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    ものみの塔 1980 | 2月1日
    • てわたしを捜し求めるからである。そして,わたしはあなたがたに見つけられるようにしよう」― エレミヤ 29:12-14,新。

      22 エホバの「善意の年」を考えると,わたしたちは将来のどんな希望に基づいて行動すべきですか。

      22 わたしたちは今,「エホバの側の善意の年」がまもなく終わろうとする時にいます。(イザヤ 61:2,新)ですからわたしたちに有利な神の次の言葉は,今でもわたしたちにあてはまるのです。「『わたし自ら,わたしがあなたがたに対して考えている考えをよく知っているからである』― エホバのお告げ ―『それは平安についての考えであって,災難についてではない。あなたがたに将来と希望を与えるためである』」。(エレミヤ 29:11,新)エホバがわたしたちのためにお考えになった「将来」は,もしわたしたちが今その宇宙主権に従うなら,非常に喜ばしいもの,神の僕なる王イエス・キリストを通してもたらされる,平和で繁栄した幸福な永遠の生命となります。これこそエホバがわたしたちの前に置いておられる希望なのです。ですから深い感謝の念を抱き,その希望に一致して行動しようではありませんか。

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    ものみの塔 1980 | 2月1日
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      パウロは暴力を擁護したか

      ● ドイツ連邦共和国のザールブリュッケンナー・ツァイトゥング紙によると,コルシカ人テロリストの裁判で証人となった,84歳の僧職者,ベルトーニ“神父”は,「私はやむを得ない場合には暴力をふるうことを支持する」と語りました。テロを支持する自分の立場を裏付けようとして,この僧職者は使徒パウロについて次のように語りました。「パウロは,『血を流すことなしには,罪のゆるしはあり得ない』と述べた」。しかし,地方検事はそれに反論し,「パウロがテロの問題について助言を与えているとは驚きだ」と述べました。

      パウロの語った血というのは,イエスの血のことであって,暴力を支持することとは何の関係もありません。(ヘブライ 9:22)さらに,パウロが暴力を支持したはずのないことは,『わたしはすべての人の血について潔白です』というパウロの言葉からも分かります。(使徒 20:26)また,パウロはイエスの勤勉な追随者でしたが,そのイエスはペテロに向かってこう言われました。「あなたの剣を元の所に納めなさい。すべて剣を取る者は剣によって滅びるのです」。(マタイ 26:52)さらに,パウロは次のように諭しました。「だれに対しても,悪に悪を返してはなりません。……すべての人に対して平和を求めなさい。わたしの愛する者たち,自分で復しゅうをしてはなりません。むしろ神の憤りに道を譲りなさい。こう書いてあるからです。『復しゅうはわたしのもの,わたしが返報する,とエホバは言われる』」。(ローマ 12:17-19)このように,パウロは,当時の政治的な紛争に関して,厳正中立の立場をくずしませんでした。―ヨハネ 17:16。ヤコブ 1:27。

      地獄の火に関する警告

      ● バチカン当局は,最近,悔い改めない罪人は死んでから火の燃える地獄へ行くという信条を再確認しました。バチカン当局は,法王ヨハネ・パウロ二世に代わって司教たちに宛てた手紙の中で,地獄に関する信条はローマ・カトリック教の主要な教えであり,それに対する疑念を広めることに警告を発しました。

      しかし,神ご自身の霊感によるみ言葉は,自分たちの子供を燃える炎の中に投じて偽りの神々への犠牲とした人々について,次のように述べています。「そして,彼らは,その息子や娘を火で焼くために,ヒノムの子の谷にあるトフェトの高き所を築いた。これはわたしが命じたこともなく,わたしの心に上りもしなかったことである」。(エレミヤ 7:31,新)確かに,そのような事柄は,「[神の]心に上りもしなかった」,と神は述べておられます。それでは,人々を永遠の責め苦に遭わせる方として,その方を非難すべきでしょうか。

      神の言葉は,とこしえの責め苦ではなく,死(無存在)が罪の報いであるとして,次のように述べています。「罪を犯している魂 ― それ自体が死ぬ」。(エゼキエル 18:4,新)聖書は,はっきりとこう述べています。「生きている者は自分が死ぬことを意識しているが,死んだ者は,何事をも全く意識して(いない)。……あなたの行こうとしている場所,シェオル[「墓」,欽定訳。「地獄」,カトリック・ドウェー訳]には,業も企ても知識も知恵もないからである」。(伝道 9:5,10,新)聖書はまた,『義者と不義者との復活があるという希望を神に対して持つ』ようわたしたちを励ましています。―使徒 24:15。

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