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  • 平和を望む声は強い,しかし諸国は軍備を撤廃するか
    目ざめよ! 1979 | 3月22日
    • それでも,軍備の撤廃と平和の実現を確信する根拠があります。国連のメイン・ビルディングの向かい側にある石壁に刻まれた聖書の約束はこう述べています。「彼らはそのつるぎを打ちかえて,すきとし,そのやりを打ちかえて,かまとし,国は国にむかって,つるぎをあげず,彼らはもはや戦いのことを学ばない」― イザヤ 2:4,口。

      しかし,この約束は一体どのようにして成就するのでしょうか。国際連合は明らかにこの約束を実現できないでいます。では,真の平和が実現するという確信が持てるどんな根拠がありますか。宗教はその答えとなりますか。

  • 真の平和 ― 果たして到来するか
    目ざめよ! 1979 | 3月22日
    • 真の平和 ― 果たして到来するか

      多くの場合,宗教は平和の主唱者とみなされます。特にクリスマスの季節になると,諸教会は,約束された「平和の君」である赤子イエスに敬意を表わします。世界中の宗教的なサークルでは,み使いたちが羊飼いに現われて,『いと高き所には栄光,神にあれ。地には平和,主の悦び給う人にあれ』と語った記録が繰り返し話されています。―ルカ 2:14,文。

      戦争に脅かされ,実際に多くの場所では戦争で引き裂かれている世界にあって,この言葉には何と快い響きがあるのでしょう。人類は確かに真の平和を希求しています。ですから,人類が『戦争を再び学ばない』ことに関する聖書の約束は,多くの人の心の琴線に触れるのです。(イザヤ 2:4)しかし,そうした待望久しい平和を促進するものとして世の諸宗教に信頼を置けますか。

      歴史の示す事柄

      では,世の諸宗教の記録はどのようなものでしたか。諸宗教は平和を促す力となってきましたか。それとも,実際には戦争の支持者になってきたでしょうか。古代においてはどうでしたか。

      ジェームズ・ヘースティングス編の宗教・倫理百科事典はこう述べています。「エジプトの宗教は決して戦争を非としていなかった。……要するに,すべての戦争は道徳的で,理想的かつ超自然的なものとされ,神々の先例によって是認されていた」。アッシリアについて,W・B・ライトは,自著「古代諸都市」の中で次のように述べています。「戦闘は国の仕事であり,絶えず戦争を扇動していたのは祭司たちであった。……この略奪者たちの競争は,極めて宗教的なものであった」。

      『でも,それはイエスがキリスト教を紹介するよりもずっと昔のことだ』と反論する方もおられるでしょう。確かにその通りです。キリストの初期の追随者たちは,諸国の戦争を支持しませんでした。W・W・ハイド著の「ローマ帝国での異教からキリスト教への変遷」という本はこう述べています。「最初の三世紀間……クリスチャンは,ローマ軍に入って専門の殺し屋として軍務に服することを拒んだ。しかし,この初期の精神は,徐々に変化していった」。そうです,時たつうちに,キリスト教世界の諸教会はキリストの教えを固守しなくなったのです。カトリック教徒の歴史家,E・E・ワトキンはその点を認めて,こう述べています。

      「それを認めるのはつらいことに違いはないが,司教が自国の行なう戦争すべてを終始一貫して支持してきたという歴史上の事実を,偽りの教化や不正直な忠誠心のために否定したり,無視したりするわけにはゆかない。実際のところ,どんな戦争であれ,国の僧職者団が不正であるとして非とした例を一つとして聞いたことがない。……たてまえはどうであれ,実践面では,“我が国は常に正しい”というのが戦時中カトリック司教の従う方針である」― チャールズ・S・トンプソン編,「道徳とミサイル」,57,58ページ。

      同様に,プロテスタントの著名な僧職者,故ハリー・エマーソン・フォスディックは,次のよう

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