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あなたの造り主はあなたのことを深く心にかけておられるものみの塔 1978 | 5月15日
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続けるべきです。もしそうしないなら,神を信じていることを,あるいは神の答えを得ることに本当に関心があることを,神に示していないことになるでしょう。助けを求めて裁き人に訴えつづけ,ついに聞き届けてもらったやもめに関するイエスのたとえ話の要点はそこにありました。―ルカ 18:1-8。ヤコブ 1:5-8。
19 どうすれば神をよりよく知るようになりますか。
19 神を信じて祈りまた行動する人は,最もためになる道を歩むべく導かれる,ということを確信できます。その人は本当に神を知るようになります。「エホバとの親密さは,彼を恐れる者たちのもの」と神は約束しておられます。(詩 25:14,新)神とその人との関係は現実のものとなり,その人は自分が神に支えられ,導かれ,愛されて,『神と共に歩んでいる』のに気づくでしょう。詩篇の中で言われている神への恐れは病的な恐れではなく,神に対する健全な尊敬の念です。もし神を愛しているなら,あなたは自分の問題を神のところへ持って行くことを望み,はねつけられるとか拒絶されるという恐れを持たないでしょう。そういう妨げとなる恐れについて,使徒ヨハネは次のように書きました。「完全な愛は恐れを外に追いやります。恐れは拘束となるからです」― ヨハネ第一 4:18。
20 どんな問題でもそれをエホバのみ前に携えてくることをなぜ恐れるべきではありませんか。
20 罪をも含めて最も個人的な事柄を,それが何であろうと,エホバのところへ持っていくことを恐れたり,ためらったりすべきではありません。エホバは,人間が時にするように,あなたの問題をばかげたことと見たり,笑ったりするようなことはされません。「神はすべての者に寛大に,またとがめることなく与えてくださる」。「わたしたちが自分の罪を告白するなら,神は忠実で義なるかたであり,わたしたちの罪をゆるし,わたしたちをすべての不義から清めてくださいます」― ヤコブ 1:5。ヨハネ第一 1:9。
報いを与える者
21 エホバはご自分が報いを与える者であることについて,わたしたちがどのように考えることを望んでおられますか。そのことからわたしたち自身はどんな影響を受けますか。
21 さらに,神がわたしたちの祈りを聴いてくださることだけでなく,わたしたちが神に忠実であることに対して神が報いてくださるのを期待するのは全く正しいことで,利己的な行為ではありません。命の報いは,神が喜んで与えてくださるものとわたしたちが期待することを神は望んでおられます。わたしたちがそれを感謝し,正しく用いることをご存じだからです。エホバはわたしたちが次のことを知るよう望んでおられます。つまり,エホバはご自分を愛する者たちに報いる神である,ということです。この世的な人の中には,愛や忠節心から物事を行なう人々に対してなんの感謝もおぼえず,考慮も払わない人が少なくありませんが,エホバはそのような方ではありません。それに,忠節な行ないに感謝する気持ちのない,そして自分のしもべたちに一度も報いたことのない神は,崇拝に値しません。しかしエホバ神は忠節です。心の温かい,そして友に親しく接することをされる神です。エホバはご自分を信ずる者たちにこのように約束しておられます。「わたしは決してあなたを離れず,決してあなたを見捨てない」― ヘブライ 13:5。
22 (イ)現在でも,神に仕えることからどんな報いを楽しみますか。(ロ)どんな報いはまだ将来のものですか。
22 したがって,神の親しい友になり,神と交流を持ち神と共に歩むことには,現在大きな報いがあるのです。また,前途にはさらに大きな報いがあります。それはわたしたちの想像をはるかに上回るものです。神に対して忠実を保つなら,まず現在,目的のあるより良い生活をすることができ,この世が経験する問題や心配からの大きな自由を得ます。(エフェソス 3:20)次に「新しい地」の「土台」の一部になる見込みがあります。地を楽園にするためのいわば「基礎工事」にあずかるのはどんなに喜ばしいことでしょう! 他の人々が復活してくるときにそこにいて彼らを迎え,教え,援助し,訓練するのはどんなにすばらしいことでしょう! わたしたちの前には胸のわくわくするような将来 ― 優れた目的を持つ生活が前途にあるのです。
23 人々が神の側に立つことを遅らせないようにするのはなぜ重要ですか。これにはどんなことが含まれますか。
23 しかし,あなたが持っている,今神に仕えるすばらしい機会を軽視しないでください。神の備えを知らない人々の世のただ中で,人々が宇宙支配権の論争に関し神の側に立つ機会を持てるのは今が最後です。さらに,反対されながらそれらの人々に「良いたより」をふれ告げる機会もこれが最後です。神に対するあなたの忠節を証明するなんと良い方法でしょう! それを行なうとき最大の報いがもたらされます。今こそ,「生ける神の会衆であり,真理の柱また支え」である「神の家の者たち」の一員として,他の人々に王国の良いたよりを伝えふれ告げる働きをする機会です。―テモテ第一 3:15。
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私たちの20年にわたる事業 ― 子供を育てることものみの塔 1978 | 5月15日
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私たちの20年にわたる事業 ― 子供を育てること
ノーマン・C・ピアーシーの語った経験
初めての子供の誕生を,今や遅しと待ちわびる若夫婦は少なくありません。一方,赤子の誕生が自分たちの生活に大きな変化をもたらすために,複雑な心境で子供の誕生を見守る夫婦もいます。
私たち夫婦は後者のほうでした。初めての子供の誕生は,私たちの生活を大きく変化させたからです。私たちは仕事の性質上,その仕事を続けながら,子供を世話し,扶養してゆくだけの時間的,金銭的余裕はありませんでした。
出産当初から,子供に対する導きを成り行きに任せるのは賢明でないことを私たちは自覚していました。成長期にある子供の相手をするために,他の影響力と戦う備えがどの程度できているかが,子供に対するその人の愛の程度を計る尺度になる,という意味の言葉を何年か前に読んだことがありました。私たち夫婦がこれまでの人生を振り返ってみると,この戦いが時としてかなりきついものだったことを認めざるを得ません。しかし,子供たちが19歳と20歳になり,20年にわたる私たちの事業がほぼ完了しようとしている今,その結果を見て,努力を払うだけの価値があると証言できます。
しかしまず,私たちが結婚したいきさつ,および私たちの20年にわたる事業の出発について,簡単に記すことにしましょう。
結婚と家族
1948年に私は“開拓者”になりました。エホバの証人は,神の王国の良いたよりを全時間教える者をそう呼んでいます。二年後,私はニューヨーク市ブルックリンにある,エホバの証人の本部家族の一員になり,聖書文書の生産に携わるようになりました。
翌1951年,私は,エホバの証人の宣教者を養成しているギレアデ学校の卒業式に行きました。卒業生の一人,マリアン・バーナーは,任命地へ向かう前に,数週間ニューヨーク市にとどまり,私たちはその間に知り合いになりました。マリアンは,三年余り横浜で過ごした後,1955年,ニューヨーク市で開かれた国際大会に出席するため帰国しました。その機会に私は求婚し,マリアンは私の妻,また生涯の伴侶となりました。
私たちは巡回奉仕の機会を与えられ,イリノイ州南部のエホバの証人の諸会衆を訪問し,援助を
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