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「緑の革命」とは何か目ざめよ! 1972 | 10月22日
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「緑の革命」とは何か
つい数年前まで,幾億という人々が各地でききんに苦しんでいるという報告が聞かされたものです。食糧不足のため毎日何千人もの死者が出ると言われていました。
特にインドではそれがひどく,1965年,1966年と2年連続で干ばつが起こり,作物は大きな被害をこうむりました。飢えのために多くの人が命を失い,他の国々から大量の食料が送り込まれたので,どうにか大災害になるのを食い止められたような状態でした。
その結果,世界的なききんが起きるという恐ろしい予測が各方面で行なわれました。一部専門家たちの推測によると,1970年代の半ばにはまちがいなくききんが生じるだろうとのことでした。世界的なききんはすでに始まっている,という人さえいました。
ところが今日では,世界各地で人々が飢えのために現に死んでいるということを当時ほど耳にしなくなりました。わずか数年前まではたびたび食糧不足で悩まされていた場所で,食糧の「余剰」が聞かれる所さえ出てきています。
その理由はなんでしょうか。穀物生産に『革命』が起きているからです。この現象は非常に高く評価されていて,「緑の革命」という名がつけられているほどです。
しかし,これについて次のような質問も出されています。「緑の革命」はどうして起きたのか。それには危険が伴わないのか。世界の貧困や飢えに対する真の助けとなっているのか。それは人間の食料問題に対する答えなのか。こうした質問を一つずつ調べてみることにしましょう。
どのようにして始まったか
「緑の革命」は専門的に言うと,収量の非常に多い小麦と米の品種を生み出すのに成功したことが関係しています。この二つの穀物,中でも米は世界人口の大半が主食としているものですから,とても重要です。
この「緑の革命は」,1965年ごろに始まりましたが,実際にはそれよりも早く,メキシコの農務省とロックフェラー財団がメキシコで行なった,小麦の共同改良計画に端を発しています。
最初の画期的な成果は,ノーマン・E・ボルラウグ博士に率いられた農業専門家の一団の努力によってもたらされました。それは20年の実験のすえ生み出されたものです。以前には1ブッシェル(約35㍑)しか収穫のなかった所で最高4ブッシェルまで産出する小麦の変種を作り出しました。
この小麦の新品種はたけが低く,非常に固い茎をしています。これは重要な特質で,穂が特に大きいにもかかわらず,その重みで小麦が倒れる心配がありません。さらに日照時間に敏感ではありません。ということは,種が作り出された所とは日照時間の異なる他の場所でも植えることができるという意味です。それに,肥料とかんがいのききめがすぐに表われてきます。
ほとんど時を同じくして,高収量の米の品種がフィリピンで作り出されました。その媒介となったのは国際米穀研究所です。この発見は,メキシコの実験が小麦にもたらしたと同じ成果を米にもたらしました。
1965年,大規模な実験を行なうため,それらの新しい種がアジアに大量に,数百ヘクタールにわたって植えられました。それから7年しかたっていない今日,世界各地で数千万ヘクタールにわたりこの新しい品種が栽培されています。特に,小麦の生育するインドとパキスタン地方においてはそうです。フィリピンや米を栽培する東南アジアの他の地方においては,米の新しい変種がやはり急速にふえています。
どれほど効果をあげているか
新しい変種のために,穀物の生産には著しい変化が生じました。いくつかの国で穀物の生産が増大しました。1971年11月1日号の「生物科学」誌は特にインドとパキスタンを取り上げ,「それらの国では,穀物の増収は広がるききんという亡霊を追い払っている。少なくとも,その到来を一世代遅らせていると言われている」と述べています。
以前,インドが最高の収穫をあげたのは1964-65年食糧年度で,そのときには約8,900万トンの収穫がありました。しかし1970-71年度には,約1億700万トンの収穫が報告されました。最も顕著な増加が見られたのは小麦の収穫で,6年間に約1,100万トンから2,300万トンと2倍以上にふえました。米の生産はそれほど顕著な伸びを示しませんでしたが,それでもインドの官吏の中には,1972年までには米も「自足」の域に達するであろうと予言する人もいます。
報告によると,作物の収量が増加した結果,ききんが起こるとすぐ大量の穀物を輪入しなければならなかった地方が,今では十分の収穫があり,輸出をしている例さえあったということです。新しい品種の栽培が成功しているため,この品種を作付けする農家は年々ふえています。
以上のことから,科学はついに人間の食料問題に対する解答を見いだしたと結論する人がいるかもしれません。世界各地で飢えている人は,新しい品種の小麦や米を栽培するだけで飢えから救われるように思えます。
警告
ところが,農業専門家の多くは,そうした結論に警告を発します。彼らは,「緑の革命」は人類の飢えの問題を解決していないし,これからも解決しえないだろうと言います。
たとえば「生き残るための方程式」と題する本の中で,農業経済学者ウオルフ・レードジンスキーの論文は次のように述べています。
「農業技術の遅れている,アジアのいくつかの国で『緑の革命』が始まってからほとんど5年になる。因習に縛られた農業社会へのその到来は,世界の大部分が飢えに苦しむであろうとの恐ろしい予測に対する論ばくの先ぶれとして迎えられた。
「しかしそれにとどまらず,変化がすぐにももたらされるという幸福感に眩惑された者たちは,耕作者の大多数を貧困から救う救済策がそこにあると考えた。…
「しかしながら,新しい技術の真価を発揮させるのに好都合な状況は簡単に得られるものではない。したがって,その規模にしても,進歩にしてもおのずから限度がある。それを抜きにして,成功が得られた場合にも,革命は多大の政治および社会問題を生み出した。かいつまんでいえばフォートン博士が1969年4月の『海外事情』の中でいみじくも指摘しているように,緑の革命は“豊饒の角”であると同時に“パンドラの箱”でもありうる」。
「緑の革命」が進行している最中に,多くの権威者たちが楽観を許さないとして警告を発するのはなぜですか。どんな問題が持ち上がっているのですか。それはどのように,「緑の革命」が飢えと貧困を克服することをはばむのでしょうか。
大きな危険をはらんでいる問題が一つあります。それは新しい品種の遺伝的背景と関係があります。
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一種類の作物を大量に栽培する危険目ざめよ! 1972 | 10月22日
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一種類の作物を大量に栽培する危険
「生物科学」誌は最近次のような警告を載せました。『緑の革命』にはもう一つの亡霊,つまり病菌の大流行という亡霊がつきまとっている」。これはどうなのでしょうか。
広い地帯にわたって同種類の穀物が育成されることになります。新しい病虫害が発生すると,被害はそれが栽培されている面積全体に及びます。しかし,何種類かの穀物が栽培されているなら,普通そうしたことにはなりません。
高収量の新品種にこの危険性が大いにあるという点で,専門家たちの意見は一致しています。それらの新種は,遺伝的に非常に狭い範囲の原種から作り出されたもので,ロックフェラー財団の報告によると,今日アジアで他のこの品種よりも広い作付け面積を占めている小麦の品種は,全部一種類の品種から出ているとのことです。
にもかかわらず,新しい品種は収量が非常に多いため,優先的に栽培されるのです。農家は金が欲しいので,すぐ金になるものならなんでも植えます。したがって,その地方で栽培されてきた収量の少ない穀物の代わりに,収量の多いものをどんどん植えていくわけです。しかし新しい変種はその地方で育てあげられたものでないために,ある種の病菌に対して耐病性があるかどうか不明だという問題があります。
このため,ロンドンの「新しい科学者」のある論文は警告を発しています。新しい品種が発病菌に負けるようなことになれば,破滅的な結果を招くことになるであろう。当分それに代わるものを得る可能性はほとんどない。新しい病気に抵抗しうる新種を育てあげるには時間がかかるからである。同論文は結論として,災害の起こる可能性は,人間が自然環境に手を加えたため,減少するどころか倍増しているであろうと述べています。
前例があるか
それにしても,これはただ理論の上だけの心配でしょうか。決してそうではありません。遺伝的にごく限られた原種から作り出された作物に,以前同じことが起きました。
その一例は,前世紀にじゃがいもを襲った疫病です。それは後期胴枯れ病として知られており,1845年にヨーロッパに広がり,猛威をふるいました。引き続き1846年にもヨーロッパのじゃがいもは減収し,アイルランドに大災害がもたらされました。
アイルランドの人々は自分の土地の大部分をじゃがいもの栽培に当て,それも一種類だけを重点的に栽培していました。そのじゃがいもを胴枯れ病が襲ったのです。ワールドブック百科事典はその結果をこう述べています。「1840年代に起きたじゃがいものききんは,アイルランド史上最悪の災害をもたらした。…飢えや病気で死んだ人の数は,約75万人に上る。この期間に何十万人もの人がアイルランドを離れた」。
今世紀の例としては,20年前に生じた疫病があります。アメリカのえんばく生産者たちは,収量の多い新品種を栽培しはじめました。それは,ビクトリーという名のえんばくの品種を交雑したものです。多くの人がそれらの変種を購入して植えました。ところが,ある特殊な菌が繁殖し,大量のえんばくが犠牲になりました。それから2年のうちに,問題の菌は非常に広範に発生するようになり,ビクトリー種のえんばくを安全に育成することは不可能になりました。
1930年代に,ホープと呼ばれる小麦の変種が作り出されました。それは,茎が腐って減収するという問題を解消するものとして歓迎され,数年のうちに,テキサスからノースダコタにいたるアメリカ西部一帯に植えられるようになりました。しかし1940年代の後期に,きわめて悪性の新しい菌が発生しました。アメリカとカナダで栽培されていたパン小麦とマカロニ小麦は,この菌に対して全く免疫性を持っておらず,新しい菌は小麦の主要な栽培地に急速に広がって被害をもたらしました。そのため数年間というもの,北米の大草原地帯のマカロニ小麦の栽培はほとんど中断されたも同然の状態でした。
最近における後退
1971年,ニューヨーク・タイムズ紙に「大きな被害をもたらしかねない遺伝学の勝利」という見出しが載ったことがあります。その記事の内容は,1950年からアメリカに紹介された交雑育種によるとうもろこしの改良品種に関するものでした。それらの品種は,1エーカー当りのとうもろこしの収量を2倍以上にふやしました。
ところが1970年に,サザン・コーン・リーフ・ブライトという,葉の病気をもたらす新しい悪性の疫病が不意に襲いました。それは,たいていの農家で栽培されていた,特殊化とうもろこしのもろさを暴露しました。1970年の7月から収穫期にかけて,7億ブッシェルのとうもろこしが被害を受けました。それはとうもろこしの全収穫量の15パーセントに当り,約10億ドルに相当します。
このとうもろこしの被害について,ニューヨーク・タイムズ誌は次のように評しています。
「被害を受けやすい基本的な理由は,すべての農家が各作物の最善の品種を同時に植えたがることである。その結果生じる作物の均一性は,近年のサザン・コーン・リーフ・ブライトのような,突然変異による新しい敵が表れると,大災害を招く結果になる。
「現代社会の他の多くの分野におけると同様,経済的に短期間で効果をあげるものは,生態学的にも経済学的にもあとあとまで尾をひく重大な問題を残す」。
それにしても,それらの新しい品種はこれと同じような被害を実際に受けたでしょうか。新しい米はすでに影響を受けています。「環境の危機」と題する本は次のように述べています。「稲のIR-8種はこの問題で実に多くの被害をこうむっている。しかし,それよりもさらに大規模の単一栽培がすすめられている」。
「単一栽培とは」,一つの作物の栽培で,その他の作物のためには土地を利用しないのが普通です。したがって,問題が生じているにもかかわらず,農家が短期間に金を得ようとするため,新しい穀物の単一栽培がさらに規模を広げて行くのが通例です。
1972年2月,全国食料農業会議は,フィリピンの実状について新しい数字を発表しました。それによると,植物に致命的な打撃を与えるツングロというビールスが,ルソン島とミンダナオ島の稲作地帯のうち約5万6,000ヘクタールを枯らしたとのことです。フェルディナンド・マルコス大統領は国会で,「フィリピンの農業にとって本年[1971年]は災厄の年である」と語りました。
1966年以後,収量の多い米の新品種を栽培したため,フィリピンは米の自給自足ができるようになり,1970年まで多少の余剰米を出していました。しかし昨年,1971年には,46万トンという大量の米を輸入しなければなりませんでした。しかも政府の予想によると,1972年には,64万トン,1973年にも同程度の深刻な不足が生じるとのことです。
このように,遺伝的に非常に狭い原種から育てあげられた作物を広い地域に栽培して行くのは非常に危険なことでもあり,近視眼的でもあります。それにしても,新しい穀物に関連した問題はこれだけではありません。
[6ページの図版]
害を受けたとうもろこしの交雑品種(右)と害を受けなかった自然受粉によるとうもろこし(左)
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「緑の革命」から最大の益を受けるのはだれか目ざめよ! 1972 | 10月22日
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「緑の革命」から最大の益を受けるのはだれか
「緑の革命」によって,収穫が驚くほどふえたという報道に接して一般の人はどのような結論を出すでしょうか。貧しい人々が食糧を手に入れることができるから,その数はどんどん減って行くだろうと考えられがちです。
はたしてそうでしょうか。不幸なことに,現状はそうではありません。最大の益を受けているのは,最も困っている人たちではありません。その理由は,収量の多い新しい作物を栽培するには何が必要かについて,農業の専門家の説明を聞くと理解できます。
インジアナ大学ビールス学教授ディーン・フレーザーの説明によると,一つには,新しい種は「大量の肥料を施してはじめて」多くの果を結びます。ですから,肥料もなければなりません。しかし,開発途上国では,必ずしも多くの肥料が手に入るわけではありません。
そうした肥料が手に入るにしても農民にはそれを買うだけの余裕がなければなりません。貧しい国の農民は,たいてい彼ら自身貧しく,したがって,飢えと貧困にあえいでいる農家ではなく,すでに金があって肥料を買うことのできる農家が最大の益を受けるのが通例になっています。
さらに重要な必要物
肥料よりもっと大切で,しかも非常に重要なものがあります。F・R・フランケルは自著「インドにおける緑の革命」の中でこう述べています。「超小型小麦の耕作が成功するかどうかは,それ以上に,水の供給を確保することに深い関係がある。事実,育成周期の間のいくつかの定まった期間にかんがいすることは,収量を上げる可能性を実現させるために肝要である」。しかも,稲は小麦よりも多くの水を必要とします。
かんがいは降雨とは別です。新種の穀物は不確かな降雨に依存することはできません。定期的なかんがいが必要です。つまり,水の供給を確保しなければなりません。かんがい用水は,運河を利用して河川から引くことができます。しかし貧しい地域ではそうした運河を作れるところはそう多くありません。たいていの場合,地下水をくみ上げるためのポンプが必要です。
それにはすべて科学技術が関係してきます。運河を掘るには機械が,ポンプを製造するには工場が必要です。さらに,フランケルはこう述べています。「加えて,新しい小麦の収量を最も多くするためには,より複雑な農業設備が要求される。すなわち,土壌を水平にするための改良されたすき,円板すき,まぐわ,種を浅く植え,苗の間隔を均等にするための種まき機と施肥機,さび病や他の病気から植物を保護するための設備」。
こうしたものすべてを整えられる人はだれですか。やはり,すでに相当に富んでいる農家ということになります。
穀物を保護する設備が必要なことに注目してください。それには,穀物の新しい品種を保護するために多量の殺虫剤の使用が含まれます。それは金かいるだけでなく,毒性です。しかし,二つの害悪のうち,このほうが程度が軽いとして,広範に使用されています。飢えている人は,腹の中に食べ物を入れることにせいいっぱいで,殺虫剤の害が長く残ることなどあまり気にしない,という考えがあるからです。しかしながら,あとになって必ずその価を払うことになるのです。
こうした必要を要約して,USニューズ・アンド・ワールド・レポート誌はこう述べています。「しかし,新しい種だけでは農業に革命を起こすことはできない。遺伝的に宿っている可能性を最大限に発揮させるためには,かんがいそして多量の肥料と殺虫剤が必要である」。それにはすべて金がいります。貧しい人や飢えている人に金はありません。
不平等な分配
以上のような理由のために,「インドにおける緑の革命」と題する本は,「新しい科学技術の益は極めて不平等な仕方で分配されている」と述べているのです。
この結論は,「生き残るための方程式」の中で次のように支持されています。
「革命は非常に『選択的』であるといわねばならない。…インドの耕作地の4分の3にはかんがいの設備がなく,『乾地』農法が主であることを考えれば十分である。他に理由がないとして,国土の大部分はなんら変化を受けていないし,同じほどの膨大な土地はその中に『点在する小島』を誇れるにすぎない。…
「緑の革命は多くの人に影響を与える代わりに,わずかの人に影響を与えているに過ぎない。それは環境条件によるだけでなく,大多数の農民に資力がないからである。…その一部になることを待ち望みながらもその希望が実現されないと,動乱を生む社会的,経済的,政治的問題が作り出される。そしてこれが,緑の革命のたどっている道のどの部分を評価しても明らかになってくる別の面なのである」。
こうして,全収穫量と総収入は上昇しても,それは公平に分配されているわけではありません。たとえば,インドの主要栽培地の二つであるビハールとウッタルプラデシでは全農地の80%が3ヘクタール余りの大きさと推定されています。これは,たいていの農民に新しい技術を利用するだけの資力がないことを物語っています。ですから,益を受けているのは,ほんとうに困っている人たちのごくわずかの部分に過ぎません。事実,インドでは1億8,500万人の人々が,2ヘクタール以下の農地で生計をたてているということです。
また多くの貧しい国には,自分の農地がなく,地主から土地を借りている農民がいます。しかも近年地価は上がっています。「緑の革命」の効果がはっきり見られる周辺では,地価が時として3倍,4倍,5倍になることがあります。その結果,借地料は高騰し,小作農にとって事態はますますむずかしくなって行きます。また,新しい作物から利益が上がるのを見て,自分で土地を耕作することを決める地主もいます。そのため,小作農は土地を追われ,土地を持たない労働者になってしまいます。
農村地帯の,土地を持たない労働者の数は信じがたいほどです。インドだけでも,その数は1億人を越えると言われています。それも,都市に寄り集まっている何百人もの貧しい人々に加えてそれだけいるのです。
インドにおけるそれら土地のない労働者と,2ヘクタールに満たない土地で農業を営んでいる1億8,500万人とを合わせると,実に3億人近い数になります。これはインドの農村人口の大部分を占め,しかもそのほとんどは,極貧にあえぎながら生活しているのです。その平均収入は一人につき年間わずか200ルピー(約6,000円)だといわれています。
その結果について,「インドにおける緑の革命」は,このために「経済状態は著しく悪化したというのが実状である」と述べています。また,ある経済学者は,「生き残るための方程式」の中で,「富んだ者はますます富み,貧しい者はますます貧しくなる」と書いています。
つまり「緑の革命」は,それが援助するはずの人々に,最低の援助しか与えていないことになります。開発途上にある国にとって,この問題の比重は非常に大きいものです。
「緑の革命」は「赤」になりうる
問題の重大性は,インドのインディラ・ガンジー首相のことばからよくわかります。インド全州の各省長官に対する演説の中で同首相は次のように言いました。「現在の時が発している警告は,社会正義に立脚した革命が緑の革命に伴わなければ,緑の革命は緑ですまされないかもしれないということです」。
つまり,貧困と飢え,また不公平が続く状態に対して反動が起こり,「赤」すなわち共産主義の革命になりかねないことをガンジー首相はほのめかしたのです。それは,貧しい人々が自分たちの生活が悪化してゆくのに,他の人たちは,特に富んでいる人たちが新しい技術の益を受けているのを見る,といった事態の生じた所で現に起きています。
また,これは一国の特殊な事情であると結論してもなりません。例外というよりもそれが通常の状態です。コロンビアの農業関係の職員がその国で開かれた晩さん会で,招かれた客にこう語りました。「『緑の革命』は,民衆を,それを最も必要としている民衆を素通りして,『持てる者』と『持たざる者』との隔差を広げている」。
さらに,オーストラリアの週刊誌「ブレティン」は次のように述べています。「食糧が数に追いついてゆけないのは,おもに農業問題というよりも経済上の問題である。民衆は貧しすぎて,たとえ良い食品があっても,その必要な食品を買うことができない」。これはアメリカについてもある程度いえることです。政府は農民に金を出して生産を抑えているのに,幾百万人ものアメリカ人は健康を維持するために十分な食事ができず,栄養不良の状態にあります。
国連食糧農業機構の理事長A・H・バーマの発表した最近の概略報告はこう述べています。「農業収入の増加は,どちらかといえば,いよいよ不平等に分配されることになり,その結果,過去数年のうちに,飢えて栄養失調をきたしている人たちの絶対数は増加した」。
[8ページの図版]
「インドにおける緑の革命」と題する本は,益を受けているのはごく少数の人たちで,貧しい人々のほとんどはいよいよ貧しくなっていると述べている
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『緑の革命』だけで十分か目ざめよ! 1972 | 10月22日
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『緑の革命』だけで十分か
飢えの問題は今日ですら深刻です。しかし専門家たちの一致した意見によると,問題はまもなくさらに悪化しそうです。
なぜですか。なぜなら,ほかにも考慮しなければならないことがあるからです。しかも,それは最大の問題とされているものです。
ミシガン州立大学の食品科学の教授ゲオルグ・ボルグストロムはそれが何かを指摘しています。「現在の世界的なたん白質の危機が自然に解消し,取り除かれると考える人がいるなら,その人は,飢えた人々が十分栄養のとれる人より2倍の速さで増加していることを忘れてはならない」。
事実,最近の国際連合の報告によると,飢えた人々は,十分栄養のとれる人々より,実際には2倍半の速さで増加しています。したがって,『富んだ』国の人口の増加に伴ってより多くの人が良い食事をする一方,貧しい国々の,十分食べることのできない人の数はそれよりも速くふえています。「人口爆発」を口にする専門家たちが心配しているのはこの問題です。
したがって,「緑の革命」にもかかわらず,飢えの問題は解決されていません。1972年3月6日号のUSニューズ・アンド・ワールド・レポート誌はこう述べています。「世界人口の急激な増加は,とどまるけはいがない。それどころか向こう数年,その増加率はさらに上昇するかもしれない。…現在の人口の増加は,年間7,500万人である。つまり,12か月のうちに新しいバングラデシが生まれる割合になる。…その爆発的な増加のため,人口問題の専門家たちは,飢えが世界の開発諸国にも大規模に広がると心配している」。
インドの現在約5億7,000万人の人口は,毎年だいたい1,400万人の割合で,ふえています。この点に関して,ニューヨーク・タイムズ紙はこう述べています。「増加率が大幅に減少しないかぎり,インドの人口は2000年までには10億人になり,食糧の生産が少しぐらい伸びてもとても追いついて行けないであろう」。
しかし別の筋から出されている警告によると,たとえインドが数年の間に徐々に,「出産率を現在の半分に抑えるという非常な難事」をやり遂げたとしても,それでも十分ではないようです。その人口は2000年ごろまでにはやはり10億を越すであろうとのことです。
地球が,35億または40億,あるいはそれ以上の人口を養えないというのではありません。養いうるのです。しかし,この世の経済,社会,政治機構のあり方のために,毎年貧困と飢えに閉じ込められる人口がふえているのです。
『奇跡』はもう起こらない
さらに,一部専門家たちを心配させているのは,将来,食糧の生産の大幅な増加を期待するのはむずかしいだろうとの見通しです。貧しい国々の最良の耕作地には,新しい種子が大部分の面積にわたってすでに植えられています。
その理由で,「緑の革命」の権威として認められている海外開発評議会のレスター・R・ブラウンはこう述べています。「『緑の革命』によって,短期間ではあるが一息つけたにしても,食糧の生産を永久に拡大しつづけることはできない。どれだけの収穫高を上げられるかには一定の限度がある」。フレーザー教授は「人々の問題」の中で次のように言っています。
「わたしたちの心配しているのは,食糧危機がしばらくの間緩和されたので,多くの人がこれは科学が常に救助の手をさし伸べられる証拠だと考えはしないかということである。…
「これからも改良はなされるであろうが,生産が飛躍的に伸びることはもうないであろう。遺伝学者たちは…現在のものは完全に予測できたのに対し,将来に『奇跡』が起きるとはとても考えられないと言い切っている」。
「緑の革命」による最近数年の大成功にもかかわらず,その間の世界人口の増加は急速で,収穫の増加分もほとんど帳消しにされたほどです。貧しい国々で,1エーカー(約0.4ヘクタール)当りの収量をこれ以上ふやすことはできないという限度まで来て,人口のほうは依然「爆発」を続けるなら,その時はどうなりますか。
化学工学者ノーベルト・オルセンは1972年の初めにこう言いました。「肥料や食糧増産の新しい方法を造り出そうとして一日に24時間働いたところで,必要に応じることは無理であろう」。また,1972年3月15日号の「化学ウィーク」誌は次のように報じています。「マサチューセッツ工科大学の4人からなる共同研究班は…人口の増加を固定させ,産業生産を安定させることによってはじめて,人類は向こう100年間を生きのびることができる[と結論した]」。
地域によってはすでに,人口の増加のために自然の草木がたえまなく伐採されている所があります。インドの西部では,森林伐採と牧草地の草を大量に家畜に食べさせるために,土砂あらしのような状態が起きているとのことです。しかも,土地が何世代もの間家族の中で分割に分割を重ねてきているので,これ以上小わけすれば採算のとれる耕作はやっていけない状態です。
オーストラリアの「ブレティン」誌はこう述べています。「1世紀も経ないうちに,世界の荒野の広さは,『土砂あらしを生みだす農法』によって2倍になった。(しかも,破壊は今なお続いている。)一方どの大陸においても農民たち(そして産業)は,作物を栽培するために,地下水という貴重な資源を掘り出している。時には危険な度合いで掘っている」。
マルサスは正しかったか
「ブレティン」誌は次のような結論を出しています。「古い18世紀のあの陰うつな非観論者トマス・マルサスが結局は正しかったことが証明されつつある。彼が著書を明らかにしてから,膨大な土地が開発され,科学のおかげで収穫量はめざましく増加を示した。にもかかわらず,空腹をかかえた飢えた人口は以前よりも多くなっているのが正味の結果である」。
また,「環境の危機」という本はこう述べています。「現在この地球には,1850年に存在していた人間よりも大勢の人が空腹をかかえ,体力的に弱っている」。1850年には,10億の人が地上に住んでいました。
実際には今,どれほどの人が飢えのために死んでいるのでしょうか。スタンフォードのポール・エーリッヒは次のように言います。「餓死についての唯一のわかりやすい定義 ― 適度の食事を取っていれば決して死ぬことはなかったはずの人の死を餓死とする ― を採用するなら,世界中で餓死する人の数は,年間500万から2,000万という恐るべきものになる」。つまり,一日に5万5,000人近い人が飢え死にしていることになります。
もちろん,官吏の中にはそうした状況判断に反対する人もいます。それにしても,自国の民が飢えのために死んでいるのを認めたがる政府当局は少ないことを忘れてはなりません。しかし,貧しい国々では,病気による死者とされている人の中に,実際には飢えが間接的な原因となって死ぬ人が非常に多くいます。十分な食事ができていたら,早死にすることはなかったはずなのです。
しかし「緑の革命」はどうなのですか。この問題を調べているエールリッヒのような人たちは,今までになされた進歩を無視しているのでしょうか。彼はこう答えています。
「現代は,アイオワ州をみごとに耕作できる農業者,みごとな新聞発表を出せる農業者の世代を生んだ。しかし彼らは世界の実状を勘定に入れることができないし,それを知ってもいない。…
「彼らは会合の席上で言う。『だが,われわれはこれも増収できる,あれも増収できる』と。わたしは答えよう。『現在生まれている35億の人々を養うことができるなら,その時は戻ってきなさい。そうしたら,70億人をどうすべきかについて話し合おう。それまでは,自分の席について黙っているがよい。あなたがたは少しも助けになっていないではないか』と」。
これは,二人の農業経済学者ウィリアム・パドックとポール・パドックが数年前に行なった予言を思い起こさせます。共著「ききん ― 1975年!」の中でふたりは1970年代の半ばに世界的なききんが臨むのは必至と述べています。しかし「緑の革命」が始まり,当初はそれが楽観主義をもたらしたため,多くの人はそうしたききんの予言を軽視しました。
ところが現在では,権威者たちは嘲笑していられなくなりました。国連食糧農業機構のある職員は,次のような現実的な評価を下しています。「まだ確かなことはわからない。…パドックたちが結局まちがっていなかった ― 年代の点で早過ぎただけであることを思い知らされるかもしれない」。
多くの人はエールリッヒの言うように感じています。「実際の年代はいつかということは問題外であると思う。…率直に言って,わたしは徹底的な悲観論に傾いている。人はわたしに,『[世界的なききんを避けられる]可能性はどれ位だと思うか』と聞く。わたしは,その可能性は今のところ2パーセント,一生懸命努力してもやっと3パーセントにこぎつけるところだろうと答える」。
こうした予言が,「緑の革命」のさなかになされているという事実は意義深いことです。また,過去数年間は雨量に恵まれ,作物にとって比較的良い条件が続きました。しかし,自然が好条件を引き続きくり返すとは限りません。1965年と1966年にインドで見られたようなかんばつが時として起こります。その時から世界人口,特に,貧しい人が非常にふえているので,同様なかんばつが将来に起きると,恐ろしい災害がもたらされることでしょう。
答えとなるのは何か
「緑の革命」はこの世界の飢えの問題に対する答えとはなりません。それを認めているのは農業問題の専門家だけではありません。それよりもはるかに高い源である,人間の創造者エホバ神が,それは答えとはならないと言っておられるのです。
神ご自身のことば聖書には,将来がどうなるかについて多くの預言が含まれています。聖書の預言はわたしたちの時代を「末の世」と呼んでおり(テモテ後 3:1),人類史のこの注目すべき時をしるしずける多くの証拠をあげています。その一つの証拠は,「処々に飢饉…あらん」というものです。―マタイ 24:7。
したがって,穀物の新しい品種がどれほどの成功をもたらそうと,それは永続するものではありません。諸国民の間に今日見られる支配体制は,食糧不足を長期間くい止めておくことはできません。
しかし食糧不足はくい止められるのです。しかも間近にです。エホバ神はご自分のみことばの中で,飢えの問題を含めて人間の諸問題を永久に解決するという保証を与えておられます。
まず必要なのは,地とその民を支配するための新しい行政機関です。地球の資源が正しく用いられるよう,人を分裂させ国家主義,利己的な商業主義,無意味な戦争は取り除かれねばなりません。
どのようにして神はそれを成し遂げられるでしょうか。人間の事態に直接介入されることによってです。神はご自分のみことばの中で,現在の事物の体制の政治制度や経済制度すべてを除き去ると約束しておられます。それによって地上に全く新しい秩序の置かれる道が開かれます。その新しい秩序は,イエス・キリストがご自分の追随者に祈り求めるようにと教えられた天的な政府,すなわち神の王国によって支配されます。事実,神はこの天の王国を用いて,今日存在している『諸の国を打破りてこれを滅する』のです。―ダニエル 2:44。マタイ 6:9,10。
神の王国の支配の下で,その時地上の民は,「国は国にむかいて剣をあげず 戦闘のことを再びまなば(ない)」時代に住み,「肥たるものをもて宴をまうけ」ていただけることを約束されています。この天の神の政府は,地の富が正しく分配されることを確実にします。―イザヤ 25:6; 2:4。
ですから,今日の食糧に関するとてつもない難問題を人間が解決しうるという考えにだまされないようにしてください。人間は解決することができません。全人類の必要を満たすのは,科学者でも彼らの「緑の革命」でもなく,「天と地の造り主」です。(詩 146:6,7,新)それはいつのことですか。神のみことばは,それがごく近いことを約束しています。実にこの世代のうちに,神の王国はだれにも対抗されずに支配し,真の神を崇拝するすべての人にとこしえの祝福をもたらすのです。―マタイ 24:34。
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ブラジルのインディアンには何が起きているか目ざめよ! 1972 | 10月22日
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ブラジルのインディアンには何が起きているか
ブラジルの「目ざめよ!」通信員
ブラジルの広大な内陸部が網の目のように走る高速道路で切り開かれるにしたがい,インデアンたちが人々の注目を浴びるようになった。生き残っているインデアンの大半は,ジャングルの奥深くに住んでいるので,文明と多く接触することをかろうじて免れてきた。
しかし,現在の政府は,彼らをブラジル国民に統合する政策を立てていて,インデアン部族を近くの指定保留地に誘致する努力を払っており,高速道路が統合計画に役だつことを期待している。新高速道路の施工者には,インデアンと親しくなって衝突を避ける仕事をする特別のグループがついている。
ブラジルのインデアンには四つのおもな言語グループ,
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