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凡ての人に親切を示すものみの塔 1961 | 1月15日
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人はひとりもいないでしょう! ドルカスとやもめたちが祝福をうけただけでなく,この出来事は真理についてあかしをすることになり,「多くの人々が主を信じた」。―使行 9:42,新口。
19 人情のない,残酷な人についての神の規則は何ですか。このことはどのように例示されていますか。
19 すべての人に親切を示そうとしない人々は,たくさんの祝福を夫ないます。たしかに「いつくしみある者はおのれ自身に益を得,残忍な者はおのれの身をそこなう」。(箴言 11:17,新口)それは神の規則です。そのことを良く表わし示す例は,アビガイルとナバルです。アビガイルは「賢くて美しかったが,その夫は剛情で,粗暴であった」。ダビデはかつてナバルに親切を示したことがあり,ある日人々をナバルのもとにつかわして,すこしの食物を求めさせました,「どうぞ,あなたの手もとにあるものを,贈り物として,しもべどもとあなたの子ダビデにください」。残酷でけちなナバルは「その使者たちをののしった」のです。ダビデはこのことに怒りを感じ,つるぎを帯びて,彼と家来たちは不親切な行いを示したナバルに返報しようと決心しました。ナバルの妻アビガイルはダビデに取りなしを願い,「パン二百,ぶどう酒の皮袋二つ,調理した羊五頭,いり麦五セア,ほしぶどう百ふさ,ほしいちじくのかたまり二百」をダビデにささげました。アビガイルは,親切心とかしこさを表わした熱烈な願いの言葉を述べて流血の惨事を引きおこすことをダビデに思い止まらせました。一方ナバルは「ヱホバ,ナバルを撃ち給ひければ死ねり」。ダビデは,ナバルが分相応の仕打をエホバからうけた,と知りました。「ダビデ,ナバルの死にたるを聞きていひけるはヱホバはほむべきかなヱホバ我かうむりたる恥の訟をただしてナバルにむくい……そはヱホバ ナバルの悪をその首に帰したまへばなり」。親切で利口なアビガイルは,予期しない祝福をうけました,「ダビデはアビガイルを妻にめとろうと,人をつかわして彼女に申し込んだ」。―サムエル前 25:3,8,14,18,38,39。
20 なぜ,意地のわるい,残酷な人は,当然の報いを必ずうけますか。
20 私たちはエホバから,分相応のものをいただきます。不親切は,親切と同じく必ずもどってきます。意地のわるい残酷な人は,親切を示すことの祝福を失ないます。そして,数多くの方法で「おのれの身をそこな」うだけです。残酷な人が人間からの返報をうけず,またからだを害する感情にくるしまないように見えなくても,勘定を正確につけるエホバからの返報を避けることはできません。「不正を行う者は,自分の行った不正に対して報いを受けるであろう。それには差別扱いはない」とパウロは述べました。一方,「正義といつくしみとを追い求める者は,命と誉とを得る」。―コロサイ 3:25。箴言 21:21,新口。
21 神は何に反対していますか。しかし,クリスチャンの精神は何ですか。
21 神が不親切 ― けちくさいこと,残酷なこと,吝嗇,狭量そして利己主義に反対しているという証言はたくさんあります! クリスチャンの精神は,温和,あわれみ,寛容,もてなし,そして寛大です。クリスチャンのはかるものは,けちけちしたすくないものでなく,あふれ出るものでなければなりません。イエスは次のように言われました,「与えよ。そうすれば,自分にも与えられるであろう。人々はおし入れ,ゆすり入れあふれ出るまでに量をよくして,あなたがたのふところに入れてくれるであろう。あなたがたの量るその量りで,自分にも量りかえされであろうから。」― ルカ 6:38,新口。
22 クリスチャンは,その親切をどのように量るべきですか。その結果は何ですか。
22 それで私たちの親切を寛大にはかりましょう。クリスチャンたちは,御国の真理を見知らぬ人々に教えて親切を示します。かくして自分たちの時を惜しみなく与えることによって寛大なことを示します。寛大をたくさん量れることができるときであっても,神の貴重な御国奉仕に時間をけちけち量るなら,私たちは祝福を失なうでしょう。「少ししかまかない者は,少ししか刈り取らず,豊かにまく者は,豊かに刈り取ることになる」。すべての人に私たちの自由を寛大に示すなら,豊かな報いと予期しない祝福をうけるでしょう。まったく,あなたは「天にいますあなたがたの父の子」であることを証明するでしょう。―コリント後 9:6。マタイ 5:45,新口。
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災害 ― 時代のしるしものみの塔 1961 | 1月15日
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災害 ― 時代のしるし
1950年代は,アメリカにおいては災害の10年間であったと言われています。ハリケーン,洪水,旋風,火事その他の災害の結果として,2万9000戸の家が破壊され,60万戸が損害を受け,160万人が家を失いました。アメリカ赤十字社が,1950年代をアメリカ史上最も災害の多い10年と呼んだのも当然です。
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一生の目的を追い求めるものみの塔 1961 | 1月15日
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一生の目的を追い求める
ロイド・バリーの経験談
こどものときに聖書のすばらしい真理を学ぶ者たちは,ほんとうに大きな祝福をいただいています。私が小さかったとき,大いなる神エホバ,その御国の目的,魂や生命の希望などを熱心に教えてくれた父親に,私はいつも感謝しています。この聖書の教えは,学校に来て騒がしい子供たちをこわがらせるために「地獄の火」の苦しみについて話した牧師たちの教えとは,なんとちがうのでしょう! 私はごく小さい時から聖書を愛するようにそだてられました。また私は聖書と共に「ものみの塔」誌をも愛しました。この雑誌は,私の幼い心に大きな印象を残しました。10歳の時でも私は「ものみの塔」から多くのものを学ぶことができました。そして今でも1920年代に研究したたくさんの記事をはっきりおぼえています。私は33年のあいだずっと「ものみの塔」を読んできました。
私は少年時代を,ニュージーランドのクライストチャーチで過ごしました。学校の生徒のとき,私はいっしょうけんめい勉強して,大学に入るための奨学金の試験では第1位を取ることができました。ニュージーランドの専門学校や高等学校は,この賞金を得ようとたいへんな競争をします。私は原子科学者になるはずでした。しかし,物質主義的な考えや進化論的な考えが私を取りかこみ,私はほどなくしてそのような考えは牧師たちの「地獄の火」の教えと同じぐらい理性に欠けたもの,価値のないものと知りました。聖書は,私の生活に大きな力を行使し始めました。私は科学の部門で学位を取りましたが,この大学時代の大部分は,ほとんど開拓者なみの時間を奉仕にささげていたのです。そして,しばしば休暇開拓奉仕をしました。
第二次世界大戦中の奉仕
1939年1月,私はオーストラリアのベテルで全時間奉仕を永久につづける決意で始めました。このときには戦争の雲行は険悪になり,暴徒の襲撃や迫害も起きてきました。第二次世界大戦が始まった月には,私は一連の大会に奉仕しており,3週間の週末はたてつづけに暴徒に襲われました。ニューサウス・ウェルス州のマイトランドでは,予定されていた市会館での集会は禁じられ,一人の兄弟と私はその会館の前に宣伝車をとめて,この不正手段に対して抗議しました。私が話し終えたとき,牧師にそそのかされた暴徒が私たちのところに来て,自動
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