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結婚に関する神のお考えを知る目ざめよ! 1971 | 5月8日
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ます。わたしたちは,エホバの証人の群れの集まりに出席しました。ですからエホバの崇拝においてもほんとうに一致した家族になりました。
勤めに行くときや買い物に行くとき,以前の“夫”に会うことが時々ありました。彼が私に話しかけてくるとき,私は無言でエホバに力を祈り求め,いつも,結婚にかんする神のお考えや,生活にかんする聖書の他の原則について彼に話すように努めました。
今私は,結婚にかんする神のお考えを学びはじめた日を振りかえって見て,それが,私の今までの生涯のうちで最大の挑戦を面前につきつけたことに気づきます。それがいかにむずかしい,激しい変化を意味する決意であったか,私は今でも思い出すことができます。しかし,現在私と子どもたちが享受しているしあわせは,わたしたちが経験してきた苦しみをはるかにしのぐものであることを,私はいま認めざるをえません。
力の源はエホバでした。エホバにたよらなければ,正しい決意をし,またそれを保つのに必要な勇気を得ることはとてもできませんでした。この「終わりの日」に,私のような境遇にある人々が生活を変えて,結婚にかんする神の正しい見方に生活を合わせるよう助けるため,エホバがご自分のしもべたちを準備されたことを,私は感謝しています。
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法王訪問で注目を浴びたフィリピンの教会目ざめよ! 1971 | 5月8日
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法王訪問で注目を浴びたフィリピンの教会
フィリピンの「目ざめよ!」通信員
1970年11月27日,マニラに到着したジェット機から,法王パウロ6世が姿を現わし,フィリピン大統領の指揮する盛大な歓迎に答えたのは史上画期的なでき事であった。というのは,法王が,極東そしてカトリックの優勢な国として400年以上の歴史を持つフィリピンを訪れたのは,これが初めてだったからである。
法王の訪問により,フィリピンのカトリック教会はかつてないほど一般の注目を浴びることになった。同国のカトリック司祭会議が発行した教書によれば,それは,「カトリック生活を問う機会」であり,また「自己吟味の時」であった。一著述家は,法王は「大混乱の教会」へ来たと語り,1970年6月13日付マニラ・タイムズ紙は,教会は「フィリピンにおける400年間のうち,おそらく最も深刻な挑戦に直面している」と評した。
混乱とか挑戦,また自己吟味の必要とはいったい何のことなのか。世論,といってもその大半はフィリピンのカトリック教徒自身が語っている事柄なのだが,それを調べれば真相がわかってくる。
宗教について無知の人々が多い
早くも,1970年6月9日,諸国民に福音を伝道するためのバチカン聖省の広報,「フィデス」は,フィリピン人のローマ・カトリック精神に賛辞を送りながらも,「フィリピンのカトリック教徒の多くには,なお相当の無知が見られる」ことを認めた。同広報によれば,「宗教はしばしば迷信となる傾向がある」という。その裏付けとして,マニラの大司教ルフィノ・J・カーデナル・サントスの次のようなことばを引用している。「しかし,教会が直面している最大の問題は,われわれの宗教の基本事項に関する忠実な人々の無知である」。
しかし,なぜそうした事態が見られるのか。なぜ教会から「忠実な人々」と目されている人々でさえ,宗教について無知なのか。ケソンシチーのアテネオ大学学長,パシフィコ・オルチスはその一つの要因として,人々を世話するだけの司祭が教会に不足していることを指摘している。現在,人口は3,800万人に近い。
バチカンの広報「フィデス」もそれに同意し,こう述べている。フィリピンには平均してカトリック教徒5,865人にひとりの割りで司祭がいるが,「教会の仕事に直接従事しているのは,聖職者のわずか半数にすぎず,聖職者の増加は人口増加に立ち遅れる傾向にある」。そのため1970年6月13日付マニラ・タイムズによれば,地方に住むカトリック教徒の大半は,1年に司祭を1度見るか全然見ないかである。しかし,宗教に対する無知が広範に見られるという問題の原因は,司祭の不足にあると言い切れるだろうか。
金持ちと同一視されている教会
法王の訪問と霊的な羊飼いの不足とを関連づけて,B・A・カッレオン司祭は次のように語った。「宗教的な社会にはいく百人もの司祭が群がり,文法や完全な英語を話すこと,また有能な管理者になる方法などを特権階級の子どもたちに教えているのに,飼う者のない羊たちが司祭に救助を求めてむなしい叫びをあげている,司祭のいない土地が地方に多いことに,教皇は涙を流すであろう」。
他の著述家たちも同様に,一般の人々はフィリピンの教会を国の経済の大半を牛耳る少数のエリートと同一視していることを指摘している。
一般の人々が教会を金持ちたちと同一視して考える理由を明らかにするため,「サンデー・タイムズ・マガジン」は,1970年11月15日付紙上で「教会とその財産」と題する記事を掲げた。その執筆者の主張によれば,この国のカトリック教会を商業的な事業に見立てるとすれば,「フィリピンの10大会社」の中に例外なくはいるであろうという。
その裏付けとして,彼は,マニラの大司教管区がフィリピンで最富裕であることを指摘した。同じ記事によると,教会がフィリピン信用銀行に預けている資産は2,500万ペソス(22億9,000万円)から3,000万ペソス(27億5,000万円)に上り,それに加えてフィリピン諸島銀行,サン・ミグエル・コーポレーション,モンテ・デ・ピエダド・アンド・セイビング銀行にも相当の出資をしていることを,フィリピン司教会議の事務総長マリアン・ガビオーラが確認したという。そのうえ,同教会は放送局,新聞,旅行会社,病院にかなり投資しており,また子会社を使って学校を所有し,経営している。
したがって,フィリピンのカトリック教徒が宗教に対して無知なのは,司祭が不足しているせいばかりではない。むしろ,司祭はいても,彼らはしばしば他の事柄にたずさわっているのである。
説教している事柄を実行しない
フィリピンのカトリック教徒は,教会がもう一つの深刻な問題に直面していることを認めている。サンデー・タイムズ・マガジンの寄稿家ロドルフォ・G・トパスは,「教会にとって挑戦となる最大の課題は,自らが教えている事柄を実行することである」と感じている。
フィリピンの司祭たちは,昨年2回にわたり,腐敗した政府の役人たちに対する非難の声をあげたが,他の観察力の鋭いカトリック教徒たちは,教会自身がその問題に対して大きな責任を問われるべきであると感じている。一例として,ガビオラ司教はその点を認め,次のように語っている。「司教らが政府
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