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  • 「御心が地に成るように」(その29)
    ものみの塔 1960 | 3月1日
    • 部分について,預言者ダニエルに次のごとく語りました。「このふたりの王は,害を与えようと心にはかり,ひとつの食卓に共に食して,偽りを語るが,それは成功しません。終りはなお定まつた時の来るまでこないからです」。―ダニエル 11:27,新口。

      2 1871年以来,どんな関心事が衝突し始めましたか。しかし,平和についてのどんな確信が述べられましたか。

      2 1871年1月1日にドイツ帝国が再建されて後間もなく,この北の王の関心事は,現代の南の王,英米両国の世界強国の関心事と衝突するようになりました。北のドイツ人の王は,ローマの以前の第6次世界強国を最も活潑に,そして最も力づよく擁護する者でした。1871年の10月にドイツの国会が開かれたとき,ウイルウム1世皇帝は,「新しいドイツ帝国は,信頼するに足る平和の盾である」との確信を述べました。このことは真実なものでしたか,または偽りのものでしたか。

      3 どの面でこの二人の王の心は,害を図ろうとしましたか。

      3 北の王と南の王は「ひとつの食卓」にすわり,相互の契約をむすんで,親交関係を表明しました。しかし,彼らの心は害を与えようとはかつていました。たがいどうしの害をはからなかつたというのであるなら,祈り求めてきた約束の神の御国にたいして,害をはかつたことは間ちがいありません。ふたりの王は「神の恵みにより」支配し,「神の定めた上なる権威」として,神権をもつて支配すると主張しました。(ロマ 13:1)南の王は,すでに世界帝国の地位をにぎつていました。それは,その時までの世界帝国の中の最大の帝国です。それは新しいドイツ連邦すなわちドイツ帝国の興隆に怒りを持ちました。

      4 カイゼル・ウイルヘルム2世が,何を計画したことは明白ですか。その目標に向かつて,彼はどんな行動を起しましたか。

      4 1888年,ウイリアム1世の孫はドイツの帝位についてウイリアム2世になりました。一般にはカイゼル・ウイルヘルムと呼ばれました。一権威者は次のように言つています,「彼は王の神権,とくにカイゼルの神権をかくて信じていた。彼は自分が『主に用いられている者』であると数多い機会に語り,軍隊に特別異常な興味を持つた。……しかし,彼の利己的な野心は果てしがなかつた。統治し始めた最初の日から,彼は世界支配を計画した,ということは今一般に認められている考えである。彼は次のごとく決意したのだ。すなわちウイリアムである彼は,一人間が最高の地位に身をおこしてドイツを支配するだけでなく,ドイツを通して文明の地を支配し得るということを世界に示したかつたのだ」。a 「彼は『創造者だけに対して極めて重い責任を持つ。そして,いかなる人間も,大臣も,国会も,国民も,主権者もその責任を取りさることはできない……』と言明した。b 彼は強力で,良く訓練の行きとどいた軍隊をつくりあげ,それに大きな確信を抱きました。彼はまた強力な海軍をつくり上げ多数の潜水艦を建造しました。彼はドイツ連邦の商業と植民地の大拡大を図りました。彼は帝国の影響をトルコと小アジアにのばし,ペルシャ湾にいたる直接の鉄道路を探しました。彼は極東,アフリカ,そして南アメリカに手をのばしてドイツの利益を図ろうとしました。害を与えようとすることは始まりました!

      5 どんな「一つの食卓」に二人の王は坐りましたか。彼らは,そこで何を語りましたか

      5 両方の王とも国際調停のヘーグ法廷の成員になりました。それで,たがいどうし及び他の国民に対しては平和を求めているように見せかけていましたが,「神との平和」または神の来るべき御国との平和を求めませんでした。彼らは,「一つの食卓」で外交的に「偽りを語る」のが精々のところでした。真理の食卓である「ヱホバの食卓」で語るのでなく,「悪鬼の教え」の食卓である「悪鬼共の食卓」で語るのです。(コリント前 10:20,21。テモテ前 4:1,2。マラキ 1:7,12)しかし,たがいどうしに対して,またヱホバ神とヱホバ神のキリストに対して,言葉と行いの面で偽ることは,平和な世界にみちびきませんでした。また,神とそのキリストによる来るべき御国に心から進んで従う,ということにもみちびきませんでした。政治力,商業力,そして軍事力を永久に保つこともできませんでした。なぜなら,両方の「王」の終りは,ヱホバ神の「定まつた時の来るまで来ないからです」。

      6,7 (イ)北の王はどのように「大いなる財宝をもつて,自分の国に帰り」ましたか。(ロ)彼は,どんな宗教有力者の恩恵を得ましたか。

      6 ヱホバの御使は北の王を心にとめつつ,ダニエルにこう語りました,「彼は大いなる財宝をもつて,自分の国に帰るでしよう。しかし,彼の心は聖なる契約にそむき,ほしいままに事をなして,自分の国に帰ります」。(ダニエル 11:28,新口)カイゼル・ウイルヘルムは,国に帰りました,つまり昔の北の王の持つていた地的な状態に返りました。彼は絶対的な帝国支配形態をきずきあげたのです。彼は,ドイツ連邦を増大させ,その影響を全地に感じせしめました。この行いにより,帝国ドイツは「大いなる財宝」を多くの面で得ました。彼は,オストリア-ハンガリー,イタリー,そしてドイツ間で結んだ三国同盟内で,ドイツを主要成員国となし,バチカン法王の後援を受けたのです。一権威者の言葉を引用してみましよう。

      7 「注目すべきことは,皇帝は三国同盟を維持するにあたつてビスマルク(首相)の政策に従つたということである。……ビスマルクの(反カトリック)文化闘争の遺産については,ウイルヘルムは賢明にも妥協譲歩という手段によつて,それを取りのぞいた。ウイルヘルムは,そのことから益を受けたのである。すなわち,彼の反革命政策においてバチカンとドイツ学派を明白に同盟させ,学派自体を改変したのである」c

      8 法王は,三国同盟と三国協定のどちらを支持しましたか。そして,なぜ?

      8 イタリアだけでなく,オーストリア-ハンガリーもローマ・カトリックでバチカン法王とは親密な間柄でしたから,法王がその三国同盟(ドライブンド)を支持後援することは当然です。この三国同盟は,南の王および,新教国英国,フランス共和国,そしてロシヤ正教ロシヤ帝国との間で設けられた三国協定に対抗するものでした。

      9 この北の王の心は,どのように「聖なる契約」にそむきましたか。

      9 再興したドイツ帝国の初期,実際のところ1877年以来ヱホバの献身した民の「聖所」級の者は,異邦人の時なる「諸国民の定められた時」が1914年に終るということを,その出版物の中で明白に言明していました。その1914年,神の御国は,神の御心が地に成るようにするため,天で全く設立されました。これは,永久の相続者イエス・キリストの手中にあつて永遠の御国をつくる,というダビデとむすんだヱホバの契約と一致調和するものでした。(サムエル後 7:12-16。詩 89:28-37。ルカ 22:28,29)カイゼル・ウイルヘルムやこの世の他の支配者たちは,異邦人の時が1914年に終るというヱホバの聖所級の音信を軽べつしました。しかし,ものみの塔聖書冊子協会は1903年以来ドイツのバーメン・エルバフェルドに強力な支部事務所を持つていました。北のドイツ王の心がヱホバ神の神聖な御国契約に反対していたことは否定の余地がありません。カイゼルは,イエス・キリストが1914年に天で即位したとき,帝国の主権を彼に渡すというようなことを計画しませんでした。カイゼルは,イエス・キリストが全地を支配する御国の正当な相続者と認めなかつたのです。それで,彼は「事をなして」,ドイツのカイゼルによる地上の支配という自分自身の計画に戻りました。商業上での競争を行いまた軍事的な力をきずきあげることにより,彼は熱い戦争である第一次世界大戦の種子を播きました。

      10 1870年以来,世界支配の問題は,どのように沸とうしたものになりましたか。

      10 世界支配の論争は,沸とうしたものになりました。仏露戦争が始まつてドイツ連邦が再び生じ始めた1870年以来1910年までの40年のあいだ,「欧州人による世界支配」は,それ以前の4世紀間中に行なわれた以上に,さかんに行なわれました。d それは,物質主義が原因でした! すでに1895年にカイゼル・ウイルヘルムは,「ドイツ帝国は世界帝国になつた」。と言明しました。e 彼は中東とも関係を持つようになりました。なぜなら4年の後にはドイツ人銀行家たちの群れはトルコ王から一つの同意を得たからです。すなわち,コンスタンチノープルの反対にあるボスポラス海峡からアジア・トルコを横断し,東南に下つてメソポタミア(今のイラク)にあるバグダットに達する鉄道建設の同意を得たのです。彼は,将来の帝国運輸制度を見透して,次のように言いました。「ドイツの将来は水にある」。彼の海軍の総トン数は,英国の次位を占めるようになりました。南の王は心配気な態度で見守りました。

      11 世界の大火は,ついにはどのように火がつけられましたか。それは,どうして「定められた時」でしたか。

      11 可燃性の資料がそんなにも多く積み上げられたので,ちよつとした火をつけるだけで世界的な大火が生ずるでしよう。その火は,1914年6月28日,オーストリア大公フエルジナンドとその妻がボスニアで暗殺されたことがきつかけでつけられたのです。ドイツの同盟国オーストリア-ハンガリーは,1908年にボスニアを併合していました。北の王は,この機会を捉えて,世界支配の計画を実行し南の王を打ち負かそうとしました。ヱホバの御使は,次のように告げていたのです,「定まつた時になつて,彼はまた南に討ち入ります。しかし,この時は前の時のようではありません」。(ダニエル 11:29,新口)「定まつた時」は,1914年です。神の定めたもうた時間によると,「諸国民の定められた時」である2520年は,1914年の秋に終りました。1914年になつて,神の御国の干渉なしに彼らが領土を支配する,というヱホバ神からの認可は取りさられました。それは,キリスト前607年から「七つの時」がたつていました。このキリスト前607年,異邦人はエルサレムにあつたヱホバの模型的な国をくつがえしてその町の中にあつたヱホバの模型的な聖所を滅ぼし,そしてユダヤの国を荒廃せしめました。―歴代志略下 36:17-21。ルカ 21:24。

  • 発表
    ものみの塔 1960 | 3月1日
    • 発表

      「預言に注意せよ」

      この題による公開講演は,4月7-10日の4日間,東京世田谷区民会館で行なわれるヱホバの証者の1960年全日本全国大会で行なわれます。ものみの塔聖書冊子協会の理事でもあり,協会のニューヨーク本部から来訪するヘンシェル氏は,講演をいたします。この公開講演は,4月10日,日曜日の午後2時に行なわれます。この大会中,ヘンシェル氏は他の講演もいたします。4日間の大会に御出席されるようおすすめします。宿舎は東京都渋谷区宇田川町51番地ヱホバの証者の御国会館内ものみの塔大会宿舎係に請求されるときに,お取りきめします。

      「ものみの塔」の研究

      4月3日: 任命された神の奉仕者たち 1-23節。83頁

      4月10日: 任命された神の奉仕者たち 24-30節,およびあなたは光を輝かせていますか 1-20節。88頁

      4月17日: あなたは光を輝かせていますか 21-25節,およびヱホバの証者の平和と一致 92頁。

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