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  • いやな仕事からの解放
    目ざめよ! 1982 | 4月22日
    • いやな仕事からの解放

      ロボット革命は,長時間にわたるつらい労働といういやな仕事から人間を解放するだけでなく,別の結果をも生じさせるでしょう。それは,飽きがくるほど単調な仕事や流れ作業の退屈な労働からの解放をももたらすでしょう。その上,これらスチールカラーのロボットはブルーカラーの労働者に取って代わっているだけでなく,ホワイトカラーの仕事にまで進出してきています。ロボットは勢力を伸ばしているのです!

      ロボットの進出が著しくなった結果,人間には仕事から退くのではなく,これまでよりも挑戦の大きい仕事へと移る道が開かれてきています。ロボットが人間に取って代わり,危険な仕事や重労働や退屈な繰り返しの作業から人間を解放するので,人間は人知や特殊な訓練を求められる職,つまりロボットの能力の及ばない仕事へと移ります。今日では,ロボットを人間よりも,そのコンピューターの頭脳を人間の頭脳よりも高めることが流行していますが,ロボットやロボットの“脳”を造るのは人間であるということを忘れてはなりません。ロボットには人間や人間の脳を造ることができません。この点さえ理解しておけば,ロボットがわたしたちをいやな仕事から解放して大きな恩恵をもたらし得ることに関して釣り合いの取れた見方を保てるでしょう。

      現在のところ,ロボット革命の最先端を行っているのは日本です。しかし,他の国々もその分野での可能性に目覚めつつあります。というより,競争に耐えてゆくにはこの新しい技術を取り入れなければならないことに気付いている,と言ったほうが正確でしょう。トヨタの新しい工場はすべての生産段階にロボットを使用しています。日本のほかの自動車メーカーは,人員を削減するためではなく,生産の質を向上させるためにロボットを使っています。ロボットの使用はもはや大企業に限られてはいません。中小の工場もロボットを活用しています。その活躍の分野は急速に広まっており,それにつれてロボットは工場から事務所へ,そして家庭へと進出しています。

      “掃除ロボット”は夜警の役割も果たします。“秘書ロボット”は手紙を書き,それに経営幹部の署名をスタンプで押し,予定表を作り,経営幹部に約束のあることを思い起こさせます。25本の“指”を持つ1台の“医療ロボット”は,女性の胸を検査し,その結果をコンピューター・システムに送り,コンピューターががん腫や他の異常を検知します。さらに別のロボットは……いやそれよりも直接,ロボット自身の口から話を聞いたほうがよいでしょう。

      次のロボットの話には所々自慢話めいたところがありますが,こうした人間的な弱さを差し引いても,やはり感銘を与えます。ではその話に耳を傾けましょう。

  • もしもロボットが話せたら…
    目ざめよ! 1982 | 4月22日
    • もしもロボットが話せたら…

      私はロボットです。

      こう言うと驚かれるかもしれません。つい最近まで,ロボットが存在すると言っても多くの人が信じませんでした。私たちは,映画製作者の想像の産物に過ぎないと思われていたのです。しかし,今では私たちが確かに,また幾千も存在し,さらに無数のロボットが生産されつつあることが知られています。

      私は第2世代のロボットです。このことにも驚かれることでしょう。別のロボットが私を組立てたのです。歩くことも,話すことも,“見る”こともできますし,ある意味では“触覚”もあります。人間ほど速く歩けませんが,足取りはしっかりしたものです。語彙も少なくありません。私の使う言葉を聞いてびっくりされることでしょう。

      男性のようにたくましくなることも,女性のように優しくなることもできます。225㌔の物を軽々と持ち上げることも,殻を壊さずに卵を持ち上げることもできます。地中の深い所で石炭を掘り,休憩時間には人間の同僚の飲むカップに入ったコーヒーをかき回すこともできます。機械の組立てに助けが必要なら,私をお呼びください。台所での仕事に助けが必要なら,ご連絡ください。やろうと思えばできるのですが,窓ふきはしないことにしています。

      私を見ても必ずしもロボットだとは思えないかもしれません。私のことをビービープープー音をたてて光を出し,銀幕の上を横切る機械人間に似たものとお考えなら,そうした見方は消し去ってもらいたいものです。私はそんなものよりはるかに複雑で,有用です。サイズや形は様々で,人間の指のようなものが幾つか付いた,あるいはぶかっこうで,体裁の悪い,イセエビのはさみのようなものが付いた手を備えていることもあります。キリンのように背の高いこともあれば,わずか1㍍ほどのこともあります。巨大な機械製のクモのように見えることもあれば,ごみ箱をひっくり返したような形に見えることもあります。例えば,米国フロリダ州のある医学校のロボットは,人間そっくりです。髪の毛も目も耳も鼻も口もあります。皮膚は合成樹脂製で,動脈や静脈,それに心臓まで付いています。この心臓は社会に貢献しています。それを使って心臓の障害を40種類まで実演することができるからです。映画の中でも,これほど本物そっくりに造られたロボットはありません。

      ジョニー・カーソン・ショーに出るためなら自分の左腕を差し出しても惜しくはないと言う人がいるそうですが,1966年に私はそのショーに出ただけでなく,楽団の指揮までしました。そして1976年に,アンコールにこたえてワンロボットショーで行なった演技をご覧いただけましたか。その時,火星で土をすくい取っている私の姿を数台のテレビカメラが世界中に送りました。テレビカメラは一番良いアングルから撮ってくれました。私のことを思い出されましたか。また,何ができるか,どれほど話せるかを示すために実験モデルとして全国的な放送網を持つテレビに出たこともあります。

      別に不思議に思うことはありません。私たちの到来について多くのことが書かれてきました。「ロボットがやって来る!」と書いた著述家もいれば,「ロボットは,やって来るどころか,もう来ている」と書いた人もいます。また一方では,「ロボットは知能のない,わずかばかりのナットやボルトの塊に過ぎない」と言う人もいます。このすべてから分かるように,皆さんは決して私たちの急激な成長を無視してきたわけではありません。

      昔,人形で遊んだ時のことを覚えていますか。ぜんまいを巻くと,決まった歩幅で床を歩く人形もありました。後には,足と一緒に腕や手を動かすようになりました。次いで,太鼓をたたいたりタンバリンを振ったりするようになりました。時たつうちにそうした人形はさらに複雑になりました。赤ちゃんのように泣くことになり,しまいには言葉をしゃべるようになりました。ある国ではその進歩がめざましく,字を書いたり絵を描いたりする動きまでやってのけます。日本には,ぜんまいを巻くと,部屋を横切り,お客に小さな器に入ったお茶を出す人形もいます。子供たちは機械に硬貨を入れ,おもちゃのパワーシャベルを操って商品をつり上げ,その機械を上手に操ったほうびに子供を喜ばせる小間物が出て来ると小躍りしたものです。これはほんの始まりに過ぎませんでした。

      「これをもっと大きくしたらどうだろうか」とある人々は提案しました。「もっともっと大きくするとよい」と別の人々は言いました。「それに脳を取り付けたらどうだろうか」。「それを人間のために働かせることができたらすばらしいではないか」と,頭のいい考案者たちは考えました。ところが,それよりもさらに進んだことを考えた人々もいたのです。1921年にチェコの作家,カレル・チャペックは,「ロッサム万能ロボット会社」という戯曲を出して有名になりました。その中で初めて“ロボット”という言葉が作り出され,私たちを表わす言葉として世界に紹介されました。それは高度に進んだ機械時代に人間と戦った,機械でできた登場人物でした。とうとう私たちロボットは,変態の長い時期を経て繭を破って出てきたのです。

      歩いたり話したり泣いたり人を楽しませたり面白がらせたりする人形をおもちゃ製造業者が開発したのと同じように,高度の技術を持つ専門家が自分たちの“おもちゃ”,つまり今では“ロボット”と呼ばれている物にほとんど人間と変わらない能力を与えようと夢中になっています。人を楽しませたり面白がらせたりするのがその目的ではありません。先見の明のある人々は私たちを人間の奴隷にすることを考えていました。

      私たちは進歩して,単なる機械以上のものにならねばなりません。結局のところ,車輪と車軸の発明以来機械は存在してきたのです。例えば,卵泡立て器は簡単な機械です。女性の手の中にあって,それは卵をかくはんするのに手ごろな道具です。しかし,ロボットが卵を泡立てるとすると,私たちは女性の手を借りずにすべてを自分たちで行なわなければなりません。それに加えて,卵をボールやフライパンの中に注ぎ込むといった後の仕事もしなければなりません。卵を目玉焼きにするのであれば,両面焼きにするなり片面焼きにするなり奥様のお好み通りのものを作らなければなりません。この美食家の喜ぶ食べ物を奥様のお好みの皿に載せて,できればフライドポテトとバターを塗ったトーストとを添えて奥様の前に出さなければ,私たちの仕事は完ぺきなものとは言えません。このすべてがただの機械にできるでしょうか。私たちの知力を侮ってはなりません。私たちはロボットなのです。

      こうして振り返ってみると,私たちは“オズの魔法使い”に出てくる,心を持たずに走り回るブリキ人間のようであることが分かります。ただ私たちには心ではなく,脳がないのです。ところが,科学技術の偉大な魔法使いが私たちを救い出してくれました。コンピューターの発達とコンピューターを構成する機器の小型化のおかげで,私たちには“頭脳”が与えられました。この頭脳は本物の頭脳を除けばどんなものにも引けを取りません。例えば,わずか10㌢四方のシリコン・ウエーファー(半導体基板)の上に,200のマイクロコンピューターのチップが載っており,その各々に毎秒800万ビットの情報を処理する能力があります。これが私たちの“脳みそ”であり,メモリーバンクなのです。お口に合うようなオムレツの作り方を教えてくだされば,私たちはそれを忘れません。オーストラリアの牧場経営者が羊の毛の刈り方を一度教えてくだされば,教えてくれた人と全く同じようにいつも優しく手ぎわよく刈れるものと期待していただいて結構です。

      読者の皆さん,私たちの潜在的な力を知っただけでも皆さんの驚きはとどまることを知らず,心配にさえなってくるのではないでしょうか。前述のカレル・チャペックの戯曲の中で私のロボットの兄弟の一人が次のように述べています。「人間の権力は地に落ちた。新しい世界の始まりだ。ロボットの支配である」。私は今この記事を口述しながら,確信を持って,私たちが確かに誤ることのない存在,カチャ,誤ることのない存在,カチャ,誤ることのない存在,カチャ,カチャ,……

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      「コンピューターの発達とコンピューターを構成する機器の小型化のおかげで,私たちには頭脳が与えられました」

      [6ページの拡大文]

      「私は確信を持って,私たちが確かに誤ることのない存在,カチャ,誤ることのない存在,カチャ,誤ることのない存在,カチャ,カチャ……」

      [5ページの図版]

      「225㌔の物を軽々と持ち上げることも,殻を壊さずに卵を持ち上げることもできます」

  • わたしたちはロボットに侵略されている!
    目ざめよ! 1982 | 4月22日
    • わたしたちはロボットに侵略されている!

      スチールカラーの労働者はあなたの職を脅かしているか

      良からぬ意図を持ったこそ泥が暗い倉庫の中で,箱や木わくの間にできた通路を手探りで進んでゆきます。外の街燈の陰気な光が壁や天井に不気味な影を落としています。こそ泥は壁に映った自分の影を目にします。そのグロテスクで背中を丸めた姿は当人の良からぬ意図を無言のうちに物語っています。こそ泥はふと自分の影の後ろからもう一つの影がぴったり付いて来るのに気付きます。つけられているのです。足取りを速めると,つけて来る影の足取りも速まります。こそ泥は一気にかけ出します。すると影は二つとも走り出し,こそ泥は行く手の壁にぶつかって,なすすべもなく床に転がります。跡を追って来た影はもはやただのシルエットではありません。恐ろしいけんまくで見下ろしています。窃盗を働こうとしていたこの男の顔は驚きで引きつり,自分の目を疑います。実物大の機械人間が自分を冷たく見下ろしているのです。こそ泥はロボットに捕まったのです。

      英国の製菓工場で,疲れきった様子の労働者が掛け時計を見上げています。今日の仕事はこれでおしまいにすべきだ,と疲労困ぱいした体は訴えています。時計を見るとまだ4時間残っています。労働者は漫画映画が幾年もの間この同じ単調な仕事を使って観客を笑わせてきたことを思い出し,一人で苦笑します。果てしなく動き続けるコンベアーベルトからチョコレートを1秒間に2個の割合で拾い上げ,箱詰めしてゆくのです。労働者は複雑な気持ちです。数時間後には,新しい従業員がこの人に代わって神経をすり減らすようなこの仕事を行なうことになっています。「あいつは超スピードで仕事をするからな」と雇い主はその配置転換について語ります。「あれは決してあごを出すことはないし,文句も言わない」と人事部長は誇らしげに言います。スチールカラー労働者のお通りです。これもやはりロボットなのです。

      これまですでにある期間,ロボットは化粧品産業でブルーカラー労働者とほぼ同じ仕事を行ない,ブルーカラー労働者と競い合ってきました。流れ作業の最終段階でハンドローションのびんを拾い上げそれをカートンに詰める仕事です。そのデリケートな敏しょうさは,小さな温度計の検査においても人間の代わりを十分務められるほどのものです。その過程には,ほとんど顕微鏡がないと見えないようなガスの泡を壊れやすいガラスの筒の中から振って出す工程も含まれています。

      前掛けやエプロンから鋼鉄<スチール>のつなぎ服への急速な変化には,腕ききの鍛冶屋でさえロボットにはるかに遅れを取って顔色を失います。摂氏930度という恐ろしいほどの高温にまで熱せられた鍛冶場の炉から手の届くほどの所に立ち,これらの機械人間は白熱した金属の塊を取り出し,タービンの羽根を形造る機械の中へ注意深く注ぎます。一方,それらの機械人間に取って代わられた人間の方は,安堵の気持ちと感嘆の念をもってそれを見守ります。

      ロボットは自動車産業や航空機産業に侵入して難しい仕事をやってのけ,ここでも一緒に働く人間の労働者はその仕事ぶりに自分の目を疑って頭を振ります。ロボットは自動車産業で,一番腕の立つ溶接工や塗装工としのぎを削りました。ロボットは他の惑星へ行って,土を掘ってきました。ほどなく,船の底やさん橋のくいを検査するために,ロボットが海の中へ送られることになるでしょう。今から15年後には,採掘される石炭は一つ残らずロボットの掘り出したものになるであろう,と専門家は述べています。

      平凡なことから高尚なことに至るまで,様々な仕方でロボットを活用する壮大な計画がすでに軌道に乗っており,その中にはロボットを宇宙空間にロケットで送り出すという遠大なものまであります。公にされた報告によると,スペースシャトルの飛行がすべて順調にいけば,米国航空宇宙局(NASA)の当局者は1986年ごろにスペースシャトルにロボットを乗せて宇宙空間へ打ち上げる計画をしています。ロボットはまず単純な作業でテストされ,その後,すでに打ち上げられている人工衛星の修理や宇宙ステーションの建築など,さらに複雑な仕事ができるようになります。ロボットの侵入は進んでいるのです。

      これら機械人間はどこまで侵入してきているのでしょうか。ある報告によると,世界のロボットの総数は1万7,500前後です。別の報告によれば,その総数は2万に達し,日本が生産と利用の両面で第1位を占めています。それよりもはるかに遅れて米国が第2位にあり,ドイツ連邦共和国,スウェーデン,ポーランド,英国,ノルウェー,フィンランド,デンマーク,そしてオランダの順で続いています。とはいえ,この数字は毎日のように変わっていると言っても過言ではありません。米国だけでも,ロボットの生産は年間35%の率で増加しています。ある会社は,自社の組立てラインから月に約55台のロボットが生産されており,出来上がる先から売れてゆくと豪語しています。他の大会社はこれらスチールカラー労働者に対する産業の需要を見て取り,時流に乗ってロボットを生産する設備を整えています。

      例えば日本では1981年1月に,月に350台のロボットを生産できる工場ができました。それに加え日本では24時間操業でロボットがロボットを組み立てています。つい最近まで英国は機械人間にほとんど関心を示しませんでした。しかし,今日では事情が変わっています。ロボットの販売会社には工場の所有者や経営者からの問い合わせが殺到し,英国においてロボットが労働力の中で占める割合は増加しています。

      米国ミシガン州ディアボーン市の同業組合であるアメリカロボット協会は,米国におけるロボットの売り上げ高が1985年までに,1980年の7,000万㌦(約154億円)から2億2,500万㌦(約495億円)にまで急増するであろうと予告し,機械人間の侵入の事実を裏付けています。

      産業界の労働力に突然ロボットがこのように侵入してきたことを最もよく理解するには,すでに産業界で幾十年も使われてきたオートメーション機械とロボットと呼ばれる機械との相違を理解しなければなりません。ロボットのロボットたるゆえんを最もよく定義しているのはアメリカロボット協会であると思われます。「プログラムを変えることのできる,多機能のマニピュレーター(マジックハンド)で,様々な仕事を行なうために,プログラムされた調節可能な動きにそって,材料・部品・工具・特殊装置を動かす機械」。

      単純なオートメーション化された機械は専ら一つの事柄を行なうだけの造りになっています。例えば,この雑誌を予約しておられるなら,今お読みの雑誌は1台の機械で1冊ずつ折りたたまれ包装されたことでしょう。その機械はそうした目的のために特に造られたものです。それがその機械の唯一の機能です。ほかの作業は何一つ行なえません。他方ロボットには多くの事柄を行なうようプログラムを組み込むことができます。ロボットには窓の掃除も,卵を焼くことも,塗装や溶接も,この雑誌を包装することもできるのです。産業界にとってロボットの真価はここにあります。

      ロボット本体の動きは融通の利くもので,腰・肩・ひじ・手首・関節・腕・手首のわん曲など人体の名称を用いて表現することができます。ロボットは人間の腕や手首の動きをほとんどすべて模倣することができ,カップに入ったコーヒーをかき回すことさえ可能です。雇い主にとってうれしいのはその動きすべてが完全にプログラム可能なことです。つまり,ある仕事を幾度も繰り返し行なうことも,それをやめて別の作業を行なうことも可能なのです。ロボットは人間と一緒に,人間と同じペースで働くよう作られているので,既存の作業と対立することがありません。これは人間にとって最高の僕となり得るのではないでしょうか。

      しかも,これがすべてではないのです。ロボットの利点はまだまだたくさんあります。ロボットには極めて複雑な作業をさえ容易に教え込むことができます。それがどれほど簡単か,製造業者自身のロボット便覧には次のように説明されています。

      「手に持った動作教示コントロールを使って,文字通り手を取ってその割り当てられた仕事を一通り行なえば,ロボットに仕事を教えることができる。再生のスピードは教えた時のスピードに依存しないので,ゆっくり教えた作業も速い速度で正確に行なえるようになる。こうした教え方により,設置のための時間が短くなり,新しい仕事への切り換えも速くなり,プログラムの調整も素早く行なえる。記憶装置<メモリー>に多くのプログラムを入れておくことが可能であり,必要に応じて呼び出すことができる。複雑な仕事を容易に行なうためにサブルーチンを教え込むことも可能で,生産を落とさずにプログラムの一部を変更することもできる。将来のために,プログラムを磁気テープに入れておくこともできる。仕事がさらに複雑になれば,記憶装置の容量を大きくすることもできる」。

      自分は人間の働き手として不可欠の存在であると以前に感じたことがありますか。自分の立場が突如として危うくなったように感じられますか。工員として働いているなら,就業時間のうち仕事に本当に精を出している時間はどれ位になるでしょうか。あなたは不平家ですか。同僚よりも“病欠”が多いでしょうか。注意が肝心です。ロボットに取って代わられるかもしれません。雇用者はすでにロボットを雇うことの利点を研究しているとも考えられます。ロボットは仕事に飽きることがなく,昼夜を問わずずっと働き続けます。ロボットは不平を言わず,賃上げを要求せず,病気にならず,いつも時間通りに仕事を始め,休暇を取らず,上司の手で水飲み場から引き戻される必要もなく,お茶の時間を取ることもありません。考えてみなければならないのは,ロボットの侵入にはそれなりの原因があるということです。

      ゼネラル・モーターズ社の工場には約400台のロボットがあります。これは主に溶接や吹き付け塗装,部品の取付けおよびダイカストに利用されています。最新のロボットの一つは自動車の車体の検査に用いられています。カメラを備えたそうしたロボットには,人間にも及ばない“視”覚があります。現在は400台ほどに過ぎませんが,ゼネラル・モーターズ社は1985年までに5,000台を設置することにしています。公にされた報告によると,同社は1990年までに1万4,000台以上を設置する計画です。分別のある方々に一言。これらのロボットを動かす経費は1時間当たり5㌦50㌣(約1,210円)です。これには購入費と維持費が含まれています。これをブルーカラーの自動車労働者に賃金や手当の形で1時間当たり支払われている18㌦10㌣(約3,980円)と比較してみれば,ロボットの魅力はおのずと明らかになります。

      ロボットが労働力に組み込まれると,人間が配置転換させられることも考慮しなければなりません。例えば,日本の一電器会社が電気掃除機の部品の生産にコンピューターの付いたロボットを導入した時,そのロボットと4人の人間で,かつて120人の労働者の行なっていた仕事を行なえることが分かりました。ロボットのおかげで,日本でテレビを組み立てるのに必要な労働力は米国の大半の企業で必要とされる労働力の半分以下に抑えられています。ドイツ連邦共和国のウォルフスブルクにあるフォルクスワーゲンの工場では,溶接工として“雇われた”4台のロボットが22人の溶接工に取って代わりました。同地で,労働力におけるロボット利用をテーマにして行なわれた調査によると,ロボットに一つの仕事をあてがうと,5ないし7人分の仕事が減らされます。

      産業ロボットの推進派の論議によれば,労働者は自分たちの工場にスチールカラーの労働者が導入されることを喜ぶべきであるということになります。材料を扱う際に危険の伴う仕事や労働者にとって単調に思える,人のいやがる仕事の場合には特にそう言えるというのです。この論議は上辺は立派で聞こえも良いとはいえ,どれが単調で危険な仕事かを決めるのは労働者ではなく雇い主であることを考えると,それも怪しげなものになってきます。

      すでにロボットを活用しているか,これから活用することを考えている企業の経営者側の出す論議には,ロボットのために配置転換させられるブルーカラーの労働者は単にホワイトカラーの仕事に変わるに過ぎないというものもあります。これも経営者の口から出るとすばらしい響きがありますが,配置転換させられるブルーカラーの労働者のうち,結果として生ずるホワイトカラーの仕事を扱う資格のある人がどれほどいるでしょうか。

      労働力にロボットを導入すれば生産性が上がり,製品の品質も高くなるかもしれませんが,同時にロボットによって置き換えられる労働者に問題をもたらします。マサチューセッツ工科大学の方針代替センターの副所長,ロバート・T・ランドはオートメーションの論題に言及して,「工場や事務所などにいて新しい科学技術の影響を受ける人々すべてにとって,一律に問題」が生じるであろう,と述べています。次いで同副所長はこう付け加えました。「労働者は移動し,新しい技術を覚え,職を変えなければならなくなる。このすべては苦労の種となる」。一番苦労するのはだれでしょうか。若いブルーカラーの労働者は移動や新しい技術の習得や仕事の変更を冒険に満ちた挑戦と見て受け入れるでしょう。しかし,中年の労働者や中年を過ぎてしまった人はどうでしょうか。そうした人々は移動や変更を歓迎するでしょうか。

      現在のところ,ロボットが一番多く用いられているのは自動車産業です。ゼネラル・モーターズ,フォード,クライスラーの各社はいずれもロボットを“雇って”います。多くのヨーロッパ諸国も自動車の生産にロボットを利用しています。ビジネス・ウィーク誌の1981年8月3日号は,カーネギー・メロン大学の行なったロボットによる衝撃をめぐる調査について論評しています。その調査の結論は次のようなものです。「ロボットに,現在開発されつつあるそれほど高度ではない知覚能力が加われば,工場で現在行なわれている約700万種の作業を行なえるようになる。その作業の少なくとも45%は労働組合の契約の対象となっている」。ビジネス・ウィーク誌はこう付け加えています。「オートメーションを見越そうとする組合はわずかしかないが,その一つである全米自動車労組(UAW)は,国内の自動車売り上げ高が年間1.8%増加するとみても,その自動車産業の組合員の数は1978年から1990年の間に100万人から80万人へと減少すると予想している」。

      名だたるフォルクスワーゲンやフィアットの自動車が生産されているヨーロッパでは,それらの工場へのロボットの侵入で職場を変えられる労働者があふれるのではないかとの懸念が広がっています。すでにフィアット社は7,500人の人員整理を決めています。フォルクスワーゲン社の労働者は,人のいやがるような仕事をさせるためスチールカラーの労働者を組み入れることを歓迎していましたが,今ではそれを考え直しています。それらの人々は,“視覚”や“触覚”を備えた知能指数のさらに高いロボットが作られた結果,人間の労働者がさらに卑しい仕事へと追いやられ,逆に人間が組み入れられてしまったことを見て取ったのです。

      どこかの報道機関で,ほとんど毎週のようにロボットの是非が論じられています。週休三日制が解決策であると論じる人もいます。インフレが進行し続ける中にあって,人々は労働時間の短縮よりも残業手当の方を求めていると論じる人もいます。とはいえ,賛成論また反対論がどのようなものであろうと,ロボットはどちらにも片寄らず中間に立っています。いかに罪がないとは言え,このロボットを考慮に入れない訳にはいきません。確かに,もはやロボットはやって来るのではなく,すでに来ているのです!

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      ロボットは他の惑星へ行って,土を掘ってきました。ほどなく,船の底を検査するために,ロボットが海中へ送られることでしょう

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      日本では24時間操業でロボットがロボットを組み立てています

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      ロボットは不平を言わず,賃上げを要求せず,病気にならず,いつも時間通りに仕事を始め,お茶の時間を取ることもありません

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      これらのロボットを動かす経費は1時間当たり5㌦50㌣(約1,210円)です。これをブルーカラーの自動車労働者に賃金や手当の形で1時間当たり支払われている18㌦10㌣(約3,980円)と比較してみるとよいでしょう

      [11ページの拡大文]

      そのロボットと4人の人間で,かつて120人の労働者の行なっていた仕事を行なえます

  • こちらの方がまだまし?
    目ざめよ! 1982 | 4月22日
    • こちらの方がまだまし?

      米国フロリダ州の一大学院生は,アシタカグモがハエよりもゴキブリを好むことを発見しました。後日,この女性はある家に引っ越し,そこに300匹ほどのゴキブリが先に居座っているのを見つけました。そこで家の中に15匹のアシタカグモを放ちました。4週間後,ゴキブリはいなくなりました。このクモは人間を害することがなく,クモの巣を張らず,夜行性です。この女性は,「身近にゴキブリがうろついているよりは,クモがいるほうがよい」と決めました。同じような気持ちになられますか。

  • 奇妙な“教義問答”
    目ざめよ! 1982 | 4月22日
    • 奇妙な“教義問答”

      外国の地を訪れていたイタリア人のある若夫婦はエホバの証人と聖書を討議するようになりました。しかし,やがて宗教上の選択を行なわねばならないことに疑問を抱くようになり,故郷のイタリアの小さな町に戻ってからは聖書研究を中断していました。

      後日,その奥さんの弟が結婚の準備をしていた時に,町の司祭が結婚した夫婦の務めに関する教義問答の討議にやって来ました。この若夫婦もその話し合いに加わりましたが,その際司祭は小さな青い本を取り出しました。その夫婦はその本を見て驚きました。その本は,家族で行なう無料の聖書の話し合いの際にエホバの証人がしばしば用いる「とこしえの命に導く真理」という本ではありませんか!

      司祭は「幸福な家庭生活を築く」という章を使ってその本から“教義問答”を行ないました。その夫婦は司祭が「真理」の本を使っていることについて尋ねたところ,司祭はその本の中にも良いところはあると答えました。そこで二人は,司祭がその本を用いても構わないのなら,自分たちがそれを研究してもよいだろうという結論に達しました。二人はエホバの証人との話し合いを再開し,二人とも献身したエホバの証人になりました。その家族のほかの二人も,地元の会衆と交わり始めています。

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