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敬神の専念を追い求めることにより,どのような益にあずかれるかものみの塔 1975 | 6月15日
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でしょう。それは,頭に入れただけの知識ではなく,神のご意志を遂行するに当たって活用される知識です。―イザヤ 11:9,新。テサロニケ第二 1:6-10。啓示 7:9-17; 21:3-5。
22 敬神の専念を追い求め続ける人々のために,なんとすばらしい祝福が用意されているのでしょう。わたしたち敬神の専念を追い求める者は,是認されたしもべとして神とキリストに知られるようになったことの計り知れない価値を,どんなことにもくもらされることがないことを祈ります。願わくは引き続き,満足を奪い去るものすべてを警戒してゆくことができますように。そしてイエス・キリストの完全な模範をあおぎつづけてゆくことができますように。「わたしたちも……自分たちの前に置かれた競争を忍耐して走ろうではありませんか。わたしたちの信仰の主要な代理者また完成者であるイエスをいっしんに見つめながら。彼は,自分の前に置かれた喜びのために,恥をものとも思わず苦しみの杭に耐え,神のみ座の右にすわられたのです。そうです,罪人たちの,自らの益に反するそうした逆らいのことばを耐え忍んだかたのことを深く考えなさい。それは,あなたがたが疲れて,あなたがたの魂が弱り果ててしまうことのないためです」― ヘブライ 12:1-3。
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キリスト教は三位一体に対する信仰を要求しますかものみの塔 1975 | 6月15日
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キリスト教は三位一体に対する信仰を要求しますか
キリスト教世界の主要宗団は,すべて三位一体の教理を信仰箇条として受け入れています。世界教会協議会に属する250余の諸教会は,「聖書に従って主イエス・キリストは神であり,救い主である」と告白し,また「それゆえに,父,子そして聖霊からなる唯一の神の栄光に召された,神からの共通の召しをともに全うしようと努め」ています。
同協議会に属する種々の宗教団体の見解はそれぞれ根本的に異なってはいるものの,それら宗教団体はすべて,「父,子そして聖霊」はただ「一つの神」であることに同意するよう要求されています。ゆえに,三位一体の教理を退けることは,実質的にはキリスト教を退けるに等しい事柄と見なされます。
ローマ・カトリック教会は世界教会協議会に属してはいませんが,同様に三位一体を固守しています。この教えについて,カトリックの神学者ウォルター・ファレルは次のように述べています。
「神が我々に語られた三位一体の秘義とは,実際には全く異なる神の三つの位格が一つであって同一の神性を有する,すなわち同格で,永遠に共存する,同質の一つの神であるという秘義である。これら三つの位格のうち,第二の位格は永遠の発生によって第一の位格から出,第三の位格は永遠の発出によって第一および第二の位格から出るのである……
「三位一体は確かに秘義である。その存在について教えられなかったとすれば,我々はこのような事柄に決して気づかなかったであろう。その上,三位一体があることを知った今でさえ,我々はそれを理解できないのである。その秘義を解き明かそうとする人は,(アメリカの)メリーランド州の東海岸から目を凝らしてスペインをかいま見ようとする近視の人のような立場にある」。
この神学者の言葉は,人間が自分の崇拝する神を知るのは不可能であるということを暗示しています。しかし,それはサマリア人の女に話されたイエスの次のような言葉と一致しません。「あなたがたは自分の知らないものを崇拝しています。わたしたち[ユダヤ人]は自分の知っているものを崇拝しています」。(ヨハネ 4:22)ユダヤ人は決して神を三位一体とは考えませんでしたが,それでも
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