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  • ベトナム戦争 ― 宗教は人々をどこへ導いたか
    目ざめよ! 1972 | 10月8日
    • は近著「ベトナムとハルマゲドン」の中で,「ベトナム戦争は道徳的に見て弁明の余地なしとする,プロテスタント神学者が一様にいだいているともいえる心情」を指摘しています。2 プロテスタントのいろいろな宗派は,同戦争に反対する声明を発表してきました。

      ユダヤ教の組織にも,最近になって戦争に反対するものが現われました。昨年12月のワシントン・ポスト誌には次のような見出しが載せられました。「ケンジントン神殿<テンプル>の決議ベトナム戦争終結を勧告」。同決議は,「ベトナム・ラオス・カンボジア本土及び上空での戦闘に参加しているアメリカ軍の完全撤兵を決定し,発表する」ようニクソン大統領に勧告しました。3

      ローマ・カトリックはどんな立場を取っていますか。昨年11月アメリカの司教は全国会議を開きましたが,ニューヨーク・タイムズ紙はその模様を報告し,第一面に次の見出しを掲げました。「アメリカのカトリック司教インドシナ戦争の終結を要請」。4 司教たちによって採択された決議は,「人間の生命と道徳的価値感の破壊」を指摘し,さらにこう述べています。「ゆえにわれわれは,戦争の即時終結は道徳的に極めて当然のことであって,急を要する問題であると堅く信ずる」。5

      デトロイトの司教補佐トマス・ガンブルトンは,決議は「戦争が不当なものであることを示している」と説明しました。6 したがって,カトリックの立場に同意する人はだれも「この戦争に携わらなくてもよい」と彼は語りました。7

      こうした証拠を前にして,宗教は人類を戦争から遠ざけてきたと結論する人がいるかもしれません。しかし過去数年間なぜ,若いカトリック教徒やプロテスタントの信者たちが幾十万人もベトナムで戦ったのですか。彼らは教会から受けた指導に反して行動してきたのでしょうか。

      混乱した指導

      ベトナム戦争に対する教会の反対は,現実には前に述べたことが示すほどはっきりしたものではありません。例えば,ニューオーリアンズの大司教フィリップ・ハナンは,自分が最近アメリカの司教たちによって採択された「決議を完全に支持しない相当数の司教」のひとりであると語っています。8 そうであれば,カトリック教徒が今でさえ自分たちに与えられる指導に混乱させられているのも理解に難くありません。

      プロテスタントの諸教派にしても同じです。1968年アメリカのルーテル教会は,選択制良心的兵役拒否を公式に認める立場を取りました。しかしそれ以後でも,ベトナムでの戦いを支持する発言を行なうルーテル教徒が出ています。例えば,ルーテル教会の出版物「スプリングフィールダー」1970年春季号の中で,教授兼牧師マルチン・シャールマンはこう書いています。

      「わたしたちは,自分のように隣人を愛すべし,とのことばを聞いている。言うまでもなくそれは正しい。主のことばである以上,だれがそれに異論を唱えられるだろう。だが,これには別の側面がある。…ベトナムの兵士に対するわたしの関係は一対一というものではない。両者の間には二様の忠節が介在している。わたしの国に対するわたしの忠節心と,彼の国に対する彼のそれとである。わたしは自国に対して責任があり,それは彼の国に対するわたしの配慮をしのぐ。同じことは彼の側にしても真実である。ところが,彼が傷ついてわたしの助けを必要とするとなると,彼はもう一度新約聖書の倫理的な意味でのわたしの隣人となる。一対一の関係が戻ってくるわけである」。9

      つまりこの僧職者の論によれば,自国に対する忠節が隣人を愛するようにとのキリストの命令を無効にするというのです。教会が良心的兵役拒否を承認しているのに僧職者が戦闘を奨励するのでは,人々は当然のことながら混乱させられてしまいます。

      今日,このルーテル教会の僧職者のような見解は例外で,現在教会はベトナムで戦うことを拒む方向へ人々を引っぱっている,と結論を下す人がいるかもしれません。しかし,そうした結論は五,六年前には真実だったでしょうか。

      戦争に対する当初の見方

      5年ほど前アメリカ合衆国各地のローマ・カトリックの司祭は,カトリック世論調査所から質問を受けました。質問は,アメリカはベトナムで勝利を得るために強硬な政策を取るべきか,というものでした。

      司祭の答えは,賛成 ― 2,706人,反対 ― 371人でした。10

      しばしば,司祭は戦争努力を全面的に支持する発言をしたり,行動を取ったりします。例えば一新聞の報道によると,ひとりの司祭と他のふたりの僧職者は,「ブルックリンの学生グループに,殺すことを禁ずる聖書の命令はベトナム戦争には当てはまらないということを確信させ」ようとしたとのことです。司祭のロバート・J・マクナマラは,「われわれが当地でしていることは小数独裁政治を阻止するために必要である」と述べました。11

      もっと積極的に戦争に関係した司祭もいます。ある司祭の写真がライフ誌に1ページ半にわたって大きく載ったことがありますが,その表題は肉太の活字で「自ら戦う勇敢な司祭」となっていました。その記事はこう述べています。「戦いの最中にあって,ヘルメットをかぶり銃を抱えた人の上記の姿は,珍しくもあり,心あたたまる光景でもある。彼はベトコンに対して自分自身の戦いをいどむカトリック司祭である」。12

      ベトナムでアメリカが勝利を収めることを司祭がほとんど全員一致して願ったのはなぜですか。司教の与えた指導が強い影響を及ぼしたことには疑いの余地がありません。1966年11月アメリカの司教たちは公式声明の中でこう述べました。「われわれがベトナムに参戦しているのは正当である,と論ずるのは理にかなっている。…われわれは同胞たる兵士の勇気をたたえ,かつ感謝を表明するものである。…われわれは現状における我が国の立場を良心的に支持することができる」。13

      この戦争を十字軍の戦いでもあるかのように語った司教もいます。故フランシス・スペルマン枢機卿は,アメリカの部隊は文明のための戦いをしている「キリストの兵卒」14 であり,「勝利以外の何物をも考えられない」15 と言いました。アメリカの行動の根拠が正当かどうかの質問に対する答えになるものとして,スペルマンは「正しかろうが間違っていようが私の国だ」と述べました。16

      スペルマンの「勝利」に対する願いについて,首都ワシントンにあるナショナル・シティ・キリスト教会の牧師ジョージ・R・デービスは,「私も同感です」と語りました。17 プロテスタントの他の牧師たちも,さまざまの方法で同意を示しました。

      クリスチャン・サイアンスの牧師ロバート・マミーは戦争を支持する意見を述べ,大学生の一グループにこう語りました。「殺すことは純粋な心をもってなされねばならない。そうでないと,道徳的に正しくない殺し方をしたことになる。もしわたしたちの兵士が敵を憎むように教え込まれているなら,敵を殺すことは道徳的に正しくない行為である」。18

      僧職者は戦死した人に誉れを与えることによっても,戦争を支持していることを明らかにしました。アイオワ州デモインのルーテル教会牧師マーチン・ハーザーはある葬儀において次のように語りました。「兵士が正当な[ベトナム]戦争で義務を果たして死ぬなら,それは国に尽くした輝かしい死であるばかりか,本人にとって祝福された最期である。…天使が彼の魂を天に携えたであろうし,彼が平和を今享受していることを私は確信している」。19

      宗教は人々をどこへ導いたか

      アメリカの教会がベトナム戦争をその初期の段階において支持したことは明らかとなっています。それはどんな結果を招きましたか。

      一つには,同じ教会員同志が戦場で互いに殺し合うという事態に至りました。例えば,北ベトナムには推計100万人のカトリック教徒がいますが,北ベトナムの司祭たちはどんな立場を取りましたか。ニューヨーク・タイムズ紙はこう報じています。「ハノイのパデュアにある聖アンソトニオ教会の司祭ヨセフ・ングエン・バン・クエ氏は,…[北ベトナム]の軍隊に入隊する青年をきまって祝福すると話した」。20 ですから,同じ教派の会員たちが戦場で殺し合ってきたのです。しかも僧職者たちの祝福を受けてです。

      しかしながら前に注目しましたように,最近になって変化が見られるようになりました。事実,各宗派が合同で,戦争の終結を促す「悔悟と行動への要請」を発表しました。21

      それにしても宗教指導者はなぜ自分たちの見解を変えたのでしょうか。この質問に対する答えを頼りに,宗教はしばしば何によって取るべき立場を決定するか,したがって人類をどこに導くかを明らかにすることができます。

  • 宗教団体の方向を決定するのは何か
    目ざめよ! 1972 | 10月8日
    • 宗教団体の方向を決定するのは何か

      ベトナム戦争をその当初容認することにより,教会は戦闘に加わるのが正しいと考える方向に人々を導きました。ところが今になって,ある教会組織やその役員は戦争を非難し,戦争参加は誤りだと言明します。

      なぜこのように変わったのですか。教会は今や会員たちが聖書の教えに調和して生活するよう指導しているのですか。それとも他の要因が宗教の指導方針を決定しているのでしょうか。

      オレゴン・ジャーナル誌は最近,『教会人は群集に同調しているに過ぎない』と評しました。22 つまり,人々が戦争にほとんど反対を表明しなかったときには教会はそれを支持し,一般の人が長びく戦闘と流血にうんざりしてくると,僧職者は戦争に反対しはじめたということです。

      メソジスト教会の出版物「合同メソジスト」の論説委員オールデン・ムンソンはこう説明を述べています。

      「度重なるミライのような酷薄な事件,それに戦争に関する史上最も充実した報道が全国民に影響を与え,教会も遂に反戦の空気の中をとぼとぼと他のあとに付いて行くことになった。…1965年以来,ベトナム一般市民の犠牲者の推計は男女子供合わせて100万から400万人に上るが,教会は今ごろになってやっと驚きの色を表わしている」。23

      このとおり,戦争が『不評』になってはじめて,「平和」を求める教会の叫びが聞かれるようになりました。人々は,教会がその時々に一般に受け入れられているものが何かを決定し,それからそれに即して自分の立場を決めることに気づいています。ニューヨークの僧職者ロバート・J・マクラッケンはこう認めています。「われわれは風向きがはっきりつかめない限り,どんな立場も取らないように注意する」。24

      指導の方針が一貫しているように見せるための努力

      カトリック教会は戦争に対する自分たちの立場に変化のないことを最近示しました。カトリックの指導方針がベトナム戦争を支持したことはない,と主張しています。この主張は事実上,全国カトリック司教会議の行政機関であるUSカトリック会議(USCC)によって昨年出版された文書の中でなされています。

      しかし著名なカトリックの神学者たちでさえ,司教たちは戦争に反対する代わりにそれを支持したと述べています。事実USCCの文書が発表されるのとほとんど時を同じくして,ラ・サール大学の宗教学教授でカトリック司祭のピーター・J・リーガーはこう書いています。

      「今日における最大の道徳問題であるのに,この問題に対して道徳的指導を行なう点で途方もない失敗を犯したのであるから,この戦争を支持したこれらアメリカのカトリック司教(約95パーセント)はこぞって退陣すべきである。もはや職務にふさわしくない。…手を血に染めた者は奉仕者たりえない。アメリカの司教は道徳面での失敗ゆえに,自分の手を人の血で染めているのである」。25

      カトリック教徒みずからこうした非難をしていることを考えると,司教の発表した内容が真実かどうか疑わしく思われませんか。

      真実を偽って伝える

      カトリックの雑誌「コモンウィール」はこの問題を取り上げました。執筆者であるカトリックの大学教授でまた社会学者のゴードン・ザーンは,USCC文書を検討したのちにこう述べました。

      「私はこれに挑戦せざるを得ない。歴史に対して極めて取捨選択的なアプローチをすることにより,教会の正規の指導方針は,慎重を期すために控え目であったにしても,一貫して戦争反対の気運を生みだす源であった,との偽りの印象を与えるための作為の行跡が明らかに見られる」。26

      同文書が「歴史に対して極めて取捨選択的なアプローチ」をしていることを例証するものは,戦争を支持したカトリックの指導者たちの発表が載せられていないという事実です。故スペルマン枢機卿の行なった,戦争を是認する発言が省略されているのは最も注目に値します。

      事実,この文書の中で省略されているもので,教会指導者が戦争を支持して行なった発言は非常に多く,「コモンウィール」誌はこう評しています。「USCC調査員はニューヨーク大司教管区に保存されている記録だけからでも,少なくともこれと同じ相当の分量の,戦争を支持する司教の発言を収録できたはずだ,と疑いたくなる人もいよう」。27

      ところが,そうした証拠はいっさい,故意に省かれているのです。しかし「コモンウィール」誌は,「誠実さ」があれば次のような文章が載って当然であると述べています。「それらは今では当惑させるものであるにしても,この戦争が道徳的に間違いであることはだれの目にも歴然としている」。28

      USCC文書の紛れもないねらいが,今や不評となった戦争を教会が当初支持した事実を覆い隠すことであるのは明白ではありませんか。こうした不誠実な態度にあなたは驚かれることでしょう。

      宗教の指導方向を決定するのは何か

      牧師が聖書からしばしば『地の平和』や『隣人への愛』について教えることは事実です。このことから,教会は人類を聖書の教えに調和した生活をする方向へ,戦争や暴力から離れる方向へ導いている,とあなたはお考えになるかもしれません。

      しかし,教会の言うことだけを考慮するのは誤りです。むしろ,教会が実際に行なうことも合わせて調べてみることが肝要です。戦争をすることが自国の益になると国家の指導者が決定すると,教会はどうしますか。

      そのような事態になると,諸教会はイエスの次のことばに人々の注意を向けるでしょうか。「もしあなたがたが互いの間で愛を持っているならば,これによってすべての人は,あなたがたがわたしの弟子であることを知るでしょう」。(ヨハネ 13:35,新)真のクリスチャン愛は国境などに左右されない,ということを教えるでしょうか。キリストの真の追随者は,どの国に住んでいようと,どの人種であろうと,それに関係なく互いに愛し合う,ということを明らかにするでしょうか。

      また,諸教会はイエスの弟子ヨハネの次のことばを会員たちに強調するでしょうか。『わたしたちは互いに愛し合うべきです…カインのようにならないことです。彼は邪悪な者から出て,自分の兄弟を虐殺しました』。(ヨハネ第一 3:10-12,新)教会は,戦場で同じ人間を殺すこと,わけても同じ教派の会員を殺すことは愛を示す行為ではありえないことを教えているでしょうか。また,そのような行為をする者が実際には「邪悪な者」悪魔サタンに仕えていることを指摘しているでしょうか。

      極めて明らかなことですが,諸国家が戦争の備えをする事態が生じると,教会はこうした聖書の教えを傍らに押しやってしまいます。著名なプロテスタント僧職者,故ハリー・E・フォスディックはこう認めています。

      「西洋の歴史は戦争に継ぐ戦争の歴史である。われわれは戦争のために男子を育成し,戦争のために男子を訓練した。そして戦争を栄化し,戦士を英雄に仕立て,教会内に軍旗を掲げさえした…一方では平和の君に対する賛美を口にしながら,他方では戦争を栄化してきた」。29

      聖書に記されていることではなく,国家指導者の言うこと,その時々に人々に受け入れられていることが,宗教が人を導くさいの方向を決定するものである,というのが事実です。バンクーバーのサン紙は,社説で次のように評しています。「これは組織化されたすべての宗教の弱点と思われるが,教会は国旗に追随する…交戦国が自分の側に神がついていると互いに主張しなかった戦いが今までにあったであろうか」。30

      「正当な戦争」だけを支持?

      諸教会はそれぞれの国の戦争を支持する言いわけをして,自分の国には正当な根拠があるしわれわれは「正当な戦争」しかしない,とよく言います。したがって,自国の戦争の努力を支持するのは宗教の義務であると論じます。

      しかし,このことをしばらくの間考えてみてください。戦争に関係する国はいずれも自分のほうに「正当」な根拠があると主張するのではありませんか。最近出版されたある百科事典が評しているとおりです。「戦争をする根拠は利己的で,低劣で,邪悪なものではあっても,正式に述べられている理由はたいてい崇高,高潔なものである。交戦国が両方とも,自分の側にとって正しいと考える理由を挙げることができるのである」。31

      こうして,人々は互いに全く逆の見方をしていることがあっても,各国は自分たちが『正しい理由』と考えることに基づいて,いわゆる「正当な戦争」をするのです。国家主義が盛んになると,教会はその勢いに押され,各宗派は『国旗に追随します』。著名なプロテスタントの教会指導者マルチン・ニーメラーは,ローマの皇帝の時代以来キリスト教世界の実状はそうであったと述べています。同氏の説明によると,「教会はいまだかつて不当な戦争というものを知らない。むしろ自分の主権者また国家の戦争を常に正当化してきた」。32

      カトリックの歴史者E・I・ワトキンはこう述べています。

      「この〔事実を〕認めるのはつらいことにちがいないが,司教が自国の政府によって行なわれた戦争をことごとく同じ姿勢で支持してきたという歴史的事実を,偽の薫陶や誠実さを欠いた忠節心のために否定したり無視したりすることはできない。実際のところ,国家の階級制度が戦争を不当なものとして非難した例を私は一つとして知らない…公式の論理がどんなものであろうと,現実には,『我が国は常に正しい』というのがカトリックの司教が戦時に従ってきた命題である。…好戦的なナショナリズムが問題となる場合には,彼らはカイザルの代弁者として発言してきた」。33

      諸教会が「自国の政府によって行なわれた戦争をことごとく同じ姿勢で支持してきた」というのはほんとうに真実でしょうか。宗教は善を支える力であるかのように装ってきただけで,実際には戦争と暴力を助長してきたのでしょうか。歴史の事実は何を明らかにしていますか。

  • 過去の戦争における宗教の役割
    目ざめよ! 1972 | 10月8日
    • 過去の戦争における宗教の役割

      かつて,英国の哲学者ジョン・ロックは,「歴史の内容はおおかた戦争と殺りくに尽きる」と語りました。34 しかも,ある権威者は,「宗教は歴史上最も強い勢力の一つであった」と述べています。35

      宗教がそれほど強力な影響を及ぼしてきたにもかかわらず,人類が生存のほとんど全期間を通じて恐ろしい戦争に見舞われてきたのはなぜでしょうか。過去の戦争において宗教はどんな役割を果たしてきたのでしょうか。

      アズテック人と戦争

      アズテック人の宗教は,人間のいけにえによって神々をなだめなければならないと教えました。この点,歴史家V・W・フォン・ハーゲンはこう説明しています。

      「戦争と宗教は,少なくともアズテック人にとって,密接不可分の関係にあった。…神々に供える犠牲としてふさわしい捕虜を得るために,小さな戦争が絶え間なく行なわれた」。36

      1486年には,フイツロポクトリ神の大ピラミッドを献堂するために,2万人を越す捕虜が集められました。それから犠牲の捕虜たちの心臓は次々に切り取られ,フイツロポクトリ神にささげられたのです。宗教の息のかかったこうした戦争は,昔のアメリカ人にどれほどの恐怖をもたらしたことでしょう。

      古代帝国と戦争

      アジアやアフリカ,またヨーロッパの昔の帝国と人民の間で宗教はどんな役割を果たしたでしょうか。それら古代の諸国家は,多くの戦争,それに宗教的であることで有名でした。宗教と戦争は相携えて行動しました。一例としてある参考書にはこう述べられています。

      「エジプトの宗教は決して戦争を非難しなかった。ごく初期のエジプトの戦争の中には,神々の戦争や神と人との間の戦争があった。したがって,エジプトの王たちは戦争をする時には,神にみならっているのだと主張した。…要するに,戦争はすべて道徳的,理想的,かつ超自然的であり,神々の先例によって是認されたものであった」。37

      「戦いは国家的事業であり,祭司は戦争のあくなき扇動者であった。祭司はおもに戦利品で養われていた。つまり,他の者たちが分け前にあずかる前に,戦利品のある一定の分け前が必ず祭司たちに分与された。この略奪者たる民族はきわめて宗教的だったのである」。38

      古代民族の中で戦争を好んだ人々はたいへん宗教的であったということは見のがせない事実です。軍事指導者はきまって自分の神に助けを請いました。権威者は,「どの神の場合にもたいてい戦時に民を助け,保護するのがそのおもな務めの一つになっている」と評しています。39

      兵士たちは戦場へ神々の旗印を持っていくのがならわしでした。それらは,木や金属でできた紋章とか象徴だったようです。百科辞典は次のように述べています。

      「ローマ人の軍旗は,ローマの神殿における宗教心によって守られていた。将軍が敵軍の中に軍旗を投ずるよう命令することは珍しくなかった。それは,兵士たちがおそらく地上で最も神聖視している物の奪回を鼓舞し,士気をあおるためであった」。40

      言うまでもなく,それら古代の国はキリスト教を奉じていませんでした。後代になってイエス・キリストが紹介した教えは,人類に深い影響を与え,真の崇拝者たちの生活をよりよい方向へ変えました。

      ところが,キリスト教に大きな変化がやがて起こりました。4世紀に,不正なコンスタンチヌス皇帝が政治的な理由でキリスト教を国教にしたのです。以来,ローマ・カトリック教会は巨大な勢力に成長しました。それは他の宗教と異なっていましたか。それは真のキリスト教でしたか。

      十字軍 ― キリスト教世界の「聖戦」

      教皇ウルバヌス2世がクレルモンの宗教会議を召集したのは1095年のことでした。その時までに,古代のパレスチナの地はキリスト教を信奉しない人々の手に渡っていました。そのため教皇は,いわゆる「史上最も感銘的な演説」の中で,当時「聖地」を占領していた「異教徒」に戦いをいどむようクレルモンに集まっていた大会衆に向かって訴えました。ウルバヌスは群集にこう勧めました。

      「クリスチャンの兵士よ…行って野蛮人と戦いなさい。聖地救出のために行って戦うのです。…あなたがたの手を異教徒の血で染めなさい。…生ける神の兵士となるのだ! イエス・キリストがあなたがたを召してご自分の防衛に当たらせてくださるとき,低劣な愛情のために家にとどまるべきではない」。41

      こうして,いわゆる「聖戦」,十字軍が始まり,以後2世紀にわたって続きました。「ヨーロッパの説教壇は十字軍を奨励することばで鳴り響いた」と一歴史家は述べています。42 別の歴史家はこう書いています。「司教は自分の管区に行ってこの戦闘的なキリスト教を説いた。…修道僧は剣を作るよう命じた。…今やヨーロッパは荒れ狂う海と化し,波は次から次へとシリアの海岸へ打ち寄せた」。43

      こうして生じた恐ろしい戦争の状態は,とても書き表わすことのできないものでした。「当時の好戦的な欲望は,宗教の是認を受け,報復という大義名分のもとにほしいままにされた」,と歴史家は述べました。44 十字軍の従軍戦士たちは,歴史に残るむごたらしい大虐殺や非常識な略奪,悪らつな残虐行為をしました。しかもそのすべてはキリストの名のもとに行なわれたのです。R・H・ベイントン教授は次のように書いています。

      「これがカトリック教会によって始められた戦争であった。…はりつけ刑,硬貨を飲み込んだ人を引き裂くこと,手足の切断 ― アンテオケのボヘモンドは,サラセン人から切り取った鼻と親指を船に満載してギリシア皇帝に送った ― こうした仕業を十字軍の編年史は良心のとがめなくつづっている。野蛮な闘争欲とキリスト教徒の信仰に対する熱意とが奇妙に混じり合っていた」。45

      キリストの教えにこれほど相反する行為はありえないと思われる,そうした戦慄すべき行為にキリストの名を結びつけた重大な責任を宗教は負わねばなりません。ご自分を誤り伝える者たちを神はどうお考えになることでしょう。

      キリスト教世界内部での過去の戦争

      中世には,キリスト教徒と唱える人々も互いに戦争をしました。しかも法王の祝福を受けた場合が少なくありません。キリスト教世界内部のそうした戦争に関し,歴史家J・C・リドパースはこう述べました。「中世のあらゆる紛争において,教皇の認可が大切な要素であった。したがって,教皇の認可を得るために,諸候は市場におけると同様互いに入札するのが常であった」。46

      その後,1517年ごろを始めとして,プロテスタントを生むことになった宗教的反抗運動は,キリスト教を信奉すると唱える人々の間の戦争や殺りくを増大させました。ケンブリッジ大学の歴史の教授,G・M・トリベリアンはこう表記しました。

      「当時宗教は知的かつ道徳的な影響力をひとり占めにした状態を呈していた。〔しかし〕…その特別な教えには人道主義のかけらも見られなかった。宗教はその当時,拷問,火刑,焼き打ち,婦女・幼児の大虐殺,決して消えることのない憎しみ,報復することの絶対不可能な悪行と結びついていたことを認めなければならない。ヨーロッパが野蛮な時代以来経験してきた精神的苦悩と肉体的苦痛の大部分は,そむいたキリスト教世界を復帰させるためカトリックの取った戦争行為 ― 部分的な成功を見た ― によってもたらされた」。47

      ローマ・カトリック教会は,抗議者,つまりプロテスタントをおりに復帰させようと激烈な戦いを行ないました。プロテスタントはそれに強く抵抗しました。たとえば1576年のアントワープの包囲について,歴史家はこう述べています。「聖母教会の温和な使者であるスペインの兵士たちは,『聖ヤコブ,スペイン,血,肉,火,略奪』と叫びながら戦った。男女子どもあわせて8,000人が殺された」。48

      カトリック教徒とプロテスタントが争った三十年戦争(1618-1648年)はとりわけすさまじいものでした。その戦争でドイツは人口の約4分の3を失い,アウグスブルグの人口は8万人から1万8,000人に減りました。ボヘミヤで生き残ったのは人口のわずか4分の1ほどにすぎませんでした。プロテスタントの都市,マグデブルグの陥落は,三十年戦争のすさまじさをよく表わしています。ドイツの歴史家フレデリック・シラーはこう書いています。

      「歴史も語ることばがなく,詩も言い表わしえないおそるべき光景がここで展開された。無邪気な子どもも無力の老人も,若さも性も,位も美貌も征服者たちの狂暴さを和らげることはできなかった。妻は夫の手の中で,娘は親の足もとで犯され,防御のすべのない女性は,貞操と生命の二重の犠牲にさらされた」。49

      確かに人類の歴史は「おおかた戦争と殺りくに尽き」ます。しかし宗教が恐ろしい流血のおもな責任を持つ,『歴史上強い勢力』であったことも確かです。では,それは現在についても言えますか。

      [11ページの図版]

      数人の捕虜を押え,ひとりが軍神にささげるための心臓を切り取っている,アズテックの祭司たち(この場面は目撃者の話に基づいている)

      [12ページの図版]

      十字軍の従軍戦士たちは歴史に残るむごたらしい大虐殺や残虐行為を,それもすべてキリストの名のもとに行なった

  • 近代における宗教と戦争
    目ざめよ! 1972 | 10月8日
    • 近代における宗教と戦争

      宗教戦争は不幸にして遠い過去だけのものでなく,現代においても生じています。たとえば,ニュース記事は,アイルランドにおける「新・旧両教徒間の戦闘」を報じています。50

      1969年の8月以来,200人以上がアイルランドにおける戦闘で死亡し,それに加えて何百人かが負傷しています。最近のある記事は,「内部を破壊された商店,打ちか砕れた窓,爆弾で破壊された商品の大安売り,かぎのかかった商店の入口のこわれた木製のマネキン ― すべてが,悪化しつつある新教徒とローマ・カトリック教徒との間の市街戦を思い起こさせる,悲しくもグロテスクな光景である」と報じています。51

      しかし,十字軍すなわち「聖戦」についてはどうですか。昔の十字軍の場合とちがって,現代では宗教はまさか戦争の後押しなどしてはいないだろう,とあなたはお考えかもしれません。ところが,宗教はそれをしてきたのです。これは,教会の指導者自身が認めています。

      一例をあげると,1969年の7月に,エルサルバドルとホンジュラスの間で激しい戦争が生じました。ある百科事典の年鑑は,「その紛争はたちまちのうちに,サルバドルの歴史の上でもまれな大規模な流血と悲劇をもたらした」と述べています。52 この戦争を始めたのはだれでしたか。

      ホンュジラスの司教ホセ・カランサは,エルサルバドルのカトリック僧職者を,文書や演説や態度によって紛争を醸成したとして非難しました。同司教のことばによると,エルサルバドルのカトリック僧職者たちは,それを「聖戦」と呼び,カトリック教徒を戦いにかりたてました。53

      実際のところ,近代の宗教は,僧職者たちが,『行って異教徒を殺せ』と言って会衆をかりたてた中世の宗教とほとんど変わるところがありません。たとえば,尊敬されている教会史家ローランド・H・ベイントンは,「アメリカ国内の諸教会は,第一次世界大戦に対してとりわけ十字軍的な態度を取った」と述べています。54

      第一次世界大戦 ―「聖戦」?

      明らかに,第一次世界大戦の目的は,いく百年か前の「聖戦」の目的とはかなり異なっていました。十字軍の場合は,教会は「聖地」を奪回するために直接の支持を与えました。一方,第一次世界大戦の目的はおもに政治的なものでした。しかしこの近代戦において宗教が演じた役割は,昔の「聖戦」において宗教が演じた役割と驚くほど似ていました。

      クレアモント大学院宗教学部長ジョセフ・C・ホーは,この点にかんして述べ,ロンドンの司教A・F・ウィニングトン-イングラムのことを例にあげています。同司教は英国民を次のように激励しました。

      「ドイツ人を殺せ。―殺すために殺すのではなく,世界を救うために,悪人はもちろん善人も,老人はもちろん若者も,悪魔のような者はもちろんわが負傷兵に親切にする者も,かまわずに殺せ。…いく度も述べてきたように,私はこの戦争を浄化のための戦争と見なし,この戦争で戦死する者をみな殉教者と見なす」。55

      そして,僧職者たちは,もう一方の側では何をしていましたか。ドイツ,ケルンの大司教は,ドイツの兵隊に次のように言いました。

      「われらが祖国の愛する人々よ。神はこの正義のいくさにおいてわれらとともにいます。われわれは不本意にもこの戦争に引きこまれた。われわれは神の名において諸君に命ずる。祖国の名誉と栄光のために,諸君の血の最後の一滴まで戦え。神はその知恵と公正とをもって,われわれが正義の側にいることをご存じであり,われわれに勝利を与えられる」。56

      これらのことばは,十字軍を出発させた,「行って,蛮人と戦え」と訴えた教皇ウルバヌスのことばをしのばせるものがあります。しかし,ロンドンの司教のことばも,ケルンの大司教のことばも,それほど聞きなれないことばではありませんでした。むしろそれは,第一次世界大戦中,両国の教会を風びしていた典型的な精神を表わすものでした。

      ベイントン教授は,アメリカの教会について,次のように述べています。

      「アメリカのすべての教派の教会人がこれほど互いに結束し,これほど国民精神と一致したことはかつて一度もなかった。これは聖戦であった。イエスは,カーキ色の服を着,銃でねらいを定めているように描かれていた。ドイツ人は野蛮人であった。彼らを殺すことは,地球から怪物を退治することであった」。57

      これは僧職者たちのことばを誇張したことばではありません。フォーチュン誌の社説は,「戦いの最前線における敵がい心でさえも,教会人がドイツにたたきつけたほどの毒舌はふるわなかった。」と述べています58 レイ・H・アブラムズは,「牧師たちはささげ銃をする」という本を著わしていますが,その中に「聖戦」と題する一章をもうけて,同章全体を,牧師たちが精魂こめて戦争を支持したことの説明にあてています。それによると,たとえばランドルフ・H・マッキムは,ワシントンの説教壇から次のように叫びました。

      「この戦いにわれわれを召集されたのは神である。われわれが戦っているのは神の戦いである。…この戦闘はたしかに聖戦である。史上最大の ― 最も神聖な戦いである。最も深遠な,真実な意味での聖戦である。…この汚れた,ぼうとく的な国〔ドイツ〕と激戦を交えるべくわれわれを召集されたのは,確かに正義の王キリストである」。59

      また,ザ・クリスチャン・レジスター誌の社説記者アルバート・C・ディーフェンバッハは,社説に次のように書きました。

      「クリスチャンであるわれわれは,もちろん,キリストは〔戦争を〕是認するという。しかしキリストは戦ったり,殺したりするだろうか。…彼が敵を殺す機会を回避したり,その機会を捕えるのをぐずぐずして伸ばしたりするおりがいつもない。彼は千年期には,銃剣や手りゅう弾や爆弾やライフル銃をもって,父の王国の最強の敵に対して猛烈な戦いをしかけるであろう」。60

      こうしたことばにあなたはショックを受けますか。ところが,第一次世界大戦中,多くの牧師や教会の出版物はこういうことを言っていたのです。どちらの側にも,戦うことや殺すことに反対した宗教指導者たちはほとんどいませんでした。戦争に反対の僧職者はひとりも見つけ出すことができなかったとR・H・アブラムズは述べています。

      ですから,英国のフランク・P・クロージャ准将が,「教会は,わが国で最もすぐれた流血欲の創造者である。われわれは彼らを思いのままに用いた」と述べたのももっともです。61

      どうなっていたであろうか

      しかし,もし交戦国の諸教会が,同胞,とりわけ仲間のクリスチャンを殺すのはまちがいである,ということを教会員に教えることに成功していたなら,どうなっていたでしょうか。それらの国の人々はほとんど全部がクリスチャンと称していましたから,戦争をつづけることは不可能だったでしょう。

      当時の著名なラバイであったスチーブン・S・ワイズは,この問題について論じ,「教会と会堂が統率力を維持し得なかったことがこの戦争をひき起こした」と述べました。62 教会はその代表的な教会の場合同様,戦争に参加しないよう人々を指導しようとはしませんでした。

      教会と第二次世界大戦

      第二次世界大戦中は事情はちがっていたでしょうか。高名なプロテスタント神学者レイノルド・ニーバーについては次のように言われています。「彼は第二次世界大戦のとき,多数のアメリカのクリスチャンを,平和主義から,ヒトラーと戦うことは道義上必要であるという考えを受け入れる方向へ導いた」。63

      また,現代の歴史家A・P・ストークスは次のように述べています。「教会は,全体的に見て,戦争被害者の救済にも挺身したが…それにもまして強力に戦争を支持した。なかにはこれを宗教戦争と呼ぶ者さえいた」。64

      フランスや英国でも,教会は国策を支持するためにはせ参じました。たとえば,カンブレーのローマ・カトリックの大司教は,フランスの参戦を,「文明,諸国家の法律,人道,自由,約言すれば,人間性を擁護するための戦い」と呼びました。65 明らかに教会は,人々をドイツとの戦いの場に導いていました。

      では,ドイツの教会はどうでしたか。アドルフ・ヒトラーを支持したでしょうか。彼の戦争目的をあと押ししましたか。

      ヒトラーを支援

      1933年,ドイツとバチカンの間に政教条約が結ばれました。同条約の第16条の規定によると,カトリック教会の各司教は,就任にさいしてナチ政権に対する「忠誠の誓い」をしなければならないことになっていました。また,第30条,正式ミサを行なうたびに「ドイツ国とその国民の繁栄」を祈ることを要求していました。66

      1936年,カトリック教徒はヒトラー政権に反対しているといううわさが広まったとき,ファウルヘーベル枢機卿は,6月7日の説教で次のように述べました。「あなたがたはみな,われわれが政教条約で約束したとおり,日曜や祝日のすべての主要礼拝においてすべての教会で,総統のために祈りをささげてきた事実に対する証人である。…国家に対するわれわれの忠誠にこうした疑惑の目が向けられるとは心外である」。67

      それで教会はドイツ国民をどこに導いていたでしょうか。ウィーン大学の歴史学の教授でローマ・カトリック教徒でもあるフリードリッヒ・ヘールはこう説明します。「かぎ十字がドイツ各地の大聖堂の塔から勝利を告げ,かぎ十字の旗が半円形の祭壇に現われ,カトリックとプロテスタントの神学者,牧師,教会人,政治家などがヒトラーへの協力を歓迎するまでに十字架とかぎ十字は接近した,というのがドイツの歴史の冷厳な事実である」。68

      1939年の9月17日,ドイツがポーランドに侵入してから2週間余りのち,ドイツの司教たちは次のような内容の共同牧会書簡を出しました。「この決定的時期において,われわれはカトリック教徒の兵士たちに対し,総統に服従してその任務を果たし,自己のすべてを犠牲にする覚悟を持つよう勧告する。また,この戦争が,全能の神の摂理によって祝福に満ちた勝利に導かれ,われらが祖国と国民に平和が訪れるよう,信仰者が熱烈な祈りに参加することを訴える」。69

      1940年の夏,カトリックの司教フランズ・ジョセフ・ラルコフスキーは述べました。「ドイツ国民は…良心のかしゃくを感じてはいない。…ドイツ国民は,これが正義の戦い,一国民の自衛の必要から生まれた戦いであることを知っている」。70

      1939年のニューヨーク・タイムズ紙は次のように伝えています。「ドイツのプロテスタントとカトリック教会の定期刊行物は,多くの奨励記事を掲載して,自国の防衛のために戦う兵士の任務を説明し,またドイツの勝利と公正な平和のために,聖ミカエルの精神をもって戦え,とドイツの兵士たちを訓戒している」。71

      教会がドイツ国民をどこに導いていたかは明らかではありませんか。ゴードン・ザーン教授は書いています。「ヒトラーの戦争支持にかんして宗教指導者たちに霊的導きと指示を求めたドイツのカトリック教徒たちは,ナチの支配者から得たであろう答えと事実上同様の答えを与えられた」。72

      教会がどんな指導を行なったかは,教会員が全面的に戦争を支持したことにはっきり表われています。ヘール教授はこう説明します。「ドイツの約3,200万のカトリック教徒 ― うち1,550万は男だった ― のうち,兵役を公然と拒否したのはわずか7人にすぎなかった。このうちの6人はオーストラリア人であった」。73 ドイツのプロテスタントの場合も状態は同じでした。

      こういうわけで,どの国においても,教会は教会員を戦争に導きました。戦場では,カトリック教徒がカトリック教徒を殺し,プロテスタントがプロテスタントを殺しました。しかも双方の教会指導者たちは,神に勝利を祈り求めたのです!

      宗教と革命

      教会の指導者たちは,国家間の戦争のみならず,国内における革命さえも支援します。1937年,スペインのカトリック教徒たちは,彼らの司祭の多くから,第二スペイン共和国に反対するフランコ将軍の国民運動を支持するように勧められました。しかし現在では,司教や司祭は,フランコ政権をおもしろく思っておらず,最近,フランコの国民運動に対する教会の支持を「容赦」するよう要請しました。74

      現在の見方にかんしては,ルーテル派の神学者カローリー・プロールは,こう約言しています。「クリスチャンは革命に参加できるという事実にかんして,神学者の間にはこのように注目に価する意見の一致が見られる」。75 また,英国のローマ・カトリック司教たちは最近,「権威に反対して暴力をふるうことを非とするだけではだめだ。なぜなら,権力の座にある者たちは,さらにひどい暴力行為を犯した罪があるかもしれないからである」と言いました。76

      では,今日教会員が政治革命に参加するのは不思議でしょうか。アメリカ,テキサス州,オースチンのセント・エドワード大学の神学の講師ジョージ・クレスチンはこう述べています。「クリスチャンは,できるかぎり早急に不正な機構を変革すべく決意しつつある。これは場合によっては教会が暴力を説かざるをえなくなるかもしれないことを意味する」。77

      このように,戦争と暴力にかんする世界宗教の経歴は明らかであり,それは身の毛のよだつような恐ろしいものです。世界宗教は,黙示録 18章24節に述べられているように,「すべて地の上に殺されし者の血」に対して,いちばん大きな罪を負っています。

      では,世界に広まっている不道徳に対する罪についてはどうですか。この点で世界宗教はどんな立場にありますか。

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