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修道女の現状 ― あすはどうなるか目ざめよ! 1975 | 5月8日
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からといって不思議なところがあるでしょうか。現在でも,多くの修道女は修道院を去る機会を待ち構えていますし,他の修道女たちはできれば修道院を出たいと考えているようです。前述のガブリエル・モランはナショナル・カトリック・レポーター紙に寄せた記事の中で,次のようなことまで指摘しました。
「ある人々が[修道会に]留まっているのは,老齢や病弱ゆえに,あるいはどこからも助けが得られないゆえに,何はともあれ後に残った遺物に必死にしがみつく以外どうすることもできないからである。ほかには,出ようと思えば自由に出られるのだが,別のより良い道を選べるかどうかを疑問に思っている人々もいる」。
修道会の事情はどうしてこのように悪化したのでしょうか。カトリック教徒が述べるように,修道女たちはなぜ「彼女たちの天職を捨てる」のでしょうか。
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なぜ修道女は去るか目ざめよ! 1975 | 5月8日
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なぜ修道女は去るか
修道院を去る修道女はいつも少なからずいました。しかし今日のような何万という修道女の離脱は,数においても,それが及ぼす破滅的な影響においても,いままでに例を見ないものです。なぜこんなにも多くの修道女が修道院を去るのでしょうか。
これにはいくつかの要素が関係しています。しかしおもな原因は,カトリック教会そのものの構造と運営に関係があります。以前修道女であったメルデス・アロンソは次のように言いました。「献身した女性が毎日のように修道院を去っており,その数は着実に増加していますが,そのことが危機をつくり出しているのではなく,むしろ危機の存在を明らかにしているのです」。
教会のどんな状態にいたたまれなくなって多数の修道女が脱会したのでしょうか。
脱会のおもな理由
修道女たちは特に,無意味な伝統,無意味な規制と彼女たちが考えている事柄に異議を唱えます。一つの例は,修道女たちの結婚を禁ずる規則です。
独身の規則は,幾世紀も昔に教会の支配者たちによって課されたものです。それが聖書に基づいていないことは認められています。事実,法王ヨハネス23世は,「教会の独身制は教理ではない。聖書はこれを課してはいない。変更することすら容易である」と言いました。
幾千人もの修道女と司祭は,そのような変更がなされるよう懸命に訴えてきました。なかには聖書を権威として引用した司祭もいました。例えばカトリックの神学者ハンス・クンは,「ペテロや他の使徒たちは,完全にイエスの弟子になっていた時でさえ結婚していたし,その状態を保っていた。以後それは幾世紀もの間,共同体の指導者たちが従う型となっていた」。(マタイ 8:14。コリント第一 9:5)それでも教会は独身制の変更を拒否してきました。
それで多くの修道女は,人間製の規則に従うことを不当に強制されていると感じ,教会を去りました。カトリック教会との関係を一切断ってしまった修道女たちもいます。聖書の次の警告を発見したことが彼女たちに決意を固めさせたことは疑いありません。「しかし霊は,のちの時にある人々が信仰
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