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  • 真の崇拝で神の名前の占める位置
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1969
塔69 12/15 741–744ページ

真の崇拝で神の名前の占める位置

神のお名前をみだりに用いるとはどういう意味ですか。どうすれば御名を正しく用いることができますか。

イスラエルのテル・アビブでのこと,あるエホバの証人の訪問を受けた中年のユダヤ人の一婦人が大声で言いました。「神の御名を口にすることはユダヤ人には禁じられていますから,あなたはキリスト教徒にちがいありません」。普通のユダヤ人は神の固有のお名前については何も知りません。

ユダヤ人の奉ずるミシュナは次のように述べています。「死人のよみがえりをなしとする者……律法を天からのものと認めぬ者…また,御名をその文字どおりに呼ぶ者…かかる者は来たるべき世を継ぐことなし」。ユダヤ人はほとんど例外なくこの考えを受け入れてきました。―サンヒドリン 10:1,ハーバート・ダンビー英訳,オックスフォード大学出版部発行,1933年版。

しかし神のお名前を口にすることがユダヤ人にきびしく禁じられているのはなぜですか。1968年10月18日付,テキサス・カトリック・ヘラルド紙はこう述べました。「一般にユダヤ人は『ヤーウェ』をイスラエルの神の固有の名前とみなしていたが,一種の迷信的な恐れのために,その名前を口にすることを避けた。したがって彼らの聖典中,この名前が出ているところでは,それを『アドナイ』(主)と読んだのである」。

キリスト教世界に及んだ影響

神の御名を口にすることをユダヤ人に避けさせたこの迷信的な恐れはキリスト教世界にも少なからぬ影響を与えました。いわゆるキリスト教世界の諸教会で神のお名前がたたえられるということはめったにありません。事実,キリスト教世界の聖書翻訳者の多くは,その翻訳から神の御名を削除し,その代わりに「主」あるいは「神」という称号を用いています。

しかし著しい例外は1901年版アメリカ標準訳で,その序文は一部こう述べています。「〔改訂英訳聖書の〕付録に初めて提唱された変更,すなわち,『主』もしくは『神』を『エホバ』に置き替えることは,それら除かれることばの使用度および親しみ深さのゆえに,一般の不評を買うものとなろう。しかし当標準訳の訳者たちは慎重に検討した結果,英語と他の国語のいずれを問わず,旧約聖書の翻訳は,御名をその神聖さのゆえに口にすべきではないとするユダヤ教の迷信にもはやとらわれてはならないとの確信を得た。……数々の神聖な事柄を思い起こさせる固有の名前は,聖書本文中当然にその位置すべきところに今や再び置かれることになった」。

こうしてアメリカ標準訳聖書は,御名をその神聖さのゆえに口にしてはならないとするユダヤ教の迷信の影響を退けました。ほかにも現代の幾つかの聖書翻訳は聖書中の幾千もの個所にやはりこの御名を用いています。

神のお名前

ヘブル語聖書の中で神のお名前は,テトラグラマトンと呼ばれる,ヘブル語の4文字でつづられています。これらヘブル語4文字は英語のYHWH(もしくはYHVHまたはJHVH)に相当します。この御名の正確な発音は不明ですが,幾世紀ものあいだ英語では「ジェホゥバ」として親しまれてきました。したがって1910年版カトリック百科事典,第8巻329頁にこうしるされています。「エホバ,旧約聖書中の神の固有の名前」。

しかし19世紀以来,聖書学者は「ヤーウェ」という発音を好み,これが元のヘブル語の御名の発音に近いという点でおおむね一致しました。それにしても今日ヘブル語を話すのはごく少数の人だけで,他は別のことばを用いています。したがって英語なら「ジェホゥバ」,日本語なら「エホバ」という発音を用いるのは適切なことです。この形はテトラグラマトンの4文字の音をそのまま保っています。そして御名の発音はいろいろの国語によって多少異なっていますが,たいていは類似しています。

古代イスラエルの崇拝における位置

神の民であった古代のイスラエル民族の中で神の御名は確かに誉れある位置を占めていました。イスラエル人は他の国民との交渉はもとより,礼拝,聖書朗読,日常会話などにおいて神のお名前を言い表わしました。こうしてイスラエル人は,エホバを崇拝する民族として広く知れ渡りました。

まことの神はこのことを喜びとし,イスラエル民族を「わが名をもてとなへらるるわが民」と呼んで,その是認のほどを表わされました。(歴代下 7:14)イスラエル民族は「主」を崇拝する民と呼ばれず,いつもエホバという名前と結びつけられていました。事実,聖書はイスラエル民族と,「聖名をよばざるもろもろの国」とを対照させています。―詩 79:6。エレミヤ 10:25。

エホバはご自分の『名を全地に伝へる』ことを望まれました。(出エジプト 9:16)そして,その民のためになされた数々の偉業はまさにその役目をはたしました。たとえばエホバ神は高慢なエジプト人とその軍勢を壊滅させられた時,そのニュースは広く各地に伝わりました。何年ものちのこと,遠いエリコの町に住んでいたラハブという名の女はこう言いました。「汝らがエジプトよりいで来しとき エホバなんぢらの前に紅海の水を乾たまひしこと……を我ら聞たればなり……汝らの神エホバは上の天にも下の地にも神たるなり」。ここでラハブが「神」という単なる称号ではなく,神の特異なお名前を用いたことに注目してください。―ヨシュア 2:10,11。

イスラエル国民は神のお名前を宣明する卓越した役割をになうことになっていました。エホバは彼らにこう言われました。「なんぢらはわが証人なり われは神なり」(イザヤ 43:12)そうです,この民はエホバの証人として仕えるはずでした。そして神は,ご自分の御名エホバが真の崇拝において常に顕著な位置を占めるべきことを示してこう言われました。「これはとこしなへにわが名となり世々にわが誌となるべし」― 出エジプト 3:15。

神の御名の使用を避ける

ではいったい,どうしてイスラエル国民はのちにこの偉大なお名前エホバを口にすることを避け,一般的なことばや称号などでそれを置き替えたのですか。それはいつ始まりましたか。

このことが始まったのは,紀元前607年,イスラエル人がバビロンに捕われた時です。また,バビロンのいきのかかったギリシア文化の紀元前二,三世紀当時の影響もユダヤ人のこの慣習を助長するものとなりました。神の固有のお名前の使用を避けることは,『その名をよび』,『その名をいつくしみ』,『その名を記憶る』ことをエホバの崇拝者に勧める聖書のことばとは大いに反する慣習です。―イザヤ 12:4。詩 69:36。マラキ 3:16。

特にユダヤ教の一派サドカイ派の人々が,当時のいわゆる「国際的な考え方」や「進歩的態度」の影響を受けて,広く受け入れられていた一般的な称号の使用を求め,こうしてイスラエル国民は彼らの神エホバの偉大なお名前を用いなくなってしまいました。

このお名前をどの程度まで避けるに至ったかに注目してください。聖書を別にしてもヘブル語の文学は時に数詞として用いられています。たとえばヘブル語アルファベットの5番目の文字(ヘー)の数価は5で,10番目の文字(ヨード)の数価は10といったぐあいです。さて,15を表わすのにヘブル人はヨード・ヘーとつづりますか。いいえ,聖書の章や節の数字にさえそのつづりは用いません! なぜなら,これは御名の最初の2文字をつづることになるからです。その代わりに15を表わすには必ずテース・ワーウ,つまり9たす6とつづります。そうです,ユダヤ人は神の固有のお名前をこれほどまでに避けねばならないと考えました。

神のお名前をみだりに用いる

神のお名前はあまりにも神聖であるゆえ,これを口にすべきではないとし,また,そうすることにより神のお名前を『みだりに』口にすることも避けられるとして,御名の使用回避を正当化しようとする努力が払われてきました。(出エジプト 20:7,口語)これは神のお名前を用いてはならないということですか。神のお名前をみだりに用いるとはどういうことですか。

神のお名前をみだりに用いた顕著な実例は強大なエジプトのパロの場合です。パロは,神の御名をもって面前に立ったモーセとアロンに向かい,冷笑を浮かべつつこう答えました。「エホバはたれなればか我その声にしたが(ふ)……べき 我エホバをしら(じ)」。パロはそのことばと行為とをもって,エホバ神とその栄光あるお名前とに対する徹底した不敬を表わしたのです。―出エジプト 5:2。

別の例として,アッシリアの帝王セナケリブの代表者ラブシャケの場合があります。彼はユダヤ人の面前でエホバの御名をみだりに用いてエホバをあなどり,ユダヤ人の士気をくじこうとしてこう言いました。「ヒゼキヤ〔ユダヤ人の王〕,エホバわれらを救ひたまはんと言ひて汝らをすすむるともこれを聴なかれ 国々の神のうちにその国をわが手より救ひいだせし者ありしや さればエホバいかでかエルサレムをわが手より救ひいだすことを得んと」― 列王下 18:32,35。

したがって,神のお名前を軽んじ,もしくは冒瀆する仕方で口にし,また神のお名前にかかわる事柄を冒瀆し,のろい,あるいは卑しめるのは,すなわち御名をみだりに用いることです。これは神の御名の不敬きわまりのない用い方であり,また,イスラエルの律法の下では罰すべき罪でした。聖書はこう述べています。「イスラエルの婦の生たる者エホバの名をけがしてのろふことをなしければ……エホバの名をけがす者はかならずころされん」。(レビ 24:11-16)『主の名を,みだりに唱え』る罪とは,御名を単に唱えることではなく,悪用することでした。

とは言っても,口頭で御名を卑しめる以外にも,神のお名前をみだりに用いる場合があります。どうしてですか。

エホバの御名をになう人が,神をけがす行為に携われば,そうすることになります。イスラエル国民は,エホバにゆゆしい恥辱をもたらすわざに加担して,神のお名前をみだりに用いました。ゆえにエホバは言われました。「我イスラエルの家がその至れる国々にて瀆せしわが聖き名を惜めり」。(エゼキエル 36:21)ですから,エホバの偉大なお名前をになう人には,御名に侮辱もしくは恥辱をもたらさないようにふるまう重大な責任があります。

神のお名前を正しく用いる

「エホバはおのれの名をみだりに口にあぐる者を罰せではおかざるべし」とありますから,エホバはご自分の御名を正しく用いる人を祝福されます。(出エジプト 20:7)では,神のお名前をどのように正しく用いることができますか。

その一つは,エホバに祈りをささげるとき,エホバの御名を親しく呼ぶことです。エホバの崇拝者がこうして祈りをささげるとき,神との関係はなんと親密なものになるのでしょう。昔の神のしもべたちも神のお名前をそのように用いました。たとえば,宮の奉献式でソロモンがささげた祈りのことばを読んでください。(列王上 8:23-25)カルメル山でバール崇拝者と対決したときのエリヤの祈りを考えてください。(列王上 18:36,37)また,エルサレムがアッシリアの侵略に直面したとき,ヒゼキヤがエホバを呼び求めた祈りのことばに注目してください。(列王下 19:15-19)神の助けを求めたヨシャパテの同様の祈願のことばはいかがですか。(歴代下 20:6-12)これらエホバのしもべたちはその祈りの中で御名をなんとしばしば用いているのでしょう! そして彼らの祈りは神に受け入れられ,かつ効果を表わしました。今日,神のお名前を用いて祈るのは同様にきわめて大切なことです。

また,聖書の中で,御名の出てくる個所を読む場合にも,神のお名前を正しく用いることができます。そのような聖句に出ているエホバのお名前を声を出して読むのは,『主の名を,みだりに唱える』ことではありません。むしろ御名を読まないことこそ神のお名前をはずかしめることです。

前述のとおり,各国の聖書翻訳者は「神」あるいは「主」などの称号を好み,神の聖ななるお名前を聖書翻訳から除去しました。しかし神のお名前を愛する人は,「エホバ」あるいは「ヤーウェ」,その他元のヘブル語4文字に相当する語で忠実に御名を訳出した聖書を愛読するでしょう。

読む場合だけではなく,会話でも神のお名前を正しく用いることができます。仲間の信者のあいだでエホバのお名前をいつも用いるのは自然で正しいことです。まわりの人はすべて御名とそれによって表わされているかたとを愛し,敬っているからです。しかしそれに加えて,エホバに仕えるクリスチャン証人は,全人類の前に神のお名前を掲げ,そのみことば聖書を通して啓示されたエホバのお目的を人々に語ります。神のお名前とお目的とを人々の前でたたえるのは,確かに神に誉れをもたらす,御名のすぐれた用い方の一つです。

神のお名前をあなどる人のこうむる処罰とは対照的に,エホバのお名前を崇拝の面でその正しい位置に保つ人には数々のすばらしい保証が差し伸べられています。そのような人は,御名を冒瀆し,はずかしめる者すべてをこの地から除き去る,神のハルマゲドンの戦いを,神の保護の下に生き残るでしょう。エホバはこう宣言しておられます。「彼その愛をわれにそそげるがゆえに我これを助けん かれわが名をしるがゆえに我これを高処(たかきところ)におかん」― 詩 91:14。

これは,『全地をしろしめす至上者なるエホバ』に仕え,かつ,ほめたたえるためのなんという励みでしょう! ハルマゲドンを生き残る見込みを持つ人々は今日,神の建てられる正義の新しい体制に導き入れられる期待をいだきつつ,その決意をこう言い表わすことができるのです。「わがかみ王よ われ汝をあがめ 世々かぎりなく聖名をほめまつらん」― 詩 83:18; 145:1,2。

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