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  • わたしたちはロボットに侵略されている!
    目ざめよ! 1982 | 4月22日
    • の事柄を行なうだけの造りになっています。例えば,この雑誌を予約しておられるなら,今お読みの雑誌は1台の機械で1冊ずつ折りたたまれ包装されたことでしょう。その機械はそうした目的のために特に造られたものです。それがその機械の唯一の機能です。ほかの作業は何一つ行なえません。他方ロボットには多くの事柄を行なうようプログラムを組み込むことができます。ロボットには窓の掃除も,卵を焼くことも,塗装や溶接も,この雑誌を包装することもできるのです。産業界にとってロボットの真価はここにあります。

      ロボット本体の動きは融通の利くもので,腰・肩・ひじ・手首・関節・腕・手首のわん曲など人体の名称を用いて表現することができます。ロボットは人間の腕や手首の動きをほとんどすべて模倣することができ,カップに入ったコーヒーをかき回すことさえ可能です。雇い主にとってうれしいのはその動きすべてが完全にプログラム可能なことです。つまり,ある仕事を幾度も繰り返し行なうことも,それをやめて別の作業を行なうことも可能なのです。ロボットは人間と一緒に,人間と同じペースで働くよう作られているので,既存の作業と対立することがありません。これは人間にとって最高の僕となり得るのではないでしょうか。

      しかも,これがすべてではないのです。ロボットの利点はまだまだたくさんあります。ロボットには極めて複雑な作業をさえ容易に教え込むことができます。それがどれほど簡単か,製造業者自身のロボット便覧には次のように説明されています。

      「手に持った動作教示コントロールを使って,文字通り手を取ってその割り当てられた仕事を一通り行なえば,ロボットに仕事を教えることができる。再生のスピードは教えた時のスピードに依存しないので,ゆっくり教えた作業も速い速度で正確に行なえるようになる。こうした教え方により,設置のための時間が短くなり,新しい仕事への切り換えも速くなり,プログラムの調整も素早く行なえる。記憶装置<メモリー>に多くのプログラムを入れておくことが可能であり,必要に応じて呼び出すことができる。複雑な仕事を容易に行なうためにサブルーチンを教え込むことも可能で,生産を落とさずにプログラムの一部を変更することもできる。将来のために,プログラムを磁気テープに入れておくこともできる。仕事がさらに複雑になれば,記憶装置の容量を大きくすることもできる」。

      自分は人間の働き手として不可欠の存在であると以前に感じたことがありますか。自分の立場が突如として危うくなったように感じられますか。工員として働いているなら,就業時間のうち仕事に本当に精を出している時間はどれ位になるでしょうか。あなたは不平家ですか。同僚よりも“病欠”が多いでしょうか。注意が肝心です。ロボットに取って代わられるかもしれません。雇用者はすでにロボットを雇うことの利点を研究しているとも考えられます。ロボットは仕事に飽きることがなく,昼夜を問わずずっと働き続けます。ロボットは不平を言わず,賃上げを要求せず,病気にならず,いつも時間通りに仕事を始め,休暇を取らず,上司の手で水飲み場から引き戻される必要もなく,お茶の時間を取ることもありません。考えてみなければならないのは,ロボットの侵入にはそれなりの原因があるということです。

      ゼネラル・モーターズ社の工場には約400台のロボットがあります。これは主に溶接や吹き付け塗装,部品の取付けおよびダイカストに利用されています。最新のロボットの一つは自動車の車体の検査に用いられています。カメラを備えたそうしたロボットには,人間にも及ばない“視”覚があります。現在は400台ほどに過ぎませんが,ゼネラル・モーターズ社は1985年までに5,000台を設置することにしています。公にされた報告によると,同社は1990年までに1万4,000台以上を設置する計画です。分別のある方々に一言。これらのロボットを動かす経費は1時間当たり5㌦50㌣(約1,210円)です。これには購入費と維持費が含まれています。これをブルーカラーの自動車労働者に賃金や手当の形で1時間当たり支払われている18㌦10㌣(約3,980円)と比較してみれば,ロボットの魅力はおのずと明らかになります。

      ロボットが労働力に組み込まれると,人間が配置転換させられることも考慮しなければなりません。例えば,日本の一電器会社が電気掃除機の部品の生産にコンピューターの付いたロボットを導入した時,そのロボットと4人の人間で,かつて120人の労働者の行なっていた仕事を行なえることが分かりました。ロボットのおかげで,日本でテレビを組み立てるのに必要な労働力は米国の大半の企業で必要とされる労働力の半分以下に抑えられています。ドイツ連邦共和国のウォルフスブルクにあるフォルクスワーゲンの工場では,溶接工として“雇われた”4台のロボットが22人の溶接工に取って代わりました。同地で,労働力におけるロボット利用をテーマにして行なわれた調査によると,ロボットに一つの仕事をあてがうと,5ないし7人分の仕事が減らされます。

      産業ロボットの推進派の論議によれば,労働者は自分たちの工場にスチールカラーの労働者が導入されることを喜ぶべきであるということになります。材料を扱う際に危険の伴う仕事や労働者にとって単調に思える,人のいやがる仕事の場合には特にそう言えるというのです。この論議は上辺は立派で聞こえも良いとはいえ,どれが単調で危険な仕事かを決めるのは労働者ではなく雇い主であることを考えると,それも怪しげなものになってきます。

      すでにロボットを活用しているか,これから活用することを考えている企業の経営者側の出す論議には,ロボットのために配置転換させられるブルーカラーの労働者は単にホワイトカラーの仕事に変わるに過ぎないというものもあります。これも経営者の口から出るとすばらしい響きがありますが,配置転換させられるブルーカラーの労働者のうち,結果として生ずるホワイトカラーの仕事を扱う資格のある人がどれほどいるでしょうか。

      労働力にロボットを導入すれば生産性が上がり,製品の品質も高くなるかもしれませんが,同時にロボットによって置き換えられる労働者に問題をもたらします。マサチューセッツ工科大学の方針代替センターの副所長,ロバート・T・ランドはオートメーションの論題に言及して,「工場や事務所などにいて新しい科学技術の影響を受ける人々すべてにとって,一律に問題」が生じるであろう,と述べています。次いで同副所長はこう付け加えました。「労働者は移動し,新しい技術を覚え,職を変えなければならなくなる。このすべては苦労の種となる」。一番苦労するのはだれでしょうか。若いブルーカラーの労働者は移動や新しい技術の習得や仕事の変更を冒険に満ちた挑戦と見て受け入れるでしょう。しかし,中年の労働者や中年を過ぎてしまった人はどうでしょうか。そうした人々は移動や変更を歓迎するでしょうか。

      現在のところ,ロボットが一番多く用いられているのは自動車産業です。ゼネラル・モーターズ,フォード,クライスラーの各社はいずれもロボットを“雇って”います。多くのヨーロッパ諸国も自動車の生産にロボットを利用しています。ビジネス・ウィーク誌の1981年8月3日号は,カーネギー・メロン大学の行なったロボットによる衝撃をめぐる調査について論評しています。その調査の結論は次のようなものです。「ロボットに,現在開発されつつあるそれほど高度ではない知覚能力が加われば,工場で現在行なわれている約700万種の作業を行なえるようになる。その作業の少なくとも45%は労働組合の契約の対象となっている」。ビジネス・ウィーク誌はこう付け加えています。「オートメーションを見越そうとする組合はわずかしかないが,その一つである全米自動車労組(UAW)は,国内の自動車売り上げ高が年間1.8%増加するとみても,その自動車産業の組合員の数は1978年から1990年の間に100万人から80万人へと減少すると予想している」。

      名だたるフォルクスワーゲンやフィアットの自動車が生産されているヨーロッパでは,それらの工場へのロボットの侵入で職場を変えられる労働者があふれるのではないかとの懸念が広がっています。すでにフィアット社は7,500人の人員整理を決めています。フォルクスワーゲン社の労働者は,人のいやがるような仕事をさせるためスチールカラーの労働者を組み入れることを歓迎していましたが,今ではそれを考え直しています。それらの人々は,“視覚”や“触覚”を備えた知能指数のさらに高いロボットが作られた結果,人間の労働者がさらに卑しい仕事へと追いやられ,逆に人間が組み入れられてしまったことを見て取ったのです。

      どこかの報道機関で,ほとんど毎週のようにロボットの是非が論じられています。週休三日制が解決策であると論じる人もいます。インフレが進行し続ける中にあって,人々は労働時間の短縮よりも残業手当の方を求めていると論じる人もいます。とはいえ,賛成論また反対論がどのようなものであろうと,ロボットはどちらにも片寄らず中間に立っています。いかに罪がないとは言え,このロボットを考慮に入れない訳にはいきません。確かに,もはやロボットはやって来るのではなく,すでに来ているのです!

  • 奇妙な“教義問答”
    目ざめよ! 1982 | 4月22日
    • 奇妙な“教義問答”

      外国の地を訪れていたイタリア人のある若夫婦はエホバの証人と聖書を討議するようになりました。しかし,やがて宗教上の選択を行なわねばならないことに疑問を抱くようになり,故郷のイタリアの小さな町に戻ってからは聖書研究を中断していました。

      後日,その奥さんの弟が結婚の準備をしていた時に,町の司祭が結婚した夫婦の務めに関する教義問答の討議にやって来ました。この若夫婦もその話し合いに加わりましたが,その際司祭は小さな青い本を取り出しました。その夫婦はその本を見て驚きました。その本は,家族で行なう無料の聖書の話し合いの際にエホバの証人がしばしば用いる「とこしえの命に導く真理」という本ではありませんか!

      司祭は「幸福な家庭生活を築く」という章を使ってその本から“教義問答”を行ないました。その夫婦は司祭が「真理」の本を使っていることについて尋ねたところ,司祭はその本の中にも良いところはあると答えました。そこで二人は,司祭がその本を用いても構わないのなら,自分たちがそれを研究してもよいだろうという結論に達しました。二人はエホバの証人との話し合いを再開し,二人とも献身したエホバの証人になりました。その家族のほかの二人も,地元の会衆と交わり始めています。

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