ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 神の王国の定める境界
    ものみの塔 1973 | 10月15日
    • のクリスチャン証人となっています。何が彼らを異ならせているかに注目してください。『万軍のエホバ言ひたまふ 我わが設くる日に彼らをもてわが宝となすべし その時なんぢらはさらにまた義しき者と悪しきものと 神につかふるものとつかへざる者とのわかちを知らん』。―マラキ 3:2-4,7,17,18。ルカ 12:8,9もご覧ください。

      14 (イ)西暦33年のペンテコステ以来どんな優れた建築の業が始まりましたか。(ロ)今日,どんな取り入れの業が世界的な規模で行なわれていますか。(ハ)ペテロの述べるとおり,良い建物のためにどんな要求に従うことがたいせつですか。

      14 ソロモンには,神殿,つまり神の聖所を建てるという確かにすぐれた使命がありました。しかし,今日のわたしたちにはさらに大きな特権があります。ソロモンが担当した建物の多くは木材や石で造られていました。しかし,西暦33年のペンテコステ以来,クリスチャン会衆は「神の建物」となっています。「キリスト・イエスご自身は土台の隅石です。彼と結び合って建物全体は……聖なる神殿に成長してゆき……神が霊によって住まれる所となってゆく」のです。「生ける石」から成る「神の建物」とはいかにも高遠な考えではありませんか。今日,クリスチャン会衆の残りの者に加えて,エホバは世界的な取り入れの業を始めておられます。それはあなたも加わることのできるものですが,その業の結果として,神とその王国の側に立場を定め,王国相続者の残りの者と密接に交わる人々の「大群衆」が集められています。ペテロは,キリスト・イエスを「生ける石」の主要なものとしつつ,イザヤの次の預言を引用しています。『神エホバかく言ひたまふ 見よわれシオンに一つの石を据えてその基となせり これは試みをへたる石 貴き隅石 かたく据えたる石なり……われ公平をはかり繩とし 正義を〔水準器〕とす』。神の「はかり繩」と「水準器」とによって定められる境界を守ることは,この裁きの日にいるわたしたちにとっていかにもたいせつではありませんか。―コリント前 3:9,17。エペソ 2:20-22。ペテロ前 2:4-6。イザヤ 28:16,17。

      義 ― 主要な境界

      15 義をどのように定義できますか。神のどんな二つの属性がきわだったものとなりますか。

      15 現在の邪悪な事物の体制とは対照をなすものとして,ペテロは,『新しい天と新しい地があり,そこには義が宿る』と述べています。(ペテロ後 3:13,新)義とは,方正な,公平な,そして公正な事がらを表わしています。しかし,人間の目で見た人間の物事の場合,何が正しいかの規準はかなり異なり,その場の便宜に支配されないまでも,それに影響される場合が少なくありません。国家どうしの領土上の境界をめぐる激しい抗争などの場合,どちらの側も自分のほうが正しいと唱えますが,その結末は,『力は正義』という昔からのことわざどおりになります。エホバの場合にそのようなことは決してありません。確かにエホバは『全能の神』です。また,無限の知恵を持たれるかたでもあります。事実,エホバの属性はすべて最高度のものであり,完全な平衡を保っています。しかし,エホバの義はその愛と公正さのうちに特に例示されているのです。彼は「岩,その活動は完全である。その道はすべて公正だからである。忠実の神,不正なところはない。義かつ方正なかたである」。エホバの主権,とりわけ,自分の命を贖いとして与えたキリストのもとに置かれるその王国に関連して行使されるエホバの主権は,神の愛と公正さをすばらしいしかたで表わし示します。―黙示 16:14。申命 32:4,新。マラキ 3:6もご覧ください。

      16 (イ)わたしたちの生活を神の規準に合わせて形作ることができますか。どのように?(ロ)わたしたちが適正な範囲内にとどまるのを助けるため,神はどのような優れた備えをされましたか。

      16 このことを認識すればするほど,わたしたちの心は深い感謝の念に動かされ,自分の生活をこの同じ規準に合わせようとする動機を強く持つようになります。パウロは述べました,「あなたがたの思いを活動させる力において新たにされ,神のご意志にそいつつ真の義と忠節のうちに創造された新しい人格を着け(なさい)」。特に愛に関しては,それが単なるさそいではなく,律法また命令として課せられていることを銘記しなければなりません。(エペソ 4:23,24。マタイ 22:36-40,ヨハネ 13:34,ヤコブ 2:8,ヨハネ第一 4:7-12もご覧ください。)この点でわたしたちを助け導くために,エホバはご自分の民を集めて,緊密に結ばれた一つの結合体とされました。それは,強固な防壁に囲まれた,聖書時代の都市の中に住んでいるのに似ています。そのことは,イザヤ書 26章1-4,7節に美しく描かれています。『われらに堅固なる〔都市〕あり 神救ひをもてその垣その囲ひとなしたまふべし なんじら門を開きて忠信を守るたゞしき国民を入れよ……なんぢらとことはにエホバにより頼め 主エホバはとこしえの岩なり 義しきものの道は直からざるなし なんぢ義しきものの道を直く平らかにしたまふ』。―黙示 22:15-21もご覧ください。

      17 規準が高すぎると感じられる場合でも,神のことばが助けと励ましを与えることを述べなさい。

      17 あるいはあなたは,規準が自分には高すぎると感じて,多少失意しておられるかもしれません。そして,自分のことをあまりにも知りすぎていると言われるかもしれません。しかし,もしそうなら,エホバのほうがあなたのことをはるかによく知っておられるということを忘れてはなりません。『エホバのおのれをおそるる者をあはれみたまふことは父がその子をあはれむがごとし エホバはわれらのつくられしさまを知り われらの塵なることをおもひたまへばなり』。問題の多く,そして悪の多くでさえ,神の目的と親切な備えに対する知識の不足におおむね帰せられます。この点についてパウロがアレオパゴスの法廷で語ったことばを覚えておられますか。「神はそうした無知の時代を見過ごしてこられはしましたが,今では,どこにおいてもすべての者が悔い改めるべきことを人類に告げておられます」。これは無意味なことばではありません。無知の時代は過ぎました。悔い改めの時代が来ているのです。結局のところ,各自の責任ということに加えて,各自の選択の機会も与えられているのであり,聖書はそのことを繰り返し示しています。自分の過去の経歴と性格が生来の弱さ,あるいはさらに悪いものを示し,自分ではそれを克服できないと感じる人がいるかもしれません。しかし,神が邪悪な者たちにさえ幾度も呼びかけをされたことは,神と神の規準を故意に退け,無知による哀願の余地も悔い改めも全くない場合でないかぎり,だれの場合にも望みが残されていることを示しています。カインに対する神の警告と呼びかけは,カインが,その時でさえ,もし助けを請い求めさえしたなら,正道に戻りえたことを示しています。―詩 103:13,14。使行 17:30,新。創世 4:6,7。

      18 各自の責任と結びつけて,エゼキエルの預言の中では,邪悪な者に対してどんな呼びかけがなされていますか。

      18 エゼキエル書第18章の預言全体を通して,各自の責任が強調されています。「罪を犯している魂 ― それは死ぬ」。そして,呼びかけのことばが繰り返し語られています。『悪人もしそのすべて行なひしところの悪を離れ わがすべての法度を守り 律法と公義を行なひなば かならず生きん 死なざるべし』。同様の呼びかけが一つの国民全体に対してもなされました。「なんじらそのもろもろのとがを悔い改めよ……新しき心と新しき〔霊〕を起こすべし……われは死ぬる者の死を好まざるなり さればなんぢら悔いて生きよ 主エホバこれを言ふ」― エゼキエル 18:4,20,21,27,30-32; 33:11,14-19。ヨエル 2:12-14もご覧ください。

      19 わたしたちひとりひとりにどんな責任と可能性がありますか。パウロ自身の経歴はこの点でどのように助けになりますか。

      19 すでに述べたとおり,この原則は逆の方向にも働きます。(エゼキエル 18:26)どちらにしても,各自の選択と責任とがそこにあります。人は新たな,正しい選択をすることができ,『神を模索してほんとうに見いだす』ことを願うなら,『神を求める』ために新たなスタートを切ることができます。神は遠く離れておられるのではありません。パウロは,以前の性格や行状という面で極端に悪い経歴を持ちながら,『知らないままに,そして信仰のないままに行動していたゆえにあわれみを示された』者の顕著な例となっているのです。―使行 17:27。テモテ前 1:12-16。ガラテヤ 1:13。

      20 イエスはこの同じ可能性と責任をどのように強調されましたか。

      20 ヨハネ 3章16-19節(新)のイエスのことばの中にも,同じあわれみのこもった論議が含められています。「神は世を深く愛してご自分の独り子を与え(られた)……それは,彼が世を裁く[罪に定める]ためではなく,世が彼によって救われるため」です。これは冗談に語られたことばではありません。それはほんとうにその可能性を含む事がらでした。イエスは「どんな人にも光を与える真の光」でした。しかし,イエスの言われたとおり,「人びとは光よりやみを愛し」ました。「その業が邪悪であったから」です。それは彼らの選択でした。彼らはそこにとどまることのほうを好みました。―ヨハネ 1:9,新。

      21 エホバを尋ね求める人々について詩篇 24篇3-6節の中でどのように描写されていますか。

      21 あなたとしては,どうして詩篇 24篇3-6節に描かれる世代とともにならない理由があるでしょうか。『エホバの山にのぼるべき者はたれぞ その聖所に立つべき者はたれぞ 手きよく心いさぎよき者そのたましいむなしきことを仰ぎのぞまず 偽りの誓ひをせざるものぞその人なる かゝる人はエホバよりさいはひを受け その救ひの神より義を受けん かくのごとき者は神をしたふものの〔世代〕なり ヤコブの神よ なんぢのみ顔を求むる者なり』。〔新〕

      22 イザヤ書 55章6,7節の中で,どんな優れた呼びかけがなされていますか。

      22 そうです,どうしてイザヤ書 56章6,7節に言い表わされる呼びかけに答え応じない理由があるでしょうか。「あなたがたは,見いだせる間にエホバを捜し求めなさい。近くにいてくださる間に呼び声を上げなさい。邪悪な者はその道を離れ,害意をいだく者はその考えを捨てなさい。エホバに帰りなさい。あわれみを施してくださるのです。わたしたちの神に帰りなさい。寛大にゆるしてくださるからです」(新)。あなたもこれを経験し,またこうした祝福にあずかれるのです。

  • 神の政府のもとでの人間の幸福
    ものみの塔 1973 | 10月15日
    • 神の政府のもとでの人間の幸福

      1,2 人間が地上で生活を十分に楽しむための主要な要素の一つはなんですか。

      庭園のような環境の中で健康に生活できるとすれば,それはなんとすばらしいことでしょう。清く澄んだ湖や流れ,そして健康的な食物と澄みきった空気があれば,生活はほんとうに楽しいものになります。さらに,すべての人が共通の目的,つまり地球の資源を人類の益のために使うという点で協力するなら,そこでの仕事は喜びあふれたものになります。そうした状態になれば,地球はほんとうにパラダイスになります。

      2 もとより,こうした願わしい状態をもたらすためには,喜ばしい環境や協力的な人々以上のものが必要です。すなわち,清潔で腐敗することのない政府が必要です。「正しい者が権力を得れば民は喜び,悪しき者が治めるとき,民はうめき苦しむ」ということは容易に理解されるからです。(箴言 29:2,口語)人間が考え出したいろいろな政府は,望ましい状態をもたらすという点で失敗してきました。それは,そのような願わしい政府を持つことは不可能であるという意味ですか。

      3,4 神は地に対して何を意図しておられますか。そして,すべての者の幸福を保証するために何を行なわれますか。

      3 創造者は聖書の中で,地を治める義の政府を意図しておられることを明らかにしておられます。創造者は「幸福な神」であり,また,人間の創造者であるので,人間の幸福な生活のためにどんな政府が必要であるかを知っておられます。(テモテ前 1:11,新)創造者は,ご自分の預言者エゼキエル

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする