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  • 生命の賞を得るための競走
    ものみの塔 1968 | 1月1日
    • ました。私は書かれた神の御ことばの光が,だんだん輝きを増すに従い,あふれるばかりに霊的食物が増大することに歓喜しました。

      1958年に,私は競走における走りかたが年とともに遅くなりはじめたことを心配するようになりました。協会の支部の代表者は,もし私の体力が多くの旅行に耐えられないならば,一つの場所での全時間奉仕を続ける事もできると話してくれました。私は祈りのうちにこのことをエホバにゆだねました。なぜなら,この競走の舞台から,もっと楽な道へ行こうとは望んでいなかったからです。

      ちょうどこのころ,協会のN・H・ノア会長は,拡大した業をまかなうため他の場所に新しい事務所と工場を設置するようにとフィンランド支部に勧めました。この目的のために私の考えた一つの案が取り上げられ,採用されたのを見て私は幸福でした。美しい新支部事務所とベテルはすぐに建設されました。このちょっとした励ましが,この短い期間の,健康に関する心配を消し去ってくれたように見えました。私はこの新しい息つぎによって,以前と同じ仕事を続ける決意をしたのです。目的を決して妨害されることなく,熱心さを決して失わない ― これこそエホバの御心であり,神の御心をなしとげる事は私の最大の幸福です。

      それで再び私は協会の旅行する代表者になりました。それは私にとって今まで以上に良いレース運びとなったように思えます。この仕事に9年の月日が経過し,その時すでに20年にわたり奉仕のこの特権を得ていました。私は今70才です。そして,全部で47年間馳せ場を走りつづけて来たと言えます。

      外見上は長い私のこの競走を知っている仲間の証人たちは,よく次のように質問します。「おつかれになりませんか」。私はこう思います。私は全時間の宣教者としてあるいは他の分野のどんな奉仕でも,私に与えられる競走をいつまでも続けて行けるのだと。もちろん私は,多くのことが自分の肉体的な力と健康にかかっており,かつそれ以上に私に対する神の御心にかかっていることを悟っています。

      私は今や二つの別な馳せ場を経験しました。それで私は仲間の証人たちに説明することができ,しばしば,生命の賞を得る競走は実際の競技における競走と本質的に異っているのです,と話します。

      実際の競走では,息つぎを別にして,その人の力が競走の途中で増し加わることはありません。しかし大きな生命の賞をめざす競走においてエホバは忠実な走者に新しい力を与え続けられます。預言者イザヤが私たちの励ましのために,霊感によって述べた通りです。「〔エホバ〕は弱った者には力を与え,勢いのない者には強さを増し加えられる。年若い者も弱り,かつ疲れ,壮年の者も疲れはてて倒れる。しかし〔エホバ〕を待ち望む者は新たなる力を得,わしのように翼をはって,のぼることができる。走っても疲れることなく,歩いても弱ることはない」― イザヤ 40:29-31,〔文語〕。

  • おびただしい祭日
    ものみの塔 1968 | 1月1日
    • おびただしい祭日

      ● 祭日のことを忘れていたために,予定や活動に支障を来たすというようなことの生じる年はおそらくあるだろう。かりにジュリアス・シーザーの時代の古代ローマで生活していたとすれば,おびただしい祭日のため事情はさらに困難をきわめただろう。紀元前40年代のローマ人は,しばしば宗教上の供物や犠牲をささげねばならない100以上の祭日を毎年祝った。西暦33年以後,勤勉なクリスチャンは,一般の人とはなんと違った存在になったのであろう! クリスチャンはキリストの死を記念する祝いを,1年に1回だけ行なったのだ。

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