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決定に従って生活するものみの塔 1969 | 7月1日
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でいました。しかしその父の約束どおり,エホバへの奉仕のため,独身を保つ決心を忠実に守って生活しました。―コリント前 7:8。士師 11:36-40。
24 各自自分の決定に従って生活するとはどういうことですか。
24 パウロは,結婚している人および独身を保つことに決めた人のいずれにもあてはまる次のような助言を述べています。「なんぢ妻につながるる者なるか,とくことを求むな。妻につながれぬ者なるか,妻を求むな」。(コリント前 7:27)結婚している人は,配偶者を愛し,いつくしみ,深く敬うという決定に従って生活してください。独身の人をうらやんではなりません。独身を保つことに決めた人は,行ないや会話や考えの中でその決心を思い起こしてください。結婚している人をうらやましく思ってはなりません。むしろ,各自自分の決定に従って生活し,神から与えられたそれぞれの賜物を楽しみましょう。そうするとき,あなたは神のみことばを生活にあてはめ,エホバの御心を行なうという,あらゆる決定の中で最も大切な献身の決定に従って生活することができるでしょう。―コリント前 7:7。
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コンゴ共和国における伝道ものみの塔 1969 | 7月1日
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コンゴ共和国における伝道
● エホバを信頼し,大胆にかつ確信を持って語ることの必要さは,コンゴ共和国(ブラザビル)における次の経験がよく物語っています。「私は戸別伝道で,聖書の良いたよりに深い関心を持つ一人の男の人を捜しました。そしてさっそく彼と聖書の研究を始めました。その後,私は彼と聖書の勉強をするために5回訪問しましたが,彼はいつも留守でした。5回目の時,私は家のドアのはり紙に,「エホバの証人はおことわり」と書かれているのに目を止めました。それでも私はもう一度だけ訪問しようと決意しました。6回目に尋ねたとき,私は家の中に招じ入れられました。私が研究を始めようとするなり,関心をいだいていたその人は『これはあなたが持って来た小冊子です。持ち帰ってください。これ以上あなたから聞きたくありません。私はカトリック信者で,自分の教会から出るつもりはありません。私はカトリック教会で洗礼を受け,カトリックの教会にとどまらなければなりません』と言って私をさえぎりました。私はその小冊子を彼に渡して,言いました。『どうぞそれをお読みになってください。小冊子をお読みになるということは,あなたがエホバの証人にならねばならないという意味ではありません。あなたは私たちと研究することを断わられました。それで私たちはおいとまします。しかしお別れする前に,私たちがお宅にうかがった目的はマタイ伝 24章14節の預言を成就するためであることをぜひあなたに知っていただきたいのです』。すると,彼は『ほんとうのことを話してください。どんな目的で伝道するのですか』,と尋ねました。それで私はマタイ伝 6章9,10節を読むように勧め,神の御名,神の国また神のみこころについて説明しました。『この祈りを暗唱する人々は二つの陣営に分けられます。神の国の側に立つ人々は永遠に生きるでしょう。(黙示 21:4)しかしダニエル書 2章44節やエレミヤ記 25章33節によるともう一方の人々は,神の国が遂行することを知らないために,人間の政府とともに滅びをこうむるにちがいありません。神の天使たちは彼らを滅ぼすでしょう。(エゼキエル 9:5,6)これらの真理を知っている私たちは,だれにでもそれを宣べ伝えなければなりません。さもなければ,神は,ハルマゲドンで滅す人々の血の責任を私たちに問われるでしょう。では,使徒行伝 20章20節と26節でずっと以前,一人の証人が述べたことばをお読みになってください。「益となることはなにくれとなくはばからずして告げ,公然にても家々にてもなんぢらに教へ(り)。このゆえに,われ,今日なんぢらに証す,われはすべての人の血につきて潔よし」。このような理由で私たちは家々を訪問して伝道するのです』。するとその若い男の人はため息をつき,それから答えました。『私の兄弟,どうぞおゆるしください。私の述べたり行なったことを許してください。私を見捨てないでください。両親や友人は,私があなたと研究していたことをあざけりました。しかし,いつでもおいでになって,聖書が理解できるように私を助けてください』」。
それで研究が再開されました。結果はどうでしたか。昨年の地域大会で,この羊のような人は,エホバへの献身を水の浸礼によって表わしました。
― エホバの証人の1969年度年鑑より
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