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イタリーの共産主義者とカトリック教会ものみの塔 1955 | 9月1日
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イタリーの共産主義者とカトリック教会
イタリーにいる『ものみの塔』宣教者の寄稿
東と西のあいだの戦は,イタリーで強く感ぜられます。ここには,ソビエット圏外で一番強力な共産党が活動しています。牧師たちの非難や法王の破門にもかかわらず,マルクスの理論はイタリー人の心と票を寄せ集めています。この宣伝戦で負ける者たちは,イタリーの困苦を他の者の罪になすりつけて非難し,臆病にも自分の『面目を保とう』としています。1954年2月1日に,イタリーの監督職の人々はそのことを行い,世界にむかつてこう述べました。『新教徒の宣伝は……無神の共産主義よりも……明らかに優位に立つているのである。』
しかし,それは妄断ではありませんか? 共産主義者の理論がイタリーに知られるずつと以前から,そして第二次世界大戦後に非カトリック宗教の教がイタリーにひろまるずつと以前から,反教職者主義はイタリーに存在していました。ローマのラ,ボーセ,リバブリカノ紙は,誰が共産主義を助けているかを指摘し,共産主義者の宣伝資料を与えているのは,宗教的に迫害をうけている者たちでなく,宗教的迫害を加えている者たちであると述べています。少数者の宗教(この場合,ヱホバの証者)を排斥することにより,『宗教の自由は屋根裏におし込められ,共産主義者と国粋者に深い満足をもたらしている。』と指摘していました。
宗教教職者の論ずるのに,共産主義者の代表者や新聞は,『分裂をもたらすこの新教徒の宣伝に同情と支持を隠さない。』という事です。しかし,これは真実その通りでしようか? イタリーにおける崇拝の自由はかなりに達成されましたが,しかしそれには困難がともなつていたのです。共産主義者系の新聞が,少数者の宗教にたいする虐待と不公平な仕打ちを報ずるとき,それはなにも正しい教理に関心を持つているとか,あるいは他の宗教に同情したり支持したりするからではありません。むしろ,少数の群にたいして,民主主義と憲法に反する行為が取られているという事実を政治的に利用しているのです。事実の示すとおり共産主義者は,カトリックのものでも,非カトリックのものでも,霊的な事柄には関心を持つていません。その一番の関心は,地上における物質の事柄です。共産主義者は,キリストの支配する神の御国の約束に信仰を持つ人々を嘲笑して,臆病者そして寄生虫と呼んでいます。
共産主義者の新聞は聖書を嘲笑し,神の御言葉を教えているクリスチャン奉仕者をけなしています。たとえば,イタリー,ブレシアの共産主義者の新聞ラ・ベリタからの次の報告に注意してごらんなさい。ヱホバの証者を『「宣教師」に変装したアメリカのスパイ』と呼んで,こう述べていました。『彼らは聖書をたずさえて家から家に行き,そしてアメリカの準備する戦争に従えと伝道する。』それに加えて,これら宣教師はニューヨークとシカゴの銀行家から報酬をうける手先機関であつて,『人民と(共産主義者)制度の活動についてのあらゆる種類の情報を集め』ようとしている,という偽りの非難を浴せました。記者はこう結論しました。『自分の国の良い防衛方法を知る労働者の義務は……牧師に変装しているこれら下卑たスパイ共の面前で戸をピシャリと閉めることである。』
多くのイタリーの共産主義者たちは,妻や子供たちがカトリック教会に行くのを反対しません。女や子供たちは,ある種の宗教を欲するのであるから,それは昔の祖先たちの教えた同じ古い宗教でも良かろうと感じています。彼らの論によると,カトリック教会の宗教的な教えに害は無いが,しかし教会の持つ富と,そして資本主義の国々と教会が提携していることには,怒りを感ずるということです。しかし,カトリックの宗教がイタリーで最大の宗教であることは,票の獲得を狙つつている共産主義者の良く認める事実であります。一般声明書の中で繰り返し述べられていましたが,共産主義者は,イタリーの他の宗教よりは,むしろカトリック教会を好んで選び,自分の側につけさせようと欲しています。
共産主義者たちはイタリーの支配を握りたいと固く決意しています。そして非カトリックの者ではなくカトリック信者の多数を自分の側につけることによつて,そのことはなされます。それに,共産主義は他の宗教を決して,支持していないということを,名前だけのカトリックの信者に信じこませねばなりません。共産主義者は,カトリックの農夫の票に深い関心を払つています。彼らは幾世紀ものあいだ,カトリックの言い伝えに縛られて来た級です。イタリーの共産主義指導者の言葉によると,共産主義者は『カトリックの世界を中止するよう願わない』が『相互の理解を図つている。』
カトリックのイタリー内でする非カトリックの宣伝の『破壊的』影響については,カトリックの教職者たちは好きな事が言えます。しかし,少数者の宗教がイタリーの共産主義を助けて,その恩恵を受けており,共産主義者からの同情と支持をうけていると非難するとき,カトリック自体が容赦ない批判をうけ,その非難は我と我が身に戻つてきます。15世紀以上のあいだ,国民に健全な知識の力を与えなかつた宗教は,いまや物質主義,反教職者主義,無神の共産主義という収穫を刈り取つています。カトリック教会は他に非難をなすりつけることはできません。また,真のクリスチャンたちを自分の戦に参加させようとして,その面目を保つこともできません。それら真のクリスチャンたちは,その戦から全然離れていて,しかもいま多くの真面目なイタリー人に,神の御言葉の知識と,使徒たちの力と,そして共産主義のつくる偽りの主張に反抗する力を与えています。
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フォークランド諸島の人々に伝道するものみの塔 1955 | 9月1日
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フォークランド諸島の人々に伝道する
それは,ウルガイの夏である1月中旬の非常に暑い午後のことでした。ものみの塔協会のふたりの宣教者は,六,七人の仲間の宣教者に別れを告げてから端艇に乗りこみ,それからこんどはオランダの貨物船に乗つて,1000マイル離れた南極のフォークランド諸島に出発しました。
旅行中,船員や乗客全部に良い証言がなされました。乗客の中でも,南極の部署に行く気象台員の団体は,自分の書物を求めただけでなく,南極の部署についている仲間のためにも書物を求めました。ひどく揺れた5日間の船旅の後,木の生えていないフォークランド諸島がやつと見えて来ました。明るい色でペンキされた首府ボート,スタンレイの家や,その屋根が見えたとき,海の旅行につかれた人々は,本当にうれしく感じました。鼠色がかつていて,そして高低のある土地は,ヨモギで覆われていました。なおこの島々全部には道路は8マイルしかないということが後に分りました。この島々に住む2280人の人々は,まもなくヱホバの御国の良いたよりを初めて聞くでしよう。どのような態度を示すでしようか?
宿舎を探し,食物を食べて,一晩ぐつすり眠つた宣教者は,朝早く起きて家から家の伝道を始めました。一番最初の家で,ふたりが着いたというニュースがまるで野火のようにひろがつているのを知つて,彼らはどれほど驚いたことでしようか。宣教者が昨日到着したことは,誰でも知つていて,皆気持よく歓迎してくれました。村には3つの教会があり,そして5人の牧師がいるにもかかわらず,人々は霊的な飢餓に瀕していて,最初の4軒の人々は宣教者の話を3時間も聞きました。5日間に,100冊以上の聖書研究の助けの本,幾百冊という冊子,そして聖書の事柄を説明する雑誌を配布しました。訪問した多くの家々に再訪問する取り極めがつくられました。
しかし,この活動のために,村の静けさは破れました。それはまつたく話の種になりました。多くの人は熱心に聞いて聖書の質問をしましたが,と同じく牧師たちはたいへん心配して困つてしまいました。牧師たちは,突然活潑になり,教会員のところを訪問して,宣教者の仕事をけなしました。2年の中一度も人々を訪問しなかつたひとりの新教徒の牧師は,急に1ヵ月のうちに2回も訪問するようになりました。そして風のように,人々の態度も変りました。牧師たちの宣伝のため,宣教者は違う聖書を持つているとか,またはスパイである,などという噂が町にひろまりました。
宣教者は公開講演を開き始めました。家庭や,借用した会館で行いましたが,その講演全部を通しての平均出席者数は約30人でした。ヱホバの御名が自分たちの聖書の中にあるということだけでなく,他の教理をも学んで,人々はびつく
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