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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1980
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死後の命を得るための自殺

● 死後の命と輪廻という観念に心を奪われた結果,最近16歳の少年が自殺を遂げ,15歳のガールフレンドが重傷を負いました。二人は死後の命を主題とする本を読んだ後に,ワシントン州で他の若者たちと「冗談半分に」自殺計画のことを話し合っていた,と友人は語っています。それらの若者たちが考え出したのは「ファンタジー」計画で,二人がスポーツカーを学校にぶつけて死に,「より高い水準の存在」に達しようとする計画でした。

もちろん,死後の命という観念に対するこうした反応は極端なものです。しかしこの事件は,聖書の教えに基づいてではなく,自分たちの宗教的背景の一部としてそうした教えを何の疑念も抱かずに受け入れている幾百万もの人々が,精神的な束縛状態にあることを例証しています。しかしイエスは,真理の言葉につき従うことが「人を自由にする」と言われました。イエスが弟子たちに教えられたのは,幾世紀も前に神の言葉の中で述べられた,『死んだ者は何事をも全く意識していない』という真理と同じものでした。前述の若者たちがこうした点を知っていたなら,このような惨事は避けられたことでしょう。―ヨハネ 8:32。伝道 9:5,新。ヨハネ 11:11-14と比較してください。

神はどちらの味方か

● 最近,ブラジル・ヘラルド紙は,ベロ・ホリゾンテのアトレチコ・サッカーチームがリオデジャネイロのフルミネンスチームに対して収めた勝利を騒々しく祝ったいきさつについて解説しました。しかし,同紙が述べるところによると,アトレチコチームの4人のメンバーは,「最近プロテスタントに改宗し,自分たちをカトリックから見れば分かたれたものであると考え,聖書を開き,フルミネンスチームに対する勝利を収められるよう助けてくださったことを主に感謝した」とのことです。

このような勝利に関して神に願い求めたり,神に感謝したりするのは道理にかなったことでしょうか。相対する二つのグループの誠実な人々が勝利を祈り求めた場合,どちらの願いを受け入れるべきでしょうか。この点に触れて,ブラジル・ヘラルド紙は一歩踏み込んだ次のような質問を投げかけました。「このことによって,戦時中あまり愛国主義に染まることのなかった人々がしばしばした質問が思い起こされる。すなわち,主はもう一方の側にどんな恨みを抱いておられるのかということだ。この場合には,リオのフルミネンスチームにどのような恨みがあってアトレチコチームを一方的に応援したのか,ということである。恐らくこれらの敬虔な人々は,サッカーの試合の結果,ひいては国家間の戦争の結果に主が示される関心を幾分高く見積りすぎているのではないだろうか」。

確かに神は,スポーツの行事や,宗教を持つ人々が互いに血を流し合う戦争の成功や失敗に責任を持たれるはずがありません。自分たちの側に神の助けを願い求めるこうした人々に対する答えは,神が古代の背教したイスラエルに与えた次のような答えと同じです。「そして,あなたがたなごころを伸べるとき,わたしはあなたから目を覆う。たとえあなたが多くの祈りをしても,わたしは聴いてはいない。あなたの手は流血で満たされている」。真のクリスチャンは,人間の戦争に味方するよりも,ひたすら神の王国のことを祈り求め,中立を保ちます。―イザヤ 1:15,16,新; 2:4。マタイ 6:9,10。

ローマ法王の難解な政治観

● 世界中のカトリックの僧職者は世俗的な政治活動をやめるように,という法王ヨハネ・パウロ二世の最近の布告は,多少の物議をかもしています。イエズス会の司祭であり米国連邦議会議員でもあるロバート・ドリナンは,自分は今後公職に立候補することはないと語りました。一方,アイオワ州ダビュークの市長である尼僧のキャロリン・ファーレルは,女性が「僧職者の範ちゅうに含められたことはなかった」ので,自分はやめないと述べました。

一方,法王は,ほぼ時を同じくして,アフリカの教会の成員に政治に参加することを,ケニアのナイロビの大勢の聴衆を前にして次のように呼びかけました。「クリスチャンにとって重要な挑戦となるのは,政治的な生活という挑戦である。この国の市民たるものは,政治的な生活に参与する権利と義務がある」。法王はさらに次のことを付け加えました。「個々のクリスチャンが,生活のこうした面に関与してはならないと考えるのは誤りであろう」。

僧職者に対する法王の布告と,ポーランドおよびその教会内における法王自身の政治活動との間に見られる原則上の矛盾と思えるものについて,ニューヨーク・タイムズ紙の論説は次のように述べています。「法王が司祭たちにあきらめさせようと願っているのは政治ではなく,選挙によって公職につくことにすぎないように思われる」。「私がこの世のものでないのと同様に,[弟子たちも]この世のものではない」というイエスの宣言から見て,こうした矛盾した表明をイエスが行なうことなど考えられるでしょうか。―ヨハネ 17:14; 18:36,バルバロ訳。

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