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戦争玩具は子供に有害
● ギリシャのサロニカで開かれた児童専門家の国際会議は,子供の遊びが目的のない,単なる無心の活動ではないという事実を強調しています。それは人間生活の表われでもあります。遊びによって子供は行動様式を身につけ,自分の感情を周囲の世界に伝えることを学びます。
おもちゃの戦争道具を子供に与えることの否定的な面がとくに強調されました。このような戦争玩具は子供に攻撃的な性質を培わせるという点で意見の一致が見られました。この理由で,このような玩具の製造業者を政府が監督すべきであるとの提案が出されました。
生命,そして神の言葉を尊重する親は,「つるぎを打ちかえて,すきとし,そのやりを打ちかえて,かまと」することが神の言葉に命ぜられており,「彼らはもはや戦いのことを学ばない」と述べられているのを知っています。(イザヤ 2:4,口)神の言葉はまた次のように教えています。「平和に役だつ事がらや互いを築き上げる事がらを追い求めましょう」。(ローマ 14:19)ゆえに良心的な親は,敵対心や,神の賜物である生命に対する不敬を抱かせる玩具を子供に与えないでしょう。
貞節はまさる
● 道徳水準の低下は今日,世界の至る所で見られます。配偶者以外のだれかと性関係を持つ既婚者がますます増えています。しかし姦淫を犯す人々の大多数は幸福を見いだしていない事を示す研究があります。
南カリフォルニア大学の社会学教授C・B・ブロデリックによれば,「不貞を非としてきた何千という社会」における昔からの道徳上の禁制は十分に根拠のあるものです。同教授は次のように述べています。「これら慣習的な道徳上の禁制は,人間関係にかかわる一定の基本的な[真理]に基づいている。その中に数えられるのは,どんな社会も社会上の契約が守られるという期待なしには機能し得ず,どんな社会上の契約も契約に対する当事者の貞節が要求されなければ無価値という原則である」。
「黄金律のような,すぐれた原則」につき従うならば,「他の人を破滅に陥れるおそれのある[姦淫のような]行為はおのずから除かれるとわたしは思う。不貞のもたらす苦しみを見たことはあるが,貞節のゆえに身を滅ぼした例は見たことがない」。
裏づける点を他にも多く挙げたのち,同教授は次のように結論しています。「これらすべての理由で結婚生活における貞節には,個人,夫婦,家族そして社会組織にとって大きな価値があると,わたしは評価している」。この見解は結婚の創始者エホバ神の見方と一致するものです。エホバ神は次のように言明されています。「結婚はすべての人の間で誉れあるものとされるべきです。また結婚の床は汚れのないものとすべきです。神は淫行の者や姦淫を行なう者を裁かれるからです」― ヘブライ 13:4。箴 5:15-23。
異教に起源を有するクリスマス
● クリスマスの起源が異教のものであることは,ますます広く認められるようになっています。ニュージーランドのオークランド・スター紙には12月25日の祭日について次の事が出ています。「ローマ人が祝った神サターンの祭 ― サターナリアおよびペルシャ人が神ミスラの誕生を祝った祭もこの日に行なわれた」。
クリスマスがこの日になったのはどういう訳ですか。スター紙によれば,一つの理由は,キリストの死後数世紀を経て背教のクリスチャンが「異教の祭を廃止するよりも改革することを望み,12月25日をキリストの誕生を祝う日と定めた」ことにあります。
米国,ミシガン州マウント・プレザントのデイリー・タイムズ紙の社説は,クリスマスについて次の意見を述べています。「12月25日にそれを祝うのは,イエスの誕生の日付を正確に定めたうえの事では決してない」。社説は次の事に注目しています。その日は「ローマ人にとってソル・インビクタス ― 征服されない太陽 ― を祝う日であった。―これはギリシャ文明から受け継がれた考えであり,ギリシャ人はそれを近東から借りた。……今日においてさえ,古代ローマの慣習のみならず西ヨーロッパ各地に伝わる昔の異教の慣習が我々のクリスマスの祝祭に取り込まれている。ひいらぎの枝,やどりぎの枝,クリスマス・ツリー,贈り物,飲んだり食べたりのきょう宴などがそれである。全くのところ世間一般で行なわれているクリスマスは,少なくともアメリカにおいては古代ローマでローマ人が祝ったソル・インビクタスの祭と異なるところがない」。
それでクリスマスを祝わないクリスチャンにとっては,歴史上の確実な根拠があることになります。