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『すべての国の民へ証言』ものみの塔 1968 | 6月1日
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です。その後まもなく彼はエホバの証人になりました。家族の他の人々はまだ無神論者ですが,彼は,人間をとり巻くすばらしい自然界の創造者であられる真の神エホバについて妻や子供に教えるだけの時間がまだ残されているものと願っています。
偶然の証言は時に良い結果をもたらします。エホバの証人の一姉妹は,駅の待合室で次の汽車を待つ間,自分の隣に腰かけていた婦人に証言しました。それは「ものみの塔」誌の予約運動の行なわれていた時期のことでした。その姉妹の3歳になる幼い娘は,母親の模範にならい,母親のカバンから2冊の雑誌を取り出して,近くに腰かけていた別の婦人に手渡しました。その婦人は雑誌を求め,一度尋ねてほしいと娘の母親に頼みました。やがてその家を訪問したところ,好意を示したその婦人の夫は色々と質問しました。二,三回の訪問ののちに研究が始まりました。そして主の記念式が近づいたころ,その夫婦は出席するよう招待されましたが,24キロの道をいとわずに出席したのです。それ以来,集会を欠かしたことはありません。その夫はすでに御国のたよりの伝道者となり,バプテスマのことを考えています。そして,その村の多くの人々に御国についてすでに話しており,人々は彼をエホバの証人のひとりと見なしています。今では,義理の兄弟の一人と聖書研究をしています。駅の待合室での偶然の証言がこのような良い結果をもたらしました。
エホバの証人で10歳になる一姉妹は,クラスの友だちに証言しましたが,だれも話に耳を傾けませんでした。しかし,このことで落胆せずに,今度は朝,授業が始まる前や休み時間には守衛の人に神の国について話しました。ところがその守衛は色々の疑問を持っていたので,少女は雑誌を定期的に手渡し,読んでもらいました。その後まもなく,もう一人の守衛が勘違いして,その姉妹の姉で同校に通っている2歳年上の女生徒に近づき,別の守衛に分けた雑誌を自分にも分けてくれまいかと尋ねました。それは,その女生徒が雑誌を他の守衛に配った少女だと思ったからです。その生徒が何の事かわからないと告げると,守衛は自分の部屋に走って行き,「ものみの塔」誌をその姉に見せたのです。つまり前述の守衛はすでに真理について彼に伝えていたのです。もちろんその守衛も雑誌をわけてもらいました。
葬式のための集まりは,慰めと希望を与える神からの音信を一般の人々に伝えるすばらしい機会となります。最近その家族がエホバの証人になった人の葬式が行なわれました。そして,その家族の人々33人が葬式の話に出席しましたが,参列者は合計,1000人でした。そして,人々はみな真剣にその話を聞き,かつ伝道者の歌う賛美の歌に耳を傾けました。
ルーマニア
ルーマニアにおけるエホバの証人のわざは前進しています。兄弟たちは密接な交わりを持ち,聖書を研究し,終わりまで耐え忍ぶように強められています。福音を伝道する道は限られているため,あらゆる機会をとらえて努力しています。
兄弟たちは宣教に際して細心の注意を払わねばなりません。しかし神のみことばの教えを学びたいと願う誠実な人を見いだした時には,そのような人を助けるためにできる限りの事をします。たとえば,ある姉妹は,関心を持つ一家族と一緒に聖書研究をするため,いつも約80キロの道を汽車で通います。ある日その姉妹が駅で汽車を待っていた時のこと,ひとりの婦人に真理について話しはじめました。まもなく列車の到着時刻となり,御国の音信に深い関心を寄せたその婦人は,姉妹が汽車に乗って去ってゆくことを大変残念に思い,自分も切符を買いその姉妹と一緒に汽車に乗り込みました。こうして2人は聖書の話をさらに続けることができました。関心をいだいたこの婦人はその時以来,姉妹が研究を司会するために旅行する時にはいつも同じ列車に乗るようにして,2人は汽車の中で聖書を研究しています。
最近,大工の頭領をしている人がエホバの証人になりました。それまで彼は,しばしば町の教会堂の修理を行なっていました。もちろん兄弟となってからは,教会との関係を断ち,司祭や他の人々は教会の礼拝で彼の姿を見かけなくなりました。そこで司祭は,なぜ彼が教会に来なくなったのかを知ろうとして,その兄弟を訪問することにしました。そして教会員3人を伴って訪れました。司祭が訪問の目的を述べたところ,その兄弟は,教会に行くのを止めた理由を説明し,御国について徹底的な証言をしましたが,そのために激怒した司祭は,兄弟をひどい目にあわせてやると高飛車に言い散らしました。しかし,一緒に来た3人のうちの2人は違った態度を示したのです。2人は教会の役員でしたが,兄弟が聖書から説明した事柄の正しさを認め,そこに真の希望があることに気づき,神の国についてさらに説明を求めたので,兄弟は説明を加え,そのうえさらに話し合うための取り決めをも設けました。結果はどうでしたか? その2人は御国の音信に真実の関心をいだき,2人とも教会を去りました。ペテロの第一の手紙 3章15節のことばどおりに行動するのは,なんという大切なことでしょう。「あなたがたのうちにある望みについて説明を求める人には,いつでも弁明のできる用意をしていなさい」。
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読者からの質問ものみの塔 1968 | 6月1日
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読者からの質問
● モーセの律法は,マタイの福音書 5章43節にほのめかされているようにユダヤ人に対して敵を憎めと実際に,要求しましたか。―アメリカの一読者より
そうではありません。律法は,自分の敵と思われる人であっても,憎むようユダヤ人に求めませんでした。それとは全く反対に,律法はそのような人に愛を示すよう,律法を守る人々に要求しました。
山上の垂訓の中で,イエスは次のように述べられました。「『隣り人を愛し,敵を憎め』と言われていたことは,あなたがたの聞いているところである」。(マタイ 5:43)しかし,このすべては,モーセをとおして与えられた神の律法の一部であると,イエスが述べられなかったことに注意してください。むしろイエスは「と言われていたことは,あなたがたの聞いているところである」と言われました。
隣人を愛することに関する箇所は,レビ記 19章18節の律法に見られます。それは次のようです。「あなた自身のようにあなたの隣人を愛さなければならない」。しかし,自分の敵を憎むという部分は神からのものではありませんでした。一部の宗教指導者は,自分の隣人を愛する義務のあることから,非イスラエル人であればだれでも敵として憎めるように考え,理に合わない推論をしたものと思われます。マクリントックとストロングの百科事典は次のように論じています。「パリサイ人は,隣人という言葉の意義を自国民あるいは自分の友人に限定し,敵を憎むことが律法で禁じられてはいないと考えた」― 第6巻,929頁a。
しかし,律法は,無情な行為のゆえに自分の敵と考えられるような同胞に対してさえも,愛の行ないをもって接するようユダヤ人に命じています。(出エジプト 23:4,5)またヘブル語聖書は次のように助言しました。「あなたのあだが倒れるとき楽しんではならない。彼のつまずくとき心に喜んではならない」。(箴言 24:17)もちろん,自分の敵ではなく,神の敵の滅亡を喜ぶのは別問題です。―出エジプト 15:1-21。士師 5:1,31。詩 21:8-13。
イエスの時代には,イエスの言葉の意義を含む,そういった語法が普通に用いられていたのかもしれません。「正統新約聖書」の中で,ユダヤ人の学者ヒュー・ショーンフィールドはマタイの福音書 5章43節を次のように訳出しています。「『隣人を愛すべきであるが,敵を憎むべきである』と宣言されたことは,あなたがたの聞いているところである」。さらに彼は,後半の部分を,死海写本とともに発見された写本の一つに記録されている義務と結びつけています。エシーン派と呼ばれたユダヤ教の一派とおもに関係のある非聖書的な「教会法規教書」は「各人は神の意図に従い,自分の分に応じて,すべて光の子を愛し,やみの子のすべてを憎む」よう。読者に勧めています。―ミラー・ブローズ著,「死海写本」,371頁。
多くの人々はそういった考え方を一般にいだいていたかもしれませんがそれにもかかわらず,イエスは次のように勧めました。「敵を愛し,迫害する者のために祈れ。こうして,天にいますあなたがたの父の子となるためである」。(マタイ 5:44,45)彼は,善良なサマリヤ人のたとえ話を用いて,このことを確証さえしています。ユダヤ人の祭司とレビ人は,強盗に傷を負わされた人を助けずに通り過ぎて行きましたが,あるサマリヤ人(ユダヤ人から軽べつされていた民族の人)は足を止めて介抱しました。彼は自分が真の隣り人であることをを証明したのです。このたとえは神が勧められ,イエスが教えられた愛ある態度をよく説明しています。―ルカ 10:29-37。
今日,エホバの証人は,真のクリスチャンを迫害する者であって隣人を愛するという,同様のこの精神を培っています。そして彼らは個々の人間を裁く者ではないことを認めて,すべての人が生命の道を学ぶよう援助しつとめます。その結果,敵のようにふるまっていた以前の迫害者が,クリスチャンになるよう援助されてきました。(使行 9:17。ガラテヤ 1:13)そしてクリスチャンは,神を憎む敵を神ご自身が一掃されるまで,このことを続けます。こうして神は,ご自分の御名に対する非難をぬぐい去られ,このことは喜びの理由となるでしょう。―詩 68:1,3。
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