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  • わたしたちが世のものであってはならない理由
    ものみの塔 1984 | 10月1日
    • が行なわれたと同じように,不義の人間社会である「世を征服」します。(ヨハネ 16:33)そうです,それから彼らは,ノアとその家族が大洪水を生き残ったように,この世が神による滅びによって過ぎ去る時に生き残るのです。―ペテロ第二 2:5。

      16 これからどんな質問を考慮しますか。

      16 では,この世が過ぎ去りつつあることからすると,クリスチャンは世の社会問題にかかわることをどう見るべきですか。教育,仕事の取り引き,レクリエーションに対してどんな態度を取るべきですか。これらの質問をこれから注意深く考慮します。

  • 『世からの汚点のない状態』にとどまりなさい
    ものみの塔 1984 | 10月1日
    • 『世からの汚点のない状態』にとどまりなさい

      「わたしたちの神また父から見て清く,汚れのない崇拝の方式はこうです。すなわち,孤児ややもめをその患難のときに世話すること,また自分を世から汚点のない状態に保つことです」― ヤコブ 1:27。

      1,2 清い崇拝に求められる事柄にはどんなものがありますか。

      エホバは清い崇拝を求めておられます。(ヨハネ 4:23,24)とりわけ,汚れのない宗教は,困窮している人々に対する積極的で愛ある関心を促進します。(ガラテア 2:10)そうした崇拝には,世,つまり神から離反し,「邪悪な者[悪魔サタン]の配下にある」不義の人間社会から汚点のない状態に自分自身を保つことも求められます。―ヨハネ第一 5:19。

      2 弟子ヤコブは,「わたしたちの神また父から見て清く,汚れのない崇拝の方式はこうです」と書き,こう続けました。「すなわち,孤児ややもめをその患難のときに世話すること,また自分を世から汚点のない状態に保つことです」。別の訳は次のようになっています。「わたしたちの父なる神の目に清くて,損なわれていない宗教はこうです。すなわち,困っているときに孤児ややもめを助けに行き,世に汚されないよう自分を守ることです」― ヤコブ 1:27,エルサレム聖書。

      3 今わたしたちはどんな質問を考慮しますか。

      3 ではエホバの僕であるわたしたちは,どのようにすれば「世に汚されないよう」自分を守ることができますか。世の社会問題,教育上の取り決め,事業の進め方,レクリエーション活動などの問題について聖書はどのような見解を示しているでしょうか。

      『世に汚されないよう守る』

      4 ヨハネ 17章14節およびイザヤ 2章2-4節は,わたしたちとこの世との関係について何を示していますか。

      4 エホバの証人であるわたしたちは「世のものではない」ので,わたしたちは不義の人間社会とは異なっていなければなりません。(ヨハネ 17:14)そのために一つには,世の政治問題に関して中立を保つことが求められます。世の暴力行為に巻き込まれることも避けなければならず,『その剣をすきの刃に打ち変えた』者として平和を追い求めなければなりません。―イザヤ 2:2-4。

      5 (イ)コリント第一 6章9-11節,(ロ)エフェソス 5章3-5節は,この世に汚されない状態にとどまるため,どのような行動を取るべきであることを示していますか。

      5 この世に汚されない状態にとどまることを願う民として,わたしたちは世の人々の間ではごく一般化していても,神の言葉とは調和しない話し方や行ないや態度を避けなければなりません。例えば,わたしたちの生活の中では,憎しみ,貪欲さ,恥ずべき行ない,卑わいな冗談などの占めるふさわしい場所はありません。(コリント第一 6:9-11。エフェソス 5:3-5)わたしたちの行動と態度が世の人々のそれと異なっていても驚くには当たりません。彼らはクリスチャンの希望を持っていないからです。

      この世の秩序のための時は短い

      6 コリント第一 7章29-31節を考え,エホバの証人は結婚生活,所有物,他の地的な事柄をどのようにみなすべきですか。

      6 使徒パウロはこのように書きました。「時は短くなっています。これからは,妻を持っている者は持っていないかのように,嘆く者は嘆いていない者のように,喜びに満ちあふれている者は歓ばない者のように,買う者は所有者ではないかのように,世を利用した者はそれを用いない者のように振る舞いなさい。なぜなら,現在の世の秩序は過ぎ去りつつあるからです」。(コリント第一 7:29-31,現代語聖書)この聖句は,クリスチャンである夫は結婚に関する責務を果たさなければならないとはいえ,結婚生活を人生のすべてとすべきではないということを示しています。霊によって生み出されたクリスチャンは死に際して,地的な親族,喜び,悲しみ,所有物など,すべてを永久に後にします。現在でさえ,天的希望を抱いていようと地的希望を抱いていようと,クリスチャンは妻や物質上の所有物を失うかもしれません。加えて,「大患難」の時に保護されるのは,物質上の所有物ではなく命です。(マタイ 24:21。伝道の書 9:11)したがって,今日のエホバの証人はだれも,結婚生活,所有物,他の地上の物事を生活の中で第一にしてはなりません。むしろクリスチャンはすべてエホバ神との良い関係を築くことを最高に重要なこととすべきです。わたしたちは「終わりの日」に生きており,「現在の世の秩序は過ぎ去りつつある」ので特にこのことは真実です。―テモテ第二 3:1。

      7 一経済学者によると,教育の向上,収入の増大,その他の進歩に伴って,何も多くなりましたか。

      7 多くの人は,「現在の世の秩序」の将来を憂慮

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