (イ)白い馬の騎士はいつ馬を進め始めますか。彼に与えられる冠は何を表わしますか。(ロ)この冠が西暦前607年以来,彼のために取って置かれていたことを聖書から示しなさい。
16 それにしても,白い馬の騎手が馬に乗り始めるのはいつですか。まず,王として冠を授けられる後です。彼は王冠を着けて馬を進めるのです。啓示(6:2)は続けてこう述べているからです。「そして,その者に冠が与えられ,彼は征服しに,また征服を完了するために出て行った」。これで時間について疑問の余地はありません。それは,西暦1914年の異邦人の時の終わりからです。その時こそ,エホバ神が,ダビデ王の永久相続者,すなわち「ユダ族の者であるしし」の頭上に冠を授ける時だったのです。執行力を有する王権の表象であるその冠は,王都エルサレムが異教徒のバビロニア人に滅ぼされた西暦前607年以降,ダビデ王の子孫のだれにも授けられませんでした。その冠を着けた最後の地上の王,ゼデキヤ王の時代に異邦人の時は始まりましたが,エホバ神は彼に向かってこう言われました。
17 『汝刺透さるる者罪人イスラエルの君主よ汝の罪その終を来たらしめて汝の罰せらるる日至る 主エホバかく言ふ かぶりものを去り冠を除り離せ是は是ならざるべし卑き者は高くせられ高き者は卑くせられん 我覆すことをなし覆すことをなし覆すことを為ん権威を持つべき者の来たる時まで是は有ることなし彼に我之を与ふ』― エゼキエル 21:25-27。
18 (イ)王権に対する法的権利を持つかたはだれでしたか。そのかたが西暦1914年に至るまで王権を取ることができなかったのはなぜですか。(ロ)ここで起こったことは,西暦前607年に生じたことの正反対です。どのようにですか。
18 冠によって表わされている,王国に対する法的権利を持たれるかたは,神の子羊,すなわち,ダビデ王の永久相続者であるイエス・キリストです。彼は,西暦1914年の異邦人の時の終わりが来るまでは,神のみ手にある王権の冠を頂くために到来することはできませんでした。しかしその終わりが来た時には,たしかに到来されたのです。それはダニエル書 7章13,14節の幻に示されているとおりです。日の老いたる者であるエホバ神は,冠と王権に対する彼の法的権利を認められました。そしてその時に,「我之を与ふ」との神の約束が成就したのです。(詩 21:1-3)それは目に見えない天で生じたことです。もはや,古代のダビデ王の家系は「卑き者」ではなく,逆に,地上の異邦人の王たちは「高き者」ではありませんでした。2,520年前,つまり西暦前607年とは正反対の行動が取られたのです。今や,神から王権を付与され,冠を頂いた「高き者」イエス・キリストは,白い馬の騎士として弓を帯び,すべての敵に立ち向かうことができます。彼は神の王国の敵を滅ぼさなければなりません。
19 (イ)キリストは西暦1914年,どのように『征服しに出て行った』のですか。彼はどのように「征服を完了する」のですか。(ロ)第一次世界大戦が始まった原因は何ですか。
19 冠を授けられ,義の戦いに携わる白い馬にまたがる王は,その時からずっと馬を進め,成功を収めておられます。彼は征服を開始し,完全な勝利をもって征服を終了されるのです。ご自分に最も近い敵,つまり,目に見えない天にいるサタンとその悪霊に注意を向けることにより,『彼は征服しに出て行き』,神の聖なるケルブ,セラピムまたみ使いたちと親しく接することのできる天から,彼らを完全に追放されました。使徒ヨハネは,秘義の巻き物の第七の封印が開かれた後に,このサタンの放逐についての幻を与えられたのです。(啓示 12:1-13)1914年7月28日,世界支配の問題に関し,異邦諸国の間に始まった第一次世界大戦は,キリストが始めたものではありません。悪魔サタンは,交戦する自分の諸国民のいるこの地に,悪霊たちと共に監禁されており,聖なる天に二度と再び入ることはできません。
20 (イ)白い馬の騎士は征服を完了しましたか。答えの理由を述べなさい。(ロ)征服が完了するのはいつですか。
20 今日の地上の状況から判断すると,冠を着けた,白い馬の騎士は,まだ征服を完了してはいません。敵の異邦諸国民は,今のところ宗教的な大いなるバビロンの支配下にあって依然存続しています。イエス・キリストは,第一次世界大戦が最高潮に達した時,彼らを容易に滅ぼすことができました。しかし,その時,またそのような方法で彼が征服を完了することは,神の時にかなっていなかったのです。使徒ヨハネに与えられた啓示が明らかにしているように,他の事柄がまず引き続き起こらねばなりませんでした。その時は,まだ「全能者なる神の大いなる日」ではなく,地上の異邦諸国民は戦場に,つまり,「ヘブライ語でハルマゲドンと呼ばれる場所」にまだ行進していなかったのです。(啓示 16:14,16)冠を授けられた騎士は,その場その時において征服を完了するのです。彼は今や勝利の行進の終わりに近づいています。その時わたしたちはどちらの側にいるでしょうか。
21,22 聖書は白い馬の騎士が確かに征服を完了することをどのように示していますか。だれがそれを見ますか。
21 白い馬の騎士の目的がざ折することはありません。彼の目的は征服することであり,それゆえ,ギリシャ語原文のこの個所には目的節が使われています。「彼は征服しに,また征服するために出て行った」。(啓示 6:2,ロ,ヤ)ギリシャ語本文中,接続法の動詞の不定過去は,「ここでは究極的な勝利を指している」のです。(A・T・ロバートソン「新約聖書の語描写」〔英文〕第六巻,340ページ)騎士の目的は「征服を完了する」ことであり(新),彼は必ずやそうするでしょう。最終的に,彼は「王の王また主の主」と宣言されることになるからです。―啓示 19:16; 17:14。
22 この世代の人類の中のふさわしい者たちは,冠を頂く,白い馬の騎士が,全能のエホバ神の助けを借りて征服を完了するのを見ることでしょう。使徒ヨハネは,第一の封印が開かれた後に,この勝利を得る騎士の幻を見ました。それは,啓示が書かれたとされている西暦96年のことです。しかし,わたしたちのだれかがこの幻の現代の成就を見たのはいつだったのでしょうか。
23 「終了した秘義」と題する,啓示に関する協会の注解書は,騎士と弓の幻の成就を明らかにしましたか。
23 ヨハネの忠実な仲間のクリスチャンの残りの者は,冠を頂いた騎士とその弓の幻の成就を,西暦1914年の異邦人の時の終了後に識別しました。彼らがそれを識別したのは,1917年の夏ではありません。その年の七月,ものみの塔聖書冊子協会は,「聖書研究」の第七巻としても知られる,「終了した秘義」(英文)と題する本を出版しました。(1917年8月1日号の「ものみの塔およびキリストの臨在の告知者」〔英文〕,226ページ,第2欄をごらんください。)この本は啓示全体の注解を載せていましたが,啓示 6章1,2節を説明しようとする試みは時機的に少し早すぎました。
24 この幻に関する理解はいつ,どのように神の民に啓示されましたか。
24 しかしその13年後の1930年8月11日,ものみの塔協会は,2巻から成る「光」(英文)と題する本をブルックリン本部で発表しました。ついにこの本が,1914年の異邦人の時の終了後の出来事,胸を躍らせる数々の聖書預言の成就となった出来事に基づき,啓示 6章1,2節の説明を与えたのです。20世紀に住む,ヨハネの仲間のクリスチャンたちは,この出版物により,ヨハネの幻の意味を識別しました。彼らは,武装し,冠を頂いた,白い馬の騎士がだれか,また,彼が神の敵すべてに対する,だれもとどめることのできない勝利の行進をどのように始めたかを学びました。彼らは理解の眼前に展開される幻に魅せられ,だれも打ち負かすことのできない騎士が,近づく「全能者なる神の大いなる日の戦争」において,勝利に向かって突撃するのを見守るのです。
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第二,第三および第四の封印が開かれる『その時,神の秘義は終了する』
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第4章
第二,第三および第四の封印が開かれる
1 「ユダ族の者であるしし」が,西暦1914年以来究極の征服を遂げるために乗り進んでいることを示すどんな証拠がありますか。この点に関し,さらに詳しい情報をもってわたしたちを大いに助けてくださるかたはだれですか。
「ユダ族の者であるしし」は1914年,ご自分の天の王国に入り,以来,象徴的な戦場ハルマゲドンにおいて,地上の敵すべてに対し究極の征服を遂げるべく,馬を進めておられます。しかし,わたしたち人間にそれがどうして分かるのですか。こうした極めて重大な事柄を証明するものとして,見えない天で生起するこの出来事に関し,わたしたちはどんな見える証拠を持ち,また,どんな経験をこの世でしてきたでしょうか。わたしたちは,ヨハネが秘義の巻き物の残りの封印が開かれた時に幻で見た事柄,その事柄に関する現代の成就の中に証拠を持っています。天で七つの封印を破るその同じかたイエス・キリストが,完全な人間として地上におられた時に必要な情報を備えてくださいました。彼は,ご自分が人の目に見えない様で天の王国に臨在し,地上におけるご自分の王の権利すべてに注意を向けていることを証明する,目に見える有形的証拠が現われるであろうと予告されたのです。他の封印が開かれることにより明らかになる事柄は,彼が神の子羊としてご自分を犠牲にする前に予告されたことと一致するでしょうか。西暦33年,つまり,ヨハネに啓示を与える約63年前,彼は何を予告されましたか。
2 イエスの使徒たちはどんな質問を尋ねることにより,西暦1914年以後に生じる事態に関する預言を聞き出しましたか。
2 イエスの使徒のうちの四人が,1914年に終わる異邦人の時以後に生じる世界の出来事や情勢について尋ね,彼から預言を聞き出しました。使徒マタイは,彼らがイエス・キリストにした質問をこう述べています。「そうしたことはいつあるのでしょうか。そして,あなたの臨在と事物の体制の終結のしるしには何がありますか」。(マタイ 24:3)弟子マルコは,この質問を次のような言葉で表現しています。「そうしたことはいつあるのでしょうか。そして,これらのすべてのものが終結に至るように定まった時のしるしには何がありますか」。(マルコ 13:1-4)弟子ルカも同様な言葉で質問を記しています。「そうしたことは実際にはいつあるのでしょうか。また,そうしたことが起きるように定まった時のしるしはなんですか」。(ルカ 21:7)彼が予告された恐ろしい滅びの直前に生ずる「しるし」,同時に,目に見えない彼の到来と霊者としての臨在を示す「しるし」が何かあったでしょうか。彼ご自身は,聖書の時間表また年代表に触れて日時を決めたりはなさいませんでした。ですから,その「しるし」は,定められた日時と同じく,いやそれ以上に警報の役割を果たすことになるのです。
3 使徒たちは自分たちの質問の全範囲に気づいていませんでしたが,その質問に答えたイエスは何を思いに留めておられましたか。
3 使徒たちは間違った質問をしたわけではありませんが,その質問の全範囲に気づいていませんでした。しかしイエスは,その質問が原型および対型において包含するすべての事柄を知っておられたのです。そこで,最初に,ご自分が天の神の右手にすわった時から,西暦70年における地的エルサレムの滅亡に至るまでの期間に当てはまる預言を彼らに与えられました。それは,来たるべきより大きな,同様な事柄に対する原型としての役割を果たします。将来のより大きな事柄,対型的な事柄は,同じ型を取るので,原型に関する彼の預言は対型にも当てはまります。この見地から見ると,滅びに定められていた不忠実なエルサレムとユダヤの領域は,キリスト教世界,つまり不忠実な霊的イスラエルを表わし示していました。―ルカ 21:20-24。マタイ 24:15-22。マルコ 13:14-20。
4 したがって,イエスの答えを読むさい,わたしたちは何を思いに留めるべきですか。
4 したがって,対型的な適用をなし,キリスト教世界とその世俗的な隣人たちを考慮に入れると,イエスの次の預言は20世紀に対し意味を帯びてきます。「国民は国民に,王国は王国に敵対して立ち上がるでしょう。そして,大きな地震があり,そこからここへと疫病や食糧不足が起こります。また,恐ろしい光景や天からの大いなるしるしがあるでしょう」。(ルカ 21:10,11)では,こうした事柄は,世界の重要な出来事のどの段階を指し示すものなのでしょうか。それは,イエスの使徒たちが「事物の体制の終結」と語った時期,つまり,「終わりの時」の始まりをしるしづけるものでしょうか。―ダニエル 12:4,新。
5,6 ルカ 21章10,11節とマタイ 24章7,8節を比較すると,それらの聖句が「終わりの時」の始まりに当てはまることをどのように確かめられますか。
5 そのとおりです。マタイ 24章7,8節によると,イエスはそれらの事柄が世界の苦難のどの部分を占めるかを説明し,次のように話されたからです。『国民は国民に,王国は王国に敵対して立ち上がり,またそこからここへと食糧不足や地震があります。これらすべては苦しみの劇痛のはじまりです』。したがって,世界の「苦しみの劇痛」は,まず,国民と国民また王国と王国の間の敵対行為である戦争,さらに,飢きんや食糧不足,地震,疫病の形を取って表われます。それらの事柄は相互に密接に結びついていて,古い「事物の体制」の存続を脅かすかに見えますが,その「事物の体制」の完全な終わりはその時点で,あるいは世界情勢のこの危機的段階で到来するのではありません。
6 むしろ,苦しみをもたらすそれらすべての事柄は,体制の「苦しみの劇痛」の開始,はじまりにすぎません。それらをこの見地から考えるなら,イエス・キリストの弟子たちは,苦しみをもたらすそうした事柄が,「事物の体制」の完全な終わりに対する前触れにすぎなかったことを理解するでしょう。それらは,「事物の体制の終結」の初期的局面だったのです。
7 (イ)使徒たちが質問した時,彼らはどの「事物の体制」の終結を考えていましたか。(ロ)イエスの答えは使徒の時代にも当てはまりましたか。
7 一つの「事物の体制」― 割礼を受けた生来のユダヤ人に特別な関係があった ― が,西暦70年,エルサレムとその崇拝の神殿が崩壊した時に終わったことは真実です。イエスはその少し前に,この悲惨な出来事を弟子たちの聞こえる所で予告されたばかりでした。したがって,4人の使徒はこの点に関する事前の情報を,直接求めていたものと思われます。イエスは彼らの考えに合わせてその質問に答え,そのさい,マタイ 24章15-20節,マルコ 13章14-18節,ルカ 21章20-24節で,文字どおりのエルサレム市の滅びについて話されたのです。その前節で,エルサレムの滅びる前に起こるとイエスが預言された事柄は,当時の歴史が示すとおり,西暦33年から西暦70年に至るまでの間に疑いなく成就しました。
8 (イ)エルサレムに関するイエスの言葉に,原型的成就および対型的成就の両方があることを説明しなさい。(ロ)イエスの預言は啓示 6章1,2節とどんな関係がありますか。
8 とはいえ,わたしたちは,イエスの時代における,滅びに定められた不忠実なエルサレムが,預言的な意義,すなわち原型としての意味を持っていたことを覚えておかねばなりません。生来のイスラエル人のこの首都に生じたことは,それ自体,後に,文字どおりのエルサレムによって表わし示される,不忠実な霊的イスラエルの宗教組織に起きることの預言,また原型でした。したがって,西暦70年のエルサレムの崩壊前に起きるとイエスが予告された事柄は,それ自体同時に,対型的エルサレム,つまり不忠実な霊的イスラエル(キリスト教世界)の滅びる近い将来に至るまでの間に地上で生じるであろう事柄を予示していました。不忠実なエルサレムとその神殿の崩壊が「事物の体制」の終わりを画したのと全く同様に,対型的エルサレムつまり不忠実な霊的イスラエル(キリスト教世界)の滅亡は,久しく存続してきた「事物の体制」の終わりを画するのです。冠を頂いた,白い馬の騎士が,弓を携え,「征服しに,また征服を完了するために」出て行った後に使徒ヨハネの見た出来事は,イエスの預言に対するこの理解を支持するものとなっています。―啓示 6:1,2。
9 したがって,第一の封印が破られる後に起こる事柄はいつ成就しますか。
9 子羊イエス・キリストが第一の封印を開かれた後に使徒ヨハネの見た事柄は,「事物の体制の終結」を開始させるものとなります。というのは,第一の封印の幻は1914年の異邦人の時の終了後に実現するからです。他の封印を破ることにより,その証拠が得られるでしょうか。得られるのです!
10 ヨハネは次に何を見ますか。
10 では,使徒ヨハネに注意を向けてみましょう。彼は神の子羊が秘義の巻き物の封印を破る幻を見ています。「また,彼が第二の封印を開いた時,わたしは,第二の生き物が,『来なさい!』と言うのを聞いた。すると,別の,火のような色の馬が出て来た。そして,それに乗っている者には,人びとがむざんな殺し合いをするよう地から平和を取り去ることが許された。そして大きな剣が彼に与えられた」― 啓示 6:3,4。
火のような色の馬に乗った者
11 第二の生き物によって象徴されている神の力は,第二の封印が破られたさいに起きた事柄をなぜ阻止しなかったのですか。
11 使徒ヨハネは,次の情景を見に来るよう自分を招待している「生き物」の声を聞きましたが,それは第二の生き物,つまり,特に神の力を示していた,あの『若い雄牛に似た』生き物でした。(啓示 4:7)神の力,その全能の力は,第二の封印を破ることにより明らかにされた幻の成就として起きた事柄を,阻止することもできたはずです。しかし,白い馬の騎士が冠を授けられ,神のご意志にしたがって進み出た時,地上の諸国や王国がどんな行動を取るか,それを明らかにさせることが全能の神の目的だったのです。彼らはそのかたを平和な態度で受け入れるでしょうか。それとも拒むでしょうか。ヨハネは何を見ましたか。
12,13 (イ)火のような色の馬,また,その騎士に与えられた使命によって何が象徴されているかを説明しなさい。(ロ)啓示 6章3,4節のこの預言はどのように成就しましたか。
12 ヨハネは馬が進み出るのを見ました。その馬は,「火のような色」,炎の色,血のような赤い色をしていました。その色は血を暗示しています。これは極めて適切なことといえます。なぜなら,それは馬を進める騎士の使命に適合しているからです。その使命とは,「人びとがむざんな殺し合いをするよう」になることでした。また,騎士には「地から平和を取り去ること」が許されたのですから,それは戦争,しかも血なまぐさい戦争以外の何を意味したでしょうか。では,1914年に異邦人の時が終わり,白い馬の騎士が出て行った時,血なまぐさい戦争がそれに付随して起こりましたか。
13 そのとおりです。世界大戦,人類史上最初の世界戦争がそれです。異邦人の時が終わった1914年の10月5日(ユダヤの七番目の太陰月の半ば,ティシュリ15日)までに,九つの国と帝国が戦争に巻き込まれており,それはまさしく世界戦争でした。その後さらに多くの国々が参戦し,ついには28か国が戦争に関係することになりました。ヨハネの幻の中で,火のような色の馬の騎士に「大きな剣」(戦いの象徴)が与えられたのは,十分理由のあることだったのです。その時から飛行機と戦車が戦争に使用されることになり,この最初の世界大戦に投入された物的武器の量と規模は,史上空前のものとなりました。
14 (イ)「大きな剣」は,赤い馬に乗った騎士によりどのように実際に用いられましたか。(ロ)これはイエス・キリストのどの預言と類似していますか。
14 そのような「大きな剣」をもってすれば,人類の大規模な殺りく,また地を血で染めることが可能でしょう。事実,2,100万人以上の負傷者と数百万人を数える行方不明者を別としても,850万人以上の人びとが殺されたのです。4,500万人以上の軍人が動員され,「むざんな殺し合いを」しました。28の国々と帝国が戦闘に参加したのですから,これはイエス・キリストが予告されたとおり,たしかに,国民が国民に,王国が王国に敵対して立ち上がる戦い,しかも各国が国家総動員で当たる戦争となりました。幾つかの国は中立を守ることができたものの,極めて不安定な状態にありました。こうして,火のような色の馬の象徴的な騎士に「地から平和を取り去ることが許された」のは,現実のことだったのです。
15 (イ)第一次世界大戦が1918年11月11日に終結することにより,世界の平和は回復されましたか。それともどうなりましたか。(ロ)赤い馬の騎士はどのように再び馬を乗り進めましたか。
15 第一次世界大戦が1918年11月11日に終結した時にも,大戦を生き残った人類に真の世界平和は回復されませんでした。調印の運びとなった平和条約により,世界の平和と安全の維持を目的とする国際連盟の設立が認められはしましたが,この連盟は平和と安全を無期限に保持することはできませんでした。そして,違法行為を正し,第一次大戦後の平和協定が残した諸問題に決着をつけるため,1939年9月1日,第二次世界大戦がぼっ発したのです。火のように赤い色の馬に乗った騎士が,たとえ馬から降りたことがあるとしても,彼はこの時には再び馬を進めており,その「大きな剣」は5,600万人もの空前の犠牲者を出しました。戦争に使われた最初の二つの原子爆弾の爆発によって最高潮に達した第二次世界大戦は,人類世界を前にもまして深刻な恐怖と危険に陥れました。消滅した国際連盟は,世界の平和と安全の維持を目的とする新しい国際協約により国際連合に置き換えられ,それは1945年10月24日正式に成立しました。しかし,この本が書かれている現在,135の加盟国を有するこのより膨大な組織は,世界平和を回復したり,世界戦争の脅威を取り除いたりしたでしょうか。今日に至る歴史の記録から答えを得ることにしましょう。
16 (イ)白い馬の騎士と赤い馬の騎士との行動の相違を説明しなさい。(ロ)第二の騎士の行進は何に対する証拠でしたか。
16 冠を頂き,弓を携え,白い馬にまたがった騎士は,火のような色の馬に乗った騎士と何ら共通点はありません。冠を頂いた,白い馬の騎士は,「大きな剣」で武装した第二の騎士によって始められた第一次世界大戦に少しも関与しませんでした。事実,白い馬に乗った第一の騎士は,多くの聖書研究者が当時いだいていた期待に反し,『ハルマゲドンの戦い』が第一次世界大戦後直ちに引き続いて起こるのを抑えました。(啓示 16:14,16)しかし,第二の騎士が火のような色の馬に乗って行進していることは,冠を頂き,白い馬に乗っている第一の騎士が,1914年10月初めの異邦人の時の終わりに,天で真実に王とされたことに対する,極めて悲痛な証拠だったのです。
17 イエス・キリストが1914年に王として冠を授けられたことを示す,どんな証拠がほかにもありますか。
17 しかしこれは,第一の騎士,つまり主イエス・キリストが,1914年の神の定められた時に天で王として冠を授けられたことの唯一の証拠でしょうか。イエス・キリストは人間として地上におられた時,ほかにも多くの証拠について予告しました。そして,さらに多くの証拠が実際に生じました。それゆえに,使徒ヨハネに与えられた黙示の幻の中で,神の子羊は秘義の巻き物の封印をなおも破ったのです。第三の封印を破ることにより,もしあるとすれば,どんな証拠が明らかになったでしょうか。ヨハネは何を見ましたか。彼は啓示 6章5,6節で次のように答えています。
18 第三の封印が開かれたとき何が啓示されましたか。
18 「また,彼が第三の封印を開いた時,わたしは,第三の生き物が,『来なさい!』と言うのを聞いた。そして,見ると,見よ,黒い馬がいた。それに乗っている者は手に天びんを持っていた。そしてわたしは,四つの生き物の中央から出るかのような声が,『小麦一リットルは一デナリ,大麦三リットルは一デナリ。オリーブ油とぶどう酒を損うな』と言うのを聞いた」。
黒い馬に乗った者
19 第三の封印が開かれるさいに起こる事柄を見るようヨハネを招待した者が,第三の生き物であったことにはどんな意義がありますか。
19 この情景を見に来るよう使徒ヨハネを招待したのはだれの声だったのでしょうか。それは第三の生き物,「人間のような顔」をした生き物でした。(啓示 4:7)したがって,それがヨハネに見せた事柄は,人間の哀れみの情を引き起こすもの,すなわち,飢きん,それも深刻な飢きんだったのです。この時ヨハネが見た騎士は,黒い馬に乗っており,世界戦争という「大きな剣」によって地から平和を取り去ることを許された,第二の騎士に続いて現われました。
20 (イ)黒い馬の騎士が赤い馬のあとに続いたことは,どのように歴史的事実と符号しますか。(ロ)イエスは地上におられた時,やはりこの事態を予告しましたか。
20 戦争にはたいてい飢きんが付き物です。神の預言の言葉は繰り返し,飢きんを戦争と,つまりそれに伴う都市の包囲,作物の絶滅,平和時の農具の非生産的な武器への転換,また,放置された農作物を侵略軍が貪欲に専有する事態などと結び付けています。(イザヤ 51:19。エレミヤ 14:12-18; 16:4; 21:7,9; 44:12-27。エゼキエル 6:11,12; 12:16)ヨハネに啓示を与える60年以上も前に,イエス・キリストは血なまぐさい戦争とともに飢きん,また食糧不足を予告されました。(マタイ 24:7)啓示の中で,イエスはその預言を対型的な意味においてのみ扱われました。
21 黒い馬に乗った第三の騎士が飢きんと食糧不足を表わしていると,どうして分かりますか。
21 それにしても,黒い馬に乗っているこの第三の騎士が,飢きんまた食糧不足を表わすと,どうして分かるのでしょうか。では,彼が手にしているもの,天びんを見てください。そして,四つの生き物すべてから出ているような,しかも彼らのうちに同意の見られる,この点についての次の説明を聞いてください。「小麦一リットルは一デナリ,大麦三リットルは一デナリ」。これは真の飢きん相場です。使徒ヨハネの時代,ローマの一デナリは,働き人が12時間働いて得る一日の賃金でした。(マタイ 20:1-12)つまり,この飢きん相場によると,一日の賃金で,わずか一人一日分の小麦を辛うじて確保することができるだけで,扶養家族には少しも行き渡りませんでした。当時貧しい人びとの常食であった,養分の劣る大麦は,それより安かったとはいえ,小麦に匹敵する値段でした。―列王下 7:16,17。
22 食糧不足による物価高を描写することに加え,他のどんな点で幻は飢きんを象徴していますか。
22 主要食料品が高いばかりでなく,食糧不足のため,食料品は計量され,配給されるのです。均等に分配するため,また,食料の蓄えが尽きないようにするためでした。暗たんたる前途を暗示するこの描画は,使徒ヨハネにエゼキエル 4章10,16節の飢きんの預言を思い出させるのに十分でした。「汝食を権りて一日に二十シケルを食へ……彼等は食をはかりで惜みて食ひ水をはかりて驚きて飲まん」。当然のこととして,黒い馬に乗った第三の騎士の「天びん」は,もし少しでもあるなら,その食料品の消費を統制するために使用されねばならなかったのです。
23,24 第一次世界大戦に続いて起こる飢きんの状態により,富んだ人でさえ影響を受けます。幻がそれをどのように予告しているか説明しなさい。
23 飢きんまた食糧不足は,貧しい人びとに限らず,裕福な人びとにも影響を及ぼしました。四つの生き物の中から出る次の命令はそれを示唆しています。「オリーブ油とぶどう酒を損うな」。これは,富んだ人たちのぜいたくを保護し,彼らに都合の良い差別待遇を施す命令のように聞こえるかもしれません。この人たちは高い値段でも物を買う金を持っていたからです。しかし生き物たちから出されたこの命令は,統制の宣言のようです。それは,飢きんの犠牲者が,蓄えてあるオリーブ油とぶどう酒を,一度に多量に使い過ぎることがないように,との意味を持っていました。それらの供給も制限されることになるからです。
24 飢きんの始めの段階でそれらを使い過ぎるなら,オリーブ油とぶどう酒の量は『損われ』,飢きんが終わるまでの将来に必要量が残らないでしょう。その結果,金を持っている人たちでさえ,一度に楽しむことのできるオリーブ油とぶどう酒の量に関して,制限を受けることになります。飢きんはこのように,階級,社会的地位,また経済状態に関係なく,すべての人に影響を与えるのです。
25 一般市民の間にさえ飢きん状態が生じたことを説明しなさい。
25 1914年に第一次世界大戦がぼっ発し,そして異邦人の時が終わった後,まさしくそのとおりのことが生じました。戦線で勝利を得るため,一般市民は自ら貢献し,犠牲を強いられました。世界的な戦闘に巻き込まれた国々は,国家総動員令を敷かねばならず,戦争を成功させることに多大の注意が払われ,農業に対する配慮がおろそかにされました。また,輸送や通信手段が妨害されたり危険にさらされたりしたため,食料に対する需要が急増しました。第一次世界大戦を経験した人たちで今日なお生きている人びとは,食料が計量され,配給された事態をいまだに覚えています。乳幼児の牛乳までが統制の対象となりました。戦争の実際の舞台となったある国々は,絶望的な食糧不足に見舞われました。a
26 1919年3月7日の英国至急報によると,飢きんはどれほど深刻でしたか。どれほどの範囲に及びましたか。
26 第一次世界大戦の結果,諸国民がどんな食糧状態に甘んじなければならなかったかを示すため,古い記録から1919年3月7日付の英国の至急報を取り出してみましょう。これは世界各地で次のように報道されました。「食糧大臣ジョージ・H・ロバーツは今日,ヨーロッパの広い区域にわたって食糧事情が悲劇的ともいえる様相を示していることを,だれも反論することはできないであろうと述べ,次のように言明した。『ルーマニアも飢え,セルビヤも飢え,オーストリアも飢え,ドイツも飢えている,といっても過言ではない』。『休戦協定が調印されて以来,連合国は事態の緩和に手を尽くしており,私が名を挙げたすべての国へ食糧が送られている。しかしそれでも不十分であり,我々が今直面している問題は,事態が破局に至る前に,それらの諸国のために十分な量の食糧を調達できるかどうか,ということである』」。翌年(1920年)になっても飢きんは衰えを見せず,2億5,500万人がその影響を受けました。これには,アジアなど世界の他の広い地域で食糧不足に見舞われた幾百万人の人びとは含まれていません。
27 この世界的な飢きん状態は何に対する別の証拠ですか。
27 第一次世界大戦の終わりには,ヨーロッパのほとんどが餓死寸前の状態にあり,勝利を収めたアメリカから救助を求めていました。この飢きんによる被害は特に,イエス・キリストの予告された証拠の一部であり,彼が天で王として冠を授けられ,王国に臨在しておられることを示すものでした。しかし,彼はさらに多くの証拠を予告されました。秘義の巻き物の他の封印を彼が開くことにより,それを見ている使徒ヨハネに,この点が確証されるでしょうか。確証されるのです。もう一人の騎士が馬に乗って出て行くことになります。
28 第四の封印が開かれた時,ヨハネは何を見ましたか。
28 使徒ヨハネはこう記します。「また,彼が第四の封印を開いた時,わたしは,第四の生き物の声が,『来なさい!』と言うのを聞いた。そして,見ると,見よ,青ざめた馬がいた。それに乗っている者には“死”という名があった。そして,ハデスが彼のすぐあとに従っていた。そして,地の四分の一に対する権威が彼らに与えられた。長い剣と食糧不足と死の災厄をもって,また地の野獣によってそれを殺すためである」― 啓示 6:7,8。
青ざめた馬に乗った者
29 第四の封印が開かれた時,『飛んでいるわしに似た』生き物がヨハネに招待を差し伸べました。これはなぜ適切でしたか。
29 使徒ヨハネが見た第四の生き物は,「飛んでいるわしに似て」いました。(啓示 4:7)この生き物ケルブは,遠くを見通し,素早く動く,全能の神エホバの知恵を特に表わしていました。第四の封印が開かれた時,見に来るようにと,この生き物がヨハネに差し伸べた招待は,極めて適切なものでした。なぜなら,神の知恵は,第四の封印が秘義の巻き物の該当部分を明らかにするため破られ,それにより予表される事柄を,わしのようにそれよりはるか以前に見抜いていたからです。
30 青ざめた馬に乗った第四の騎士である“死”は,どのような死を象徴していますか。
30 ひゆ的な第四の騎士が,世界情勢の場面に突如現われます。彼の馬は黄ばんだ青白い色を帯び,鉛色で,病人の顔に似た色をしています。それは,騎士の“死”という名になんと適合した色だったのでしょう。しかし,これは単に,人類最初の地的な親であるアダムとエバの罪に起因する,通常の死ではありません。(ローマ 5:12)それは,一定数の,特別な原因に帰せられる早死にです。それらの原因は後程挙げられますが,やがては最初のアダムから受け継いだ死を遂げていたであろう人びとの死を早めるのです。この死はその犠牲者を普通よりも早く,聖書の中で死と親密な関係にあるとされている者の懐に送り込みます。それはだれですか。幻は何を示していますか。
31 第四の騎士に親しく付き添っていたのはだれですか。彼は何をしましたか。
31 それは,「第二の死」すなわち,存在のない永遠の滅びの象徴である,ゲヘナあるいは「いおうで燃える火の湖」ですか。(マタイ 10:28。マルコ 9:43-47。啓示 19:20; 20:14,15)いいえ,そうではありません。象徴的な騎士である“死”にはハデスが従っています。使徒ヨハネが言うように,「その騎士の名は“死”で,ハデスがそのすぐ後を追った」。(啓示 6:8,新英)ハデスも馬に乗っているのか,それとも徒歩なのか,それは明らかにされていません。もっとも,馬上の“死”と歩調を合わせるには,ハデスも馬に乗っているものと想像されはします。聖書の著名な注解者は次のように述べています。「……死と歩調を合わせているが,同じ馬またはそのわきの別の馬に乗っているのか,あるいは徒歩なのか,ヨハネは述べていない」。b いずれにせよ,ハデスは,第四の騎士である“死”の犠牲者に追いつき,彼らを捕まえます。それら哀れな犠牲者は,永遠に滅ぼされるのではなく,収容された者を出す鍵のある場所に行くのです。
32,33 騎士の“死”と仲間のハデスとに捕まえられる者たちにどんな希望があるか説明しなさい。
32 エルサレムの外で杭にかけられて死んだイエスでさえ,ハデスに行きました。しかし全能の神エホバは,鍵を使って,三日目にみ子をそこから出されました。(使徒 2:27-32)そして今や,ハデスの鍵は復活させられたイエス・キリストに与えられているので,彼は勝利を得た者としてこう言うことができます。「わたしは死んだが,見よ,かぎりなく永久に生きており,死とハデスの鍵を持っている」― 啓示 1:18。
33 こうした事柄はなんという希望を提供するのでしょう。第四の騎士である“死”によってハデスに陥れられた者たちは,イエス・キリストと同じく,死人の中から復活するのです。彼らが行く,またイエスの行かれたハデスは,古代の異教ギリシャ人のハデスではなく,人類共通の墓です。彼らはそこで死の眠りにつき,保証されている復活を待つのです。どうしてそう言えますか。なぜなら,コリント第一 15章20節は次の保証を述べているからです。「今やキリストは死人の中からよみがえらされ,死の眠りについている者たちの初穂となられたのです」― 使徒 17:31。
34,35 (イ)第四の騎士“死”がハデスに送り込む人びとの数はどれほどでしたか。(ロ)「地の四分の一に対する権威が彼らに与えられた」という表現は何を意味していますか。
34 第四の騎士“死”がハデスに陥れる者は,大勢になるはずでした。地の四分の一の人びとが殺される事態を想像してください。それは当時の人口の四分の一の人びとが殺されることかもしれず,それは地の四分の一の人口密度がたまたまどれぐらいかにかかっていました。
35 さて,第四の騎士とその仲間ハデスについてこう述べられています。「地の四分の一に対する権威が彼らに与えられた」。(啓示 6:8)地のどの“四分の一”かは明示されていませんが,地の人口の四分の一を占めると思われる人びとが,死とハデスの脅威にさらされる,という考えが伝えられています。言い換えると,その時の全人口あるいは大半の人びとが殺されるのではなく,大きな部分をなす一部の人びとが殺されるにすぎません。つまり,ハデスに伴われた第四の騎士,“死”の行進に生き残る者たちがいるということです。それにしても,これは異常なことであり,第一の騎士イエス・キリストが冠を授けられ,異邦人の時の終わった西暦1914年以来,勝利の行進を開始されたことをさらに証拠づけるものとなるはずでした。
36,37 (イ)第四の騎士はハデスに犠牲者を送り込むため,どんな手段を用いましたか。(ロ)これは過去のどんな別の裁きを思い起こさせますか。
36 しかし,第四の騎士である“死”は,どのようにして多数の犠牲者をハデスに送り込むのでしょうか。啓示 6章8節は続けて,「長い剣と食糧不足と死の災厄をもって,また地の野獣によってそれを殺すため」と述べています。
37 災害をもたらす四つの手段が挙げられています。これら四つの破壊的要素が猛威を振るうなら,地には死体が累々と転がり,その惨状はいかばかりでしょう。恐怖を引き起こすこれら四つのものは,エホバ神が西暦前7世紀に不忠実なエルサレムにもたらされた四つの裁きの表現を思い出させます。「主エホバかくいひたまふ然ばわが四箇の厳き罰すなはち剣と飢饉と悪き獣と疫病をエルサレムにおくりて人と畜をそこより絶さらんとする時は如何にぞや」。(エゼキエル 14:21)エルサレムとユダの地の住民のうち数千人が,神のそれら四つの裁きの表現に生き残りましたが,彼らは遠く離れたバビロンに流刑者として送られ,エルサレムとユダは西暦前607年から西暦前537年までの七十年間,人も家畜も住まない荒廃の地となりました。
38 要約として,異邦人の時が始まる直前より,異邦人の時が終わった直後の困難や荒廃のほうが,はるかに規模が大きかったことを示しなさい。
38 西暦前607年,つまりユダとエルサレムが荒廃した後に,異邦人の時は始まりました。しかし,2,520年間続いたその異邦人の時は,西暦1914年に終わりを告げ,四人の騎士はこの時から行進を始めたのです。青ざめた馬に乗った第四の騎士が地の至る所に馬を進め,何百万人もの犠牲者をハデスのえじきにさせるのは,まさに恐怖の念を催させるものでした。まず,(1)世界戦争という「長い剣」があり,それに,小規模な戦争,さらには第二次世界大戦などの他の戦争が続きました。また,(2)「食糧不足」が生じ,それ以後の世界の食糧事情は決して改善されることがありません。さらに,(3)「死の災厄」,文字どおりには「死」がありました。イエスは「そこからここへと疫病」の起こることを予告されました。(ルカ 21:10,11)それは定められた時に到来し,幾百万人もの人びとに「死」をもたらしました。1918年,死亡率の高いインフルエンザがスペインで最初に発見され,それゆえに「スペインかぜ」と呼ばれたこの疫病は,第一次世界大戦に関係した国々だけでなく,地のすべての国,北極のエスキモー人にまで広まりました。そして1918-1919年の冬の間猛威を振るい,「史上最悪の疫病の一つ」となりました。数か月のうちに2億人が病床に就き,12か月間に2,000万人が,人類共通の墓であるハデスまたシェオールの犠牲者となりました。
39 第四の騎士はどのように「地の野獣によって」多くの者を殺しましたか。
39 人びとは,現代の戦争に加わる獣のような人間や国家によって殺されるだけでなく,(4)文字どおりの「地の野獣」によっても殺されることになっていました。第四の騎士と,死人のような形相をした仲間のハデスに,「地の野獣によって……殺す」権威が与えられるのです。広範にわたる戦争,飢きん,また疫病による人間社会の荒廃は,その被害を被った国々の野生動物に影響を与えることでしょう。(出エジプト 23:29)それにより,野獣の数は増え,その結果,多くの地域で飢えに狂った野獣が人間を脅かすことが考えられます。多くの人が,野獣の群れや,人食いに変じた個々の動物に殺されたことが報告されました。こうしたことすべてが,この人類の事物の体制の「終わりの時」が始まったばかりの時に,第四の騎士“死”のもたらした大量の収穫に加えられたのです。
40,41 その四つの破壊的要素は,古代エルサレムおよび西暦1914年以後の世界に恐るべき災いをもたらしましたが,後者の場合は何に対する反論の余地ない証拠を提出しましたか。
40 こうして,古代エルサレムに臨んだ神の四つの裁きと同じく,戦争(「長い剣」),飢きん(「食糧不足」),「死の災厄」あるいは「疫病」,さらに「地の野獣」という四つの破壊的な要素は,西暦前607年に異邦人の時が始まる前,また,西暦1914年にその時が終わった直後に,予告どおり猛威を振るいました。この後者の場合のすべての災害は,火のような色の馬の騎士,黒い馬の騎士,そして青ざめた馬の騎士の行進の結果もたらされたものです。
41 これまでに,使徒ヨハネに与えられた幻の中で,四つの封印が開かれたにすぎませんが,それにより,最初の馬,すなわち,白い馬に乗った騎士が,王として冠を授けられ,また手に弓を携え,「征服しに,また征服を完了するために」馬を進めておられることに対する,議論の余地のない証拠が明らかにされました。第五の封印を開くことにより,この輝かしい事実に対する証拠がさらに付け加えられるでしょうか。では,ヨハネが告げることを聞いてください。
[脚注]
a 1918年2月1日号の「ものみの塔」誌,「ものみの塔からの展望」と題する主要記事(英文),35ページ5節から,37ページの副見出し「悪しき飢饉の矢」の6節までをごらんください。
b A・T・ロバートソン著「新約聖書の語描写」(英文),1933年版,第6巻,342,343ページからの引用。
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第五および第六の封印が開かれる『その時,神の秘義は終了する』
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第5章
第五および第六の封印が開かれる
1 第五の封印が開かれたとき何が起きたとヨハネは述べていますか。
「子羊」イエス・キリストが神の右手から受け取った秘義の巻き物を用いて何を行なわれるか,使徒ヨハネはこの点を描写しながらこう続けます。「また,彼が第五の封印を開いた時,わたしは,神のことばのために,またその行なっていた証しの業のためにほふられた者たちの魂が祭壇の下にいるのを見た。そして彼らは大声で叫んで言った,『聖にして真実である,主権者なる主よ,あなたはいつまで裁きを控え,地に住む者たちに対するわたしたちの血の復しゅうを控えておられるのでしょうか』。すると,白くて長い衣がそのひとりひとりに与えられた。そして彼らは,自分たちが殺されたと同じように殺されようとしている仲間の奴隷また兄弟たちの数も満ちるまで,あとしばらく休むように告げられた」― 啓示 6:9-11。
2 (イ)祭壇の下にあるほふられた魂は,四人の騎士の手にかかって死んだ者たちですか。それとも何ですか。(ロ)ヨハネが祭壇の下に見たものは,忠実なクリスチャンの血であって,幽霊か影のような姿や形ではないと,どうして分かりますか。
2 この第五の封印が開かれる時には,四つの生き物のうちだれも使徒ヨハネに見に来るよう招待しません。彼が見る光景は,火のような色の馬,黒い馬,また青ざめた馬に乗る者たちが馬を進めることによりもたらされる結果ではありません。ヨハネの見た,ほふられた魂は,国際戦争,飢きん,死の災厄,また地の野獣といったもの以外の原因で死を経験したのです。彼らは犠牲にかかわる目的のために死を遂げました。それらの魂が神の祭壇の下に見られるのはそのためです。それは祭壇の下で幽霊か影のような姿や形をして存在していたのではありません。ヨハネがそこに見たものは,実に,「神のことばのために,またその行なっていた証しの業のために」死んだ忠実なクリスチャンの血だったのです。ヨハネはユダヤ人の生まれでしたので,エルサレムの神殿でエホバ神に動物の犠牲がささげられるさい,血が祭壇の基部,つまり地面に注がれることを知っていました。たとえ祭壇の側面にかかったとしても,血は地面に流れ落ちました。それは,預言者モーセを通してユダヤ人に与えられた神の律法に従うものでした。―レビ 3:2,8,13; 4:7。
3,4 (イ)ノアおよびイスラエルに与えられた神の律法は,ヨハネが祭壇の下に見た魂が忠実なクリスチャンの血を表わしていることをどのように証明しますか。(ロ)神はそれらクリスチャンの死をどうごらんになりますか。彼らの血を流すことに対して主な責任があるのはだれでしたか。
3 わたしたちは,エホバ神が人間の血についてご自分の預言者に述べたことを思い出さねばなりません。全地を覆った洪水のすぐ後,神は預言者ノアにこう言われました。「然ど肉を其〔魂〕なる其血のまゝに食ふべからず」。(創世 9:4〔新〕)シナイの荒野で神は預言者モーセに次のように言われました。「肉の〔魂〕は血にあればなり我汝等がこれを以て汝等の〔魂〕のために壇の上にて贖罪をなさんために是を汝等に与ふ血はその中に〔魂〕ある故によりて贖罪をなす者なればなり」。(レビ 17:11〔新〕)これに照らして考えると,ヨハネが祭壇の下に見た「魂」は,記された神のことばを取り上げて宣べ伝え,さらに神とそのみ子イエス・キリストについて証しをしたためにほふられた,忠実なクリスチャンの血を表わしています。それゆえ,彼らの不当かつ無惨な死は,エホバ神を宇宙の主権者として立証し,そのみ名を神聖にするための,神に対する犠牲とみなされたのです。地上の迫害者で,それら聖なる者の血を流す主な責任者は,大いなるバビロン,実際には,ユーフラテス川の古代バビロンに基を置く偽りの宗教の世界帝国でした。
4 ヨハネはこう述べます。「額には一つの名が書いてあった。それは秘義であって,『大いなるバビロン,娼婦たちと地の嫌悪すべきものとの母』というものであった。またわたしは,その女が聖なる者たちの血とイエスの証人たちの血に酔っているのを見た」。「しかも彼女の中には,預言者と聖なる者たちの血,そして地上でほふられたすべての者の血が見いだされたのである」― 啓示 17:5,6; 18:24。
5-7 (イ)それら犠牲にされたクリスチャンは何のために,まただれに敵して叫ぶのですか。(ロ)聖書にあるどんな例がこの点を理解する助けとなりますか。
5 すべてをごらんになる神は,ご自分の祭壇の基部にある,犠牲にされた人間の魂を表わす血に気づいており,また,その血(彼らの魂)がどのようにしてそこに至ったかをもご存じです。それに対して神の復しゅうが要求されます。
6 それら無実な者の血は,血を流した者たちに対する復しゅうを求めてエホバ神に大声で叫びます。ヨハネの幻より約4,000年前,神の最初の殉教者の血が地から神に叫びました。それは,真の宗教にかかわる問題で自分の兄カインに殺されたアベルの血です。カインは自分の殺した弟アベルの血を隠そうとしましたが,エホバ神はカインにこう言われました。『汝何をなしたるや汝の弟の血の声地より我に叫べり されば汝はのろわれてこの地を離るべしこの地その口を啓きて汝の弟の血を汝の手より受たればなり』。(創世 4:1-11。ヨハネ第一 3:12)同様に,殉教を遂げたクリスチャンの血は,キリストの追随者のその無実の血に対して報復がなされない間,神の祭壇の下から叫びました。それゆえ,使徒ヨハネは祭壇の下の魂が大声で叫ぶのを聞いたのです。「大声で」というのは,その数が非常に多いからです。
7 「聖にして真実である,主権者なる主よ,あなたはいつまで裁きを控え,地に住む者たちに対するわたしたちの血の復しゅうを控えておられるのでしょうか」― 啓示 6:10。
8 (イ)それらほふられたクリスチャンの魂の叫びがむなしいものとならないことは,どのように保証されていますか。(ロ)神が彼らの血の報復をしてくださるのはいつですか。
8 それらほふられたクリスチャンの魂の叫びは,むなしいものとはなりません。イエス・キリストは彼らにその点をこう保証されました。「神は,日夜ご自分に向かって叫ぶその選ばれた者たちのためには,たとえ彼らについて長く忍んでおられるとしても,必ず公正が行なわれるようにしてくださらないでしょうか。あなたがたに言いますが,彼らのため速やかに公正が行なわれるようにしてくださるのです」。(ルカ 18:7,8)何万ものそれらクリスチャンの魂が,1914年の異邦人の時の終わりまでにほふられました。しかし,彼らの血の報復をする神の定めの時は,第一次世界大戦がぼっ発した年,つまり異邦人の時が終わった直後に来たのではありません。報復のための神の定めの時は,血に染まった大いなるバビロンを滅ぼす神の定めの時に,また,その滅びに続いて直ちに起きるハルマゲドンの戦いにおいて到来します。その時,次の叫び声が天に響き渡ります。「あなたがたはヤハを賛美せよ!……神は,その淫行によって地を腐敗させた大娼婦に裁きを執行し,ご自分の奴隷たちの血について報復をなし,それを彼女の手から要求された」。(啓示 19:1,2)彼女の滅びはまだ将来のこととはいえ,いよいよ間近に迫っています。
9,10 (イ)油そそがれたクリスチャンは,第一次世界大戦に関しどんな間違った期待を抱いていましたか。(ロ)彼らが説明を求めて聖書を調べた時,神の聖霊は何を啓示しましたか。
9 第一次世界大戦が行なわれた1914-1918年の迫害の期間中,その世界戦争がそのまま世界革命ひいては無秩序状態のハルマゲドンに至る,と考えた油そそがれたクリスチャンがいました。a 彼らが大いに驚いたことに,第一次世界大戦は1918年11月11日,突然終わりました。しかしながら,大いなるバビロンは依然存続し,ハルマゲドンの戦いも到来しませんでした。彼らは不思議に思い,聖書を調べてその説明を得る必要を悟りました。そして神の聖霊の導きにより,ハルマゲドンにおける「全能者なる神の大いなる日の戦争」でこの邪悪な事物の体制の完全な終わりが来る前に,全世界にわたる大規模な業が成し遂げられねばならないことを悟りました。(啓示 16:14-16)こうして,油そそがれたクリスチャンの忠実な残りの者は,イエス・キリストが国際戦争,食糧不足,地震,また疫病の形を取る「苦しみの劇痛のはじまり」を予告した後に,続いて,事物の体制の完全な終結前に成し遂げられるべき世界的な業を指摘されたことを悟ったのです。イエスはこう言われました。
10 「そして,王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」― マタイ 24:14。マルコ 13:10。
11 (イ)成し遂げられるべき業のために,なぜ相当の時間が必要でしたか。(ロ)この業を行なう者たちはどんなことを経験しなければなりませんか。
11 そうであれば,あらかじめ定められていたこの業を成し遂げるため,当然,神から時間の備えられる必要がありました。それは世界的な規模に及ぶので,非常に大掛かりな業でしたが,油そそがれた忠実な残りの者たちの数は極めて少数でした。この膨大な業を完遂するのに神がどれ程の時間を定めておられるか,第一次世界大戦を生き残った,油そそがれた残りの者は知りませんでした。それら残りの者は,神により冠を授けられ王座に着けられた王イエス・キリストの管理する,新たに樹立された王国に関する「良いたより」を宣べ伝えるべく,神の聖霊によって油そそがれた者たちでした。彼らはキリストの名のゆえに「あらゆる国民の憎しみの的」となろうとも,この宣べ伝える業を行ないます。(マタイ 24:9)これは必然的に,彼らがさらに迫害されること,そして,それらクリスチャン兄弟,つまり油そそがれた仲間の奴隷のある者たちが,彼ら以前のクリスチャン兄弟すなわち,エホバ神の「仲間の奴隷」たちが1918年の第一次世界大戦終結までに経験したと同じく,必ず殺されるという意味でした。―啓示 6:11; 2:10。
12 (イ)わたしたちが収穫の時期に住んでいることを何が示していますか。(ロ)この収穫により何が成し遂げられますか。したがって収穫はどれぐらいの期間続きますか。
12 「王国のこの良いたより」を宣べ伝える業が事物の体制の「終わり」に先行するのであれば,神のメシアによる王国は西暦1914年の異邦人の時の終わりに天で樹立されたのですから,わたしたちは「終わりの時」,あるいは「事物の体制の終結」の時に生きていることになります。(ダニエル 12:4,新。マタイ 24:3)小麦と雑草(毒麦)の例えを説明した時,イエスは,「収穫は事物の体制の終結」であると話されました。この収穫期に,雑草のような見せかけのクリスチャンは,み使いの指示の下に,小麦のような忠実なクリスチャンから分かたれ,最後には,火の燃える炉の中におけるかのように滅ぼされます。その時,大いなるバビロンは滅ぼされるのです。(マタイ 13:39-42)これらすべては,「収穫」が1914年の異邦人の時の終わった後,特に1918年以後,かなりの期間続くことを要します。それゆえに,流血の罪を負う大いなるバビロンの滅びの時は,1918年の第一次世界大戦の終わりまでには来なかったのです。
13 事物の体制の終結する期間に,なおも他のどんな分ける業が行なわれますか。
13 「収穫」期における,雑草のようなクリスチャンと小麦のようなクリスチャンを分ける業に続いて,別の分ける業が最高潮に達します。「事物の体制の終結」に関する預言の中で,イエスは自称クリスチャン「兄弟」を裁くことを明らかにし,次いで結びの例えの中でこう言われました。「人の子がその栄光のうちに到来し,またすべてのみ使いが彼とともに到来すると,そのとき彼は自分の栄光の座にすわります。そして,すべての国の民が彼の前に集められ,彼は,羊飼いが羊をやぎから分けるように,人をひとりひとり分けます。そして彼は羊を自分の右に,やぎを自分の左に置くでしょう」― マタイ 25:14-33。
14 「羊」と「やぎ」に対するイエスの言葉から分かるように,イエスの霊的兄弟たちは西暦1918年以後どんな経験をするはずですか。
14 羊のような人びとを神のメシアによる王国の下での地的祝福に導き入れる前に,王座に着いておられる人の子イエス・キリストは,ご自分のクリスチャン兄弟つまり霊的兄弟たちが「事物の体制の終結」の期間に投獄されていたこと,そして,それら羊のような人びとが彼らに安らぎを与えたことを思い出させます。他方,のろわれたやぎのような人びとを永遠の滅びに追いやる前,王座に着いておられるイエス・キリストは,投獄されたご自分の霊的兄弟たちの苦しみに対して彼らが援助の手を差し伸べなかったことを思い起こさせます。(マタイ 25:34-46)この「獄」という語は,油そそがれたその霊的兄弟たち,つまり地上の残りの者たちが,「事物の体制の終結」の期間に迫害されること,また死に追いやられる場合すらあることを予告していました。したがって,ヨハネが祭壇の下に見たクリスチャンの魂と同様,「神のことば」および「証しの業」のために殺される他の「兄弟」,つまり神に属する「仲間の奴隷」たちが,西暦1918年後にもいることになっていたのです。―啓示 6:9-11。
15 (イ)祭壇の下の魂はなぜもうしばらくの間「休む」べきなのですか。(ロ)「休む」とは何を指していますか。
15 ゆえに,主権者なる主エホバが,彼らの血に対する復しゅうを大いなる宗教上のバビロンとその政治的共犯者に下す前に,それらほふられた「魂」が「休む」ため「あとしばらく」時があるのです。しかしこの休みは,彼らが死んだままでいる,つまり死の眠りにあることを必ずしも意味しているのではありません。(コリント第一 15:17-20)祭壇の下のそれらの「魂」は,自分たちに対し公正が施行されることに関してもうしばらく休むのです。「あとしばらく」,自分たちの血の復しゅうをせき立ててはならないのです。自分たちの血の復しゅうが1918年のその時点でなされるべきだ,と言い張ってはならないのです。血に染まった殺害者に対する決着を,神ご自身が選ばれた決着の時まで「あとしばらく」待つことにより,「休む」べきなのです。
白くて長い衣がひとりひとりに与えられる
16 (イ)西暦1918年,祭壇の下のそれら魂に対して何が行なわれましたか。(ロ)それらが受け取る白くて長い衣は何を象徴していますか。
16 しかし,「あとしばらく」の期間が終わるまで待つようにと言われはしましたが,1918年,彼らのためにあることがなされました。それは何でしたか。啓示 6章11節は,「白くて長い衣がそのひとりひとりに与えられた」と述べています。これは疑いなく,そのとき彼らが死から復活し,そして,すでに誕生した,つまり樹立されたキリストの天の王国に入ったことを指しています。それらほふられた魂が,まだ祭壇の下にいる間に白くて長い衣を受けるのは,とても適切とはいえません。白くて長い衣は,犠牲の「祭壇の下」のような場所では極めて不適当です。垂れるように長い衣を,どうしてそのような所で白く保てるでしょうか。イエス・キリストは,この邪悪な体制を征服する忠実さの報いとして,白くて長い衣を約束されました。(啓示 3:4,5)白くて長い衣のような外衣は,誉れのしるし,彼らの無実の象徴,つまり神から有利な裁きを受けた象徴です。死から復活した後に,彼らが天の王座でそうした白くて長い衣をまとうのはふさわしいことです。(啓示 4:4)しかし1918年に復活させられはしましたが,復しゅうをしていただくことに関しては,彼らはまだ休むのです。
17 (イ)犠牲の死を遂げたクリスチャンが復活した後,まだ地上にいるその霊的兄弟たちに関して何が起こることになっていましたか。(ロ)なぜもっと多くの者がイエス・キリストと共に犠牲の死を味わうことになっていましたか。
17 それにしても,その復しゅうがなされるまで休むべき「あとしばらく」の間,依然地上に生きている霊的兄弟たちには何が起こるのですか。啓示 6章11節はその点を明らかにして,「自分たちが殺されたと同じように殺されようとしている仲間の奴隷また兄弟たちの数も満ちるまで,あとしばらく」と述べています。つまり,忠実なクリスチャンがさらに迫害されるということです。1918年までに大いなるバビロンとその政治上の愛人に殺害されたクリスチャンの魂に加え,地上の真のクリスチャンがさらに多く殺害されるという意味なのです。イエス・キリストと共に犠牲の死を味わう14万4,000人の全部の数は,1918年までにはまだ満たされていませんでした。神の王国を相続するのに必要な14万4,000人の数を満たすため,残りの者がさらに加えられる必要があったのです。
18,19 啓示 6章11節の後半とマタイ 24章9-14節のイエスの言葉を比較すると,その時キリストの足跡に従っている追随者に関し,どんな結論が得られますか。
18 この残りの者の多くは,自分たちより前の「仲間の奴隷また兄弟たち」が1918年までに経験したと同じく,やはり『殺されようとしていました』。キリストの足跡に従う真の追随者に対する迫害は,1918年に終わるのではなく,その年に終わった第一次世界大戦以後も続くことになっていたのです。これも,天の王国におけるご自分の臨在を示すもう一つの証拠として,イエス・キリストが「事物の体制の終結」に関する預言の中で予告されたことではありませんでしたか。そのとおりです。国際戦争,飢きん,疫病の予告に次いで,彼はこう言われました。
19 「その時,人びとはあなたがたを患難に渡し,あなたがたを殺すでしょう。またあなたがたは,わたしの名のゆえにあらゆる国民の憎しみの的となるでしょう。またその時,多くの者がつまずき,互いに裏切り,互いに憎み合うでしょう。そして多くの偽預言者が起こって,多くの者を惑わすでしょう。また不法が増すために,大半の者の愛が冷えるでしょう。しかし終わりまで耐え忍んだ人が救われる者です。そして,王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」― マタイ 24:9-14。ルカ 21:12-19。
20 (イ)歴史上の事実は,クリスチャンの迫害に関するこの結論を支持していますか。(ロ)神はご自分の奴隷の血に対する報復をいつまで差し控えられますか。しかし,神が報復をもたらされる時,それはどの程度のものになりますか。
20 イエス・キリストのこの預言の言葉は,歴史の示すとおり,1914年の異邦人の時の終わりから今日までに成就を見ています。つまり,1918年の第一次世界大戦終了に至るまで,「神のことばのために,またその行なっていた証しの業のためにほふられた」,真のクリスチャンの血が不正にも流されてきました。そして1918年以後は,「仲間の奴隷」の存命している忠実な残りの者たちが,神の言葉を取り上げ,人の住む全地で証しをしつつ,新しく誕生した神の王国の良いたよりをあらゆる国民に宣べ伝えているのです。彼らのあるものはそのためにほふられました。さらに,この事物の体制の「終わり」が来る前にほふられる者もいることでしょう。全部の数の者がほふられるまで,そして,大いなるバビロンとその政治的共犯者の流血の罪が満ちるまで,神はご自分のクリスチャンの奴隷の血に対する復しゅうを差し控えます。神が報復を最終的にもたらされる時,それは,流されたクリスチャンの血すべてに対し,一度に,しかもことごとくもたらされるのです。それまで,ヨハネが祭壇の下に見た魂は,希望をもって休まねばなりません。
第六の封印が破られる
21 第六の封印が破られることにより何が啓示されますか。
21 第五の封印が破られることにより,白い馬の騎士が王として冠を授けられ,弓を携え,征服を完了するために勇ましく馬を進めている証拠がさらに啓示されました。彼が間もない将来に征服を完了する時,何が起きるでしょうか。それは,子羊イエス・キリストがエホバ神の右手から受け取った秘義の巻き物の,第六の封印を破る時に明らかにされます。クリスチャン使徒ヨハネは何を見ましたか。
22 第六の封印が開かれたときヨハネが何を見たか説明しなさい。
22 「また,彼が第六の封印を開いた時に見ると,大きな地震が起こった。そして,太陽は毛の粗布のように黒くなり,月は全体が血のようになった。そして,いちじくの木が激しい風に揺り動かされてその熟していない実を投げ落とす時のように,天の星が地に落ちた。また,巻き上げられてゆく巻き物のように天が去ってゆき,すべての山と島がその場所から取り除かれた。そして,地の王たち,高位の者たち,軍司令官たち,富んだ者,強い者,すべての奴隷また自由人は,ほら穴や山の岩塊の間に身を隠した。そして山と岩塊とにこう言いつづける。『わたしたちの上に倒れかかれ。そしてみ座にすわっておられるかたの顔から,また子羊の憤りからわたしたちを隠してくれ。彼らの憤りの大いなる日が来たからだ。だれが立ちえようか』」― 啓示 6:12-17。
23 ヨハネが目撃した大地震はどんな種類の,またどれほどの規模の地震でしたか。
23 使徒ヨハネの目撃した「大きな地震」は,単にある地域に限られたものではなく,全地を揺るがしました。西暦33年,彼は,イエスが『そこからここへと地震があります。これらすべては苦しみの劇痛のはじまりです』と述べ,「事物の体制の終結」のはじまりをしるしづけるものとして,文字どおりの地震が起きることを予告されるのを聞きました。(マタイ 24:7,8。マルコ 13:8)しかし,第六の封印が開かれた後に幻の中で起きた「大きな地震」は,明らかに象徴的な地震です。それは,人間の地的な事物の体制の激変,つまり,人間の作ったもので,神の是認また祝福を受けていないものがすべて激しく揺さぶられ,そうです,地球の至る所で振り落とされ,倒れることを象徴しています。ですから,人間の作り出したもので,神および子羊と調和しないものは何であれ,人間にとって適当な覆いとはなりません。それは人の住める場所でも,家庭の安らぎを得られる場所でもありません。また,安全に住める場所でもありません。地的な体制全体が居住不可能となり,人間は安全を求めてそこから出ることを余儀なくされます。
24 大地震とその付随現象のために人びとが天に向かって叫び声を上げる時,天は彼らに対しどんな態度を取りますか。
24 大地震がある時には,よく天体や大気に異状が認められるものです。実際の地震が起きると,多くの人びとはそれまでに一度も神を呼び求めたことがなくても,天に向かって叫び,神に懇願します。神の憤りが不従順な人類に臨むその「大いなる日」が到来する時,人びとは天を仰ぐことでしょう。しかし,彼らのこの上ない苦悩に対し,天から恵みの注がれる兆しが少しでもあるでしょうか。預言の幻はこう述べています。「太陽は毛の粗布のように黒くなり,月は全体が血のようになった。そして,いちじくの木が激しい風に揺り動かされてその熟していない実を投げ落とす時のように,天の星が地に落ちた」。(啓示 6:12,13)こうした天の現象は,いったい何を象徴しているのでしょうか。
25 この事物の体制の人びとにとって,太陽,月,星に関しどんなことが象徴的に起こりますか。
25 おおよそ神の憤りの下にある人びとは,事態を明るくするものを何一つ天から得ません。日中はまるで太陽が黒く塗りつぶされたかのように,陰うつで陰気です。それも,大気中の膨大な塵雲によるのではなく,悲しい時や喪に服する時に着る,黒いやぎの毛でできた黒い粗布で覆い隠されたかのような状態です。神の霊感を受けた言葉である,聖書からの霊的な光を拒絶した人びとは,日中は悲嘆に暮れ,夜はというと,銀色の月の光に優しく照らされることもありません。銀色の光ではなく,血色の光があるのみで,それは命を与える光ではありません。日中もそうかもしれませんが,夜は地の至る所で血が流されます。血が夜を染めるのです。しかし何十億という星が,血に染まった月の様相をきっと変えてくれるのではないでしょうか。いいえそのようなことはありません。あなたは,いちじくの木が強風にあおられて,冬育ったまだ熟していない実を打ち落とすのを見たことがありますか。そのようにして星は天から落ちるのです。どこにですか。地にではなく,視界から消えて行くのです。そして天的な光を輝かせることも,夜の旅人の案内役を務めることもありません。人は昼も夜も,事態を明るくしてくれるものを何一つ持たないのです。
26-28 (イ)宇宙空間の天体が人間よりも高次の力を表わし,人間に対して支配的な影響力を及ぼしていることを説明しなさい。(ロ)成就において,天はどのように巻き上げられる巻き物のように去って行きますか。(ハ)それらの天は何に取って代わられますか。それに取って代わったものも,巻き物のように巻き上げられ,しまい込まれますか。
26 象徴的に言うと,破られた第六の封印が明らかにする幻のその後の部分が成就する時,それらの天体はことごとく消えて行くのではありませんか。そのとおりです。「また,巻き上げられてゆく巻き物のように天が去って」行きました。人間は太陽光線や太陽熱を種々の動力事業に使ってきました。また,月の引力によって起こる潮汐を利用しています。有人宇宙船を月の周囲の軌道に乗せるのに,同じく月の引力を利用しています。夜の旅には星を目印にしてきました。恒星や惑星また十二宮を見て運勢を占いました。そればかりか,人間は恒星や惑星の神々を崇拝してきました。月を男神または女神として,そして太陽をそれと対をなす男神あるいは女神として崇拝したのです。
27 このように,宇宙空間にもろもろの天体を有する「天は」,人間よりも高次の力を表わし,人間に支配的な影響力を及ぼしてきました。真の天的勢力,つまり人間より高次の勢力は,人間には見えません。それは,太陽として崇拝されてきた悪魔サタン,さらに,星や星団,つまり下位の神々として崇拝されている,サタンに仕える使いの悪霊たちすべてです。彼らは今や消え去らねばなりません。
28 人類を支配するそれら目に見えない悪霊たちは,何千年もの間人類史に記録をとどめてきました。しかし今は,人類の事態に関して新しいページが記される時なのです。ゆえに,それら象徴的な天は過ぎ去らねばなりません。人類史の中で占めている彼らのページは,パピルスや子牛の皮でできた巻き物が軸に巻き上げられる時のように消失し,巻き物の中に書かれたことを隠すのです。(ルカ 4:20。ダニエル 12:4)神の憤りの日に,義にかなった新しい天的な力が人間の事態を支配する時が到来しました。全能の神によって設けられたそれら新しい義の天は,巻き物のように巻き上げられて入れ物の中にしまい込まれることは決してありません。神を恐れる人びとの祝福のため,それは永久にとどまるのです。
目に見える地的変化の到来
29 預言の成就において,すべての山とすべての島はどのようにその場所から取り除かれますか。
29 目に見えない天の領域で変化が起こるだけでなく,目に見える地的な場にも必要な変化が生じます。啓示 6章14節はこう続けます。「すべての山と島がその場所から取り除かれた」。これは現在の事物の体制の政府に関する何かを暗示しています。というのは,聖書の中で山は統治する政府を表わすのに用いられているからです。神の憤りが執行される来たるべき日には,高い名声も権力も,また,島国における政府の孤立状態も,なんら保護の用をなしません。現在の事物の体制の一部として,ことごとく取り除かれます。神の王国の一部ではないからです。政府の統治形態が,専制君主制また独裁制から民主政体に変化するわけではありません。利己的な人間の政治形態が単に形を変えて存続するのではなく,それらは取り除かれ,崩壊するのです。
30 啓示 16章18-21節にはどんな類似の預言が述べられていますか。
30 やはり啓示の中で,第七の災厄が神の使いによって注がれる時に,そうした事態の生じることが予告されていました。それは啓示 16章18-21節に記されています。「また,いなずまと声と雷が生じ,人が地上に現われて以来起きたことのないような大地震が起きた。非常に大規模な地震で,はなはだ大きかった。そして,大いなる都市は三つの部分に裂け,諸国民の数々の都市が倒れた。そして,大いなるバビロンは神のみまえで思い出された。それは,神の憤りの怒りのぶどう酒の杯を彼女に与えるためである。また,すべての島は逃げ,山々は見えなくなった。そして,それぞれの重さが一タラントほどもある大きな雹が天から人びとの上に降り,人びとは雹の災厄のために神を冒とくした。その災厄が異常に大きかったからである」。この預言的な幻は,秘義の巻き物の第六の封印が開かれた結果として起こる事柄の確証です。
31 (イ)ヨハネが見つづけている幻は,この激変によって影響を受けた者がだれであることを明らかにしていますか。(ロ)彼らは何をいや応なく知らされますか。
31 この事物の体制の一部となっているあらゆる階層の人びと,「地の王たち,高位の者たち,軍司令官たち,富んだ者,強い者,すべての奴隷また自由人」が影響を受けます。そのとき彼らすべては,現代の事物の体制がその終わりに至ったことを悟ります。この古い邪悪な体制を存続させようとする,自分たちの利己的な企てが繰り返し失敗するのを見て,天の恵みを受けていないことをいや応なく知らされるでしょう。王座に着いておられる宇宙の神の恵みも,キリスト教世界が仕え追随していると主張するイエス・キリスト,つまり神の子羊の恵みをも受けていないことを知らされるのです。その時,詩篇 83篇18節に記された祈りのこたえられる時が到来します。「然ばかれらはエホバてふ名をもちたまふ汝のみ全地をしろしめす至上者なることを知るべし」。そうです,この至高の神が,ご自分の預言者エゼキエルを通して繰り返し宣言されたことを実行に移す時が来たのです。『彼らをして我のエホバなるを知しめん……国々の民すなはち我がエホバなることを知るにいたらん』― エゼキエル 39:6,7; 6:7,10,13,14; 7:4,9,27。
32,33 (イ)世のそれらの人びとは生き長らえるために神の王国へ避難しますか。それともどうしますか。(ロ)人間のそうした行動の例は,歴史のどの時代に見られますか。
32 人類史を通じて最大の患難を生き延びようと,人びとは躍起になって隠れ場所を求めるでしょう。しかしどこに求めますか。彼らは助けを求めて神に叫び声を上げるかもしれませんが,実際には,神のみ言葉と神の天的政府に頼るのではなく,相変わらず自分たちの組織を信頼することでしょう。彼らは,そびえ立つ山のごとくに地を支配する自分たちの政府や政治組織を,現在の事物の体制の主な支柱として信頼しつづけてきました。ですから,啓示 6章15-17節は,ひゆ的な言葉でこう告げています。彼らは「ほら穴や山の岩塊の間に身を隠した。そして山と岩塊とにこう言いつづける。『わたしたちの上に倒れかかれ。そしてみ座にすわっておられるかたの顔から,また子羊の憤りからわたしたちを隠してくれ。彼らの憤りの大いなる日が来たからだ。だれが立ちえようか』」。
33 そのとき人びとは,死ぬことではなく,埋め隠されることを欲します。イエス・キリストは,西暦66年から73年のエルサレムおよびユダヤの滅亡と荒廃を予告した時,人間のそうした行動を前もって明らかにされました。カルバリの杭の上で死を遂げるべく道を進んでいた時,彼は歩みを止め,ご自分のために嘆き悲しむ心の優しい女たちにこう言われました。「わたしのために泣くのをやめなさい。むしろ,自分と自分の子どもたちのために泣きなさい。見よ,人びとが,『不妊の女,そして子を産まなかった胎と乳を飲ませなかった乳房は幸いだ!』と言う日が来るからです。そのとき彼らは,山に向かって,『わたしたちの上に倒れよ!』と言い,丘に向かって,『わたしたちを覆ってくれ!』と言い始めるでしょう」。(ルカ 23:26-30)ユダヤ人の史家ヨセフスは,イエスの預言の成就として,ユダヤとエルサレムの住民が西暦66-73年に何をしたかを極めて詳細に記しています。ユダヤの最後の要塞マサダは西暦73年に陥落しました。
34 預言者イザヤは「すえの日」における人間の行動をどのように描いていますか。
34 「すえの日」の間に起こるべき事柄に関して,預言者イザヤは霊感の下に次のように述べています。『この日には高ぶる者はかがめられ 驕る人はひくくせられ ただエホバのみ高くあげられたまはん かくて偶像はことごとく亡びうすべし エホバたちて地を震動したまふとき 人々そのおそるべき容貌とその稜威の光輝とをさけて巌の洞と地の穴とにいらん その日人々おのが拝せんとて造れる白銀のぐうざうと黄金のぐうざうとをうころもちと蝙蝠の穴になげすて岩々の隙けはしき山峡にいり エホバの起て地をふるひうごかしたまふその畏るべき容貌と稜威のかがやきとを避ん』。「なんぢ岩間にいり また土にかくれて エホバの畏るべき容貌とその稜威の光輝とをさくべし」― イザヤ 2:1,2,17-21,10。
35 (イ)政治支配者の間に見られるどんな状態は,「彼らの憤りの大いなる日」が間近に迫っていることを示していますか。(ロ)神および子羊の憤りが最終的に表明される時,神の側にいない者にはどんな質問が提起されますか。その質問に対する答えは何ですか。
35 神の預言は必ず成就します。神とその子羊イエス・キリストの憤りが,この事物の体制に対して最終的に表わされる日は急速に近づいています。地球の政治支配者は,自分たちの国家政府また商業,社会および平和維持を目的とする諸制度の存続を願う,大いなるバビロンの宗教指導者たちの祈りが天からの助けを得ていないのを見て,すでにろうばいしています。「彼らの憤りの大いなる日」は,「王国のこの良いたより」が,あらゆる国民に対する証しを神がどの程度望んでおられるかに応じて全地で成し遂げられると,速やかに到来するでしょう。(マタイ 24:14)その時,神の側にいず,滅びに定められたこの事物の体制の一部となっている者たちは,「だれが立ちえようか」との重大な質問に答えねばなりません。(啓示 6:17)それらの人びとは自分が立ちえないことを知るでしょう。そうでなければ,神と子羊および約束された天の王国を歓迎する代わりに,なぜ神と子羊から隠れなければならないのでしょうか。是認されるということは,滅びを免れ,神の完全な新秩序に入ることを意味します。
36 (イ)エホバの証人はいつから使徒ヨハネのように泣く必要はありませんか。(ロ)最初の五つの封印が開かれた時に示された事柄が成就することにより,何が証明されましたか。
36 したがって,宇宙の王座にすわっておられるかたの右手にある巻き物の内容を閉ざした七つの封印のうち,その最初の六つが開かれたことによって啓示されたかつての秘義は,わたしたちの心を強くとらえるのです。使徒ヨハネがなぞのような象徴によって啓示したことを,わたしたちは理解しやすい現代の成就のうちに見るのです。特に1930年,その年の九月に「光」と題する,2巻からなる聖書研究の手引書が一般に出版されて以来,エホバ神に献身したクリスチャン証人たちは,巻き物の内容を秘してきたそれら六つの封印を子羊が破ることにより明らかになった,その預言的な象徴を理解するようになりました。わたしたちはもはや使徒ヨハネと共に泣くのではなく,封印されていた事柄が明らかになったことを彼と共に喜ぶのです。最初の五つの封印が破られた後に現実となった描画,つまり,神のメシアの王国が天に誕生したこと,またその王が最終的な征服のために馬を進めていることを証明するその描画を見て,わたしたちは言葉に言い表わせない喜びを味わうのです。
37 これら預言的な情景の成就を見守るわたしたちには,なすべきどんな業がありますか。
37 わたしたちは今日,使徒ヨハネの見たこれら預言的な情景に関する現代の成就を識別できることを感謝しています。予告された「大患難」において,この邪悪な事物の体制を永久に除き去る「彼らの憤りの大いなる日」が到来する時,『立つ』にふさわしいものとされるよう,わたしたちは賢明に備えをします。その時まで,わたしたちは,迫害があろうとも,「あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で」,「王国のこの良いたより」を宣べ伝え続けるのです。―マタイ 24:14。マルコ 13:10。
[脚注]
a 1917年7月に出版された「終了した秘義」(英文)と題する本の3,4,257ページ,また,「ものみの塔」誌(英文)の1914年11月1日号,327,328ページ,1918年2月1日号,35,36ページ,1918年2月15日号,55ページをごらんください。
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証印を押される14万4,000人の者たち『その時,神の秘義は終了する』
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第6章
証印を押される14万4,000人の者たち
1 (イ)イエス・キリストは第六の封印を破った後,なぜ直ちに第七の封印を破りませんでしたか。(ロ)さらにどんなことが啓示されようとしていましたか。
神の手から取られた秘義の巻き物の六つの封印は,クリスチャン使徒ヨハネが驚異の念をもって見つめている,その眼前で破られました。それは規則正しい順序を追って破られ,ついに,神の憤りの大いなる日の到来により,不敬虔な者たちが恐怖の余り狂乱状態に陥る様子が描き出されました。しかし,神の奥義が明らかにされるこの段階において,神の子羊であるイエス・キリストは,秘義に満ちた,巻き物の第七の封印を,続けて直ちに破るようなことはされませんでした。明らかに,エホバ神とその子羊イエス・キリストの憤りの「大いなる日」の到来にさいし,不敬虔な者たちが保護の覆いを求めて狂ったように右往左往する様子を描くだけでは,第六の封印に関連するすべてのことが啓示されたとはいえなかったのです。さらに啓示されるべきことがあり,それは,迫り来る「大いなる日」に天からその憤りが激しく注ぎ出される前に,敬虔
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